第13話『対峙』

 エリーの話によると、あれからの経緯はこうだ。

 二人はレストランを後にし、エレベーターで地下の大倉庫へと降り立った。

 大倉庫は、そう呼ばれるだけの広さがあり、フォークリフトやトラックを停めるための駐車場が至る所に設けられていたそうだ。


「フォークリフトなんて言葉、よく知っていますね」


 そうルーカスが尋ねると、大倉庫を歩いていた時にルーカスが教えてくれたのだと、エリーは答えた。


「ルーカス、本当に何も覚えていないんだね」

「面目ないです。レストランを出る直前までは覚えているのですが」


 二人はしばらく標識を頼りに大倉庫を歩き、ルーカスからの提案で非常食を探すことにした……が、500年前の新地球への移住の際に全て持ち出されてしまったのか、食べ物を見つけることは叶わなかった。

 それからしばしの休憩を挟み、レディの計測で約2kmの道のりをひたすら歩き続けた。その割に、一切の危険が無いのと、足場が砂漠でないこともあり、そう時間はかからずに歩き終えることができた。

 ……前述したとおり、この大倉庫と呼ばれる施設は、トラックなどの作業車で移動することを前提とした場所だったのかもしれない。

 そして彼らは、キャメロットが話していた通り、無事"西発射台"と呼ばれるエリアの入り口"第三ゲート"へと辿り着いた。

 巨大なバーを何本も横向きで積み重ねて作られたゲートを、ルーカスがわきの操作盤で起動させ、西発射台への道を開く。

 シャッターの要領で上がっていくバーをエリーがくぐり抜け、一足先に西発射台へと足を踏み入れようとした──その時だった。

 例の怪獣が、エリーの行く手をはばむように姿を現した。

 巨大なトカゲの姿をしたそれは口を大きく開き、恐怖と驚きで腰を抜かしたエリー目掛けて、その大顎を振り下ろした。

 迫り来る怪獣の大顎は少女に影を落とし、物凄い速さで襲いかかる。

 エリーが目を閉じ全てを諦め、小さく屈み込んだ時──横から咄嗟とっさに飛び出したルーカスが、代わりに自身の右肩で、その大顎を受け止めた。

 右腕を丸ごと食い千切られたルーカスは、その強い衝撃からか暫くのスリープモードに陥り、それからは先に話した通り、この小屋に逃げ隠れたのだという。


「それは、怖い目に遭いましたね……」

「うん。でも、一番怖かったのはきっと、ルーカスのほうだよ」

「貴方が無事なら、それでも構いません。それに、片腕を失うくらい、私にとってはどうってこと──」


 言いかけてふと、ルーカスは先ほどまで見ていた記憶の最後に、レディに言われた事を思い出した。そして、考えた。

 今でもレディがああいう風に自分を心配してくれているのであれば、今から言おうとしている台詞は、レディをまた心配させてしまうのではなかろうかと。


「……ルーカス?」

「すみません、何でもありません。とにかく……エリーが無事で、良かったです。怪我はしていませんか?」

「ううん、大丈夫。どこも怪我してないよ」

