覚悟する花

 オセロは、言われた通りの場所に立ちながら、周囲を観察していた。


 空は青い。明るく、風はなく、建物が影になってて、光の反射で目が眩む心配はなさそうだ。


 下は砂だ。粒は小さく、乾いてサラサラで、でも重く、舞い上がる心配はないが、滑るかもしれない。気をつけよう。


 正面、敵、メインの百人は、はっきり言って期待外れだ。見てくれ、装備、そんな問題じゃなくて、気持ちの問題だった。


 どいつもこいつも怯えていた。


 開始まで、円から出れないオセロと違い、相手は自由な場所から始められると聞いている。なのに、どいつもこいつも、距離を取りすぎてる。それも隊列を組むでもなく、単純にオセロから離れて、仲間同士で小さくまとまって、身を固めてる。


 こいつらには戦う意思がない。始まって近寄れば間違いなく逃げる。そんなやつらが大半だ。


 百人集めるための数合わせ、所詮はその程度、コロシアムもたかが知れてる。


 がっかりしながらも、オセロが歯を見せて笑えるのは、正面に来た一人の女のおかげだった。


 白銀の短い髪、オセロに似た褐色の肌、女特有の凹凸は大きく、それを隠す鎧は銀色で胸と股だけを守ってる。得物は、木製でナイフを縛り付けただけの、安物の槍だ。


 いわゆるビキニアーマーの女戦士、といったところか。


 そいつが笑顔で手を振り、体をくねらせながらオセロの前に来て、一瞬向けた眼差しに、オセロは大いに笑った。


 この女は、いい殺気を放ってる。


 女ということもあるが、力も技も、大したことはないだろう。だけど、一瞬見せた目には、覚悟と、それを裏ずける自信が見えた。この様子じゃあ、戦力差を埋める何か手があるのだろう。こいつは、仕掛けてくる。オセロを、本気で殺そうと、殺せると思っている。


