奴隷での遊び方

 レッサーモモンガ、と名ずけられた男は、ある朝起きたら奴隷になっていた。


 比喩ではなくて、町の酒場で飲んで酔って眠って、目覚めたら首に鉄の輪が付けられて、その他大勢と共に船で運ばれていた。


 どうなってるんだ?


 レッサーモモンガの代わりに質問した男は、答えの代わりに見せしめとして殺された。


 以来、男は生来の名前を捨て、奴隷としてのレッサーモモンガという名を受け入れた。


 そして何度も何度も殴られ続けて、学んだことは、靴を見る事だった。


 ご主人様は得てして奴隷に顔を見られることを嫌う。だから俯いて、下を向いて、顔を見ないで、相手の靴で判別するように努めた。


 そうした努力が身を結び、殴られる回数は減って、終に今月やっと、奴隷の仕事としては比較的マシな、ホテルのボーイに就くことができた。これは奴隷としては破格の出世、らしい。


 それでも楽な仕事じゃない。特に今日は、どういうわけだか人手が足りず、持ち場よりかなり離れたスイートルームまで料理を運ばなきゃならなかった。


 ガタガタのカートで運ぶのは、ヤギのスペアリブだった。焼きたてで、湯気が登っていて、脂がとろけていて、香ばしい香りで、実に美味そうだ。


 レッサーモモンガは、奴隷となってからろくに肉を、残飯も含めて食べることができなかった。


 空腹、肉への渇望、そこから連想する人だった頃の自分、しかし食べようとは微塵も思わなかった。


 運ぶスペアリブの数は一皿十本、つまみ食いはすぐにバレる。バレれば自分のアバラが焼かれることになると、重々承知していた。


 だからヨダレを飲み込み料理を運ぶ。


 そして辿り着いたスイートルームの扉をノックする。


「ご注文の料理をお持ちしました」


 ……中から明確な返事はない。ただし静かなわけではない。


 漏れ聞こえてくるのは綺麗な歌声だった。


 毎度の喧騒とは違うけれども、それでも単純に聞こえてないだけだろう、とレッサーモモンガは判断して扉を開いた。


 そして入った先で、レッサーモモンガが見たのは、信じられない光景だった。


 煌びやかなシャンデリアに照らされた広い部屋、一番奥ではサングラスの少女が歌を響かせている。その手前には大きなテーブル、その上には豪勢な料理が並んで、それを何人もが貪っていた。


 その貪ってる何人もは、レッサーモモンガと同じ奴隷だった。


 中には知ってる顔もある。料理を届けて戻ってこなかったやつもここにいる。奥のソファーに座ってるのは病気で弱ってた連中だ。そいつらみんな、どういうわけだか思い思いに料理をとって食べていた。


 自分の目を信じられないレッサーモモンガは、代わりに匂いを嗅ぎ取った。


 それは自分が運び込んだスペアリブの香りだ。


 長らく肉は食べてない。奴隷になる前もそれほど多くは食べてなかったが、それでも今ほど飢えていることはなかった。


 ……事情はわからない、だけども食べてれるチャンスは、これが最後かもしれない。


 レッサーモモンガは恐る恐る手を伸ばした。


「ダメよ」


 女の声に叱責され、レッサーモモンガは手を引っ込める。


 失敗、お仕置き、殴られる。これからの不幸を軽減するため相手を知ろうと靴を見た。


 …………しかし、靴の代わりに目があったのは、一人の少女だった。


 訳のわからないレッサーモモンガに、少女は手のカップを差し出した。


 中で湯気を立ているのは、カボチャのポタージュスープだった。


 意味がわからなかった。


「ずっと食べてなかったんでしょ?  それでお肉は胃が受け付けないわ。だから最初は、優しいスープから」


 少女の声は、優しかった。


 そう言われ、改めて差し出されたカップを受け取ったレッサーモモンガは、湯気を顔に浴びる。


 そしてもう一度、少女を見返し、頷かれて、やっと口を付けた。


 スープは、涙が出るほど温かった。


 ▼


 ルルーは、自分がフェチだと自覚していた。


 だから人質として残ることになって、お披露目を待つ間、暇つぶしに奴隷を、コンシェルジュを好きなだけ好きに使っても良いと言われて、真っ先に思いついたのがこの大宴会だった。