「そうですか。それなら、準備を済ませてここを出ましょうか。ここも安全ではないでしょう」


 そう言ってルーカスは、収納部から古びた地図とサインペンを取り出した。

 地図を床に広げようと無意識に無い右腕に力を込めたところで、右腕の欠落を思い出し、想像以上の不便さに彼は落胆する。


「ルーカス? あっ。もしかして、地図を見たいの?」

「ああー……すみません。お願いしてもいいですか?」


 エリーはこくりと頷き、床に畳まれたままの地図を広げた。


「これでいい?」

「ありがとうございます。できれば、このまま右側を押さえておいていただけますか? ……それでは、レディ」

《はい。御用件をどうぞ》


 ルーカスは、地図と一緒に取り出したペンを左手に握り、地図から五センチ上のところに構える。


「まず、現在地を教えていただけますか?」

《ここは、第三ゲートの傍にある多目的倉庫です。地図左下部に記されたゲートの右隣に書かれている小屋が現在地となります》

「第三ゲートというと……僕達が件の怪獣に遭遇したという、大倉庫と西発射台とを繋ぐゲートの事ですね。隠れられる場所が近くにあって幸運でした」


 ルーカスは現在地にペンを走らせ、赤い×印を付ける。


《ここで対象からの奇襲を受けた際、ブラザー・ルーカスは活動を停止する直前に高出力のフラッシュライトで対象の目眩めくらましを試みました。それが幸いして、我々は九死に一生を得る形となりました》

「通りで、バッテリーが異様に減っていると思いました。ですが……それなら、誰が僕を運んだのですか? それはまあ、エリー以外にないのですが……僕の総重量はおよそ100kgあります。流石に、無理があるでしょう」

《ブラザー・ルーカス。貴方のスリープモードには、キャタピラの自動ブレーキを解除する機能があったはずですが》

「そんな機能が僕にあったのですね……知りませんでした」


 つまり、手押し車の要領でここまでエリーに運ばれてきたようだ。

 ルーカスは咳払いをして気を取り直し、地図の"星の出口"と記された長方形の枠をペンで小突く。


「それで、目的の発射台があるのはこの辺り……さほど遠くはありませんが、件の怪獣が彷徨うろついているとなると、話は別ですね」

「どうやってそこまで行くの?」

「安全な地下からのルートだと、私達が襲われた第三ゲートが目的の発射台に一番近いゲートのようです。ここから先に、安全な地下ルートはありません。とにかく、物陰を上手く使っていくしかありませんね。それと、キャメロットの話が正しければ、怪獣は狭い場所をあまり好まない筈です。大通りは避けて、極力路地裏を行きましょう」


 ルーカスは目的地までの最短ルートに太線を引き、地図を畳む。

 そしてそれを、エリーに手渡した。


「……私が持っていていいの?」

「はい。一応スキャンはしておきましたし……それに、万が一はぐれてしまっても、宇宙港までの道中で合流すれば済む話ですから。なのでこれは、エリーが持っていてください」


