第11話『5本足の掃除屋』

 二人は食堂の椅子に腰掛け、彼の仕事──乃至ないし、厨房の掃除が終わるのを待っていた。

 しかし、予期せぬ生存者との会遇かいぐうに未だに落ち着けない二人は、食器のぶつかる音と水の跳ねる音とが聞こえてくる度に、厨房の方をちらちらと眺めている……そんな調子だった。


「ねえ、ルーカス」


 不意にエリーが身を乗り出して言う。


「あの蜘蛛くもみたいなロボットの人って、ルーカスのお友達なの?」

「いえ、兄弟ではありませんが……正直、驚きました。まさか、私達以外に生存者がいたとは。それに、彼はおそらく旧地球のロボット──わば、先住民にあたるロボットでしょう」

「じゃあ、あのロボットもハンバーガーショップで会ったロボットみたいに……」

「お待たせしました」


 厨房から声がした後すぐに、ガシャガシャという音と共に、彼は再び二人の前に姿を現した。

 蜘蛛ような形状の足を持ったそれは、手に持っている布巾ふきんとよく似た黄色の三角巾を頭に被っている。

 抜ける髪も落ちる汗も無い彼に何故そんな物が必要なのかは分からないが、おそらく雰囲気作り的なものなのだろうと、ルーカスは不粋な疑問を呑み込む事にした。

 5本足の彼は、卓上の隅に布巾を畳んだ状態で置き、向かい合って座った二人に挟まれる形でテーブルの側に立った。


「それでは、お客様。御注文をどうぞ」

「ロボットさん、料理もできるの?」

「いえ。当店では、掃除担当の私ではなく、コックロボットである5人が調理を任されています」

「でも、厨房には誰もいないよ?」

「先程のは、ほんの冗談ですからね。それでは、改めまして──オレオン・レストランへ、ようこそいらっしゃいました。ただいま、コックが不在なため料理は振る舞えませんが、何なりと御申しつけください」


 ガシャガシャと音を立てて5本の足を揃えたロボットは、器用にお辞儀をしてみせた。

 エリーは何故か、それに対してパチパチと拍手を浴びせている。

 彼は、律儀に「ありがとうございます」とお礼を告げる。


「先程は、勝手に厨房に立ち入ってすみませんでした。貴方は、この宇宙港の従業員ですか?」

「そうだと言えばそうですが、そうでないと言えばそうではありません」

「どういうこと?」

「オーナーが居なくなった今、ここは惑星一のレストランでもなければ、私はもう従業員ですらありませんから」


「そっか」と両の眉を下げて、エリーは背の高い椅子に座り直す。

 それから数秒の間が空いたところで、切り出すタイミングを掴んだようにルーカスが口を開いた。


「ここを含め、この星が無人だということは僕らも心得ていますが……それでは何故、誰も来ることのない場所で、貴方は仕事を続けているのですか?」


 そう言うと5本足のロボットは、ケタケタとくるみ割り人形のような口で笑い出し、ルーカスに向き直った。


「いつお客様が来ても歓迎できるように、清掃を続けておりました。現に、こうして貴方がたが御来店なさったではありませんか」

「……確かに、それもそうですね」

「ロボットさん、偉いね!」


 エリーに褒められて、5本足のロボットは表情を緩めて瞳のランプをチカチカと点滅させる。

 感情表現がレディのそれに似ているなと、ルーカスは小さく笑った。

 人間であるエリーに褒められた事が、嬉しかったのかもしれない。


「そう言われると、これまで頑張ってきた甲斐があるというものです」

「でも……何百年もずっと、お客さんが来るのを一人で待っていたの?」


 それを聞いたロボットは、遠い目で深く頷いた。

 まるで、遠い過去の思い出を見ているような瞳だった。


「はい。それが、私をスタッフとして迎え入れてくださったオーナーと、このレストランを最後まで御愛用くださった全てのお客様のためにできる、唯一の報恩ほうおんでしたから。もしかするとそれは、ただの自己満足に過ぎない行為だったのかもしれませんが……」

