第四幕『夜明け』

第15話『君を迎えに』


 白いシーツの、ベッドの上。

 エリーは、もぞもぞと台所の泡のようにうごめきながら目を覚ました。

 毎週ロボットが洗濯してくれるベッドはいつもフカフカで、寝心地は抜群だ。

 目覚めたままのポーズを維持してほうけていたエリーは、そのまま自身の手元に視線を移した。

 両手で抱きかかえていた手長の青いテディベアは、苦しそうに首をひねって下を向いている。

 エリーはそれを枕に寝かせて、上から毛布を掛けてあげた。

 ベッドから腰だけを起こして、大きく背伸びをする。

 痛みの無い涙が一滴、左目から零れた。


「おはよう、ルーカス。今日もいい天気だね」


 彼女は先ほど寝かせたテディベアに向けてそう言った。

 そうして少し寂しそうに、寝惚ねぼまなこで優しく微笑んだ。


「シスターさん、おはよう」

〔エリー様、おはようございます。本日、47日目の朝です〕

「今日、冥王星に到着するんだよね?」

〔はい。冥王星の天気は晴天。心地良い風が一日中吹き込む、お散歩日和です〕

「最高だね」


 そう言ってエリーはベッドから立ち上がり、水色のナイトキャップを取ってシーツにほおった。

 生糸きいとのようにしなやかな金色の髪が、フワリとカーテンのように揺れる。


「早く歯磨きして、着替えなくっちゃ! それから、髪もかして……」

〔その前に、朝食ですね。エリー様、着替えたら食堂で席に着いてお待ちください〕

「はーい!」


 エリーは、ドロワーズのパジャマをフローリングの床に脱ぎ捨て、クローゼットからボタン付きのシャツを取り出して袖に腕を通す。

 クローゼットの鏡に映った彼女の髪は、好き放題に跳ねていた。

 それを恥ずかしそうに手で押さえて、ボタンを三つ、丁寧に留める。


「ねえねえ、シスターさん。ルーカス、迎えに来てくれるかな?」

〔きっと迎えにいらっしゃいますよ。ルーカス様は、エリー様を大変大事に思っていらっしゃいましたから〕

「そっか……うん、来るよね!」


 エリーはご機嫌で寝室を出て、突き当たりのガラス扉を開ける。

 十卓ほど並べられたテーブルには、調味料とケトルが置かれたトレーと、椅子がそれぞれに四脚ずつ置かれている。

 エリーは背が高い椅子に、飛び乗るようにして腰掛けた。

 まな板と包丁が刻む小気味良い音。焼きあげられる、魚の匂い。

 食堂の仕切りの向こうでは、コック帽を被った数人のロボット達が、黙々と朝食を作っている。


「冥王星に着いたら、シスターさんも一緒に来る?」

〔いいえ。私は、この宇宙船から離れることができませんから。折角ですが、同行は遠慮しておきます。護衛のロボットはつけて行きますか?〕

「ううん、大丈夫。だって、あっちにはルーカスがいるもの」


 エリーはそう言って、満面の笑みを浮かべた。

 それを隠すように、エリーの目の前を、パスタの盛られた皿が横切る。


「あっ、スパゲッティ! 美味しそう!」


 コトリ、と最低限の音を立てて卓上に置かれたそれは、ミートソーススパゲッティだった。

 熟れたトマトとパセリが細切こまぎれに混ぜ込まれたソースの香りが、少女の鼻をかすめて食欲をそそらせる。


〔お気に召していただけて、何よりです。この食堂最後の食事になりますから、エリー様が以前喜んでくださったものを御用意しました〕

「私、スパゲッティ大好き! ありがとう、シスターさん!」


 エリーがそう言うと、シスターはスピーカーの向こうから、くすりと微笑ましそうに笑い声を溢す。


〔はい。冥王星への到着まで、およそ残り35分です。昨晩準備をしていましたが、宇宙船を降りる用意は済んでいますか?〕

「うん、昨日全部リュックに詰め込んだから大丈夫!」

〔そうですか。それでは、朝食と歯磨きを済ませたら、休憩室で待機をお願いします〕

「うん。いただきます!」


 銀色のフォークがパスタを縫うように絡みとり、それをエリーの小さな口へと運んだ。

 窓から見える星屑は、きらきらと水面みなものように輝いている。

 それらの間──遥か遠くに見える太陽の光は、宇宙船全体を白く照らした。

 パスタを啜っていたエリーは、目を丸くして太陽をじっと見つめた。

 太陽の光は、カーテン越しに見える街灯のような淡さで、光り輝いている。


「冥王星の近くでも、太陽の光ってちゃんと届くんだね?」

〔冥王星の地も、僅かではありますが太陽光に照らされているんですよ。そして──ここからちょうど青く輝く星の下に見える小さな惑星が、これから着陸する第9太陽系惑星"冥王星"です〕

「あれが、冥王星……」


 ──第9太陽系惑星"冥王星"。

 プルートと通称されるその惑星は、遥か遠くの新地球までその名を馳せている、代表的な先進星だった。

 ロボットの開発及び、フリスクマンを始めとした、盛んなロボット社会進出活動──そして、外界の者を積極的に移民として迎え入れている寛大な惑星として、有名な惑星だった。