 エリーは折り畳まれた地図を受け取り、それをポケットに仕舞い込む。

 エリーの言い分に僅かな"らしくなさ"を感じながらも、少女は頷いた。


「わかった。じゃあ、私が持っておくね」

「おねがいします。……それでは、行きましょうか。まずは裏道を道なりに──」


 ルーカスは緑色に塗装された鉄扉に手を掛けてドアノブをひねる。

 扉を開けた先に広がっていたのは、今にも雨が降り出しそうな曇天と、砂漠だらけだったこの惑星には珍しい、コンクリートの地面。

 そして──視界一杯の、蛇のような鱗の壁だった。


「は?」


 言い換えるならば、そう。

 巨大なトカゲの、横腹が目の前に立ち塞がっていた。

 巨大なそれは、首をぐるりと回し、こちらを凝視する。

 骨だけ異常に発達したのか、身体の表面から所々剥き出しになった肋骨ろっこつ

 そして──口元には、乾いて黒く酸化した血液が、べっとりと付着していた。

 数秒の静寂の後、ルーカスが口を開いた。


「ああ……やはり、熱源スキャンは、欠かさずしないといけませんね」


 ルーカスの言葉を合図に、怪獣と思しき爬虫類は、雄叫びの如く咆哮ほうこうを二人に浴びせた。

 ルーカスはエリーの身体を片脇に抱えて、一心不乱でキャタピラを90°左に発進させた。


「これはマズいです……!! マズいマズいマズいマズい!!」

「ルーカス、どこかに隠れないと!」

「あの怪獣は、どのくらい足が速いのですか!?」

《一般のトカゲと同じ性能を有していると仮定した場合、時速60km程度での走行が可能です》

「立ち止まったら餌確定ですね……! どの建物が施錠されているか分からない現状で屋内に隠れようとするのは得策ではありません! ひとまず、路地裏に隠れましょう!!」


 ルーカスは、大通りから予定していた裏路地ルートへと、直角にコーナーを曲がる。

 背後で地響きのような怪獣の足音が聞こえてくるが、振り返る余裕など無い。


「こんなにも広い惑星の中で、よくもまあ頻繁に遭遇しますね、あのトカゲは……!」

「もしかして怪獣さん、お耳が良いんじゃないかな?」

《トカゲは一般的に、聴力が発達している爬虫類にあたります。以前、ルーカスの目眩しが効いたことから、視力も人より富んだ昼行性のトカゲだと推測されます》

「相変わらず博識ですね、レディ……それに、あのトカゲは暗所も見渡せる筈です。おそらく、放射線を多量に浴びた変異体の類でしょう。一般の知識を頼りに対峙たいじしていては、どんな力を持っているか予測できたものではありません!」


 そういえば、いつかアレクがそういった怪物が登場するアクションホラー映画を勧めてきたことがあった。そんな事をふと思い出しながら、ルーカスは駆け抜ける路地裏の周囲を見渡した。

 分かれ道は遠目で一つも見当たらない。

 道の遥か向こうに大通りからの光が差し込んでいた。どうやら、終始一本道のようだ。

 背後からは、狭い路地の壁を押し退けるようにして、着実に距離を詰めてくる怪獣の気配。

 正直、あと数分と保たずに、牙のようなあの鉤爪かぎづめが、二人の肢体を切り裂くことになるだろう。

 ルーカスはスキャンした地図を表示する暇もなく、頭の中で広げた。


「どこか、すぐに隠れられる場所を……」

「あっ。ルーカス! あの大きな建物、扉が開いてる!」


 大通りの先に見えるそれは、正方形に形の整った大きな建物だった。

 エリーが指差す先にある扉は、まるでトラックでも迎え入れるように大きく口を開けている。


「あれは……また、倉庫でしょうか?」

「あそこなら隠れられるよ!」

「あのサイズの入り口では、後ろの怪獣もついて来てしまいますが……いや、大通りの直線勝負よりはマシですね。突入します、しっかり掴まっていてください!」


 ルーカスのキャタピラが唸りを上げ、減速の体勢に入る。

 まるで巨大ロボット専用だと言わんばかりの大きな扉を通過し、室内に積んだまま放置されているコンテナを右折する。

 二人はそのままコンテナを挟んで扉と対になるように裏手へと回り込んだ。路地裏から追いついた怪獣が、逆光にその大きな図体を晒す。

 首をキョロキョロと動かすシルエットを見た限りでは、どうにか上手く巻けたようだ。

 二人は、コンテナの脇から乗り出した首を引っ込めて、安堵の溜め息を吐いた。

 目の前には、背中のそれと同じようなコンテナがずらりと並べられていた。視界を遮る物が多いのは運が良かった。

 しかし、入ってきた扉以外に、光がどこからも入り込んでいないように見受けられる。

 出口は、先程の一つだけ。そう簡単には、ないようだ。

 ふと、エリーが小さな声で、ルーカスに耳打ちする。


「どうする……?」

「このままここに隠れてやり過ごすにも、時間の問題です」


 ルーカスは、辺りを見回す。

 山積みのコンテナに、壁際には手頃なサイズのクレーン車が数台。金属成分が多めの屋内は、やけに天井の高い造りになっている。

 ルーカスは、左手を顎に添える。


「幸い、ここには隠れるのに打って付けのコンテナが、山のように置いてあります。なので、しばらくはやり過ごせると思いますが……鉄の扉を何メートルも飛ばした怪獣です。あれが、コンテナ諸共もろとも吹き飛ばそうだなんて考える前に対策を打ちましょう。しかし、すぐ後ろで怪獣が警戒している中では、何かを仕掛ける事すら──」

