第14話 マジックとマネー
理想郷探検隊の顔合わせが済んだ翌週、田中さんを除いた僕ら4人は神崎の家で集まることになった。なぜなら、僕の口から彼らに説明せねばならぬことがあったからだ。
6畳1間で狭苦しい僕の家とは違って、親が医者だという神崎の下宿は1LDKで広々としている。やはり人間皆平等とはいえども、資本主義の世の中においては金銭面の差というのは、もはや遺伝子に基づく体のつくりと同じように、大学生1人の小さな力じゃどうにもできないものなのだろう。
真ん中に背の低い、畳1枚ほどあるテーブルが置かれ、雀卓を囲むように4人が座る。尻の下には綿がギッシリと詰まった分厚いクッションが置かれ、座り心地は良い。
「なぜ今日はあの麗しの田中さんがいないのだ」という無言の訴えが3人から向けられている気がする。僕の被害妄想に過ぎないのかもしれないが、実は今ここに田中さんがいないその理由を説明するために僕は今日、この1LDKの豪邸にやってきていたのだった。
「ええと、なぜ今日は田中さんがいないんだって思ってる?」
まどろっこしい言い回しは嫌いなので、ストレートに尋ねる。
「いいや、彼女にだって都合はあるだろうよ」
「そうですよね。ここだけが彼女の居場所じゃないでしょうし」
王子谷と神崎は至って寛容な反応を示したが、
「俺は思ってるよ。今日だってあの子目当てでわざわざここまで来たんだから」
テヅカはバカ正直というか、頑なな態度だった。
「そんな言い方はないだろ。理想郷探し、ってので集まっているんだからさあ」
王子谷は不純な動機でここへやってきたと正直に打ち明けたテヅカにムッとした表情を浮かべている。でも、そんな王子谷を見て、僕は申し訳なく思った。実のところ、あのように田中さんを理想郷探検隊に呼んだのは、こうやって不純な動機で人数が増える可能性を考えた上だったからだ。
「今日は伝えなければならないことがある」
僕は独白をする気でいた。
「なんだよ、いきなり」
卓上に置かれた、パーティ開けのなされた大きなポテトチップスの袋と口の間で手をひたすらに往復させていたテヅカが、気だるそうに言う。
3人とも戸惑った様子で急にかしこまった僕を見る。
「今日ここに田中さんがいないのには理由がある。実は彼女は、MPを使って召喚しないとここには来てくれないんだ。そして今の僕にはMPがほとんど残っていない」
「MP?マジックパワーみたいな、RPGに出てくるアレか?お前は魔法使いで、田中さんは召喚獣か何かっていうのか」
首をかしげて王子谷が言う。
「召喚獣ってよりかは傭兵の方が近いな。もうちょっとMの部分は現実的に考えてほしい。みんなの身近にあるもの」
「マゾヒズムか・・・」
テヅカがさっきとは打って変わって、口を動かしながらニタニタと笑みを浮かべている。
「そんな訳ないだろ」
神崎が冷たくあしらう。
「あっ、お前なんで俺にだけタメ口なんだ」
「テヅカは1年生じゃないか。僕は2年生なんだし、それが普通だろ」
「甘いな。俺は2浪しているんだ。年はお前より1コ上なんだぞ、敬え」
「先に言ってくださいよ・・・まあ分かりましたよ、全員に敬語の方が楽だし」
テヅカが勝ち誇ったような顔で鼻息をフンと吹き出しているが、2年という時間を費やした結果が年下の上級生に敬語を使わせることができるだけというのは余りに虚しいと思うし、今のやり取りを見る限り、神崎の方が精神年齢は上だなと思った。
「とにかく、本題に戻ろう。ぶっちゃけると、MっていうのはMoney、金だ。僕は田中さんを金で呼んでいたんだ」
「お前は金で何でも済ませてしまうような、資本主義の豚のような人間だったのか。きっと日頃から金でそこらの女子大生を捕まえては」
「違う。そういう事じゃない」
テヅカは女性が話に絡むとあっという間に性的な方面へと脱線してしまうらしい。僕は決して女性を金でどうこうしようという不埒な輩ではないことは断言しておく、一応。
「レンタル彼女、って知っているか」
「ああ、1時間何円で女の子をレンタルする、ってやつか」
王子谷は指先で最近パーマをかけたと思しきくるくるした髪をいじくりながら答える。
「なんかアレですよね、世の悲しい男が使うと言われている・・・」
「そう、僕たちは悲しい男なんだ」
「それってもしや」
僕はスマートフォンを取り出し、指を画面の上で滑らせてロックを解除すると、とあるページを開き3人へ見せた。
ストレートに『レンタル彼女』と書かれているサイトの中には、数十人の若い女性の顔写真がリストアップされている。みんな、普段僕らには向けられることのないような、輝くような笑みをこちらに向けていて、誰もが魅力的に見える。
しかし、スクロールしていくと、1人だけ毛並みの違う女性がいる。そう、田中さんだ。
もちろんそういう商売なのだから、ルックスが劣っているとか、もちろんそういう事ではない。しかし、サイトには『2010年代の女子大生』として無形文化財に登録されてもおかしくないような似たり寄ったりな子が並ぶ中、田中さんだけはどこか影を持っているような面持ち、そこに惹かれて僕は彼女をレンタルしたのであった。
「え、じゃあこれまではアンタが自費で彼女を呼んでたってことなのか」