 新地球から冥王星へと移住した者も多いため、勿論エリーのような新地球人も冥王星の事はよく知っている。

 窓から見える冥王星は、ライトグリーンのギラギラとした光を、宇宙に向けて何本と放っていた。


「あの光は、なに?」

《あれはおそらく、宇宙船のための灯台ですね。冥王星付近の宇宙船はみな、あの光を目印に宇宙の航海から帰ってゆくのです》

「じゃあ、私達も?」

《そうですね、そういう事になります……さあ、着陸体勢に入ったら、食事はできません。手早く食べて、身支度をしましょうか》


 そう急かされたエリーは、残りのパスタを一気にかき込んだ。

 口元のミートソースを紙ナプキンで拭い取り、立ち上がる。


「……よし!」


 エリーは駆け足で寝室へと戻り、ベッドの傍に立て掛けておいたリュックの肩紐を掴み上げる。

 中に詰め込まれているのは、昨晩食堂のロボットから餞別として受け取った水の入ったペットボトル数本と、未開封の保存パン。それと、2着分の着替えだ。

 エリーはファスナーを開け、その中に枕元の青いテディベアを詰め込んだ。


「ルーカス、もうすぐ会えるよ」


 肩紐に腕を通して、しっかりとリュックを背負う。

 冥王星はもう、窓の向こうだ。


 *


〔冥王星。冥王星に、到着致しました〕

「とうちゃーく!」


 宇宙船の振動が治まり、降り口の自動ドアは音を立てて開いた。

 エリーは扉をくぐり、宇宙港と宇宙船とを繋いだ鉄骨階段へと、片足ずつ踏み込んだ。

 そこから、宇宙港とその遥か先に見える街をエリーはぐるりと見渡した。

 日中でも太陽の光があまり届かない冥王星は、カラフルな街灯がまるで、イルミネーションのようにズラリと並べられていた。

 視界いっぱいの平らなコンクリートに、まばらに積まれた海色のコンテナと、それらをのんびりと運ぶ真っ白なフォークリフト。

 そして、離陸を控えた大きな宇宙船の群れ。

 ふと階段の下を見ると、黒い繋ぎの作業服にヘルメット姿の従業員2人が、エリーと宇宙船に向けて大きく手を振っていた。

 エリーはそれらに感嘆の声を漏らし、笑顔で二人に手を振り返す。


「素敵な星だね! おじゃまします!」


 それを聞いた従業員達は、親指を立ててそれぞれの仕事へと戻っていった。

 エリーはカン、カン、カン、と小気味の良い音を鳴らしながら、勢いよく階段を駆け下りる。

 その時、不意にエリーの背後からノイズ音が聞こえてきた。

 エリーは手摺りを握り、宇宙船の方を振り返った。


〔エリー様、宇宙船クラウン・フィッシュを御利用いただき、誠にありがとうございました。またの御利用を、お待ちしております〕

「うんっ! 送ってくれてありがとう、シスターさん」

〔……はい。御二方が再会を果たせる事を、心から御祈りしています。足元に気をつけて、お帰りくださいませ〕


 シスターが名残惜しそうにそう告げると、宇宙船クラウン・フィッシュは、船頭から翼へ──翼からエンジン部へと向けて、順に青い灯りを消していった。

 ──しかし。全ての灯りが消えた瞬間、今度は一斉にそれらの照明が、七色に輝き始めた。


「わあ、綺麗……!」


 七色に光り、瞬き。再び色を変え、再び瞬く。

 宇宙船はまるで、巨大なクリスマスツリーだった。

 きっと、シスターの見送りの気持ちなのだろう……そんな事をエリーは考えながら、残りの階段を一段ずつ、ゆっくりと下りた。

 人工の海を背にした宇宙港に、磯と夜明けの匂いを含んだ冷たい海風が吹き込む。

