第15話 深まるアニマル

 僕らは、青春を取り戻す第1弾として、ゴールデンウィークの翌週の土曜日、大学の近くにある市営動物園へとやってきた。


 やはり、若者が休日に遊びに行くと言えば動物園だろう、ということで提案したのだが、大学生が遊びに行くと言えば動物園だというのは4人とも共通した考えだったようで、あっさりと決まった。


 大学から近いとは言っても、学生の住むエリアからは少し遠いところにあるし、バスも反対方向にある駅の方からしか出ていないので、5人で王子谷のワンボックスに乗って向かった。




 彼の実家で使わなくなった車を譲ってもらったものだということで、外観を見てもデザインは明らかに一昔前のものであるし、ところどころ経年劣化の痕が見受けられる。実際に乗ってみてもエンジンは大袈裟な排気音を響かせていて、たとえビー玉がころころと転がる程度の緩やかな登り坂でも、車の進みは大層重くなってしまっていった。


 それに加えてマニュアル車と王子谷の微妙な運転の腕の掛け合わせは非常に悪く、変速をする度にいちいち車体が大きくガクンと揺れるので、せいぜい5kmも無い道のりであったはずなのに、荒れた日本海で小型船に乗ったような気持ち悪さに襲われた。

 そんなわけで、やっとのことで動物園に到着したときには、思わず「助かった」という喜びの声が漏れたのだった。


 前に動物園に行ったのは小学生の頃なので、動物園独特の獣臭さが懐かしかった。世間はゴールデンウィークで遊び疲れてしまったのか、客はさほど多くなく、どこか白けたような雰囲気に包まれていた。


 動物たちも、ゴールデンウィークに大量の人間を相手にした疲れが取れていないのか、心なしかあまり元気がないようにも見える。


 一方、今日は田中さんを召喚したというのもあって、オスの人間4匹は前回の神崎の家での会合に比べると、非常に生き生きした様子だった。

 しかも、ここ最近は段々と暖かくなってきていて、今日は直射日光を浴びていると暑いくらいだったのもあってか、今日の彼女はノースリーブの白いワンピースを着ていた。歩くたびに動くもちもちの白い二の腕を見るだけで今日という1日に意味があると思えた。


 ここは全国的に有名という訳でもない、実にオーソドックスな地方の動物園だが、様々な動物が飼育されていて、今度1人で来てみるのもいいなと思った。

 田中さんと2人で、という気持ちが湧きかけたのは確かだが、あの、鈴木さんとの個人的接触を禁じるというルールを自分たちで作った以上、僕が早々に破るわけにはいくまい、と湧き上がる欲望を抑える。


 今日の田中さんは、これまででは見せなかった一面を見せていた。首から小さい、可愛いピンク色のデジカメをかけている。

 プロフィールには書かれていなかったし、あまりパーソナルな部分について踏み込むことは無かったので知らなかったが、写真が趣味なのか、動物を見かけるたびにレンズを覗き、シャッターを切っていく。サルの鳴き声みたいな『カワイイ~!!!』なんて声を張り上げることもない。


 動物の居場所に合わせて、レンズを覗きこんだまま、かがんだり背伸びしたりしている姿が非常に可愛らしかった。そして、構えたカメラの裏で浮かべる微笑みも。

 動物園に来たからにはもちろん動物を見るつもりでいたのだが、途中からは、その仕草に魅了されて動物よりも田中さんばかりを見ていた。レンタル彼女としてはどうなのかという気もしないことはないが。動物はまたいつでも見られる。そして、4人で割ったとしても田中さん召喚に必要なMPの方が入園料より高い。


 しかし他の3人は田中さんの可愛らしさになど気付かず、まるで網膜と脳に焼き付けるように動物の姿を必死に見ていた。動物よりもっと素晴らしいものがここにあるのに、その気になればネットでだって見ることが出来る動物の生態をそんな懸命に見るなんて、なんて愚かなのだとさえ思った。彼女が知らず知らずのうちに振りまいている魅力に囚われてしまっている僕も、それはそれで愚かなのであるが。




 爬虫類館の中は、熱帯に棲息する動物が多く展示されているため、春の気温よりもいくらか暖かく、高湿になるように調整されていた。日本では到底見られないような大蛇が、太く長い体をぬるぬるとうねらせている。田中さんは蛇特有のその動きがたまらないのか、のろのろと這う大きな蛇をじっくり見ていた。

 こういう、蛇のような爬虫類の動物は好き嫌いが分かれると思うのだが、そんな嫌われがちな蛇をじっくりと見つめる田中さんを見て少し嬉しくなったのは、蛇のことを自分に投影していたからかもしれない。はたまた、蛇のその太く長い形姿を男根のメタファーと捉え、それをじっくり見つめる彼女にエロティシズムを感じていたのかもしれない。




