第7話 インストール・アルコール

 木曜日の午後5時、看板が立ち並ぶ駅から北に延びる通りを、これから待つ飲み会に思いを巡らせながら歩いていた。

 この時間の地方都市の駅前の歓楽街というのは、まだ人がぽつぽつと歩いているだけで、賑わいの欠片もない。

 別にそんなことは無いのだが、看板やまだ電源の入っていないネオンが賑やかに並ぶ中、どこか退廃的な雰囲気を纏っているようにさえ思わされるような寂しさだ。まだ、道端に吐瀉物が散らばっている様子はない。


 この辺りは夜7時を回れば、一気に酔っ払いとキャッチで溢れかえり、道端にはガムと唾と吸い殻と吐瀉物が吐き散らかされ、マナーとモラルといった、現代社会的な良心は消え失せる。田舎でのんびりと育ってきた僕にはどうにもその様相が恐ろしくてたまらないので、この辺りに立ち入ることはあまりないのだ。

 さっきは地方都市という、まるで都会育ちの人間が他の地域を見下すような言い方をしたが、僕は花火よりも、猟銃の弾けるような銃声を聞いた回数がはるかに多いような田舎育ちの人間なので、僕にとってこの街は十分都会に思える。



 大学の講義が終わればただ暇なだけであるので時間は確かにいつでもいいと言ったが、まさか夕方から居酒屋に行くことになるとは思っていなかった。

 僕は徳田(あのCEO風の男)以外のメンバーは顔も名前も素性も何も知らなかった。まあ、彼の仲間ならば決してガラの悪い男とかを連れてくるわけはあるまいと思っていたが、人は見た目に寄らないとも言うし、よく分からない。

 そんな、おそらく杞憂であるものに飲み込まれ、見ず知らずの人と居酒屋に行くような冒険をするくらいならSF研究会に落ち着いていればよかったかもしれないと、だんだん弱気になってきていた。



 待ち合わせ場所は個室の居酒屋だった。つまり部屋に入るまでどんなメンツが揃っているのか知ることはできない。何やら悪い予感がしないでもないが、彼を信じることにした。

 待ち合わせ場所の居酒屋は、いかにも和風の居酒屋という外観だった。中に入ると、照明はどこか薄暗く、居酒屋と言うには場違いなほどに静かだった。居酒屋にあるべき食器のぶつかり合う音や騒ぎ声などは全くない。これがわびさびだろうか。

 この空間のどこに彼らがいるのか分からないので、すいません、と声をあげてみると、ちょっとしてから厨房の方から女性店員が出てきた。店の慣れない独特の雰囲気に呑まれていたが、普通の女性が出てきて気が緩んだ。僕は小心者なので、こういう時に無駄にハラハラしてしまうのだ。

 しかし、それでも、席へ案内される途中、恐怖心はどんどん膨らんでいった。店員は薄暗くて細い通路をグングン進んでいく。あの、大学のサークル棟を思い出す薄暗さだ。いや、日光が入らない分あそこよりひどいかもしれない。普通の歓楽街にある居酒屋のはずなのに、なぜこんなに入り組んだ構造をしているのだろうか。


「こちらです」


「ああ、どうも」


 長く暗い通路を抜けた先には部屋が数室あり、そのうちの一つを案内された。離れということなのだろうか。


 和風のふすまが並ぶ様は、そこはかとなく高級感を漂わせる。そんな上等な居酒屋だったのだろうか、あまり金は無いのに、と別の怖さも湧いてきた。

 目の前の引き戸を開ければ徳田たちがいるはずなのに、物音ひとつ聞こえない。店員はいつの間にか、表の方へ戻ってしまった。

 初対面の集団と会う恐怖、店の独特な重い雰囲気による恐怖。ストレスで、胃腸の奥深くの方がキリキリと痛み出そうとしているのを感じた。

 恐る恐る引き戸を開けていくと、数人の男女が正座をして本を読んでいた。その中には徳田もいた。彼とは2日前に1度会っただけなのに、初対面の人間の塊の中に紛れていると、それでもどこからか安心感が湧いてきた。

 彼らが手にしているのは、どこか見覚えのある本だった。いつぞやのニュース番組で取り上げられていた、売れっ子の哲学者の書いた新書だったろうか。やはりあの徳田の仲間なので、こういった待ち時間さえ読書に費やす知的好奇心の持ち主なのだろう。

