こんな所の台所事情

 オセロを無視した激突、両者ダブルノックアウトは一瞬だった。


 その瞬間を見てたのはオセロのみ、挟まれてたルルーは目をつぶっていて見てなかった。


 二人が倒れると、オセロはとぼとぼやって来て、両者をつついた。


 ……どちらも動かなかった。


 「何だよつまんねーの」


 呟くオセロを、いつのまにかルルーが見上げていた。その服は、変わっていた。


 「メイド服かよ」


 思わずでたオセロの言葉を無視してルルーは両手をかざす。そしてオセロの顔を右と左を交互に隠して見つめた。


 「髭がない方が良いじゃないですか」


 褒めるような言葉に、髭剃り途中だとオセロは思い出した。


 「暗くなる前に全部剃っちゃわなきゃ。あとは、髪を束ねる何かが必要ですね」


 言いながらルルーは小走りに店内に戻った。


 残されたオセロは言われるままに、少し出血しながらも、手早く残りの髭を剃った。


 スースーする剃り痕を擦ってると、ルルーが戻ってきて、青いリボンをオセロに差し出した。


 「これで髪の毛を束ねれば完璧です」


 言われてリボンを受けとるオセロだが、それをどうするべきか分からなかった。


 「ちょっと、いいですか?」


 察したようにルルーが手を差し伸べると、オセロは従い、リボンを返した。


 「あ、届かないんで、しゃがんでもらえますか?」


 「あぁこうか?」


 言われるままにしゃがむと、ルルーはオセロの後ろに回った。


 「ちょっと、これ外しますね」


 「あ、あぁ」


 額当ての結び目を外して、でも額からはずれ落ちないよう手で押さえておく。


 そうこうしている間に、ルルーは手慣れた手つきで髪を束ねて縛り上げていった。


 途端に、オセロの世界が開けた。視界が、世界が広い。


 髪をどかしただけで前よりもよく見えよく聞こえる。自然と髪を伸ばし続けてたから全然気づけなかった。


 額当てを結び直して立ち上がると、オセロはルルーに振り返った。


 「いいな、これ」


 オセロの素直な感想に、メイド姿のルルーは笑顔で答えた。


 「それでお礼の方ですが」


 ピタリと固まる。


 確かにこれは良いし、束ねるのも良いが、お礼は、考えてなかった。


 ……これは、参ったな。


 オセロが深く考えてると、ルルーが見上げてきた。


 「別にそんな、何か美味しいものが食べたいだけですよ」


 あぁ何だ、と オセロは胸を撫で下ろす 。


 「それなら良いけど、大した物作れないぞ」


 「作る?」


 「そうだよ。あそこ以外の店は全部出入り禁止で、なら自分で作るしかないだろうがよ」


 言ってオセロは歩き出した。


 その後ろをルルーも付いてきていた。


 変な一日になった、とオセロは思いながら、仕舞い忘れてたナイフをしまった。



 このデフォルトランドでは、食糧の保存が難しい。


 誰にでも価値のある食料は単純に誰かに盗まれるからだ。その中には鼻の良いやつもいて、隠すのは難しい。


 唯一確実な手段は、一日中見張っていることだった。そして、それができるのは専門店だけだった。


 オセロに連れられてルルーが足を踏み入れたのは『ギャング・マーケット』だった。


 その名の通りギャングが仕切るこの市場は、主にデフォルトランドの外から持ち込まれた盗品が商われており、また仕切るギャング自体が生活に利用しているため、その安全も抜群だ、とルルーも知っていた。


 ただ欠点としては、品揃えがかなり片寄っているのだ。


 中を歩いてまず目につくのは酒だ。銘柄は安いのばかりで、ただの酒よりも体に悪いが、ここらの井戸は整備されておらず、また汚物や死体を投げ込む連中が沢山いるので、水分補給のためにはこれしかないのだ。


 次に肉、生ではなくハムやベーコンなど保存が利くものばかりで、長く住むものほど乾いた物を求める。それでも鮮度は最悪で、更に塩気が強いからまた喉が乾く。足元を見た商品だ。