 正直ルルーは、奴隷でありながら飢えた経験が少なかった。


 その体、その背中が価値の全てであるルルーは、それを維持するための最低限のサービスをいつも受けてこられた。


 だけども、ルルーの心情はいつも奴隷の方にいるつもりだった。


 だから、飢えている彼らの前で豪勢な食事をするのは苦痛でしかなかった。


 ……一時、ルルーは彼らに食べ物を受け渡すのにハマった時期があった。自分の分を隠しておいて、それを隙を見て彼らに渡すのは、スリルがあったし、何よりも彼らが食べる姿に喜びを覚えた。それも、何度も続かずに、すぐにバレた。


 そして、お仕置きされたのはルルーではなかった。


 そんな経験からか、いつの日にか自由にできる時がきたらこういう催しをやってみたい、と密かに想い続けていた。


 それを叶えたのは、彼らためでもあるけど、だけど一番は、ルルー自身の気を紛らわせるためだった。


 ……冷静に考えて、百対一なんて無茶だ。普通なら、真っ当なら、いつものルルーなら、絶対に止めていた。


 なのに、あの時のルルーは、それを後押しした。頷いたのだ。それは自信からでなくて、単純にあの二人を、他の奴隷を、救えるチャンスが、巡ってきたからだ。


 もしもルルー一人では、参加すらできない賭けに、舞い上がってたのだ。


 それで今更不安になって、だから負けても最低限は意味があったとするために、保険として、心残りがないように、こんなことをやってるのだ。


 自分でも自分が愚かだと思う。だけど賭けた以上、最善を尽くそう。使えるものは使おう、とは思っていた。


「やっときた肉肉肉」


 歌いながらスペアリブを掴むのはタクヤンだった。


 仲介人、橋渡し、賭けの後ろ盾、中立なエージェント、好きに名乗って、ここにいる。その言葉を信じるならば、本来は奴隷を救うのが仕事のはずなのに、ここではルルーのおこぼれを食べる寄生虫だった。それでも、オセロとの間を自由に動ける唯一もメッセージ役だ。使えるから使う。


「それを食べたら、オセロのところへ行って下さいね」


「わかってるよ。なんだいルルーちゃん、そんなにオセロが心配かい?」


「心配ですよ、そりゃ。オセロですから」


 それは、ルルーの嘘偽りのない思いだった。


 ただしそれは、身を案じるのではなく、その周囲への悪影響の方だった。


 こういうところでの扱われ方は、ルルーはわきまえてるし、耐えられる。お披露目だって、毎度のことだ。


 だけどもオセロは、難しいだろう。


 キレて暴れなきゃいいけど、と一人思いながら、ルルーもスペアリブを一つとって噛り付いた。


 ……焼けるみたいに辛かった。


 ▼


 オセロは爆発する寸前だった。


 賭けを受けて、多少の不便は覚悟していた。


 ルルーと離れ離れになるのも、タクヤンが監視につくことで一応は、了解した。


 賭けにビビって逃げ出さなないよう、トラに見晴らせるのも理解できる。


 住処にホテルの部屋を指定されるのも当然だろう。


 食い物も、毒だなんだを考えれば、安心できるレストランのみというのも、わかる。


 席に案内され、注文を伝えて、なかなか料理が出てこないとかは、まだ我慢できる。


 だが、鎧と服を脱がされ、額当てすら取り上げられて、部屋の真ん中に立たされ、男どもに体のあちこちを触られるのは、納得できなかった。


「流石は百人相手にしようって猛者だ。ワシの若い頃に似て、良く鍛えられとる」


 ガハハと笑いながら、オセロのヘソのあたりを撫で回してるのは、でっぷりと太ったハゲなドワーフだった。ワイングラスを片手に、黒いスーツ姿で、ボタンは金色で、汗かソースか滑る指先で、口が臭い。


 そいつがオセロを無視して語りかけるのは、同じようなドワーフたちだった。なんでもカジノの上客だとかで、それぞれその後ろに完全武装の護衛を引き連れている。


 彼らは、アンドモアの入れ墨を恐れなかった。もちろん腕に自慢があるからではない。ただ単に無知だからだ。それだけでよそ者と知れた。


 そんな連中に囲まれ、いじられ、好き放題言われて、まだ飯は食えてない。


 ……これはパドックだ、とトラには説明された。


 大規模な賭けならば、賭ける前にできる限り情報を集めたい。その中で最重要なのは、実際コロシアムに出る人間の体調だ。それを直に、確実に見るための場が、パドックなんだとか。