「……あれ? ルーカス、アレ使えないかな?」


 そう言ってエリーは、右の壁に書かれた青い文字を指差した。

 ルーカスは、彼女が指差す先を追うように見上げる。


「ん?青い文字で何か書かれているなとは思っていましたが……もしかしてエリー、アレも読めるのですか?」


 壁には、青いペンキで大きく"|Congelerコンジュレ"とだけ書かれていた。

 エリーが読めるということは、例に倣ってフランス語なのだろう。

 もしかするとここは、旧地球のフランスにあたる土地だったのかもしれない。


「多分あの文字、冷凍庫みたいなものだと思う。もしかしたら、あの怪獣さんをカチコチに凍らせられる冷凍庫が、あの壁の近くにあるんじゃないかな?」

「冷凍庫、ですか。しかし流石に、あのようなデカブツが入って、尚且なおかつすぐに動きを封じれるほどの冷凍庫では──ん? "冷凍庫"……まさか、ここは」


 ルーカスは、先を急ぐように収納部に手を伸ばす。しかし、そこに目当ての物が無いことを思い出し、エリーの方を素早く振り返った。

 エリーは、何事かと首を傾げる。


「エリー、地図を広げていただけますか?」

「う、うん。急にどうしたの?」


 珍しく急かし気味なルーカスにエリーは戸惑いつつ、言われるがままに地図を広げた。

 ルーカスはそれを、食い入るように見つめる。そして、確信した。


「やはり……エリーの予想は合っていました。あの文字が示しているのは、キャメロットが以前口にしていた冷凍試験場。そして──」


 ルーカスは、天井を見上げて、一度閉じた口を再び開いた。


「この建物全てが、冷凍庫なんです」


 それを聞いたエリーは、息を飲んだ。


「えっ……この建物が? でも、全然寒くないよ?」

「冷凍試験場という名前が付いているほどです。一般の冷凍庫のように、常時ゆっくりと凍らせる用途のものではなく、使うときだけ高出力で素早く凍らせるものなのでしょう。そうじゃないと、試験がはかどりませんからね」

「じゃあ……!」

「はい。エリーの言う通り、あの怪獣を凍らせることが可能かもしれません」


 ルーカスは、チラリとコンテナから顔を出し、出入り口付近の様子を見る。

 やはり、怪獣は依然として扉の前で警戒を続けている。


「問題は、操作盤です。この建物自体が冷凍庫であれば、必然的に操作は建物内の確認ができて、外から起動をさせることができる扉の傍にあるはずです。しかし、出入り口には怪獣がいる。更には、確実に仕留めるために、怪獣をもっと奥まで誘い込む必要がある……レディ、私の耐熱温度は70度でしたよね。耐冷温度もそのくらいですか?」

《ブラザー・ルーカスの耐冷温度は、零下280度です》

「なるほど……そのくらいあれば多分大丈夫ですね」


 エリーは、黙ってそのやり取りを聞いていた。

 彼女を置いてけぼりにしたままで展開していくルーカス達の会話は、彼女にとって理解が困難なものであった。

 しかし、ルーカスが何か危険なことをしようとしているのだけは、容易に察しがついた。


「ルーカス……? ねえ、何をするつもりなの?」

「エリー、よく聞いてください。これから僕は、後ろのコンテナを右から抜けて、怪獣を引きつけながらこの冷凍庫の奥へと向かいます。なので、エリーは怪獣が僕に気を取られているのを確認したら、コンテナの左から冷凍庫の外へ引き返して、冷凍庫を起動させてください。いいですね?」