「そんな事ないよ。きっと、そのオーナーさんも褒めてくれると思う」


 ロボットは、瞳をオレンジ色に染めて照れ臭そうに微笑んだ。


「ありがとうございます。しかし……」


 しかし今度は、肩を落として項垂れてみせた。

 彼は、食堂を見回すように視線を上げる。

 そうして再度項垂れ、深い溜め息を吐いた。


「ああ、失礼しました。お客様の前で溜め息など」

「いいよ。どうかしたの?」

「どんなにテーブルや食器を綺麗にしても、食堂がこの有様では、おもてなしも何もありませんね」


 二人は、食堂を見渡した。おそらく彼が言っているのは、無残に割られた窓ガラスの事だろう。確かにこれでは、落ち込んで仕方がない。


「成程。そういえば、この施設のガラスはなぜ割れているのですか? さきの戦争で割れたにしては、どうもガラスだけが割れているように見えますが」

「もしかして、外にいたのと関係があるの?」


 エリーの発言に、ロボットは目を見開いた。


「ああ。貴方がたも"アレ"を見たのですね」


 やはり、彼はあの"何某なにがし"について知っているらしい。

 身の危険を晒さずに情報が得られるのは良い事だ。故に、透かさずルーカスは彼に尋ねることにした。


「いえ、姿までは見ていません。あれは一体何なのですか?」

「あれは、怪物──いや。怪獣、とでも言いましょうか」


 やはり。ルーカスは、目尻に力を込める。

 どうもルーカスの予想していたものと正体が合致したようだ。

 しかし──それならば、一つの疑問が浮かぶ。


「怪獣……であれば、なぜここは建物の損傷が見当たらないのでしょうか?」

「"あれ"は狭い所を嫌うのです。それに、このレストランに入るには、厨房の右隣にある階段を登るか、貴方がたのいらした非常通路を潜る他にありません。偶然が幸いし、このレストランは荒らされずに済みました」

「なるほど。つまりここは、ひとつの安全地帯でもある訳ですか」


 ルーカスは顎に手を添えて頷く。


「その口振り、もしや……貴方がたは、ここ以外の他の場所でも、あの怪獣に遭遇したのですか?」

「それは……」


 ルーカスは困り果てた。何故ならば、宇宙船ワルフィスが件の怪獣に襲撃を受けていた事をエリーに明かしていなかったからだ。

 横目でエリーの顔を見ると、彼女は瞬きをして首を傾げてみせた。


「怪獣って、私の夢にも出てきた、大きいトカゲみたいな怪獣さんのこと?」


 ルーカスが言葉を選ぶよりも先に、エリーがそう答えた。

 5本足のロボットは目を丸くして「夢?」と尋ね返す。


「うん。おっきな怪獣さんが白い砂の中から出てきて、私が乗っていた宇宙船をひっくり返しちゃう夢なの! でも、ルーカスが私を起こしにきてくれた時、宇宙船はひっくり返ってなかったから、夢だって分かったんだけど──」


 その言葉に、ルーカスの表情は一時停止ボタンを押された映画のように、ピタリと固まった。


「エリー。それはおそらく……夢では、ありません」

「……? どうして?」

《私達がエリーを乗せた脱出艇だっしゅつていを発見した時、脱出艇は真っ逆さまの状態で砂上に埋まっていたからです。それをルーカスが引き上げ、船内で眠っていた貴方を救助致しました》


 エリーはただ、静かにそれを聞いていた。だが「信じられない」という表情ではなさそうだった。


「小さな脱出艇とはいえ、宇宙船をひっくり返してしまうほどの怪力……やはり、あの時扉の向こうから我々を襲ったのは、同一の怪獣と考えて間違いないでしょう」

「ねえ、本当にあの怪獣さんがここにいるの?」

「はい、おそらく……。エリー、その怪獣というのはどのくらいの大きさだったか分かりますか?」

「えっと……バスくらい!かな?」


 エリーは、両手を目一杯に広げてそう言った。


「……それは大きいですね。出会ったら食べられると思っておいてもいいでしょう」

「宇宙船がある場所に着くまで見つからないといいけど……」


 二人の会話を無言で聞いていたロボットは"宇宙船"というワードに表情を変えた。


「宇宙船? ここにまだそんな物が残っていたのですか」

「ああ、そうでした! 話を変えてすみませんが、貴方はこの施設には詳しいのですか?」

「まあ、この施設のある程度は掃除をしたことがあるので、分からなくもないですが」

「では、この地図に描かれている場所がどの辺りか分かりますか?」


 ルーカスはそう言って、収納部から例の地図を取り出すと、卓上に広げた。

 突然提示された手描きの地図に、5本足のロボットは首を傾げて尋ねる。


「この地図は?」

「この建物のどこかを指し示した物です。私達は、発射台ではないかと思っているのですが」


 ルーカスの説明を聞きながら、彼は地図に描かれた癖のある文字を次々と指で辿る。


「2つの並んだ会議室に、ゲートが4つ。そして、冷凍試験場に試運転グラウンド……間違いありません。これは、当施設の西発射台です」

「西発射台?」

「はい。ここは施設の北部にあたるスペースなので、ここから南西に向かっていただければ直ぐに辿り着きます。一番近くて安全なのは、そこの非常通路から屋外に出て、ロビー伝いに第三ゲートを通るルートです。第三ゲートが地図のどの辺りに描かれているか、分かりますか?」


 二人は顔を見合わせて歓喜に満ちた表情を浮かべた。

 すると、5本足のロボットは思い出したように「ああ、そうだ」と呟く。


「先ほどお教えしたルートを行くよりも、地下の大倉庫から直接、西発射台に向かった方が確実に安全です。元々は食品を運び出すための物ですが……生憎、今はもう誰も使っていません。厨房にあるエレベーターに乗って、地下へと向かってください」