 オセロは、食事にレストランを訪れる度に、そのパドックとやらを受けてさせられた。こうして情報を開示することで公平な賭けが成立する。賭けを受けたのだからちゃんとしろ、というのが名目だ。


 ……いくらオセロでも、これが嫌がらせの一環だとわかる。


 ふつふつと湧き上がる怒りに、爆発しないのは、コロシアムのため、というよりも、怒りをぶつける相手がこの場にいないからだった。


 こうして触ってる連中は、触っていい、と説明されてるから触ってるのだ。そう説明してる部下のコボルトも、その向こうで申し訳なさそうにこっちを見てるトラも、この怒りをぶつけていい相手ではない。


 ぶつけるべきは、ソンイールだ。


 あいつはあれから、今の今まで顔を出してない。


 色々仕事があるとか言ってたが、それも疑わしい。もっとも、そのおかげで暴れずに済んでるのだが、とオセロは思う。


 と、顔を殴られた。


 平手で、パチンと、それなりに強く、だ。


 瞬間的に湧き上がる怒りに、殴った相手を睨めば、さっきまでいじってたハゲなドワーフだった。


「ぼさっとするな、さっさとやれ。やって見せろ」


 命じるハゲなドワーフがワイングラスで指し示す先に、いつの間にか、女がいた。


 赤い長い髪で、赤い服に、首輪をつけて、前に垂らした両腕はきつくロープで縛られてる。その顔は、右目の下、顎の付け根のあたりが、まるで赤いリンゴみたいに腫れ上がってる。だが口の動きから骨は無事と見える。半端な殴られ方をしたんだろう。そんな女が恨めしそうにオセロを見ていた。


 ……で、何をやれというのか、オセロはピンとこなかった。


 ぼんやりと女を見てると、またハゲなドワーフに小突かれた。


「ワシを待たせるな! 貴様の実力を計るためにわざわざこの恩知らずを連れて来たんじゃ! さっさと実力を見せるんじゃ!」


 唾を飛ばされ怒鳴られ、イラつきながらも、オセロはやっと意味がわかった。


 それで、命令に従うのは不本意だったが、触られ続けるよりかはマシだろうと、オセロは判断した。


 しかしならば準備が足りない。と、オセロは周囲を見回し、見つけた。


 ツカツカとオセロが歩みよったのは、護衛の一人だった。


 黒い髭だらけで、ドワーフらしいが背は高い。ここの住人らしく、前に立つオセロに、明らかに怯えていた。その腰に指してる刀を、オセロは指差した。


「ちょっとそれ、貸してくれ」


 護衛のドワーフはすぐに応じて剣をオセロに渡した。


 片刃で肉厚、曲線を描く刀身は、鉈に近かった。


 それを片手で振るいながらオセロは女の前へ。その距離が縮まるにつれ、周囲の声が大きくなる。


 やれ、やれ、やれ。


 それをバックに、オセロは鉈を振るった。


 無造作に、それでも速い一閃に、おぉ、と歓声が上がる。


 ……しかし、斬り落とされたのは、女ではなく、その手を縛っていたロープだった。


 歓声がざわめきに変わる中、オセロは鉈を護衛に返しに戻る。それからまたキョロキョロとし始めた。


「貴様、何をやっとる」


 怒鳴るとも質問ともつかないハゲなドワーフの、半端な言葉に、オセロは振り向いた。


「何って、実力見たいんだろ? なら素手じゃ相手になんねぇよ。だけどもそも細腕、しかも傷まであんならこの鉈は無理だ。もっと軽くて、あぁそれがいい」


 言ってオセロが指差した先、また別の護衛ドワーフがいた。その腰にあるのは鞘から細いレイピアだった。


「そいつをその女に貸してやってくれ。それでまぁ、いい勝負になるだろう」


 あっさりと言うオセロだが、護衛ドワーフは躊躇した。


 ここでなくても奴隷に武器を持たせるのはタブーだ。特に、相手をしろと命じられた男ではなく、顔が腫れるまで殴ったご主人に対して憎悪の眼差しを向けている、両手が自由になった女奴隷に武器を渡すなど、護衛の立場から、できるわけがなかった。


「早くしろよ。さっさと終わらせて飯が食いたいんだ俺は」


 オセロの声はやる気満々だった。


 同じくらいに、女もやる気満々だった。


 …………暫くして、メインディッシュのラザニアが焼き上がったので、今回のパドックはお開きとなった。


 ▼


 そして、本番当日を迎えた。






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