 馬の展示コーナーでは、種の繁栄について本格的に考えたのか、はたまた本能か、突如2匹の馬が尾を交え始めた。

 周囲の客の視線が一斉にそっちへ向く。馬たちはそれでもなお、パフォーマンスを見せつける大道芸人のように情熱的な、大袈裟な交尾を続ける。


「ママ、あれなにしてるの?」

と聞く無垢な子供に、


「遊んでるのよ」

とはぐらかさざるを得ない母親の気苦労は知れない。

 この答えを真に受けたあの子供が、「遊び」と称して腰を振り出すような破廉恥極まりない人間になるのではという心配はある。もっと成長したら「遊び」と称して交尾をするような、本当に破廉恥極まりない人間になるかもしれない。是非お相手していただきたいものだ。


 まさにこれぞ肉棒といった、人智を超えた太々とした棒を出し入れする様は、僕らを原始へと回帰させるような衝撃的なものだった。

 むっつりスケベな僕ら4匹はその様をまじまじと見ていたのだが、僕はふと田中さんが気になって視線を横にやると、僕らと同じく食い入るように馬2匹が懸命に未来へDNAのバトンを渡そうとする姿を観察しているのだった。


 これまた人智を超えた、ダムの放流が如き白い濁流が流れ出たところで、馬2匹によるセクシータイムはお開きになった。貨幣が投げ込まれたりはしない。あくまで彼らは人間に飼われていて、野性とはかけ離れたものであるはずだが、その交尾をする様に、僕は野性的な性を垣間見た。


 僕らの大学と同様、この動物園も山の斜面に沿って作られていて、歩いて回っていく内に体力を中々に削られていった。小太りのテヅカはなおさらだ。歩いてるくらいじゃせいぜい汗ばむ程度の気温のはずなのに、大粒の汗を流している。


 テヅカを見ていると暑苦しくてたまらないので、横の田中さんに目をやると、やや歩きにくそうにしていた。気になって足元を一瞥すると、ヒールのある、坂道なんて余計に歩きにくそうな靴を履いているのが分かった。


 やたらきつそうに歩くテヅカを気遣って歩くペースを緩めていたのだが、テヅカなどではなく田中さんを見てそうすべきであったと反省した。女性と歩くという経験が希薄であったため、こういう場合に察することが出来なかったのだ。

 あの、地元の友人たちならば、もっと早く勘づくことが出来ただろうか。もしかすると、お姫様抱っこなんて小粋な真似でもしただろうか。

 やはりこういう辺りが、青春を逃した弊害なのだろうか。それとも所以か。


 園内の動物をひとしきり見終わったということで、引き上げ式のイス型ゴンドラで昇ったところにある、展望台を兼ねた丘の上で昼食をとることにした。

 ゴンドラは2人乗りで、狭い席に横に並んで座るものだったので、ぜひとも田中さんと一緒に乗りたかったのだが、下心を持っていることには間違いがないくせに全員が全員無駄に遠慮してしまい、結局田中さんだけ1人で乗ることになった。


 ゆっくりゆっくり、斜め上に傾いて音を立てながら引き上げられていくゴンドラは、上りに差し掛かったジェットコースターのようだ。この後猛スピードで駆け下りることこそないが、突然この年季の入った機構がぶっ壊れて、後ろに転がり落ちてしまうのではないかと内心ヒヤヒヤしていたが、前のゴンドラに乗る鈴木さんの香りが鼻腔の中に舞い込んでくるのではないかと思い、鼻の穴を目一杯広げているのに必死になっていると、恐怖感は紛れていった。




 無事にゴンドラを降りると、丘の上にたどり着いた。

 僕らの暮らす街を見下ろす。

 あの街にあるどのビルよりも高いこの場所から見る景色は、洗練された絵画のようであり、写真では伝わらない何かがある。

 至って陳腐な考えなのだろうが、この景色の中に幾万人もの人間と人生が散りばめられているのだと思うと何とも言えない気分になる。

 丘の上には何も遮るものが無く、涼しげな乾いた風が吹いている。吹き荒れているという方が正確かもしれない。

 持ってきた2m四方ほどのレジャーシートを敷き、その上に5人で円状に座ったが、重さのかかっていない端のところが強風でめくれてしまってうざったいくらいだ。


 ファミリーサイズのレジャーシートではあったが、大人5人で座ると流石に窮屈だった。まして幅の広いテヅカが居ればなおさらだ。

 体の右側がなし崩し的にテヅカに接しているのだが、先ほど斜面を歩いた影響で厚い脂肪の下に隠れて普段はお目にかかることのできないテヅカの筋肉が熱を発している。それに、汗による湿り気まで伝わってきて非常に嫌な気持ちになる。テヅカの右に座っているのが田中さんでなく神崎で良かったと胸をなでおろす。

 どれだけ冷めた風が吹き付けてもテヅカの熱気が収まる様子はいまだに無く、左へずれ動きたい気分なのに、左にいるのは田中さんなので下手に動くことはできない。どうせケツの皮も厚いんだろうからテヅカがシートからはみ出て座ってしまった方が平和なのではないかと思った。