 後買えそうなのはチーズ、硬いパン、スパイス、健康には悪いけど体には良い薬なども売られていた。


 魚介類は腐ってる。


 野菜はない。


 それと例外的に、横領品の軍用の非常食が山と積まれているが、これは船単位で売り買いするようなものだった。


 この片寄りは、単純に客のニーズに応たからでもあった。


 頭の悪い蛮族は栄養バランスなど考えない。食べたいものだけを食べるのだ。


 つまりは、デフォルトランドの人間は酒と肉でできていた。


 そんな市場を先行くオセロは馴れた感じで歩いて行く。その歩幅は広く、その後ろをついてくのにルルーは必死だった。それに市場は客と酔っぱらいで混雑していて、足元には靴より大きなネズミが走り回ってる。


 それでもルルーがはぐれないで済んだのは、オセロがやたらとトラブルに巻き込まれ足止めされてるからだった。


 酔っぱらいに唾をはかれてぶん殴り、ぶつかってきたスリを捕まえぶん殴り、市場でぼられかけてぶん殴り、ぶん殴ってきたやつ叩きつぶして次に進む。


 トラブル密度が移動速度を大幅に下げていた。


 それでもようやく買い物が済んだらしかった。


 オセロは麻袋を抱えながら市場を出ると、その足が止まった。


 釣られてルルーも止まり、その目線を追って見る。先に、麻袋を抱えたベレー帽の男がいた。


 そいつは、明らかに怪しかった。


 「タクヤン!」


 突如オセロが大声で呼ぶ。


 「おいタクヤン! エージェントタクヤン! 」


 ベレー帽がびくりと跳ねた。


 「タクヤン! 中央から派遣された黒騎士の、王家の猟犬の、情報屋はバイトで、あとバンパイアハンターで、今までに食べたパンの枚数を覚えていて、んで」


 「何ですか? その、パンとやらは」


 思わず訊いたルルーにオセロが振り返る。


 「いやよ。今まで食べたパンの数って言い回しあるだろ?」


 「数えきれないほどって、意味でしたよね」


 「それだ。で、あのタクヤンが言うには、あいつはパスタ派で、産まれてこのかたほぼ毎日パスタしか食べてないんだってよ。でパンは数える程しか食べてなくて、だから今まで食べたパンの数言えるんだって。だから会うたびにどんだけ食べたんだって訊いてんだが」


 「止めろ!」


 いつの間にかベレー帽のタクヤンがこっちに来ていた。


 「俺の正体をバラすな。貴様何者だ」


 「……何者って、朝方会ったろ」


 キョトンとオセロが答えると、タクヤンの顔色がみるみる青くなった。


 「お前、オセロか」


 タクヤンの声は震えていた。


 「あぁそうか、髭そって髪束ねたからわからなかったか」


 剃り痕を撫でるオセロ、その隙にタクヤンは落ち着きを取り戻したみたいだった。


 「なんでお前がここにいる? 合い言葉間違えたか?」


 「あ? 合い言葉なら」


 言ってオセロは思いっきり息を吸い込み、捲し立てた。


 「どうも、仕事をもらいに来たのですが。あぁここで待っていてくれ。失礼します、所でこの前の仕事で中央の方まで行ったのですが、件のラーメン仙人が新しいメニューを開発してました。また海鮮だろ。海鮮はありましたが新メニューは鳥でした。鶏ガラかよ。鶏ガラに、ササミと内蔵とそれとゆで玉子でした。具材はなんだった? ナンじゃなくてラーメンです。何を言ってるんだ? もういい、商品を見せろ、仕事だ、ぼさっとするな屑が」


