第4話

 赫灼かくしゃくは黒い髪をブレードにして長く垂れ下げた美しい頭をしている。母譲りの美貌で、浮いた話を父の部下たちがしているのをこっそり聞いたこともある。

「だからあげる」

 と、アルトラは姉の部屋の前に見合いの肖像画を置いてその上に腰掛けた。姉は美しいチョコ色の唇からため息をつき

「父上はあんたにお話を持っていらしたんだから」

 そう言って妹を立たせた。一枚の肖像画を持って部屋に妹を入れると

「これいいじゃない、ギリシャのハデス様のご子息。エピオスさんだって」

 絵画にはなるほどギリシャらしい筋肉の美しい青年が半裸で描かれている。

「わたしあの辺のこの感性嫌い」

「半裸?」

「筋肉なんて嫌いなのー!」

 姉の寝台に倒れこみながら叫び、アルトラは呟いた。

「わたしはもっと可憐な人が好き、もっと謎めいてもっと深い知性と……二人で共有できる秘密のあるような」

 なによそれ、と姉は笑った。

「姉さんはどんな人が好きなの。

 今まで噂になった人とは本当?」

 すらり、長い手足をラグの上に横たえると姉は答えた。

「あんたがどの噂を聞いたか知らないわ」

「……ベリアルさんとか」

「はっ!

 あの人はない!

 ベールゼブブに首ったけじゃない」

 そうなのか。アルトラは枕に顎を乗せて「でもなんで父上はわたしにこんな話を?」と姉に尋ねる。今まで、今まできょうだい達が年頃になってもこんな見合いの絵が届いたことはなかった。

「父上は私が嫌いなのかなあ」

 ぽそりとつぶやき枕に頭を鎮める妹に姉はぎょっとして振り向いた。

「違うわよ、それは違う、あんたは……あんたは愛されてるわ」

「だってえ」

 冗談半分のつぶやきだったのに自分で涙ぐみ、アルトラは顔を上げた。赫灼かくしゃくは指輪のついた長い指でアルトラの髪を梳き、微笑んだ。

「……秘密を教えてあげようか」

「……なんの?」

鴟梟しきょう兄さんの」



 鴟梟が恋をしているのは、太公望とかいう道士に見せてもらった占いの、水鏡に映った未来に出会う女性だというのだ。



 アルトラは絶句した。

「びっくりでしょう?」

「うん……でもそれがなんで」

「つまりまだ兄さんは所帯を持つ気がないの。

 それは薄暮兄さんも同じで……まあ薄暮兄さんは変わってるからだけど」

「じゃあ姉さんは?」

 姉は少し視線を落として、口を閉じた。少しの沈黙ののち、口を開いた姉は苦笑している。

「わたしは遊び人でいいの。

 叶わぬ恋をしているから、その代わりの男を適当に見繕って遊んでたいの、って父上に言ったら……父上は考えてからこう仰った」

 子供は作るなややこしいからな。

 その言葉にアルトラは目をむいて唸り声を上げた。

「ちょっと父上無神経!」

「そんなこともないよ、その通りだし私は気にならない。

 とにかくそんなわけで、残るはあんただけなのよ父上が気にしてるのは」



 ベルフェゴールは砂色の肌に赤毛の縮れた髪を伸ばし、無造作に黒い紐で結んでいる。ついでに額のツノを隠すための目深にかぶった修道服のフード。

 それらを少々工夫すれば彼女はとても美しい見目をしている。それをしない理由をアルトラは知らない。そしてそれが彼女に興味を抱いたきっかけでもあった。

 ベルフェゴールは真実の愛なんて信じない。

 賭けに負けはしたが、その信念のようなものは曲げていない。おとこもおんなも皆信じない。敬愛するサタンのことも信じているかと言われれば首を傾げてこう言う。

「信じるというのはひとの子らの不完全な感情です。

 私たちにそんなものは必要ない」

 サタンはそんな彼女を苦笑いしてかわいがってしまう。この場合のかわいがりに性的な意味は含まれない。

 サタンは妻を亡くしてから塞ぎ込むことが多くて妻の生前のように操だて身を清くしていようと思うらしい。サタンに用があるときに館を訪れる彼女は生真面目な様子で、アルトラと一緒にいる時に見せる笑顔は花が開くように可愛い。

 ヒトであれば親子ほどには離れていた年齢も、気にならない程度になったとアルトラは思っている。

 幼子と青年の恋は恋ではないが、年の離れた愛は存在しておかしくない、果てなく生きる我々の間では……否、ヒトの子らの間でも、成人同士であれば十や二十離れていても成り立つものだ。

 だからアルトラは密かに決意している。

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