鈴木さんの笑顔の写真の下に書かれている「1時間あたり5000円」という表記を見たのか、王子谷は驚いた様子だった。
「そうさ。この前のファミレスでの会合の時も、時間延長ギリギリだったから急いでお開きにしてさ。結局、2分くらいオーバーしちゃってたんだけど、その分は無かったことにしてくれたんだ。いい子だよね」
「いい子って言うのか何というか……」
王子谷は少し困惑したような顔を浮かべている。新入りには、この事情はまだ理解できなくても仕方あるまい。
「ああ、これまでの分は別に請求とかはしないから、安心して」
「そういう事じゃなく……」
これまでは僕が彼女にほとんど付きっきりのような状態であったため、独占状態であった時間分の料金はすべて自分で背負うつもりだった。もし神崎辺りがいえいえ払いますよとでも言ってくれば大いに甘えるつもりではあったが。
レンタル料金についての連絡はメールを介して行っていたのだが、彼女は普段の口調とは違う、とてもかわいらしい文面のメールを送ってくることは僕だけが知る秘密だ。
「じゃあ、田中さんはもう来ないってことですか」
「いいや、僕たちのMPを合わせればまた彼女を召喚できる」
「おいおい、じゃあ彼女は金でしか来ないってことか」
王子谷は不満げな表情だ。
「いや、僕らが真の友情を築き上げれば」
「こんな冴えない連中と見返りもなしに仲良くしたいと思うかね」
テヅカが卑屈っぽくはあるが全くの正論を吐く。
「おいおい、あの子が他の女の子も呼んでくれるかもと思って入ったんだぞ!」
僕の記憶では王子谷は先ほど理想郷探検隊に対しての下心を見せたテヅカに対してムッとした表情をしていたはずなのだが、いつの間に心変わりをしたのだろうか。
「僕だって、隊長が女の子を呼ぶ実力があると思ったから入ったんですよ!」
嬉しい一言だ。
「うるさいうるさい!まだ10代の神崎を除いて僕らはもう、女性を虜にするには金銭のパワーを借りなきゃいけない年頃なんだ!」
微妙なフォローが入った神崎はまんざらでもない顔を隠しきれていないが、残酷的な現実をつきつけられたテヅカと王子谷は「いや…でも…」と反論の火蓋を切ろうと試みるものの、頭が重力に負けてだんだん下へ傾いていくのみだ。
「だから、みんなで力を合わせて、たとえ偽りだとしてもいい、遅れてやってくる青春を精一杯楽しもうじゃないか」
僕は晴れやかな笑顔でそう言った。すっかり説き伏せた気持ちでいた。
もし今の状況を連続ドラマで言うならば、新進気鋭のアーティストが歌うエンディングテーマが流れてくるタイミングはちょうど今だ、と思った。
「どうやって」
「えっ」
エンディングテーマは突如止まり、静寂に引き戻された。こういう時は急転直下、だいたい不吉な展開になるものだ。
「ロクに青春を楽しめなかった俺らがどう青春を楽しもうって言うんだよ、それならいっそ買春で楽しむ方がよっぽど手っ取り早いね」
テヅカは俯いたまま言う。まるで物語の黒幕が事の顛末を話し始めるかのようだが、その内容は実に下衆なものである。
「俺は彼女いたぞ、…中学の頃だけど」
王子谷の突然の告白に、部屋の中にピリッとした緊張が走った。たとえそれが中学生の頃の出来事であったとしても、理想郷探検隊の隊員にとって青春の喜びを味わった者は罰に値すべき存在なのだ。
王子谷の告白に憤ったテヅカの反撃が始まる。
「あぁ、どうせノリと勢いと場の雰囲気だけで付き合っちゃってセックスどころかキスも出来ないまま終わっちゃってるんだろ」
「手は繋いだからな、手は!」
「手なんてフォークダンスでも繋げるんだよ!」
「どうせお前は女の子に嫌がられて第1関節くらいまでしか触れさせてもらえなかったんだろうが!」
「はぁ!?そんな心無い女子、少数しかいなかったよ!」
いきなり火蓋を切って落とされた王子谷とテヅカの言い争いだが、テヅカに勝ってほしいと願う自分がどこかにいた。しかし今重要なのは理想郷探検隊としての一致団結であり、悲しき冴えない男同士の言い争いではない。
「今なんだ!大事なのは!中学の頃に手を繋ぐまでしかしなかった彼女がいたなんて過去の栄光でしかない!小さいくせに無駄に重たい文鎮みたいなプライドは捨てろ!今こそ理想郷探検隊のMPを結集し、田中さんを召喚して堂々たる青春を過ごそうじゃないか!」
こんな演説のような口ぶりをした自分が少々恥ずかしかったが、テヅカと王子谷の詭弁のぶつけ合いで無駄に熱くなったこの部屋でならば特に違和感は無いような気もした。
僕の偉大なる演説でテヅカと王子谷は頭が冷えたのか、黙りこくっていた。
この場にいるのは現状に不満があるという事で集まったメンバーだったので、鈴木さんと共に新たなる青春を満喫しようという点に関しては意見が一致した。
やはり、僕らは似た者同士の仲間であるのだ。
僕らはもう目的を見失わないため、そして団結力を高めるために、いくらかのルールを作った。そして、この理想郷探検隊において、ささやかな、遅れてきた、そんな虚妄の青春を享受することにした。
【理想郷探検隊ルール】
・田中さんへの個人的な接触はしない
・田中さんの召喚に要するMP(金)はきっちり4等分で支払う
・王子谷は中学時代の彼女の話を二度としない
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