「い、良い訳ないでしょう!? そんなことしたら、ルーカスまで凍っちゃうよ!」


 エリーは、思わず大声を出してしまいそうになりながら、ルーカスにそう訴えかけた。

 ルーカスは目を伏せた後、小さく微笑んで、エリーの左手に自身の左手を添えた。


「大丈夫です。僕は宇宙探索を目的として作られたロボットですから、このくらい心配ありません。なので──」

「心配だよ。心配じゃないワケ、ないよ」


 エリーは俯いて、消え入るような声でそう言った。

 ルーカスは口を結ぶように閉じる。


「あの大きな怪獣さんがすぐに凍っちゃうくらいの機械かもしれないんでしょう? そんなの、ルーカスも絶対にカチコチになっちゃう」

「エリー……」

「他の方法は無いの?」

「……思いつく限りでは、何も」


 エリーはしばらく俯いたままであったが、決心がついたらしく、目尻をがしがしと擦って顔を上げた。

 覚悟を決めたような瞳。目元は赤く、腫れていた。


「絶対に、戻って来てね」

「勿論です。僕には、エリーを冥王星まで連れて帰る任務が残っていますから……さあ、行きましょう」


 ルーカスは、エリーの左手から手を離し、コンテナの右端に寄った。

 怪獣は変わらず、背伸びをするように首を伸ばして、辺りを警戒している。


「怪獣が僕の方へ走り出したら、反対側から出口まで向かってください。それでは……作戦開始です!」


 ルーカスはコンテナから飛び出して、キャタピラのエンジンを空吹からぶかしする。

 聴力にけた怪獣が騒音に気付かないワケがなく、怪獣は飛びつくようにルーカスの方を振り向いた。

 それを合図に、ルーカスは建物の奥へと走り出した。


「エリー、今です!! 操作盤を探して来てください!」


 エリーは頷き、反対側から扉へ向かって駆け出した。

 怪獣もまた、彼女とすれ違いでルーカスに向かって走り出す。

 コンテナに阻まれた怪獣の視界から、エリーの姿は見えない。作戦は成功だ。

 扉の表へ回ると、ルーカスの予想どおり、操作盤が設けられていた。

 操作盤には温度調節のツマミと、オンオフだけが記載された簡易な動作レバーが取り付けられている。レバーを引けば簡単に操作できそうだ。

 建物の奥からは、怪獣の雄叫びとルーカスのキャタピラの音が依然として聞こえて来る。

 エリーは、緊張と不安で震える手をレバーに添えた。


「ルーカス……怖いよ。貴方がいなくなるかもしれないのが、怖い」


 それを聞いたかのように、ルーカスはキャタピラを止めた。

 勿論、ルーカスの耳にエリーの声が届いたわけではない。建物の行き止まりまで辿り着いたのだ。

 ルーカスは、走り寄って来る怪獣の方を振り返り、め上げる。

 その眼差しには、一切の恐れが無い。あるのは、決意と覚悟の眼光だった。

 ルーカスは身体を軽く仰け反らせ、大きく深呼吸をする。段々と大きくなっていく地響き。そして、唸り声。

 ルーカスは、それらを遮らんばかりに、声を張り上げた。


「宇宙船ワルフィスを襲ったのは、お前か!?」


 言葉も知能も持たない怪獣は、問い掛けに答えることなく、ルーカス目掛けて鋭い鉤爪を振り下ろした。

 ルーカスが屈んでそれをかわすと、獲物を失くした鉤爪は、ルーカスの背後にある壁を深く抉った。

 その爪痕は、宇宙船ワルフィスに残されていた"それ"と、同じ形をしていた。

 ルーカスはそれを見て、再び怪獣に向き直る。


「答えとしては十分です。これで、心置き無く反撃できます──エリー、準備をお願いします!!」


 ルーカスはキャタピラを再び走らせる。室内の埃は落ち葉のように舞い上がり、ルーカスの加速と共に、勢い良く飛散した。

 彼が目指すは、光の射す扉の向こう側──元より彼は、共倒れするつもりは無かったようだ。

