第11話 異性と虚勢
その数日後、僕は4月も終わりを迎えようとする日の大学で、田中詩織さんという1人の女性と並んでビラを配っていた。彼女は僕の彼女でも何でもないが、とにかく僕が実力で引っ張ってきた理想郷探検隊の2人目のメンバーである。
金太郎飴のようにそっくりそのままなそこらの女子大生たちとは違って、田中、いや、詩織・・・やっぱり田中、さんは、黒い髪に清楚な服装をした実に魅力的な女性である。
そこらのバカ学生に言わせれば、地味で華がないという事になるらしいのだが、彼女の魅力は分かる人間にだけ分かればそれで良い。彼女は玄人好みの女性なのだ。そして僕は玄人だ。
田中さんを横に連れていたものの、この日のビラ配りの成果はあまり芳しいものではなく、受け取ってくれた人数は2桁にも満たないほどだった。僕は失望した。この大学の人間というのは、こんなに魅力でいっぱいの女性より、頭も尻も軽そうな、現代の嗜好に体を預けた、ブームに乗るしかできない流行りの女というものにしか、なびかないのかと。
それでも、諦めずに粘ってビラ配りを続けていると、僕は知らなかったのだが、例のキュウリ教の連中のせいで学内での勧誘行為が禁じられていたらしく、偶然通りかかった学務の毒吐きボスゴリラに見つかってしまい、こっぴどく怒られた。怒るというより、ただ単に個人的なストレスをぶつけられているだけの様に思えたが、そういう類の反論はより一層ヒートアップさせるだけであろうと思い、黙って、反省した感じに見えるように、うつむいていた。
毒の放射から解放されて、ふと隣の田中さんを見ると、なんと涙ぐんでいた。僕は根こそ真面目なのだが、表面上には不真面目なところがあり、こういう具合に怒られることには多少慣れているため、貴重な時間を取られてしまう以外は特に苦にしないのだが、彼女は見た目通り、真面目で清廉な人生を過ごしてきて、怒られるというのに慣れていないのだろう。か弱そうな彼女が涙を流す姿を見ると、心がとても痛くなった。
「すいません、ちょっとビックリしちゃって」
顔をうつむかせ手で涙をぬぐい、泣き顔を見せまいとする彼女。
しかし涙は彼女の肌を滑り降りていく。清らかな彼女から流れる涙はまるで清流のようで、その辺の安っぽい宝石よりもよっぽど美しい。いや、決して僕は人が泣いている姿に興奮するようなタチの悪い男ではない。むしろ泣かされたいと思っている。
「いや、僕がよく確認してなかったのが悪かったんです。怖かったですよね?」
僕が悪いのに涙を流したまま謝ってくる田中さんを見て、ますます申し訳なく思った。憎きボスゴリラめ。今度脳内でボコボコにしてやる。膝関節を中心に攻めていけば、勝つことは容易だろう。社会がそれを許してはくれないが。
ボスゴリラはのっしのっしと山を下っていったようだったが、またビラ配りを始めた途端に人智を超えたスピードで戻って来るような予感がしたので、2度も鈴木さんを泣かせる訳にはいくまいと、今日は切り上げることにした。まだ夕方だが、ご飯にしようということで、近所のファミレスへと向かうことにした。
僕だって、年頃の女性と共にいるわけであるし、しゃれたイタリアンの店にでも連れていきたかったが、冴えない地方大学の近くにそんな店があるわけはないし、仮にあるとしても冴えない地方大学の学生が何も無いような顔で連れていけるわけがない。
なんなら、僕の家に連れ込んだってよかったのだが、僕の良心は強い。両親の顔も思い浮かぶ。けれど、都会でダーツとかビリヤードに興じる男子大学生が当然のように自分の家へナンパした女を自宅へ連れ込む様が思い浮かんで、中学生のような自分の貞操観念に呆れながらも感心する。
ファミレスを使う客というのは、ファミリーレストランという名前通りに、家族や、将来的に新しく家族を作れるような人間に限られると思っていたのだが、夕方のファミレスというのは案外おひとり様が多く、そこに美しき大学生田中さんと乗り込んだ僕は、かりそめの優越感に浸った。
大学が近い立地というのもあって、勉強道具を広げている学生らしき客もちらほらいた。そんな中で田中さんと共に向かい合って座るというのは、これ以上ないくらい気持ち良いものであった。
注文を取りに来た店員も、きっと同じ大学に通う学生なのだろう。僕らとあまり変わらない年頃で、慣れない手つきで手元のハンディに注文を打ち込んでいる。
鈴木さんは和風のなんとか定食を頼み、僕は腹を満たせそうなメニューの中で1番安かったうどんを頼んだ。
1人で来たのならば僕だってなんとやらの定食を頼みたいところなのだが、鈴木さんと来たからには僕が当然彼女の分も払わなければならないので我慢するほか仕方ない。
鈴木さんの定食はやたらいろんな種類のおかずが付いていて、僕のかまぼこと油揚げ以外に目ぼしい具の無いうどんが、やたら貧相なものに思えた。
大きな出費があったばかりなので、正直に言うとあまり金がなかった。メニューにあるうどんの写真だと量さえ乏しいように見えたので、店員に「うどんって大盛りにできますか?」と聞きたかったが、鈴木さんの前というのもあって見栄を張って自重しておいた。
鈴木さんはプラス80円で定食のごはんを大盛りにしていた。メニューにしっかり書いてくれていれば、何も気にせず大盛りで頼めて、こんなモヤモヤを抱くこともなかったのになあ、と思いながらイマイチ物足りない量のうどんをズルズルとすすった。清らかな彼女に薄っぺらな味の汁が跳ねないように。
レジの画面に出た2000円という金額を見て、これだけあれば回転寿司で満足に食えたなという考えが脳裏に浮かびかけた。店員が追い打ちをかけるように2000円になりますと言う。分かっている。僕らが食べたうどんと和風のなんとか定食は2000円になることは。
愚痴がこぼれないように、口を真一文字に結んでしわしわの千円札2枚を店員に差し出した。僕が払うのは当然なので仕方ないのだが、善良な男子大学生には重たい金額なのだ。
別に、彼女に借りがあるとか、弱みを握られているとか、そういう類の話ではない。先ほど泣かせる羽目になったのは申し訳なく思っているけど。
それでも、「ありがとうございます」と微笑みを向けながら感謝を示す彼女を見ると、どうでもよいことに思えた。
鈴木さんはファミレスの近くにあったバス停から、駅の方面へ向かうバスに乗って帰っていった。古い価値観で考えれば僕が家まで送るべきなのかもしれないが、ここまでで大丈夫と彼女に断られた以上、しつこく迫るわけにもいかない。
僕と彼女はあくまで理想郷を共に目指す志のもとに集まった同志なのであり、決して恋愛関係へ発展するような間柄ではないのだ。一応。
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