帰り道の恐怖
日は完全に沈み夜となった。
オセロがルルーを連れて歩くのは、コックローチハーバーの中心街から東へと離れて行く道だった。
左右に並ぶのは見るからに朽ち果てた木造の廃墟、人の明かりも遠く離れて届かない暗い道だ。辛うじて月と星の光が行く先を照らしていた。
この風しか物を動かさない寂しい道は、オセロにとって馴れた帰り道だった。
ただ馴れてないのは、左足にがっつりとしがみついたルルーだった。
歩きにくい。
「なぁ」
「何です」
「離れろよ」
「はぐれるよりいいじゃないですか」
答えるルルーの声は震えていた。強くズボンを掴む指からは、何か音がたつ度にビクリと震えるのが伝わる。
ルルーはわかりやすく怯えていた。
「なんだよ恐いのか?」
「……怖いです」
茶化すつもりで言ったのに、怖いとあっさりと認めたルルーにオセロは驚いた。
そもそもこのデフォルトランドで恐怖を悟られることはそのまま弱点を知られることを意味する。知られたらもう、誰であろうとひたすら悪用され、不利となる。
そんなことはルルーならばわかりきってるだろうと、まだ会ったばかりながら、オセロは思っていた。
「普通はですね」
ルルーが一方的に話はじめる。
「普通は、例えば夜中に何か物音がしたら、確認しに行くでしょ? それで風や、何かが原因だと確認して、無害だと学習してく。それで恐怖を克服していくんです。だけど私は、檻の中の生活が長くて、自由に確認とかできなかった私には、確認なんかできっこない。だから何が原因でもそのままわからないまま恐いままで、それで想像だけがどんどん恐くなってって、そのままだから未だに恐いの! 悪い? 恐怖はね! 生物が生き残るのに必要な機能なの! 闇とかわからないものに取り合えず恐怖するのは安全策をとってるだけで普通なの! 警戒心が無ければ人間なんて今頃絶滅してるんだからね!」
捲し立てるルルーの言葉をオセロは黙って聴いていた。恐怖から多弁になるのは珍しいことじゃない、と知っていた。
まぁ、そんなに重くはないし、しゃがんで動かなくなるよりかはいいか、とオセロは思い、ほっとくことにした。
と、暗闇の先、道の真ん中に見馴れない何かがあった。
暗くてシルエット位しかわからないが、それは人のように見えた。
頭があって、腕があって、足がある。だがそのバランスは明らかにメチャクチャだった。だらんと垂れた首、長く広がった指、それでも辛うじて立っているらしいとわかる。
これはオセロも初めて見る異形だった。
右足のルルーの締め付けが強くなる。
異形の目が、一瞬煌めいた。
ルルーは声にならない悲鳴を上げ更に締め上げる。
それに紛れてオセロは背後に音を聞いた。
振り返ればそこに更なる襲撃者が迫っていた。
▼
全ての生き物に恐怖はある。
それはデフォルトランドのならず者とて例外ではない。むしろ正しく恐怖することは、この地で生き残るためには必要不可欠な能力だった。
特に、夜の人気のない暗い道で何か見慣れないものがあれば、誰だって警戒して注目する。それが人の姿ならばなおさらに身構える。その正体がわかるまで、少なくとも無害だとわかるまでは絶対に視線は外さない。
それを利用し、異形の人形を囮にしてその隙に後ろから奇襲をかけるのがスナファーの編み出した戦術だった。
こうして実際に攻撃するのは初めてだが、驚かせるだけなら二十人以上に行い、そも大半は上手くやっていた。
シュミレーションは十分、そしてついに今夜、本番をやる日がやって来た。
今のところ人形、暗闇、タイミング、上手くいってる。
しかし必殺の間合いまであと一歩というところでしくじった。
臭いか、足音か、はたまた気まぐれか、相手に気付かれてしまった。振り向いた目と合う。
奇襲の失敗、だがこれはスナファーの想定内だった。
第二の恐怖、最初に失敗した時を想定してスナファーは仮装をしていた。
その完成度は自分でもかなりひどいとわかっているが、それでもこの暗闇に奇襲、瞬時に見破れず、正常に判断する前に必ず恐怖ですくむ。
その隙にこの木槌を叩き込めば頭は陥没する。
可哀想に、正面に気をとられ続けていれば恐怖の中で死なずに済んだのに、などと思い浮かべながらも、スナファーは恐怖に歪んだ相手の表情を想像して、邪悪にほくそえんでいた。
さぁ怯えろ。
▼
闇の中で、オセロは襲撃者の、スナファーの姿を見た。
それは奇抜な格好をしていた。
頭は、白髪で縦ロールだった。全身に黒いゆったりとしたロープを羽織り、首には赤い紐を結わい付けていた。分厚い丸眼鏡をかけた顔はシャープだが、体つきは丸々としていた。
ここらでは見ない奇抜な格好だったが、それでも振り上げてる木槌から、こいつが敵意を持った襲撃者なのは明らかだった。
ならばオセロのやることは決まっていた。
振り返りながら鉄棒を横に振るい、殴られる前に殴る。
遠心力の乗った鉄棒が当たったのは襲撃者の二の腕だった。その手応えは変に柔らかく、まるで中に綿でも着込んでるみたいだ。それでも一撃を防ぎ切られたわけでなく、ぶちかました一撃は、襲撃者をぶっ飛ばすには十分だった。
襲撃者は白髪縦ロールをなびかせながら受け身も取らずに二回ほど弾んで止まった。途中、地面に打ち付けた頭からはその白髪縦ロールがこぼれ落ちた。
反撃は、とオセロは身構えるが、勝負は決していた。
「お前は」
襲撃者が喘ぐ。
「お前は、この、姿が、裁判官が怖くないのか」
切れ切れな襲撃者の言葉を、オセロは理解できなかった。
「……何だよ裁判官って?」
……だが襲撃者は答えず、代わりに泡を噴いて気を失っていた。
「なぁ、裁判官って何だ?」
オセロは足のルルーに訊いた。だけどもこちらも答えはない。
肘で小突いてみると、ルルーの首がカクンと離れて倒れた。
慌てて助け起こすと、ルルーはズボンを掴んだままで気を失っていた。
「何だよ」
オセロは呟きなが本命の、最初の相手に振り返る。
「なぁ! お前は裁判官が何か知ってるか!」
オセロは闇の先の異形に声をかけた。
……返事はない。
当然か、と目線を保ちながらズボンを脱いでルルーを寝かせ、そして改めて構え直す。
「一応訊くが、待ち伏せたよな?」
沈黙を、オセロは異形の肯定と解釈した。
その姿、装備、攻撃手段、その全てが未知数だ。
最後に良い相手が出てきたと、オセロは笑いながら異形へと駆け出した。
夜はまだ、始まったばかりだった。
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