出会いはレシピと共に
ルルーは窓から青空を見上げながら、外のゲロを数えていた。
嗚咽、吐瀉、そして悪臭、今日で七人目七発目だ。
晴れてるわりには少な目だけど、臭うことには代わりない。せめて雨でも降れば流れるのに、残念ながら雲一つ見当たらない。
窓から吹き込む柔らかな風がすえた悪臭を運んでくる。
ルルーは立ち上がって窓を閉めた。割れてるガラスでも幾分かはましだろう。
カーテンを引く前に、ガラスの向こうに見たのは、世の末だった。
荒れ果てた街並みに枯れ果てた荒れ地、その遥か向こうにそびえるはこの地を隔離する絶壁だった。
正しい世界から見捨てられた無法地帯、それがここ『デフォルトランド』だった。
正式な名前なんて知らない。
見聞きした知識では、ここは北と南を海に挟まれ、東西の大陸を結ぶ僅かな土地を四角く切り離した感じだったはずだ。この地は、以前はどこぞの国の領地だったらしい。
それが十年前の世界大戦の時、ここは激戦区になるはずだった。
当時の王様は東国境線からの侵略に対して抵抗を早々に諦め、逃げることを選択した。その為にここら一帯から住民達を撤退させ、兵隊や王も逃げ出し、だけど侵攻前に戦争は終わった。
だけど空白だった僅かな間にならず者達が入り込み、支配し、現在に至るまで、ここは無法地帯へと堕ちた。これが始まりだと聞いている。
『デフォルトランド』不戦敗の大地と呼ばれるここが、ルルーの知る世界の全てだった。
ふと、ドアの外が騒がしくなった。
ルルーは急いで窓から離れ、手早くヒビの入った姿鏡で自分をチェックする。
写る自分は幼い少女だった。
青い目に、病的に白い肌に色の抜けた金髪を肩まで伸ばしている。小さく細い体が着てるのは大きすぎてブカブカの真っ赤な、見るからに安物のドレスだった。
……そして首には、銀色に光る首輪がはめられていた。
それはルルーが奴隷、即ち誰かの所持品であることを示していた。
今日は所持者が代わると聞いている。今度はどんなご主人様になるかは知らないけれど、最初に自分の価値を最大限に活かせと、ねえ様に教わった。だからお行儀よく身だしなみを整える。
皺を伸ばし、襟を直しながらルルーは、次は何処に連れてかれてかれるんだろう、と考える。
ここは確かデフォルトランドの、北西の角の港町『コックローチハーバー』だ。ならば東の壁は論外にして西の『フォーチュンリバー』か北の『双子島』かもしれない、とまで考えてルルーは思わず吹き出した。
そんな所よりもここは南東の『ばつ印』が断然近い。ならば迷わず真っ直ぐそっちに行くだろう。毎度のことだ。
そうなるとまた面倒な行軍だ。それは、やだな、と思った所でドアが開いた。
慌てて体を向けると、一人の男が入ってきた。
風貌は、まさに蛮族だった。
顔は、黒い髪と髭で毛だらけだった。背は高くて手足は長くて、細く引き締まったていて、浅黒い肌には無数の傷跡が見える。身に付けてるのはボロボロのレザーアーマーで、得物としてその手には背丈ほどの長さの鉄の棒が握られていた。鉄の棒は元々は槍のようで、先端には欠けた跡が見える。顔はわからないけど、毛の間から覗く漆黒の目には心なしか子供みたいにも見える。その額には鉄の額当てが鈍く光っていた。
ここではそこらに掃いて捨てるほどいて、だけどご主人様としては珍しいタイプの蛮族だった。
そんな男は部屋に入り、真っ直ぐ歩いてルルーの前に立つ。髭のせいか表情がわからなかった。
さて、このご主人様はどう対応されるのがお好みなのか、ルルーが考え出すよりも先に、男の方が口を開いた。
「なぁ」
思ったより若い声だ。
「ラーメンのスープのダシにゆで玉子って、旨いのか?」
ラーメン?