 なびく金髪と、藍色のワンピース。

 それらを片手ずつで押さえながら、エリーは宇宙港の地に足を着いた。


「涼しい……あの星も風は強かったけど、ここのは何だか、凄く気持ちいい」


 改めて辺りを見渡すが、そこには港を行き交う従業員ばかり。

 ルーカスらしきロボットの姿は、どこにも見当たらない。


「ルーカス……」

「あれ? 君、まだ居たのか。お父さんお母さんは、一緒じゃないの……って、泣いてるのかい、お嬢ちゃん!?」


 どこからか声を掛けてきたのは、黒い繋ぎを着込んだ銀髪翠眼すいがんの優男だった。

 その後ろには、同じ服を着た銀髪で切れ目の女性が立っている。

 どうやら、先ほどエリーに手を振っていた従業員達らしい。

 男がエリーに声をかけるも束の間、エリーは涙をぽろぽろと流して泣き出してしまった。


「う、えっ、ええっ……うああああああ……!」

「おいおい、泣かないでくれよー……俺、何かしたかなあ」

「アンタの顔が怖かったんじゃない? まあ、冗談はさておき……」


 そう言うと、銀の髪を後ろでひとつ結びにした女性は、膝を曲げてエリーの顔を覗き込んだ。

 そして、右ポケットから取り出した水玉模様のハンカチで、エリーの涙を拭う。


「貴方、あの宇宙船から一人だけで降りてきたみたいだけれど……何処から来たのかしら? お父さんとお母さんは?」

「うっ……ルーカス……ルーカス、死んじゃった……私、置いてきちゃった」

「"ルーカス"? ルーカスってまさか……」


 二人の従業員は、互いに顔を見合わせた。

 どちらも水を掛けられたように驚いた顔をしている。

 女性は、口を真一文字に結んでエリーの方を向き直ると、少女の目を真っ直ぐに見つめた。


「ねえ。ルーカスって、もしかして──ブラザー・ルーカスのこと?」

「えっ? うん、そうだけど……お姉さん達、ルーカスを知っているの?」

「そりゃあ勿論。だって、ブラザー・ルーカスって言えば……」


 男はそう言って、黒い長袖をまくってみせた。

 彼の白い腕には、黒い文字で『37 Brotherブラザー Lucasルーカス』と書かれていた。

 エリーは食いつくようにそれを見つめ、男の顔を見上げた。


「──僕の事ですから、ね」


 男は目を細めて、柔らかな笑みを彼女に向ける。

 それは、彼女が白い砂漠の星で幾度と見てきた、かの旧式ロボットの懐かしい表情そのものだった。


「うそ……貴方、ルーカスなの!?」

「はい、ルーカスです」

「本当の本当に、ルーカスなの……!?」

「本当の本当に、ルーカスですよ」


 繋ぎを着た二人は、ドッキリ大成功と言わんばかりに愉快に笑う。

 エリーは、拭われたばかりの瞳を、再び涙で濡らした。

 嬉しいはずなのだが、目も口も、彼女の言うことを聞かない。

 つまるところ彼女の顔は、溢れる涙と感情ですっかり、くしゃくしゃになっていた。

 ルーカスと名乗った男は、エリーに向けて両手を広げてみせる。

 エリーは迷わず、彼に飛びついた。


「ルーカス、おかえり!!」


 ルーカスはエリーの身体を受け止め、そのまま彼女の背丈に合わせて立て膝をついた。


「ただいま。そしてエリーも、おかえりなさい。元気にしていましたか?」

「うん、ただいま……! あの時、連れて行けなくてごめんね……ルーカスが生きてて、本当によかった」

「いいんですよ、エリーは何も悪くありません」


 ルーカスは、大きな肌色の手で、エリーの頭を優しく撫でて微笑む。

