第三幕『冥王星で待ってる』
第12話『ブラザー・ルーカス』
「それで、俺は室長に言ってやったのさ。『アンタの目は節穴か』ってね」
そこは、無菌室のように無機質で、簡素な部屋だった。
四角いタイルのようなもので敷き詰められた純白の壁に、椅子が二脚と机が一脚。壁に取り付けられているのは、折り畳み式のベッドか。
それらは全て水色で、床や壁にピッタリと固定されていた。
ひとつだけある扉の脇には"
2つある椅子のうち片方には、長身のアンドロイド。そしてもう片方の椅子には、キャタピラの足が付いた小柄なロボットが腰掛けていた。
ロボットは、アンドロイドから目の前の床へと視線を落として、彼に聞こえるように深い溜め息を吐いた。
「アレク……それは、上司に向かって放つべきセリフではありませんよ」
「あんな奴、元より上司だなんて思っちゃいねえよ。オニキスの兄貴だってきっと、そう思ってるに違いない。正直、お前だってそう思っていたりするんだろう? なあ、ルーカス」
そう言って、アレクと呼ばれたアンドロイドは、固定された椅子に尻を乗せたまま、顔を目の前のルーカスへと近づける。
その表情は、弟をからかう兄のようにニタニタと笑っていた。
ルーカスは手の平でアレクの顔を押し退けて、2度目の溜め息を吐く。
どう言い逃れするべきか、ルーカスは一瞬考える素振りを見せた後、馬鹿馬鹿しいといった風に首ごと彼から目を逸らした。
「ノーコメントでお願いします」
すぐさま、背後で噴き出すような笑い声が聞こえてきた。
しばらくしてそれは、馬鹿笑いへと移行した。
「ぶははっ! "ノーコメント"が答えになってるってモンだぜ、そいつは! 政治家だって、何処ぞのお偉いさんだってそうさ。"ノーコメント"ってのはな、認めざるを得ないが認めると都合が悪くなる時に使う言葉だ。室長もよく使ってるじゃねえか。室長の癖がうつったな、ルーカス」
言い終えたアレクは再び馬鹿笑いを始めた。
アレクの言い分に、しようもないという気持ちと「こんな返答をするべきではなかった」という後悔の念で一杯になったルーカスは、肩を落として左右に首を振った。
「全く……いつか室長に報告されても知りませんよ?」
「大丈夫だって、愚痴る相手は選んでる。お前がそんな事しないって分かってて言っているからな! お前は生真面目だが、馬鹿真面目じゃねえ。まあ……オニキスの兄貴なんかに愚痴ったら、一発で即連絡だろうけどな!」
アレクは口をいっぱいに開けて、愉快そうに笑う。
ルーカスはそれに苦笑いで応えて、ふと扉の方へと視線を向けた。
それと同時に、ルーカスの黄緑色をした瞳が、日没のようにスッと青ざめる。
そしてすぐさま、隣に座っているアレクの肩を素早く何度も叩いた。
「だから、俺が能無し室長の愚痴を言うのはお前かヘンリーくらい……ん? どうした、ルーカス。宇宙ゴキブリでも見たか?」
アレクはルーカスの方を振り向き、そして盛大に震え上がった。
「宇宙ゴキブリじゃなくて悪かったなあ? アレク」
部屋中に重く響き渡る、低く太い声。アレクの両肩が、ビクリと上がる。
ルーカスの背後──自動扉の前に、件の"オニキスの兄貴"が仁王立ちで立っていた。
口元は笑うように口角が上がっているが、目が全く笑っていないし、むしろ釣り上がっている気さえする。
オニキスはズンズンと二人の元へ歩み寄り、軽く会釈をするルーカスを通り過ぎてアレクの前で立ち止まった。やはり目が笑っていない。内に怒りを閉じ込めている感じがして、ルーカスには彼が余計恐ろしく見えた。
「あ、ああ、あのあのあの、オニキスの兄貴、一体いつからそこに……?」
「よお。お前も休憩とは奇遇だなあ、アレク。ところでなんだが……さっきの話はつまり、お前が俺のことを"クソ馬鹿真面目野郎"だと思ってるって解釈で、間違いないんだよな?」
「い、嫌だなあ兄貴……"オニキスの兄貴は正義感が強い"って俺は言いたかったんですよ? は、ははは……」
ルーカスはやれやれと肩を竦めて椅子から立ち上がると、二人から背を向けて扉の方へとキャラピラを転がした。
「お、おい! ルーカス、なに逃げてんだこら!」
「逃げるも何も、怒られるべきはアレクだけでしょう。それに、こういうのは自業自得ってやつですよ」