 ルーカスは、怪獣の足の間を軽やかにすり抜け、一直線に出口へと向かい走り出した。

 その背後で、一歩遅れて怪獣が大地を蹴り上げる。

 エリーは何事かと、扉の外側から顔を覗かせた。

 暗闇の中から、ルーカスがこちらへと駆け込んできているのが見えた。


「──ルーカス!!」

「エリー、今です!冷凍装置を起動してください!」


 エリーは駆け足で操作盤の前に戻ると、レバーを引いた。

 するとその直後、天井まで伸びた大きな扉が、建物を揺らしながらゆっくりと閉じ始めた。

 エリーは役目を終えたレバーから手を離し、扉の前へと向かう。

 怪獣が踏み荒らしたコンテナの群れを縫うようにして近付いてくるルーカスの姿と、それを追う大きな、黒い影。

 扉は軋んだ音を立てながら、着実に出口の幅を狭めていく。


「ルーカス、急いで!」

「エリー、危険です! 下がっていてください!!」


 残り100mといったところか。ルーカスの姿ははっきりと目視できるところまで扉に接近していた。

 ところが、段々とルーカスとの距離を詰めていた怪獣も、あと数歩足りれば彼の背中に鉤爪が届くという位置までその巨体を現していた。

 おそらくこのままでは、怪獣も共に屋外へと逃がれてしまうだろう。

 そうなれば、二人が生き残れる確率は、ゼロに等しい。


 そう、彼も確信していた。


 ルーカスは不意に立ち止まり、出口まで残り20mを切った所で後ろを振り返った。

 煙を吐くキャタピラが再び動く気配は無い。


「ルーカス、何をやってるの!? 早くこっちに……!」

「エリー」


 ルーカスは自身の耳元に手を充てると、何かを取り外して扉の外側──エリーの立っている方向へと、"それ"を投げ寄越した。

 エリーの足元に転がったそれは、無線機だった。

 無線機は赤く激しく、点滅していた。


「レディを、頼みます」

「ルーカス!!」


 大砲が着弾したかのような、轟音が辺りに響く。

 優しく、しかし何処か寂しそうに微笑みかけたまま、ルーカスは閉じ切った扉の向こう側へと姿を消した。


「う、そ」


 扉の前で、エリーは膝から崩れ落ちた。

 そして、てのひらが受け止めに行く前に、涙がぼろぼろと溢れ出した。

 エリーは頬を伝う涙を気にも留めず、扉に近寄り、両の手を着いた。

 扉は早くも冷気を帯び、薄らと霜が付き始めていた。

 エリーの心臓が、どくりと脈を打つ。

 不安と焦りが、少女の白い喉をきつく絞め上げた。

 彼女は右腕を振り上げ、扉に力強く叩きつけた。

 何度も、何度も叩きつけた。


「ルーカス、ルーカス!! 嫌だよ……ねえ、こんな所で死んじゃ嫌だよ!! ルーカス──きゃあっ!」


 エリーは咄嗟に、扉から手を離す。

 扉はものの数秒で、触れられないほど凍結していた。

 分厚い扉で隔てられた向こう側は、おそらくこの冷たさの比ではないだろう。

 扉から二、三歩離れたエリーは、自身の右手を見下ろした。

 凍傷か、強く叩きすぎた為か。小指の周りが、赤黒く腫れていた。

 エリーは左手で右手を包み、その場に力無く座り込んだ。


「ルーカス、大丈夫だよね……? 独りにしないって、言ったもん。独りになんか、しないって」


 座り込んだ拍子ひょうしに、膝に何か固い感触が触れた。

 エリーがポケットから感触の正体を取り出してみるとそれは、星の出口への道が記された手描きの地図だった。

 ルーカスの書き足した赤い字が、妙に彼の声と背中を思い出させた。

 涙は更に溢れ出す。一筋だったそれは、幾筋いくすじにも枝分かれし、その頬を濡らした。

 エリーは地図をくしゃくしゃに握り締め、しゃくり声を上げながら、その場にうずくまった。


「一人じゃ、帰れないよ。帰れるワケ、ないよ……」

「ええ、一人は危険です。ですから、僕と一緒に行きましょう」


