生き残る術

 そんなに長くも、深くもない付き合いだが、タクヤンはこんなオセロを初めて見た気がした。


 「最初は気にもとめてなかった。レストランに居たときも、邪魔にならなきゃそれでいい、程度だった。そのあと服を買うのについてったのは、単に店に興味が湧いたかったからだ。中はがっかりだったけど、あそこでのあいつの、ルルーの話は面白くてよ。髭を剃ったら言う通りに良くってよ。で、その礼に飯をと言われて、かまわないと思った。もっと話を聞きたかったし、実際に聞けた。だけどよ」


 オセロがボンヤリ天井を見る。


 「最後の話が途中でな」


 タクヤンに視線を戻したオセロは笑った。


 その笑顔に、タクヤンは凍りついた。


 それは、まるで子供みたいな、純粋な笑みだった。


 この、あまりにもデフォルトランドには不釣り合いな笑顔を浮かべる男が、あれほど凶暴とは、一般人には想像もつかないだろう。


 背筋に冷たいものを、タクヤンは感じていた。


 「……だから、ウルフミートなんだよお前は」


 思わず呟いたタクヤンに、オセロは右眉を吊り上げた。


 「何だよそれって」


 「二つ名だよ、お前の。意味はあれだ、狼に追われたときに投げて足止めする為の肉のことだ」


 「なんだ俺は狼かよ」


 「いや肉の方だ。自覚ないよな。お前、あちこちで便利扱いされてんだぞ。簡単に罠にかかるくせに気づかないってよ」


 「嘘つくなよ。俺がいつ罠にかかったってんだ」


 「いつもだろ? 気づけてないだけで」


 「だからいつの話だって。具体的に言ってみろよ」


 「例えば今朝だって、お前騙されて、海賊団との合い言葉を新人募集と嘘つかれてたじゃねぇか」


 「いや嘘だ。そんな覚えない」


 「嘘じゃないって。なんか動きが怪しいから取り敢えずつついて診ようって考えて…………よぉ?」


 言ってタクヤンはオセロと目があった。


 続く沈黙のなかで、タクヤンは急速に酔いが醒めてゆく。


 やっちゃった。


 「ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 絶叫しながらタクヤンはグラスをオセロに投げつけた。


 それを軽々と受け止めたオセロを視界の端に見ながら、タクヤンは跳ぶように立ち上がり、座ってたソファーを蹴って壁に並ぶ棚へと突進し、激突した。


 その衝撃で棚が倒れると後ろから隠しスペースが現れた。


 その中へ転がるようにタクヤンが飛び込む。振り返る余裕も勇気もない。全力で逃げて生き残る可能性は半々だろう。


 飛び込んだ中は暗い道、そこを記憶を頼りに駆け抜けて地下へ続くマンホールへ。振り返る余裕はない。この先に張り巡らせた罠を頼りに駆けてようやく逃げられる。


 タクヤンは全力でオセロから逃げ出した。



 残されたオセロは、少し考えてから、棚の向こうのスペースを覗く。


 先は暗くて見えないが音はまだする。


 「報酬はあの肥溜めだからな!」


 叫んでみたが、返事はなかった。


 あいつはいつもこうだ。突然逃げるように居なくなる。


 腹を掻きながら戻って鉄棒を拾い、ついでに飲みかけの酒ビンも拾って、部屋を出た。


 静かになった部屋で、オセロが連れてきた男だけがピーピー鳴っていた。



 ルルーは、ご主人様には二種いるのを学んでいた。


 ルルーを神聖視して大切にしまうか、所持品として大切にしまうか、だ。


 あの、マフィアの七三分けは前者だった。神経質ながらも綺麗な宝石みたいに大切に扱おうとしてきた。だから相手を逆撫でないよう言葉を選んで、もっともらしいことを言っとけば簡単にコントロールできた。


 だけども、こいつらみたいな後者はそうはいかない。


 そもそも会話すら成り立たないのだ。そんなやつらが、ねえ様を傷つけてきた。そのねえ様に習った、対処するときのコツは、必要最小限の要求しかしないこと、弱く従順に見せること、とにかく静かにしていることだった。さもなければ、理不尽な理由で酷いことをされる。