「存分に叱られてください」とルーカスは続けて、キャラピラを廊下に向けて転がした。
オニキスはボキボキと関節を鳴らしながら、更にアレクに詰め寄る。
アレクは両手のひらでオニキスに制止を促しながらも、上半身だけが後ろに逃げていた。
「ルーカス、おい! ……いやいやいや、マジで勘弁ですって! というか俺『クソ馬鹿真面目野郎』とか一回も言ってないじゃないですか! ルーカス、助けてくれ! ルーカ──」
ルーカスは「ご愁傷様です」と言わんばかりに、扉をそっと閉めた。
扉の向こうから、オニキスの怒号と、関節技をキメられているアレクの悲鳴が聞こえてくる。
「……まあ、いつもの事ですね」
ルーカスは扉に背を向けて、真っ白な通路を左に進む。
二、三度扉を横切った所で、壁に並ぶように七つ設置されたポストのうち"
その中から二枚の資料を取り出し、傍にある扉のレバーを引いた。
部屋の中は暗く、一面がガラス張りとなっており、そこから宇宙に散りばめられた無数の
ルーカスは部屋の中心に置かれたソファに腰掛け、先ほどの資料に目を移す。
すると、頭部のランプが緑色に二回点滅した。
《お疲れ様です、ブラザー・ルーカス》
「レディ。そちらこそ、お疲れ様です。今日の冥王星はどうですか?」
《大きな事故や事件は発生していません。天気は雨。最高気温は27度です。そちらはどうですか?》
「丁度、別の部屋でアレクがオニキスに怒られています」
《またですか》
「はい、またです」
ルーカスは含み笑いを漏らしながら答えた。
内蔵の通信機を介した声だけの会話は、身振り手振りも無く、まるで電話のように淡々と続く。
ルーカスの手が2枚目の資料に移る。紙の擦れる音が静かな部屋に響いた。
《何を読んでいるのですか?》
「今回の探索の結果がまとめられた資料です。先日ヘンリーが完成したと言っていたので、冥王星に帰還する前に目を通しておこうと思っていたんですよ」
ルーカスはそう言って、黙々と資料を左から右へと読み進めていく。
レディが「そうですか」とだけ言って、それ以上何も言わなかったので、それを不思議に思ったルーカスは、手に持っていた資料を伏せて顔を上げた。
「……? 何か、用事があって僕に話しかけたのではありませんか?」
《いえ。ただ現状確認をしておこうと思っただけです。先ほどの報告から、アレク以外にアクシデントは何も発生していない事は把握致しました》
「なるほど、そうでしたか。では引き続き、帰還まで我々のオペレーションよろしくお願いします」
《了解しました》
レディの返事に満足したルーカスは、再び資料を手に取ろうと手を伸ばす……が。途中でその手を止め、何かを思い出したように話を続けた。
「そういえば……何故、オニキスではなく、僕に連絡をしたのですか? 僕よりも、リーダーである彼の方がより細かな状況を把握していると思うのですが」
《それは。……連絡先を間違えてしまいまして。AIも人間らしくなりすぎるといけませんね》
「ふむ……レディがミスだなんて、珍しいですね。ですが、間違えたのであれば、仕方がありません」
ルーカスはそう言って、今度こそ資料を手に取った。
《他には何かございますか?》
「そうですね……ああ、そうだ。レディはあの室長の事を、どう思いますか?」
《室長……ですか? それはまた、どういう意図があっての質問でしょうか》
「いえ、どうという訳でもありませんよ。アレクが先程、そんな事を話していたので」
《そうですか》
レディが返答を考えている間、暫らくの沈黙が続いた。
二人の沈黙を埋めるように、部屋の隅に置かれたスピーカーからは、冥王星のヒットサウンドがオルゴールの優しい音色で流されていた。
《……やっぱり、答えるのはやめておきましょう。私はあくまで、貴方がたのオペレーションシステムです。主観でモノを言う権利もなければ、また、その意見には価値すらありません》
「レディ。前々から言っていますが、僕はそんなこと気にしてなど──」
突如鳴り響く警鐘。ルーカスの言葉は、唐突に断ち切られた。
その音は、彼にとって聞き慣れたものであったが、冥王星の外でこれを聞いたのは、初めてだ。
訓練でのみ嫌というほど聞かされてきた、不吉を表す警鐘だった。
「これは……!? 何かアクシデントが発生したようです、