 徳田以外のメンツも彼と同じく、どこか落ち着いたような、知的そうな雰囲気を纏っていた。


「あの、こんにちは」


「待ってました!」


 様子を窺うように挨拶をすると、徳田が勢いをつけるように大声をあげ手を叩き、それに乗じるように他の仲間たちもいきなりパッと明るく笑い出し拍手をし出した。

 このように人に大々的に歓迎されるようなことは母親の腹から誕生して以来久しぶりのことだったので、どことなく違和感はあったが素直に嬉しかった。

 テーブルの上にはビールと料理が既に置かれていた。しかしビールの泡はほとんど無くなっているし、ジョッキが汗をかいてテーブルには小さな水たまりが出来ている。

 席が一つだけぽつんと空いていたので、そこに体を捻じ込んで座る。

 座るやいなや、徳田が快活な声をあげる。


「では、全員揃ったことですし、我々の出会いを祝して乾杯!」


「乾杯!」


 徳田の挨拶により全員がジョッキを掲げ、ぶつけ合う。慌てて僕も手元のジョッキを持ち、合わせていく。恐ろしいほど静まっていた居酒屋の奥の空間に活気が生まれていく。しかしジョッキからは汗がボトボトと滴り落ちてテーブルの上はびしょ濡れになり、飲んだビールは持ち前の爽快感を失った、モヤモヤする口当たりだった。

 この部屋に入ってからの様子を見ていると、徳田がこのグループの仕切り役のようだ。僕と徳田以外は統一された人形のようにジッとしていて、徳田の言葉でスイッチが入ったかのように動き出す。同じサークルのメンバーと言っていたが、もしかしたら徳田には何か強大な力があるのではないかと思った。

 テーブルにある料理は、どれも生温かった。みんな僕を長い間待っていたのだろうか。確かに5分程遅刻はしたが、そのくらいなら注文せずに待つはずであるのに。

 若干の疑念を抱いた中、飲み会は始まった。

 適当な誰かに話しかけるということができず、逃避的に徳田に話しかける。


「この人たちもみんな入るってこと?」


「はい。私が連れてきました。【ユートピア探検隊】のお力添えになりたくて」


「まだ出来たばかりだし、やる事も決まってないんだけどね。でも、こんなに人が来てくれるなんて嬉しいよ。ありがとう」


 先ほどは固まっていたメンバーも、それぞれ楽しそうに酒を飲み談笑していた。しかし僕は徳田以外とは面識が無いので、あまりそのひかりの輪の中に入ることができないでいると、


「おい君たち、この方が代表だ。みんな仲良くするように」


「はい!」

 徳田が他のメンバーにそう呼びかける。転校初日の転校生のような扱いだが、実際その程度の関係なので何も言えない。


 その後は徳田の勧めで、一番真ん中の席に座る事となった。

 適当に隣の人と世間話をするくらいのつもりでいたが、僕が座った瞬間、全員がこちらに体ごと向いた。みんな妙にギラギラした眼差しを投げかけてきている。別に、ここで大それた演説などをするつもりはないし、そんなに僕を見られても困るのだが、そのまま微動だにしないので、仕方なく簡単に自己紹介をした。

 そこから多分僕のために全員が自己紹介をする運びとなったのだが、驚いたのがメンバーの中に社会人や他大学の学生が混じっていたことだった。徳田には、サークルに社会人や他大学の学生が混ざることは少なくないことだと言われた。

 そういえば確かに1年生の頃に入っていたテニスサークル(僕はペニスサークルと呼んでいる)には、肉体関係要因として近くの女子大の学生も何人か所属していたし、時折OBやOGが参加することもあった。しかし、それはそうだとして、なぜ僕より1つ下の徳田が僕より年上の社会人に対しても強気な振る舞いをしているのかは分からなかった。



 自己紹介で、それとなく皆の素性を知ることは出来たものの、そこから打ち解けることは難しく、いたたまれなさもあってか、気を紛らわすようにどんどん酒を飲んでいった。

 初対面で謎の多いメンバーたちといえども、アルコールが脳を支配していくと同時に、一気にそんな事はどうでもよくなっていった。

 徳田は酒を煽るのがうまく、いいように乗せられた僕は人生の中で初めてなほどのハイペースで酒を体の中へ放り込み続けた。しかし、やはり調子に乗っていたのだろう、元々酒に弱くはないが強くもないので、席替えをするときなどに立つと、少しふらついた。

 みんな初対面という事で、全員と話すために僕は定期的に席を移動していた。普段は人と話すのは億劫だが、アルコールが入った状態ではそう悪い気もしない。むしろ楽しく話していたような気がする。

 しかし、みんな事あるごとに幸せがどうとか、最近あった不幸な話だとかをしきりに聞いてくるので、それに答える形で今の自分の状況を話していると、急に悲しくなって泣き出してしまった。

 その悲しみがどこからやってきたものかは分からなかった。それに、まさか自分が泣き上戸であるとは思ってもいなかったし、人前で泣いてしまったことがあまりに恥ずかしくて、いっそのこと記憶を消してしまいたいと思い、焼酎、ウイスキー、ウォッカと、アルコールの強い酒をどんどん飲んでいった。

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