「何から何まで、本当にありがとうございます」

「いえいえ。もしまた怪獣に遭遇したら、ここに避難しに来てください。ここは安全ですから。それでは……いってらっしゃいませ。御来店ありがとうございました、お客様」


 5本足のロボットはそう言うと、両手を前で重ねて深々とお辞儀をした。

 二人は順々に礼を言って椅子から立ち上がる。

 テーブルを拭き始めた彼に背を向けて厨房に向かおうと歩き出したところで、ふとエリーが振り返って言った。


「そうだ! ねえ、貴方も私達と一緒に、冥王星まで──あれ?」

「どうしました、エリー……えっ?」


 振り返った先に、彼の姿はなかった。


「ロボット、さん?」


 二人はバタバタと大きな足音を立てて、先ほどまで座っていた席へ駆けつける。

 そこには、乾ききって縮小した黄色い布巾だけが置かれていた。


「いない……ルーカス! ロボットさん、どこにもいないよ!?」

「そんなまさか……彼の足音も聞こえませんでした、あの一瞬でどこかに行ったとはとても──」


 その時だった。ガシャガシャという喧しい金属音が、厨房の奥から鳴り響いた。

 思わずエリーは両耳を手で塞ぎ、ルーカスは厨房に視線を向けた。


「ロボットさん、かな……」

「いえ、おそらく今の音は、食器が落ちた音のようですが……とにかく、行ってみましょう」


 二人は駆け足で仕切りをくぐり、厨房へと立ち入る。今回は、誰からも叱られることは無かった。

 ルーカスの胸の内が、ワルフィスであの光景を見た時のように──骨組みと瓦礫がれきだけが山のように重なった戦争の亡骸なきがらを見た時のように、いやに騒ついた。

 厨房の真ん中に置かれたシンクの後ろから、床に散乱した調理器具がこちらを覗いていた。

 二人は、それらを気にも留めずにシンクの裏へと回った。


「こ、これは」

「……ロボットさん!!」


 そこには、壁に寄りかかるようにして座り込んだ5本足のロボットがいた。

 だが、彼はエリーの呼びかけに微動だにしない。

 全身が埃を被り、まるで忘れ去られた廃城に聳え立つ騎士像のように穏やかだった。


「どういうこと?  だって、ロボットさんはさっきまで私達と——」


 座り込んだロボットに駆け寄るエリーを横目に、ルーカスは厨房を見渡した。

 シンクには、彼が洗ったはずの食器が何故か積まれたままだった。蛇口を捻るも、そこから水は出てこない。

 当然といえば当然だ。500年前に滅び、砂漠と化したこの惑星の蛇口から、水が出てくるはずがなかった。

 彼がいた場所に残された、パリパリに乾燥しきった布巾。

『いつお客様が来ても歓迎できるように』。そう言っていた割には、テーブルの天板には埃が積もっていたことを思い出す。


「そういえば、彼の足跡にも同じくらい埃が積もっていたはずです。それにあの日記によると、怪電波を浴びたロボットは……まさか」


 再度、眼下の彼に目を遣る。

 よく見ると、彼のボディには、至る箇所に擦り傷のような跡が残っていた。

 ルーカスは日記を取り出し、最後の書き込みが書かれたページを開いた。


『これを読んだ者は、直ちにこの星から離れること。一度怪電波を浴びたロボット達は、元に戻らない』


「一度浴びれば、元に戻らない──彼も戦争以前からのここの従業員であれば、例外なく怪電波を浴びていた筈です。であれば、おそらくあの足跡は暴走した彼が付けた足跡で間違いないでしょう……しかし、僕達が出会った彼は、とても狂暴化しているようには見えませんでした。つまり、先ほど泡のように消えていなくなった彼は……」


 幻、なのだろうか。ロボットが幽霊となって現れる話など、冥王星では前例が無い。

 彼は助言をするために、二人の前に姿を現したのだろうか。


 いや──ただ、誰かをもてなしたかっただけなのかもしれない。

 彼が愛して止まなかったこのレストランに訪れた、そんな誰かを。


「あの踏ん張るような力強い足跡に、綺麗に整えられたままのレストラン……もしかすると、レストランを壊すまいと、暴走する彼自身の破壊衝動を押さえ込んだ結果がそれらなのかもしれませんね。そして、怪電波を浴びたロボットに、破壊衝動と共に宿るのは──」


 ルーカスは、足元の調理器具を拾い上げる。フライパン返しは、ものの見事に"くの字"に曲がっていた。

 シンクも同じように、何かがぶつかったような凹みが点々と残っている。


「自己破壊衝動……彼は、この厨房で最後を迎える事を自ら選んだのですね」


 ふと、座り込んだロボットの肩部に何かが刻まれていることに気が付いたルーカスは、肩に積もった埃を払いのける。

 そこには"Camelotキャメロット"という文字が刻印されていた。

 ──彼を愛した誰かが、彼に与えた名だろうか。


「お疲れさまです、キャメロット。おもてなし頂き、ありがとうございました」


 ルーカスは両の目を伏せて、祈りを捧げる。

 エリーは、彼の頭部に降り積もった埃を、優しく払い落とした。


「……先に進みましょう、エリー。星の出口はきっと、すぐそこです」


 エリーは寂しそうに頷き、立ち上がる。

 エレベーターへと向かう最中、少女は厨房を振り返った。

 5本足の彼は、変わらずそこに座っていた。

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