ルーカスは資料を椅子の上に放るように置き、部屋を飛び出す。
通路の非常灯は赤色に点滅し、警報機は依然として鳴動を続けていた。
操縦室を目指す途中、アレクと話していた休憩室の前を通りかかり、キャタピラを止めた。
ドアノブに指を掛け、引き戸を左へとスライドする。
しかし、そこにアレクとオニキスの姿は無かった。
休憩室は、照明が点いたままだ。
「居ない……? もう現場に向かった後でしょうか。それでは、僕達も急いで操縦室に──」
《警告。不審な電波を検知しました。警戒してください》
「不審な電波……電波妨害ですか。分かりました。取り敢えず、レディ以外からの通信を受信拒否するように、設定の変更をしておきます。しかし……電波妨害という事は、まさか他の宇宙船から襲撃を受けているのでしょうか?」
ブツブツと考察を口にしながら、ルーカスは側頭部に取り付けられた無線機のスイッチを弄る。
宇宙空間で発生する電波妨害に考えられる可能性は、大きく分けて2つだ。
ひとつは、整備不良等や運航中の近辺の惑星から強い磁場を充てられたことによる、通信設備自体の機器故障。
そしてもうひとつは、外部からの意図的な怪電波の放出である。
後者については、近年宇宙で問題視されている"宇宙海賊"によるものが
《報告です。他の乗組員に状況確認のため通信を試みましたが、一切繋がりませんでした。電波妨害の影響であると予測致します》
「いずれにせよ、この警報と電波妨害が関係している事は確かです。急いで兄弟と合流しましょう」
ルーカスは休憩室を後にし、操縦室へと向けて道なりに通路を走り出した。
通路に他の乗組員の姿は見当たらない。
「やはり、誰も通路にいない。……皆、操縦室の方に向かった後なのでしょうか」
ルーカスがそう呟いた時だった。
突如鳴り響いた爆発音と共に船体が激しく揺れ、ルーカスは通路の端へと滑るように追いやられた。
「な……っ!?」
ルーカスは不意の爆発に言葉を失い、光る瞳を二、三度
船体は右寄りに大きく傾いたままで、機体を安定させる様子も見受けられない。
ルーカスは壁に手を突いてゆっくりと立ち上がる。
「一体何が……レディ、オルカの状況を!!」
《エンジンルームに原因不明の損傷を確認。被害レベル"D"。
「エンジンルーム……じゃあまさか、先程の爆発は──っと!」
追い討ちをかけるように再び揺れる船体に、ルーカスは再度前のめりに倒れ込む。
ルーカスは壁伝いに這い、操縦室の扉の前で息を整えた。
「エンジンルームが爆発したということは、隣室にあたる操縦室にも被害が及んでいる筈です……もしも、他の兄弟も僕のように操縦室に向かったのだとしたら──!」
ルーカスは、重い銀の扉に手を掛け、それを力任せに開く。
直後、操縦室から雪崩れ込んできた熱が、彼を呑むように包み込んだ。
ルーカスは、その場に立ち尽くした。
その瞳が捉えたのは、火の海と
「……最悪の、事態です」
《現場の状況を伝達してください》
「操縦室は、ほぼ全壊状態。ここから見える分だけでもモニターや操作盤のほとんどは損傷しており、操作・監視は不可能であると断定……エンジンルームへの通路は、火を噴くように炎上しています。あの勢いでは、僕の耐熱性能では進入は不可能です。もれなく丸焦げになるでしょう……それと」
ルーカスは、数歩踏み込み、目の前の瓦礫に目を
視線の先で、人間の腕らしきものが瓦礫に挟まるようにしてこちらを覗いていた。
それは一部が炭化しており、瓦礫の中の隊員が既に亡骸であることを示していた。
触れるとそれは、指先から砂のように、ボロボロと崩れ落ちてしまった。
「一般隊員1名の死亡を、確認──室内に他の隊員は、目視では確認できません」
室内は轟々と燃え盛る炎の音だけで、隊員の気配は
ルーカスは、火の海と化した操縦室で立ち尽くす。
《生体反応スキャンを試みましたが、該当する反応はありませんでした。……ブラザー・ルーカス。繰り返しますが、エンジンルームの修復は不可能です。至急、操縦室横の脱出ポッドを起動させてください》
レディは淡々とした口調で、そう告げた。
ルーカスは目を見開くと、首を左右に大きく振った。
「それは……そんなこと、できません」
《何故ですか》
