コロシアム入場

 ルルーは、コロシアムの特等席に案内された。


 観客席の最上階、あるのは小さなテーブルと椅子が二つだけの狭い部屋だけど、コロシアムほうめんは一面ガラスで、そばに立って見上げれば場違いなほどに青い空、見下ろせばコロシアムの全てが見えた。


 下に広がる一般の観客席はすでに満杯だった。どんちゃん騒ぎはここまで響き、ひっきりなしに物が投げられ、時に血とゲロの飛沫が見える。やはりここもデフォルトランドだ。


 そんな客席に囲まれた中央にはメインである闘技エリアがある。かなりの広さで、半分地下に沈んでて、その形はなぜか四角かった。そこの地面は白い砂地みたいだ。


 それを挟んで向こう側、ルルー側とは反対側に、壁のような建物が見える。ところどころにバルコニーや、ここみたいなガラスの面が見えていて、つまりここと対となっているのだろう。


 左側には山と森が、右側にはフォーチュンリバーと、その向こうに橋の上のカジノが見えた。


 地理的に、ここはフォーチュンリバーの中心から上流側に外れた場所にあった。


 最初は、橋の上のコロシアムでの開催だったはずだけど、予想以上の大反響と、オセロが戦い、倒した相手の掃除が間に合わなかったとかで、こちらに変更となったそうだ。


 歩いてすぐの距離にコロシアムが二つ、それだけ殺し合いが大人気ということなんだろう。


「やーやーやー待たせちゃったね。いやぁ迷っちゃってさ。ごめんねルルーちゃん」


 ノックより先にドアを開け、入ってきたのはタクヤンだった。そして真っ直ぐ、ドア横に控えてるトラとネズミを無視してルルーの隣に来て、ガラスから見下ろした。


「あーもー、勝手に改造しやがって、ここまた使う予定なんだぞ。元どおりにすんのまたいくらかかると思ってんだ。馬鹿どもが」


 ぐちぐちと呟きながらタクヤンは椅子の一つにどかりと座る。


こんな男を同席させたのは、オセロだった。


 ……万が一、何か起こった場合、ルルーの身柄を守るため、頼んだ、とこいつ経由で聞いてはいるが、武器も鎧もなく、ベレー帽だけの男に何ができるか、ルルーは期待してなかった。


 と、ラッパが鳴り響いた。


 勇ましく、リズミカルな曲に、観客席の喧騒が静まる。


 始まりの合図だ。


 これから、オセロは戦う。


 何日も前から知ってたことなのに、こうして時が迫って、ルルーは嫌な汗が吹き出ていた。内心、取りやめになればいいのに、と願っていた。


『大変長らくお待たせいたしました!』


 どこからどうやって発しているのか、聞き取りやすい男の大声が響く。


『これより一対百! 呪われしテロリストの尖兵アンドモア対! 我らが剣闘士軍団百人! 世紀のデスマッチの開幕です!』


 一斉に湧き上がる歓声、数多の言葉が重なり混ざり合って、ただの轟音として、ルルーの鼓膜を叩く。


『それでは早速選手入場! ポークコーナーよりアンドモア登場です!』


 さらなる歓声、中にブーイングも聞こえる。


 それで開いた門は、ルルーがいる場所の真下、そこからひょこひょこと現れた黒い人影が、オセロらしい。けど、遠くて小さくてよく見えない。


「よかったらどーぞ」


 そう言って、横からタクヤンが差し出してきたのは双眼鏡だった。


 遠くが近くに見える便利なメガネ、でも表面のガラスは傷つきやすく、大事に扱わないとすぐに壊れる。


 そんなに高価なものではないらしいけど、ここでは珍しかった。


 それをタクヤンは自分の分とルルーの分とを用意していた。


 なんだやっと役にたったな、と内心思いながら受け取り、早速覗く。


 ……オセロは、笑顔だった。頭に何か白い布を巻いて、両手を高々と上げて観客席に降って見せてる。その手に武器はない。足りないオッズを稼ぐため、非武装での参加だと後で知らされた。同じ理由で鎧も着てない。脇の下の毛はそこそこ、でも厚くて、広い胸板にはほとんど生えてない。褐色の肌はところどころ色が違って、それは傷跡だったり火傷の跡だったりなんだろう。脇腹の、ルルーと出会った日の傷が特に煌めいて見える。


 と、横から双眼鏡をもぎ取られた。


 もぎ取ったのは、タクヤンだった。


「なんですか?」


「いや、アレはレディが見ていいものじゃない」


「アレ?」


 訊き返しながら小さくなったオセロを見れば、後から係員みたいな人たちが飛び出して、進むオセロを止めた。そして何やかんやもめながら、戻って行った。


 その騒動と、非武装とを合わせれば、自ずと答えが見えてきた。


「……ひょっとして、頭に巻いてたのは、パンツですか?」


「さぁ。だけど履いてはなかったよ」


 ……多分、オセロは額の入れ墨を隠したかったんだろうけど、その手段が、やっぱりオセロだった。


 そう思っただけで、少しだけ、ルルーの心が軽くなった。


 ▼


『大変長らくお待たせいたしました! 今度こそ入場です!』


 再度入場したオセロは、今度はパンツを履いていた。頭には代わりに包帯らしき白いものを巻いている。


 最初と同じく手を振るオセロに、今はブーイングしかなかった。


 それが聞こえてないみたいに、まっすぐ歩いて、指定の場所らしい赤い円の真ん中に立つ。すくなくとも、もう一度双眼鏡を覗くルルーには、緊張も恐怖も見つけられなかった。


『続きまして! 対する精鋭百人の入場です!』


 盛り上がる会場、割れんばかりの拍手に、反対側から最初に入ってきたのは、グラマラスな女性たちだった。


 手にはそれぞれ槍を持って、にこやかに観客席へと手を振り投げキッスを飛ばす彼女らは、カラフルなビキニアーマー姿だった。


 ……昔、身につけたことのあるルルーは、それが鎧でないのを知っていた。ただ布の代わりに薄い金属を取り付けただけのそれは水着か、下着だ。


 そんなのを装備している彼女らには、当然首輪があった。


 その後ろから続くのはやせ細った男たちだ。オセロと同じパンツ一丁なのに雰囲気は段違いで、弱そうだ。浮き出たアバラにコケた頰、手に持つ斧やショートソードは重そうに見えないのに、引きずるように運んでいた。