突如の言葉に混乱しながらも知識を引き出す。
確か、小麦を練った麺を鶏ガラや豚骨、魚介からとったスープに入れてすすって食べるどっかの大陸から来た料理だ。具材に煮た肉や野菜やゆで卵もあったはずだ。
それにゆで玉子、ダシと言うワードを組み合わせて、必死に頭を働かせ、絞り出した。
「それって煮玉子ですか? 具に乗せる」
「いや違う」
男はすぐに否定した。
「具じゃなくて、普通の、骨や野菜みたいにゆで玉子からダシをとる、らしいんだが」
否定されて考え直す。
これは、ルルーには初めて聞く知識だった。それでもこの、新しいご主人様に気に入られようとルルーは必死に考える。
……そして見つけた。
「あれじゃないですか? あの、ダシをとるときに出る灰汁を取り除くのに、高級な所では玉子の白身を使って固めて取り除くらしい、というのは聞いたことあります」
「そうか?」
「たぶん、そうかと」
「そうか」
答えながらも、男は納得してない反応だった。でもこれで、第一印象は悪くないはずだ、とルルーは手応えを感じていた。
「ところでよ、俺は何で呼ばれたんだ? やっぱラーメン関連か?」
「え?」
今度こそ想定外な言葉に言葉を失い、それでも何か答えなきゃ、と思うより先に、更なる想定外が聞こえて来た。
「あなた達は何をやってるのですか!」
ドアの向こうから聞こえてきたこの声には聞き覚えがある。正に今の、前のと言うべきか、ご主人様の声だった。
「あの、今の声の人なら、わかるかと」
そう答えるしかなかった。
そしてドアが勢いよく開き、部屋に男達が雪崩れ込んできた。
その全員がナイフや棍棒で武装し、殺気立ってるのがルルーにもわかった。
その先頭に立つのは、七三分けの男だった。
背は低いのに横には厚い。頭に白の帽子と、体に黒のスーツを身に付けていた。この七三分けが、神経質なご主人様だった。
ラーメンの男は彼らに向き直る。
「なあ」
「黙りなさい!」
ラーメンの声を七三ご主人様がプルプル震えながら打ち消した。
「あなたいったい何者です何故合言葉を知っていたのですか目的はルルーですね私が誰だかわかってンでしょうね!」
七三ご主人様が早口に捲し立てて、ルルーは初めて自分の間違いに気付いた。
このラーメンの男は、ただの侵入者だったみたいだ。と言われてもわかりようがない。それでも何だかんだと怒られるから、余計なことは言わずにいよう。
それで、この状況で、ラーメンは、立ち並ぶ男らに睨まれながらも落ち着いた風だった。
「俺は、名前はオセロってんだが、ここで仕事がもらえると聞いてたんだがよ」
「んだとごら!」
「すっごろすどこら!」
「ふざけんじゃねーぞ!」
オセロと名乗ったラーメンの言葉を、男らの恫喝がかき消した。そして一気に部屋の空気が暴力的になってゆく。
こういう場合は黙って傍観するのが一番だとルルーは学んでいた。
「もういい」
白熱した空気を、冷たい声が諌めた。
その中を男らが道を譲り、奥から歩き出たのは、またもや初めて見る男だった。
こけた頬にギラついた目、縁の大きな帽子の下からは長い黒髪が伸びていた。深緑色のボロボロのマントで体を隠し、下からはみ出た指は骨のように細かった。
「コクルボードさん」
七三ご主人様に名を呼ばれたコクルボードはそれを無視してそのままオセロの前、五歩の距離まで進み出た。
そこで床を踏み締め、改めてオセロを睨み付ける。
「お前が何者で、何が目的であろうとも関係無い。お前の罪は、この俺を舐めたことだ」
ルルーはぞくりとした。
直接向けられてるわけでもないのに、ルルーはコクルボードの殺意に震え、そして巻き込まれないよう、ゆっくりと部屋のすみまで下がった。
それはみんな同じか、他の男らも押し黙っている。
ひりつく空気の中で、それでもオセロは、あまり変わらなかった。ただ軽く、右手の鉄棒で床をトントン突いている。そして口を開いた。
「なあ」
「喰らえ!」
オセロの声に被せてコクルボードが叫び、左手でマントをはね上げ、同時に右手が腰の得物を掴む。
それは鞭だった。
コクルボードは刀の居合いのように鞭を引き抜き、横なぎに打ち放った。
「速蛇闇流れウおシャアアアアア!」
コクルボードの絶叫が響いた。
▼
技名に意味などない。
そもそも鞭がそんなに強くないのをコクルボードは自覚していた。
確かに、しなる鞭は速く、長く、肌に当たればかなり痛い。
だが服の上からでは痛みは半減し、鎧の上からではほぼ無意味だ。しかも連撃は難しく、防御には全く使えない。
それでもコクルボードが鞭を使うのは、目立ちたがりだからに他ならなかった。
こういった場面に颯爽と現れて必殺の一撃をかまし、賛美と称賛の眼差しを受ける。それは甘美だ。鞭の打つ音に犠牲者のうめき声が続けばもう、コクルボードは夢心地だった。
そのためにコクルボードがいつも狙うのは相手の顔面、それも眼球だった。
顔は大抵は露出しているし、それで視界を奪えば終わりだ。何よりも打たれて腫れた顔は、そのまま自分のトロフィーになる。
コクルボードは邪悪な笑みを浮かべた。
この距離なら鞭が届くのは一瞬だ。回避はおろか、あんな長い鉄棒じゃ間に合いっこない。
絶対の自信の上で放たれたコクルボードの鞭がバチンと当たった。
その手応えにコクルボードの笑みはますます強くなる。
その顔を、オセロはぼんやりと見つめていた。
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