閉じた日々
都会の生活は快適だ。
なんでもすぐ手に入る。どこにでも行ける。
一人暮らしも悪くない。家事をやってくれる親がいない不便より、僕のしたいことにいちいち文句を言われない自由が上回った。
――もっとも、僕にはもう「どうしてもやりたいこと」なんてないのだけれど。
誰も僕を知らない場所が、こんなにも気持ちを楽にしてくれるなんて知らなかった。大学で新しい友達が増えるにしたがって、僕も新しい自分になっていく。
笑って過ごす日々のなかでは、海辺の寂れた町を思い出すこともない。寝る間も惜しんでパソコンの前でキーを叩いていた自分は、もうどこにもいない。
勉強とバイトを口実に帰省しないまま、あっという間に二年が過ぎた。意図的に距離を置いた高校時代の同級生や演劇部の仲間とは、すっかり疎遠になって今では電話どころかLINEすら来ない。
だから、バイト先の先輩からアオの名前を聞いたとき、僕は心の準備がまったく出来ていなくて息が止まりそうになった。
「ここって鈴木の地元だろ? 知らない?」
先輩が差し出して見せたのは、アマチュア演劇祭のフライヤーだった。地方の市民劇団などが集まるイベントのようで、各劇団の写真と紹介文が載っていた。
「この青山泉って子、けっこう注目されてんだよね」
主演という文字と懐かしい笑顔が目に入ったが、僕は慌てて目をそらした。
「すいません、そういう方面あんまり興味なくて」
「そっかあ……同年代だから知ってるかと思ったんだけど」
「田舎をバカにし過ぎですって。町の人間みんな知り合いなんてありえないですから」
僕は大げさに笑って誤魔化すしかなかった。
先輩とはバイト先だけの付き合いとはいえそこそこ親しいつもりでいたのに、演劇をやっている人だなんて全然知らなかった。小さい劇団に所属して俳優をめざしているらしい。
「俺んとこは出ないんだけど、招待状きてるから」
笑顔を作っていないと変にこわばってしまいそうで、僕はにこにこと相槌を打つ。
「一緒に行かない?」
「えっ?」
固まったのを戸惑いだと思ったらしく、先輩はさらに誘いを強めた。
「一回ぐらい芝居見てみてよ、面白いから。それに鈴木の地元から遠征してくるのに応援しない手はないでしょ」
「いや、でも……」
「だまされたと思ってさ」
あまりにも屈託のない笑顔で言われたものだから、僕は断るタイミングを逃してしまった。
それでも当日まで往生際悪くキャンセルの言い訳をあれこれ考え続け、そのたびにアオのことを思い出して口に出すのを止めた。
彼女に会いたくないと言えば嘘になる。地方の市民劇団に居ながら注目されているとは、いったいあれからアオはどんな日々を過ごしてきたのだろう。
遠くからそっと見るだけ――そう自分に言い訳をして、僕はイベント会場へ足を運んだ。
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