第6話 ダイバーシティ・ユニバーシティ
ある日、僕がビラを貼った掲示板の前を通りかかると、掲示板を埋め尽くすように貼られていたはずのビラは全て無くなっていて、緑色のボコボコした地肌をほとんどさらけ出していた。
その代わりに、ど真ん中にぽつんと1枚だけ小さな紙が貼られていた。
近づいてその紙を見てみると、
「宗教団体の勧誘が相次いでいたため、一度全ての団体の勧誘を禁止とします」
という、シンプルな形式ばった文章が書かれていた。
事実、この時期は新たな人員を集めるために様々な宗教団体がこぞって大学に押し寄せてくる。キリスト系から仏教系、それから謎のものまである。
宗教のサラダボウルと化すこの時期の大学であるが、学生からのクレームが相次いだのか、このような策がとられたようだ。そういえば、サークル創設について学務に行った時も、ボスゴリラに宗教はダメだ、と言われた。
僕が貼った、至って健全なビラまで取り除かれたのは納得いかないが、それで文句を言いに行ったところで待ち受けているのはきっとあのボスゴリラなので僕はほとんど諦めていた。どこぞの宗教のせいで僕の計画に甚大な被害が生まれてしまった。僕が不幸せになる宗教なんてくそくらえだ、と心の中で悪態をつく。
そんなとき、スマホに着信が来た。連絡にすぐに答えられるようにバイブレーションも着信音もマックスにしていた甲斐あってすぐにメールを開くと、そこには「入部希望」というタイトルの新着メールが殆ど同時のタイミングで2件来ていた。
ワクワクしながら慌てて1件目を開くと、本文には
「ウソだよバーーーーーカ」
という1文のみが簡潔に書かれていた。
おちょくられた怒りのあまり、3日間ほどかけて500通くらい送り主に返信してやろうと思ったが、アドレスを見る限りかなり適当なアルファベットと数字の羅列であった。きっとこんな嫌がらせをするために作った捨てアドレスだったのだろう。労力をかけて返信しまくったところで、必死だなあと画面の向こうで性格の悪い男にせせら笑われるだけだろうし、復讐はこらえることにした。
1件目があんな内容だったので期待せずに2件目を開くことにした。着信が来たときは心臓の鼓動が、強く、早くなっていた感覚があったが、それはもう無くなっていた。
しかし、2件目のメールは良い意味で予想を裏切るものだった。本当に入部希望の学生がいたのだ。本文の欄には実に丁寧な文章で入りたいという熱い気持ちが綴られており、1件目との対比で、まるで聖人君子が書いたもののようにさえ思えた。
取りあえず、近いうちに一度会おうという約束を取り付けた。今は誰もメンバーがいないのだから無条件に入れてしまっても良いのだろうが、完全に1件目のメールの影響で送り主のことを少し疑ってしまっていた。ひとまず顔合わせということで、今度食堂で会おうという旨のメールを返した。
昼過ぎの食堂は、昼休みに学生が溢れかえっていた反動からかガラガラで、キッチンの奥で食器を扱う音や、安っぽい麺をすする音が聞こえてくる。
今日はまだ何も食べていなかったので、どこかのレトルトのルーによく似た味のカレーを食べていると、入部希望の彼からもうすぐ来るという旨のメールが届いた。
「もうすぐ着きます」とだけ送ってくれればそれでいいのに、6行にもかけて非常に遜った文章が綴られている。もはや慇懃無礼な気がしないでもないが、それだけ誠実な人なのだろうと安心することにした。
僕は隅の方でカレーを食べている赤い服の男です、と出会い系サイトで実際に出会う男女みたいなメールをしてしまったが、お互いに顔を知らないのでしょうがない。名前だけなら分かっているが、この場で名前だけ分かっていても仕方がない。
しゃらくさいので、顔写真を送ってくれませんか?と頼んでみたが、広大なネットワークに自分の顔が残る可能性があるのは恐ろしいので、と断られてしまった。ならば逆に僕の顔を送ってみようと思ったが、自分の顔にそんなに自信を持っているわけではないのでそれを初対面の相手に送る勇気は僕に無かった。
カレーがあと半口分くらい皿に散らばっていたのでスプーンでカツカツと音を立てて必死に残りをかき集めようとしているところで、
「ユートピア探検隊の人ですか」
と声をかけられた。
食い意地が頂点に達している姿を思い切り見られてかなり恥ずかしかったが、それを押し殺して冷静に受け答えることにした。急いで飲み込んでむせそうになるのをこらえる。
声をかけてきた彼の姿にはどこか見覚えがあった。シンプルな長袖のシャツとズボン。まるでどこかのCEOが……。
「一度、お会いしました?」
「え?いや、私は見覚えないです。申し訳ございません」
彼はいろいろな人間にビラを配っていたから僕の顔なんてよく覚えていないだろうが、僕は4枚しかビラを貰っていないので渡してきた人間の顔はよく覚えている。
彼は、最初に僕にビラを渡してきた、あの意識が高そうなサークルの男だった。いや、結局あのビラはカバンにロクに見ないまま仕舞ったのでどういうサークルかは知らずじまいだが、きっとそうであるに違いない。
「そうですか。まあいいや、それで、本当にウチに入ってくれるんですか?まだ僕1人しかいないんですけど」
自分で言っていてもあまりにおかしい状況だったので、にやけてしまう。
「実は私も大学生活がうまくいっていないんです。それで、この団体の理念に賛同し、こうやってアポイントメントを取らせて頂いたのです」
いちいち大げさで硬い言い方をするなあ、と思ったが、せっかく出来た仲間だ。深くつっこんではいけないと自らに言い聞かせる。僕はついつい、人の揚げ足を得意げになって取ってしまうことがある。
意識が高いサークルは僕としてはあまり好ましい存在ではないが、そこに在籍していた経験があったからと言って彼の入部を忌避することは愚かだ。
「前にどこかのサークルにいませんでした?」
「はい。居ましたよ。ついこの前、辞めてしまったのですが……」
「実はあなたに勧誘のビラを貰ってたんですよ。それで顔に見覚えがあったんです」
「ああ、そうだったんですか。あの時は通った人全員に配ってたので、顔まではよく見ていなかったんです。すいません」
「いえいえ。普通わざわざ覚えませんよね」
あの時、彼はあんな積極的にビラ配りをしていたのに、どういう経緯で辞めることになってしまったのだろうと思ったが、ほとんど初対面の相手に聞くべき話ではないと思い、またいつかにしようと思った。彼なら聞けば一言一句丁寧に答えてくれそうではあるが。
「他にメンバーがいない、とおっしゃってましたけど」
「まあ、この前メンバー募集のビラを貼ったばかりですからね」
「実は、前に所属していた団体のメンバーが何人か来てくれるかもしれないんです」
「えぇっ!?」
まさに救世主といった感じだった。ビラを貼ってから数日、その他に勧誘の手立ても無く、あまり積極的に勧誘して人数が増えすぎても運営が面倒だ、という身の程知らずの杞憂から、僕はただ待つことしかしていなかった。それなのに部員が一気に数人増えるというのだから、喜ばしいことこの上ない。
「呼んでください。ぜひ」
「でも、やはり一応全員で話し合っておきたいので、今度どこか居酒屋で飲み会でもどうでしょうか?こちらのスケジュールは調整しておくので、都合のいい日程を教えていただければ大丈夫です」
友達と遊ぶ予定もバイトも何もないので、別に僕はいつでも暇なのだが、少し見栄を張って2日後ということで予定を作った。
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