 一気にオセロは吐き出して、そして僅かに乱れた呼吸を整える。


 「忘れてないだろ?」


 「まぁ、な」


 言ってたタクヤンとルルーは目が合った。


 「えっと君は?」


 「ルルーです」


 オセロの知り合いなら良くしておこう、と丁寧に答える。


 「そうかルルーちゃんか、可愛いね」


 甘ったるく、甘やかせるような、だけどそれは内心で見下している声に、ルルーはタクヤンが嫌いになった。こういう男が一番酷いことをする、とルルーは経験で学んでいた。


 そんなルルーの気も知らず、タクヤンは麻袋の中に手を突っ込んで、取り出したのは、赤いリンゴだった。


 珍しい、とルルーは思う。


 こんな所で甘味の、しかも新鮮な果物なんて、人生振り返っても、それこそ数えるくらいしか食べたことがなかった。


 そんなリンゴを差し出されて、ルルーは自然と受け取っていた。


 だけども食べていいのかは、オセロが決めることだ。


 「ほらお前も」


 そのオセロにもとタクヤンはリンゴを投げ渡す。


 片手で受け取ったオセロは、眉間に皺を浮かべながらリンゴの臭いを嗅ぐ。


 「どうした、奢りだ」


 言うタクヤンもリンゴを取り出し一口かじる。


 「……なぁ、お前はリハビリで麻薬中毒から回復したんだろ?」


 オセロの怪しむ声にタクヤンは笑顔で答えた。


 「モチロンだ。騎士団のポーションは世界最高峰だからな。お陰でリンゴが美味い」


 「麻薬だぞ、これ」


 一言に、タクヤンは固まる。


 「……何言ってんだお前は」


 「だったら臭い嗅いでみろよ。モロじゃないか」


 「バカ言え。これはただのリンゴだし、この表面は綺麗だ。注射したような傷もないだろうが。そんなリンゴにどうやって薬仕込むんだよ」


 一転して笑顔が消えて捲し立てるタクヤンは、そのままシャリシャリとリンゴを食べる。


 「そりゃ、わかんないけどさ」


 自信なさげなオセロはそれでもリンゴを食べなかった。


 「ほら、ルルーちゃんも」


 タクヤンに促されても、オセロがそんなんじゃあ、ルルーも食べるわけにはいかなかった。


 と、ルルーは脳裏に思い当たる話を思い出した。


 「……多分ですけど」


 思い当たるが確実ではない。その保険として前置きを置いてからルルーは語り始めた。


 「これ、リンゴ本体じゃなくて、実ってた枝の方に注射するやつじゃないですか? あの、植物も血管みたいに水にのせて栄養を運んで果物に溜め込むから、それを利用して麻薬を仕込むんです。もちろん、強すぎる薬ならリンゴ自体が枯れてしまいますが、動物の脳にだけ作用する麻薬なら、いけるらしいです。聞いた話ですけど」


 これはどこから仕入れた知識かルルーは思い出せないが、それでもタクヤンの顔を真っ赤にすることはできた。


 「そんなわけないだろ! 見ろリンゴはこんなにも赤く、甘く、美味いのに俺が騙されて再発するわけないだろ!」


 タクヤンの充血した眼は淀んでいた。これは薬をきめてる眼だと、ルルーは知っていた。


 中々の速効性だった。


 タクヤンはリンゴを取り出し一心不乱に貪る。その目には、リンゴしか見えてなかった。


 そんなタクヤンに、オセロはため息をついた。


 「色々と話さなきゃならなかったんだが、この分じゃ、今日は無しだな」


 一生無理だと思います、という言葉を飲み込んだルルーに、オセロはリンゴを投げ渡した。


 「いらないならよこせ!」


 こっちに跳んできたタクヤンにルルーは反射的に両方のリンゴを投げつけた。


 それを二つとも、大きく口を開いて空中で捕らえてタクヤンは喰らう。


 「リンゴリンゴリンゴリンゴリンゴリンコリンゴリンゴリンゴリンゴリンゴソソゴリンゴソンゴリソゴリンゴリンゴリンゴリンゴリンゴリンゴりンゴりンゴリンゴリンゴリンゴリンゴリンゴリンゴリンゴリンゴリンゴリンゴ」


 壊れたタクヤンの声は、いつまでもルルーの耳に残った。


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