 ……だから、ルルーは暗い倉庫の中の冷たい檻の中に文字通り投げ入れられても、一声も上げなかった。戸が閉められて静かになって、それで初めてルルーは辺りを見回した。


 カビ臭い倉庫だった。外見通り古くて穴が開いてて、外の焚き火の光が差し込んでた。その扉付近に置かれた檻の中にルルーはいた。檻は、背の低いルルーでも立ち上がれないほど小さく、床も鉄格子がむき出しで凸凹していた。あるのは、それだけだった。


 ルルーはそんな檻の中で、丸くなる以外にできることはなかった。瞼を閉じても眠れる訳もなく、漠然と色々考えていた。


 背中が痛い。


 お腹すいた。


 本、読みたかったな。


 オセロ、どうなったかな?


 最後の思考にルルーは瞼を開いた。


 自分で考えたことに自分で驚いていた。


 ルルーは今まで数えきれないほど多くのご主人様の間を転売されてきた。だけど前のご主人様のことを思い出すのは初めてだった。誰かに訊かれたら思い出して答えるが、それだけで、思い出したいと思ったことは、ましてやその身を案じるなんて、生まれて初めてだった。


 いやでも、オセロ本人はご主人様でないと言ってたから、少し違うのだろう。


 だけど、それを抜いても、あのキャラは、当分忘れられそうにない。


 オセロは、とにかく強くて、なに考えてるかわかんなくて、髭剃ると見違えるようで、読めない本を集めてて、スープが美味しくて、私の話を聞きたがって、現実を突きつけてきて。


 ……オセロの言う通りだと、今は思える。


 だから、できれば、お礼の一つも言ってから別れたかった。


 と、扉が開いた。そして人が入ってくる。


 ルルーが思わず期待をこめて見てみると、あっさりと裏切られた。


 入ってきたのは、数人の男たちで、先頭はルルーをここまで運んできた男だった。


 彼らを見て、ルルーは海賊のユニフォームの話を思い出す。彼らは服装を統一することで連帯意識を高めると同時に、人が密集する船上の戦いで敵味方の区別がつきやすくする、らしい。


 だからなのか、入ってきた男達はみな頭がモジャモジャだった。


 特に先頭の男の赤髪のボリュームは凄く、身に付けている金のネックレスや指輪から、この男が一番格上だろうとルルーは見た。


 その右隣にいた男が前に出てて、ルルーの檻の鍵を開けた。


 「出ろ」


 変に高い声の、格上の命令に、ルルーは黙って檻から這い出た。


 立ち上がる前に鍵を開けた男に腕を掴まれて吊り立たされると、男たちに囲まれながら引きずられるように歩かされた。


 外に出ると、大きな焚き火が目に入った。その周りでは男らの宴が盛り上がっていた。いわゆるどんちゃん騒ぎだ。


 ルルーが見た限り、男らは三種類、普通の格好、モジャモジャ頭、そして髷のオークで構成されていた。


 彼らのぎこちない感じから、まだ合流したばかりだろうと感じ取った。


 その間をいくらか進み、焚き火の前の広場にまで連れてかれた。


 そこには一段高くなった台があって、その真上に積み降ろし用の滑車があった。その前に男が座していた。


 丸顔のオークだった。


 肩越しには、刀剣の握りが見えた。その取り巻きや、ルルーを連れてきた男達の表情から、この男が一番偉いんだとルルーは理解した。


 「イルファ船長、連れてきました」


 モジャモジャが報告すると、船長のイルファはゆで卵を片手に、ルルーを舐めるように見てくる。


 値踏みしてるのだとルルーは感じた。


 「吊るせ」


 イルファが命じると男たちは速やかに従った。


 ルルーの両手を掴み、有無を言わさず手首にロープを巻き付けると、男たちは一気に滑車で吊り上げた。


 自分の体重でロープが手首に食い込んで痛む。


 ルルーは、痛みに食いしばりながら、下劣な男たちの笑みを見下ろした。


 嫌な目線だった。


 「お披露目は、あいつらの儀式が終わってからだな」


 イルファが言う、お披露目の意味が何なのか、ルルーは勘づいた。


 また、アレをされるんだ。


 勘づいて、嫌な気持ちに沈んで、それなのにルルーには、何もできなかった。

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