 エリーと大差無い、小柄な旧式ロボットだった彼は、今や長身の優男だった。

 しかし、抱きついた両腕を首の後ろに回したところで、エリーはある違和感に気がついた。


「身体が冷たい……もしかしてルーカス、まだロボットのままなの?」

「正解です。これは"アンドロイド"と呼ばれる、より人間的な外見に設計された機体なんです。人間らしさを再現するために、身体の内側に多くの可動パーツが組み込んであったりするのですが……そのせいで、頻繁なメンテナンスが必要なパーツばかりなんですよね、これ」


 ルーカスは苦笑しながら、人間そっくりの手の平を、閉じたり開いたりする。


「僕が冥王星に帰還を果たした祝いにと、博士がくれた試用ボディなワケですが……こんなもろい身体では到底、惑星探索など出来やしません。勿体無いですが、この機体は博士に返還して、これを必要としている他のロボットに──」


 エリーは彼の言葉に、大きく横に首を振った。


「その身体のままでいいよ! だってそれなら、ルーカスが危ない場所に行かなくて済むし!」


 ルーカスは一瞬、目を丸くして固まった。

 しかしすぐに、小さく笑い声を漏らしてみせた。


「はい。確かにこの壊れやすい身体ならば、僕は危ない所に行かずに済むかもしれません。ですが……だからこそ、この身体は博士にお返ししなくてはなりません。これは、僕には相応しくない代物です」

「どうして……ルーカスだって、危険な目には遭いたくないんでしょう? なら"そんな仕事やりたくない"って言えばいいのに」

「冥王星では、ロボットにも幸福の追求や職業選択の自由が認められています。なので、エリーの言う通り、僕が辞めようと思えば明日にだってブラザー・ロボットとしての仕事を辞めることはできるんです。ですが──」


 ルーカスは、自身の腕にプリントされた文字を見つめてエリーの方を向き直った。

 その瞳は、決意の色をしていた。


「僕には、ブラザー・ルーカスとしてやるべき事が、まだ山ほど残っています。この名を捨てるのは、今ではありません」

「そんな……」

「……ですが。兄弟達が目を覚ますまでは、ブラザー・ロボットも暫くお休みだそうです。その間は、この身体でゆっくり過ごそうと思います。この身体なら、美味しい物も食べられますしね」


 それを聞いたエリーは、満面の笑みを浮かべて強く頷いた。


「うん……うん! ふふっ、これで念願のテラモリバーガーが食べられるね!」

「念願かは分かりませんが……そうですね。折角ですし、近いうちに食べに行きましょうか。レディも一緒に来ますよね?」


 ルーカスはそう言うと、先ほどハンカチをくれた隣の女性に視線を向けた。

 エリーは口元に手をてて、目を大きく見開いた。

 七色に点滅するクラウン・フィッシュを眺めていた銀髪の彼女は、ルーカスの方に向き直り「私でよろしければ」と、返事をした。


「ええっ!? この人、レディさんだったの……!?」

「あれ、気付いてなかったんですか?」

「分かるわけないじゃん! だって"レディさんはルーカスの中にいるシステムみたいなものだ"って、ずっと前にルーカスが言ってたもん! それに、声だって違うし──」

「無線越しではやはり声の聞こえ方が変わってきますから、仕方がありません。改めまして、帰還おめでとうございます、エリー。そして、申し遅れました。私は、ブラザーロボットのオペレーションシステム"レディ"のマザーコンピューター"レディ・レジーナ"です」


