第8話
大急ぎで支度をするノイズを眺めながらサタンは小さくため息をついた。それに気付いてノイズが少し手を止めると、手を降ってたいしたことはない、と父は呟いた。
「コト自体はたいしたことはないんだが。苦手な案件で……
しかも薄暮もシキョウも都合がつかないとかでな。
まあ」
逃げられたというべきか、と溢したのはしっかりとノイズにだって聞こえた。怪訝な顔をすれば支度ができたら階下に来いといい置き、サタンはドアのむこうに消える。
ノイズは言われたように支度している二、三日分の荷物を前に唸った。
父の苦手な、と言えば女性関係か。
机の上においた分厚い手帳を掴み、バラパラと探せば東洋の国々の記述……ノイズが家庭教師の一人に書き写しさせられた、多神教の神々の名前があった。
太陽神が女性、という部分に赤丸。名前を読もうと(まだニホンゴのカンジは苦手だ)したところで一人用のソファの上でノイズのiPhoneが振動した。
ひょいと覗けば、シキョウからのメッセージで
「付き合わなくてもいいんだぞ、適当にやっとけ」
と。どうやらこの状況を分かって心配してくれたらしい。地上行ってみたい、と短くメッセージを送り少し考えてから、心配どうも!と送った。
さて兄のメッセージの感じだと大したことではなさそうだ。荷物を軽めにすべきだろうか。
地上の季節は秋。地下と同じような気候のはず。
スーツケースをがらがらとひきながらサタンが邸の玄関ホールにつくと、薄いセーターにジーンズ姿の薄暮が二階に続く広い階段の上から声をかけてきた。
「本当にいらっしゃるんですか、父上」
「頼まれたら行くしかあるまい、貸しがあるとか言って脅してきた」
はあそうですか、と薄暮はひらりと手を振った。
「それではいってらっしゃい、あとそろそろアナットにメールを。寂しいと私に言ってくるのは困ります」
「彼女の営業トークに付き合わんでいいんだぞ。
……そうだな、これが済んだら呼ぶと言っといてくれ」
「いや私を伝令にしないでくださいよ……それに彼女は父上を本当に」
「ノイズはまだか?」
薄暮はため息をついてさあ、とおざなりに返して自室のある二階奥に歩き始めてしまった。
入れ替わるようにノイズが薄い赤のボタンシャツに黒っぽいジレとグレーのスキニー派手な金具のついたブーツといった姿で三階から降りてくる。
「父上、一応二日分の荷物まとめて来ました!
ところで宿はどうされるんです?」
「ああ西の……お前荷物多くないか?」
やたらと大きなスーツケースを引っ張って来た息子に怪訝な顔をする。息子はそれこそきょとんとして
「普通ですよ」
「いいけどな……お前は少し服に凝りすぎる」
息子の指にシルバーの指輪がいくつかついているのを見て言うと、息子は笑った。
「やだなあ父上に似てるってことですか」
父親もにやりと笑い
「口も達者になったものだ」
とノイズの肩を乱暴に抱いて歩き出した。執事の二本足の一角獣が頭を下げる前を通り扉を開ける。屋敷と門扉との間には大きな噴水があり、中から庭師のセイレーンが頭を下げる。彼らに手を振って、ノイズは門扉を見上げた。
金色の繊細な意匠が施されたそれを開け、外に出て行ったことは数える程しかない。どうして急に地上まで自分に許されたのかはわからないが、ここから外にはたくさんのものが自分を待っているような、まるで自分こそが物語の主人公のようなそんな高揚感に心を躍らせながら、ノイズは一歩を笑顔で父と踏み出した。
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