 もちろん、全員に首輪があった。


 彼らは、これは、つまりは、彼らを自由にするための賭けに勝つ為には、彼らを倒さなければならないのだ。


 ルルーは生まれて初めてはらわたが煮えくりかえる思いを体感していた。


 奥歯を噛み締め、顔を赤く熱する。


 ……だけど、オセロなら、敵対する相手に、例えそれが女子どもでも、迷わず打ち倒すだろう。


 それは、命がけだし、当事者だし、ただ見てるだけのルルーがとやかく言える立場にない、と、強く自覚していた。


 ……自覚してる自分にも、ルルーは腹が立った。


 そして次に入場する集団に、観客席から笑いが起こった。


 入ってきたのは、歪に肥え太った体の奴隷たち。彼らの揺れる胴回りには、お店を表す入れ墨がある。その中には見覚えのある、大きな黒い丸に小さな二つの黒い丸が、まるでカエルの出っ張った目玉みたいに重なってるマークの入れ墨もあった。


 彼らは、ペットと呼ばれる奴隷だった。


 彼らに下された命令はとにかく食べることだ。


 それはレストランの宣伝としてショートしての時もあるし、単に生ゴミの処理の時もある。だけど一番多いのは、客からの要望だった。


 どんなお金持ちでも、レストランで注文する量は、大抵食べきれる量だ。食べられない分は頼まない。そこで考え出されたのは、食べるためでなく、食べさせるために注文してもらうということだ。


 ペットは、食べ物をもらう為に芸をする。それは道化ではなく、文字通りペットとして、犬猫としての芸だ。


 それを笑われ、なじられ、ようやくエサを施され、それを貪り太るのだ。


 ……彼らを、世界一幸せな奴隷、と呼ぶものがいる。好きなだけ食べれるのだ、パラダイスだろうと、知らないやつらは羨ましがる。だけど、彼らがそんなのではないとルルーは知っていた。


 彼らは食べすぎた栄養をなんとか消費するために、狭い部屋でひたすら運動を繰り返してるのだ。それでも食べすぎる。食べ過ぎれば体に少なくないダメージが、ルルーが知る限りだと不整脈と視力の低下が起こり、寿命を縮める。


 なのに、客が施したものは全て食べるのが命令だ。残すことは当然許されず、吐き戻せばその場で焼かれる。


 そして何より、施されるのがちゃんとした料理とは限らないのだ。


 ルルーは、前のご主人様の趣味に付き合わされて、とても口に出せないようなものを口にさせられてる彼らを、何度もみせられてきた。


 無理矢理食わされ太らされた彼らを、好きに食い散らかし勝手に太った連中が笑うのだ。


 ……ルルーは、奥歯を噛み締めながら、彼らを、連中も、直視できなかった。


 それは過去の思い出ではなくて、自分のフェチによってだった。


 誰かに食べさせることに喜びを感じることの、延長線上に、彼らがいる。


 彼らをあんな姿にしたものと、同じフェチの自分に、ルルーは怒りと、恥を感じていた。


『ご注目下さい! 当コロシアムが誇る四大チャンピオン! 格闘! 刀剣! 長物! 灰皿の登場です!』


 灰皿、に疑問を持つ前に、もっと重要な事実をルルーは見つけた。


「なんでチャンピオンは、完全武装なんですか!」


 歓声に包まれ、それに応えて手を振るチャンピオンたちは、全員ががっちりと鎧で身を固めていた。それも、金属製で、チグハグなデザインだけど、一部の隙間もないような、まともな鎧甲冑だ。あそこまでの鎧、このデフォルトランドでは滅多にお目にかかれない。


「あーーそれはだね」


 タクヤンの声に続いて紙をめくる音、見れば、何やら小さな本を開いていた。


「あった。これだな。えっと、集団戦における装備重量の例外規定……要するに、いっぱい参戦する場合は、観客が簡単に敵味方の区別がつくように、何者か区別できるような追加の装備が認められる、ってやつだろうね」


「それが、あの鎧ですか。オセロは一人なのに」


「そりゃあ、彼らはチャンピオンだからさ」


「は?」


「えっと、チャンピオンベルトって言ってもわからないか。コロシアムで、大会に優勝すると賞品として、証となる普通はベルトや、指輪なんかが贈られるんだ。だけどここではもっと実用的な鎧のパーツが贈られる。籠手とか兜とかをね。そしてそれを装備して次に参加できるんだよ」


「なんですかそれって」


「ショーってやつだよ。大会にはスポンサーが付いてて、賞品にも刻印がある。で、それをつけて戦えばまたコマーシャルとなる。だから賞品の装備は認められる」


「そんな、ズルじゃないですか」


 ルルーの言葉に、タクヤンは肩をすくめて見せた。


 外の観客は盛り上がってる。


 ここに、それに不平不満を示すやつはいなかった。


 ……それは、迎え撃つオセロも、そうだった。






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