 ……それだけで、オセロはここに来てよかった、と思った。


 そんな女が振り返り、手招きし、後ろに合図する。


 合図されたのは後に続いてた他の女たちだ。似通った鎧に槍で、似たように笑顔で手を振り、体をくねらせながら、左右に分かれて、そしてオセロを取り囲んで止まった。


 そして、ピタリと、揃って構えて、オセロに槍の先を向けた。


 円の直径はオセロが両腕広げた程度、その外周を、みっちり埋めるように女たちが並んで突きつけ、隙がない。


 たまに見る、動くな、の構図だった。


 全方位から刃を向けられ、肌に女たちの熱気を感じながら、それでもオセロは、正面の女から目を離せなかった。


 彼女だけを見ていた。


 ……ドラムが連続で叩かれ始めた。


 ▼


 奴隷たちが勝利で手に入るのは、自由だった。


 それも破格にも、仲間割れを防ぐため、この男一人が死ねば全員が自由になれると言われてた。


 それに参戦する奴隷たちは自由求めていた。だが同時に、コロシアムで死ぬことを恐れていた。


 あわよくば、誰かが殺してくれないか、と他力本願な彼らの中で、カモミールは一人、違っていた。


 彼女が求める自由は、自分の自由ではなく、息子の自由だった。


 こんなところに産まれてしまったかわいそうな子、それでもまっすぐ優しく育つあの子のために、カモミールはここに立った。


 そのために全力だった。覚悟も、殺すことも殺されることも、腹にくくった。準備期間はなくて練習もなにもできてないが、作戦を練ることはできた。


 単純に、彼女一人では相手には勝てないだろう。他人に任せるのも確実ではない。だから、同じく参戦し、相談できる女たちと、知恵を出し合い、作戦を練った。


 それでできた作戦は、取り囲むことだった。


 開始前の相手が動けない間に接近して、周囲をぐるりと囲んでしまい、槍を突きつけ逃げ道を塞ぐ。動きを封じて、そこを刺す。


 彼女たちの戦力を考えると、最も最善と思える作戦だった。


 ただ一つ、懸念があるのは、精神的な問題だ。


 ……相手が何者であっても、彼女たちには人を殺すことに抵抗があった。


 だから、発案者で、全ての覚悟を決めているカモミールが一人で刺すと、殺すと、事前に決めていた。


 それだけの覚悟があった。


 それが、カモミールの殺気の正体だった。


 ここまで、囲むまでは問題なくできた。こうして槍を突きつけられた。あとは踏み込めば、刺し殺せる。


 ドラムロールが聞こえる。


 これが終わり、ドラが鳴ると同時に開始だ。それを合図に、刺す。


 腹や胸なら、即死でなくとも出血して、助からない。一刺したらあとはもう、逃げ回って死ぬのを待てばいい。


 問題ない。これしかない。やるしかない。


 なのに、ここまで緊張するのは、この男が笑うからだ。


 これから殺し合うのに、なのにずっと笑って、息子そっくりな笑顔で、カモミールを見つめ続けるからだ。


 ……不安が顔にでて、他の囲う彼女たちにも伝染していく。


 だけどもう、引き下がれない。


 ドラが鳴った。


 合図に一歩、カモミールが踏み込む、その前に、男が動いていた。


 握手を求める、というよりもドアノブを掴むのに近かった。


 ごく自然と、当たり前のように伸ばされた男の右手が、カモミールの槍の刃の付け根を掴んでいた。


 そして押された。


 重心を落とし、足を踏ん張ってたカモミールの体が、砂の上を押し摺られ、みるみるうちに囲いが、作戦が、崩された。


 体重差、腕力の差、想定はしていた。だけどここまで簡単に崩されるとは想定してなかった。


 それでも、とカモミールは槍を引いた。


 今の最善策は時間を稼ぐこと、向かい合って対立し、男の注意を自分に向けさせること、後ろの彼女たちに隙を与えることだ。


 だが男は、それを些細なことと笑うように、掴む槍を捻った。


 本当に簡単に、ドアノブ捻るように、するだけで、なのにカモミールの手から槍が、外され奪われた。


 これはどういう原理か、カモミールが考えるより先に、男は振り返った。


 死角からそれでも迫ってた槍の列、そこへ男は、振り返った勢いを乗せて、奪い取った槍を振るった。


 カカカン、と心地よい音で迫る槍々を弾き、列を乱れさせ、できた隙に刃の下へと潜り込んだ。


 作戦外の動きに反応できない彼女たち、そこへ、男はさらに振るった。


 足を、腰を、腕を、肩を、次々に打ち据えた。


 肉の叩かれる音、痛い音、散々聞かされ続けてきた音に、カモミールは飛びかかった。


 止める。とにかく止める。背中から抱きついて、一瞬でも、少しでも、その動きを止めてやる。


 無心に近いはずの行動に、しかし男は感づいて振り返った。


 そして一打、槍を振るう。


 打たれたのは足、踏み蹴った右足のふくらはぎ、響く打撃は肉を伝わり骨に染みる。


 激痛、それだけで、カモミールは砂の上に打ち倒された。


 感覚はある、指も動く、骨も平気、なのにただ痛いだけで、カモミールは立てなかった。


 ……覚悟はできてた。殺されても構わない。なのに、ただ単純に、痛くて、痛くて、それだけでもう立てなかった。


 砂を踏みしめる音、見上げれば男がカモミールを見下ろしてる。


 カモミールには男の顔が逆光で見えない。


 それでも睨み返す。


 全身の戦意を眼力に変えて、涙を浮かべながらも、少しでもダメージになるように、少しでも勝率が上がるように、少しでも、あの子が自由に近づけるように、睨んだ。


 …………男は何も言わず、何もせずに、背を向けて行ってしまった。


 そして同じく、痛みに動けない彼女らの間をまたいで通り、落とした槍を一本一本回収して回った。


 そんな男に、カモミールができる攻撃は何もなかった。


 残酷にも、観客は歓声を響かせた。

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