 こういう場面だと、田中さんが昼食を作ってきてくれるというのが理想なのだが、召喚前はあくまで他人である彼女にそんなことを頼めるはずもなく、せめて気分だけでもと思ってコンビニで買っておいたサンドイッチを頬張るのだった。

 定規で図ってカッターナイフで切り分けたような、あまりにも整いすぎたフォルムではあるし、何の変哲もない具で特に美味しいと感じるほどのものではないが、田中さんが作ってきてくれたものと思い込んで食べると、とても幸せな気分になれた。決して気持ち悪いとは思わないでほしい。


 神崎はカロリーメイトをチビチビ食べている。王子谷は近所のパン屋で買ったらしきパンを食べている。テヅカはスーパーの安い弁当を2つ開けている。

 一方の田中さんはシリアルバーをキツツキのようにつついていた。神崎がカロリーメイトを食べているのと見比べてみると、2人がまるでペアルックを揃えるカップルのような雰囲気を醸し出しているように思われて、我ながら馬鹿らしいとは思うがいつのまにか嫉妬心に近い悔しい気持ちが沸き上がっていた。

 その気持ちがあまりに馬鹿らしい、あほらしいものであるのは気持ちが浮かんできた瞬間に自分でも分かっていたことであったので、動物と田中さんの姿を思い浮かべながらサンドイッチを頬張り、沈静化をはかるしかなかった。


 ちょうどお昼時の時間帯というのもあり、他の客もぞろぞろと丘へ昼食をとりにやってきていた。他人の目から見たら、僕らはどんな関係性のグループに思われるのだろう。

 はたして、僕と田中さんがカップルだと思う人がいるだろうか。はたまた、同じようなものを食べている神崎と彼女の方をそう思うだろうか。

 

 


 昼食の後は既に一通り見て回ったので、帰るのみかと思ったが、先ほどは引っ込んでいて見られなかったキリンをやっぱり見に行きたいという田中さんの意見によって、キリンをもう一度見に行くことになった。


 ちょうどショーの開かれる時間だったようで、何故か僕がキリンに餌をやる客として指名された。飼育員に渡された葉っぱをキリンの前で頭上に掲げると、柵の向こう側からキリンが首を倒し込み、その大きな顔が眼前にずいと迫って来たかと思うと、果たしてこれは血が通った生き物であるのかしらと疑ってしまうようなほどに青黒い舌を伸ばし、器用に葉っぱを掠め取って、咀嚼をしながら頭をまた柵の向こう側へ引き戻していった。

 遠目には小さく思えたキリンの頭がズームしたように眼前に迫り、想像よりもずっと長い舌を伸ばしてきたので、正直に言うと恐ろしかったのだが、田中さんが僕とキリンにカメラを向けている姿を見ると、まんざらでもなかった。


 今日はほとんどの時間、カメラのレンズを覗きこんでいた彼女だったが、撮るのはやはり風景や動物ばかりで、僕ら4人をシャッターに収めることは皆無であった。しかし、今こうやって、あくまでキリンが主体なのであろうが、彼女のカメラのメモリーに僕の姿が残ったということは非常に喜ばしいことだった。

 後々、トロツキーのように僕だけ写真から消されてしまったって構わない。たとえ一瞬でも残れただけでも僕は嬉しいのだ。


 キリンで田中さんは満足したようで、最後にショップに寄って帰ることになった。キリンによっぽどハマったのか、小さなキリンのぬいぐるみを物欲しげに見つめていたので自費で買ってあげた。


「ありがとうございます」

と、今日初めて直接僕に笑顔を向けてくれた田中さんに、僕は耳が熱くなるのを感じながら、ちょっと間をあけて


「ははは」

と笑いかけるしかできなかった。


 その裏に白い目を向ける3人の姿があったのは言うまでもない。

 今日は理想郷探検隊の本格的なスタートとなったが、単に個人個人が動物を見て楽しんでいただけと言われればそれまでだ。それどころか、田中さんへの個人的な接触はしないというルールを自ら破ってしまったが、5人で活動しているときに堂々と行ったので許されることではないだろうか。というか、そもそも他の3人が彼女に構わなさすぎなだけの気もする。




 動物園から帰った僕の心は、妙な高揚感に包まれていた。

 夢でまたこの日を迎えられるように、精一杯田中さんのことを考えながら眠りについたのだが、動物園を歩き回った疲れがきていたのか、普段よりもぐっすりと眠れて、夢を見ることはなかった。


 昼に目が覚めると、あの昨日からまた何もない今日へやってきてしまったことが非常に虚しくて、また次の理想郷探検隊での活動を計画するのであった。次はどんなことをしようと考えるだけでもワクワクして、あれから僕の心は当分の間浮ついていた。

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