 すっかり聞き慣れた、機械的で落ち着きのある声。

 エリーは、涙を浮かべたまま顔を上げた。


「ルーカス……?」


 その声は、冷凍装置の扉の向こう側から聞こえた。


「冷凍装置が停止しました。扉を開けてください。ここは寒くて堪りません」

「う、うん! 待ってて!」


 エリーが立ち上がり再びレバーをオフに戻すと、閉め切られた扉はゆっくりと開き始めた。


「エリー、ただいま戻りました」


 扉の先には、いつもと変わらないルーカスが立っていた。

 ボディが所々凍っているが、何事も無かったかのようにピンピンとしている。


「ルーカス!!」

「ああっと、いけません!」


 エリーが涙を拭って近寄ろうとしたところで、それを制するようにルーカスはキャタピラを後退させた。

 エリーは、浮かべかけた笑顔を曇らせて両手を下ろし、首を傾げた。


「今、僕に触れてはいけません」

「どうして?」

《放熱で体温が上がっているから、ですね?》

「……やはり、レディにはバレていましたか」

「ほう、ねつ??」


 ルーカスは「説明しよう」と言った調子で、ゴホンと咳き込んだ。

 咳き込むと同時に、すすが首元からかまどのように噴き出す。


「放熱というよりはむしろ、帯熱なんですが……キャタピラを回した時に生じる熱を、体内から逃さずに、身体の内側に溜め込んでいたんです。おかげで、なんとか凍結せずに済みました」

「それで、こっちに向かって走っていたの?」

「はい。直線を走るのが一番思いっきりキャタピラを回せると思ったので……」

「じゃあ……レディさんを私に投げたのは、どうして?」

「それは、発熱に無線機が耐えられずに壊れてしまう可能性があったからで……あれ? 投げる時に『レディを頼みます』って言いませんでしたっけ?」

「も……もおーっ!」

「ええっ、な、なんですか!?」


 エリーは吹っ切れたように声を上げ、呆れ混じりの怒りで肩を震わせた。

 レディもエリーの手の中で溜め息を吐いている。

 ルーカスはエリーから無線機を受け取り、耳に充てがう。


「レディ、これは一体……?」

《ブラザー・ルーカス……貴方は、誤解を生む言動を取りすぎです》

「何の事ですか?」

《エリーは、貴方を心配していたのですよ》


 ルーカスは、レディの言葉でハッとエリーの方に向き直った。

 エリーは涙を少し溜めた瞳で、ルーカスを真っ直ぐに見つめて立っていた。

 ルーカスは、ようやくエリーの言動の意味を理解した。


「エリー、御心配をおかけしました。もう、大丈夫ですよ」


 ルーカスはそう言って、扉が開ききった冷凍装置の方を振り返った。


「──この星の脅威は、取り除きました」


 扉の向こうには、瞬間接着剤で全身を固められたように、がっしりと凍りついた怪獣の姿があった。

 扉の枠からは幾本いくほんもの氷柱つららが垂れ下がり、床や壁には、もはや"薄氷"とは呼べないような分厚い氷の層が出来上がっている。


「凄い、本当に凍ってる……ルーカス、よく凍らずにここから出てこられたね?」

「正直、自分自身こんな環境で動けるとは思いませんでした。試してみるものですね……さて」


 ルーカスは、気を取り直すようにエリーに向き直る。

 エリーもつられて、扉から目の前の彼へと視線を下げた。


「星の出口はすぐそこです。帰りましょう、エリー」

「……うん!」


 ルーカスは「行きましょう」と目配せで出発を促し、キャタピラを転がし始めた。

 エリーも冷凍装置から背を向け、彼の二歩先から歩き出す。


 キャタピラに挟まる氷のくずが、パキリとひしげる音を立てた。

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