 レディはそう言うと、深々とお辞儀をした。


「うんっ! ただいま、レディさん!」

「お元気そうで何よりです」


 笑顔を見せ合う二人を見て、ルーカスは静かに頷いた。


「脅威に晒されることのないこの場所で、こうしてまた3人で再会する事ができて、本当に良かったです。これからはきっと……楽しい事ばかりが、待っています」

「……うん! 楽しい事、沢山しよう!」


 エリーがそう言って両手を広げた瞬間、唐突に「ぐぅ」という腹の音が近くから聞こえてきた。

 少し経って、エリーはキョロキョロと辺りを見回し二人に尋ねた。


「……? 誰か今、お腹が鳴った?」


 ルーカスが何のことやらといった風に首を傾げていると、ふとレディの顔が彼の視界の隅に映り込んだ。

 レディは、顔を真っ赤にして固まっていた。

 繋ぎの端を掴んだ両手は、どこか震えているように見える。


「もしかして、レ──」


 エリーがレディの方を見て何かを口にしようとした瞬間、ルーカスは透かさず下手な作り笑いを浮かべながら、二人の間に割って入った。


「は、はは……すみません、僕のお腹が鳴ってしまったようです。ほ、ほら! 食べ物が通る喉を得た途端、食欲が湧いてきたと言いますか……?」


 ルーカスはそう言って、チラリとレディの方に目を遣る。

 レディは、申し訳なさそうに赤みの残った顔で小さく会釈えしゃくをする。


「もう、ルーカスってば大事な話をしてる時に……ふふっ。じゃあ、どこかにご飯を食べに行こうよ! "近いうちに"って言ってたし、早速テラモリバーガーでも食べに行く?」

「それも悪くないですが……それよりも、先に」


 ルーカスはそう言って、レディの目を見る。

 レディは、何事かと彼を見つめ返した。


「レディ。僕は、貴方の淹れたコーヒーが、何よりも一番先に飲みたいです」

「レディさんの、コーヒー?」

「はい。レディのコーヒーです。それでまた、無駄な話でもしましょう。あの時は、話す時間があまりにも少な過ぎましたから」


 レディは、何も答えずに顔を伏せた。長い髪が、彼女の顔を隠す。


「レディ、どうでしょうか。流石に急過ぎましたかね……? それなら、明日にでも──」

「……貴方はいつもそんな風ですから、こちらは調子を狂わされてばかりです」

「えっ? 一体、何の話で……」

「分かりました、コーヒーですね。それでしたら一度、宇宙局まで戻りましょう。コーヒーだけではお腹は満たされませんから、途中でテラモリバーガーでも買って帰ることを推奨致します」


 レディは、二人に構わず早足で、アーケード街の灯りが見える港の出口へと歩きだした。


「れ、レディ? ……レディは一体、何を怒っているんでしょうか……?」

「さあ……?」


 ルーカスは顎に右手を添えて、その場で小さく唸る。

 エリーはレディの後を駆け足で追いかけ、彼女の横に並んだ。


「レディさん! 急にどうしたの……」


 エリーはレディの顔を見上げるように下から覗き込む。

 レディの顔は、先ほどよりも赤みが増していた。


「あっ」


 エリーはその顔に、強い既視感を覚えた。

 脳裏に浮かび上がる、今は亡き両親の姿。

 手紙の挿された赤い花束を抱えて帰ってきた父と、それを真っ赤な顔で、照れくさそうに受け取る母。

 確か、母はあの時"結婚記念日"がどうだとか言っていたか。

 エリーは改めて、レディの顔を見る。

 怒りや羞恥によるものでは、なさそうだ。

 エリーは、ゆっくりと立ち止まり、ルーカスの方を振り返った。

 彼は、困り顔で渋々こちらへと向かっている最中だ。

 エリーは思い立ったように一人頷き、レディの耳元に両手を添えた。


「レディさん、頑張って!」


 エリーは内緒話のように小声でそう伝えると、にっこりと笑みを浮かべた。

 それを見たレディは顔を赤くしたまま、つられてかすかに笑みをこぼす。

 そうして二人は並んで、少し軽やかになった歩を進めた。

 ルーカスも遅れて、数歩後ろからついて歩く。


 遥か遠くに見える太陽は、星屑のように小さな三人を、見守るように照らしていた。

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