「我々ロボットは、万が一命を落としてもスペアの身体とバックアップされた記憶が冥王星にあります。しかし……! 人間の隊員には、それがありません。彼らには生きて冥王星へと戻る義務があります! 冥王星で待つ家族や友の元へと、戻る義務が……! だから、僕は一人でも多くを救出します! 最悪、僕が命を落としたとしても、僕には次の身体が──」
《脱出ポッドを、起動してください。その船内に生体反応は残されていません。21名、全てどこかで死に絶えています。貴方以外のブラザー・ロボットも、既に通信が途絶えています。貴方が救える命は、そこにはありません。早急に帰還してください、ブラザー・ルーカス》
「……何故、そのような惨い事を。生体反応の結果だって、電波妨害による誤りがあるかもしれません! ならば、隊員の捜索をする必要があります!」
《帰還、してください》
ルーカスの言葉を制止したその声は、心なしか震えていた。
「……レディ?」
《帰還してください、ブラザー・ルーカス。そこに救える命は、存在しません。しかし貴方はまだ、私からすれば"救える命"なのです。……スペアの身体があろうと、バックアップされた記憶があろうと。そこで命を落とせば、その時点で今の貴方は死んでしまうのです。苦しみ
ルーカスはそれを、ただ静かに聞いていた。
レディが全てを伝え終えた操縦室は、再び炎の音と色に包まれた。
ルーカスは口を開きかけ、しかしすぐに閉じ、エンジンルームの方へと走り出した。
《ブラザー・ルーカス!!》
「すみません、レディ……ここで逃げたら僕は、そちらでバックアップを待つ彼らに、顔向けができない」
ルーカスはそう言い残して、側頭部のスイッチを切った。
同時に、燃え盛る炎の音は、彼女の耳元からピタリと止んだ。
静寂が、冥王星と彼女を包み込んだ。
《……私には顔向けできなくなっても、良いというのですか。ブラザー・ルーカス》
その声は、届くべき場所に届くことなく、虚空へと薄れて、霧散した。
《兄弟、武運を──どうか、御無事で》
次に彼らが言葉を交わしたのは、2日と半刻が経った頃だった。
*
「……ス!」
──紅蓮に染まった視界は、
「……ーカス!」
耳元で聞こえる声は、先ほどまで彼を説得していた、機械的な彼女のそれとは違う。しかし、馴染みのある声だった。
──意識が、鮮明としない。
「ルーカス!!」
しかし、少女の声で途端に呼び戻された。意識の覚醒。真っ暗な視界は、自身の瞼だと気が付く。
ルーカスは、ゆっくりと起き上がった。
「よかった、目を覚ました……ルーカス、大丈夫?」
安堵するエリー。
何故か横たわっていた自分に、動揺する。
「……エリー? ここは、オルカのはずでは……」
「オルカ? 何の話をしているの?」
エリーの言葉と、不意に脳裏に映し出された、
「いいえ。ようやく眼が覚めてきました、何でもありません。ここは、何処ですか? 僕達は、宇宙港へと向かっていたはずでは──」
「ルーカス、もしかして何も覚えていないの?」
「……"覚えていない"? あの後、一体何が」
ルーカスは立ち上がろうと、セメントの床に手を突いた。
しかしその時、自身の異変に気が付いた。
そこにあるはずの感覚が、無かった。
床に手をつく感触——いや。それ以前の問題だった。腕の関節を動かそうという信号が、どこにも伝わらない感覚。何も無い、感覚。
ルーカスは、視線を右肩へと落とし、目を見開いた。
彼は、右腕を失くしていた。
「腕が……無くなっている。何故だ?」
それは、まるで
想定外の状況に慌てるルーカスを、エリーが
「だ、大丈夫だよ! もう、隠れた後だから!」
「隠れた後? 何の話ですか?」
そう言われて辺りを見渡してみると、そこは裸電球が照らす、見覚えのない小屋の中だった。
小屋と言うよりは、物置き小屋だろうか。寝泊まりするような場所でないことは、明確だった。
ルーカスは、話の続きを促すようにエリーの顔を見上げた。エリーは顔を伏せて、ゆっくりと頷く。
「私達……倉庫を出た後、怪獣さんに襲われちゃって。そしたら、ルーカスが私を
ルーカスは呆然と立ち尽くして、口から零すように呟いた。
「──怪獣に、襲われた?」
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