第10話『星の出口へ』

「ここが……昔の地球?」


 エリーの問いかけに、ルーカスは「はい」と短く返答して頷く。

 無言を決め込んでいるあたり、レディも異論は無く、同じ結論に行き着いたらしい。


「新地球の言語が使用されているということはつまり、そういうことで間違いないでしょう。日記の書かれた日付と、かつて旧地球が新地球への完全移住で地球人に放棄された年とが近かったのもきっと、偶然ではないと思います」

「どういうこと?」

「この日記が書かれてすぐに戦争が始まり、それにより旧地球が致命的な環境汚染を負ったため、当時の地球人は現在の新地球へと移住せざるを得なくなったということです。今だに標準以上の放射線量が検出されているくらいですから、当時はとても人間の住める環境ではなかっただろうと思います」

《そして、現在はほとんどが残骸と化していますが、当時の旧地球はここから発信されていた怪電波に汚染された、狂暴なロボット達で溢れかえっていた事が予測されます》


 ルーカスは、床に広げていた日記を手に取る。ふとノートを裏返してみると、日記の持ち主の名前か、裏表紙の隅に日記と同じような筆跡で"Benoitブノワ"と書かれていた。


「日記の主は、件の戦争に巻き込まれて亡くなったのか、そうなる前に逃げ延びたのか──はたまた、開発に携わっていた仲間内から始末されたのか。定かではありませんが……無事に生きていると、いいですね」

「生きていたら500歳だね」

「ああ、そうでした。さすがに生きろというのも、無茶な話ですね……おや?」


 ルーカスが日記をパラパラと眺めていると、ページとページの間に挟まれていた一枚の紙切れが、はらりと床に落ちる。

 拾い上げたそれは、手書きの地図だった。

 フリーハンドで書かれた地図の下には、例の如く走り書きで"Etoile de sortieエトワール・ドゥ・ソルティ!"と書かれている。


「これは……英語ではありませんね。これもまた、フランス語でしょうか?」

「エトワール・ドゥ・ソルティ……星の、出口?」

「"星の出口"……? それにこの地図、見たところ何かの構内図のようですが……星の出口。一体どういう事でしょうか」

《推測ですが、ランチパットではありませんか?》


 レディの言葉に、ルーカスは目を見開き「なるほど」と呟く。言葉の意味が分からなかったのか、エリーはそれといった反応を見せずに首を傾げるだけだった。


「ランチパットって?」

「宇宙船を飛ばす際に使う発射台のことです。じゃあ、この地図に書かれているのは──」

《以前回収した地図が正しければ、ここから1km先に"オレオン"の名が付いた宇宙港と思しき施設があります》


 二人は、顔を見合わせる。

 二人は互いに、期待と歓喜に満ち溢れたような表情をしていた。


「500年も前の宇宙船が、移住に使われず残されているかは、怪しいところですが……」

「じゃあ、港には行かないの?」

「いえ。確かめる価値は十分にあります。準備が出来次第、すぐに向かいましょう」

「うん!」


 片脇に置いていたオニキスの頭部を持ち上げ、ルーカスはオルカによって開けられた穴から覗いた空を見つめた。

 土砂降りだった惑星の空は、いつの間にか澄んで晴れ渡っていた。


「さあ、帰りましょう。冥王星はきっと、すぐそこです」


 二人はそれぞれ、出発の準備を進めていく。

 日記は、エリーのリュックへと詰め込む。

 件の宇宙港構内図が記されたメモ用紙は、念の為スキャンで取り込んでおいた。

 エリーはそれを待つ間、非常用の菓子パンを、リスのように黙々と頬張っていた。

 冥王星では一般的に、水分と油の量を極限まで抑えて製造する保存パン……俗に言う"乾パン"が長期に渡る星外移住の際には重宝されているが、エリーがいま手にしているパンは、ふわふわと弾力性のあるごく一般的な菓子パンだった。

 変わった容器に真空保存されていたものだが、どうもこれは新地球の発明らしく、知識に富んだレディでさえも興味津々といった様子で、まるで瞬きのようにランプを点滅させていた。

 残す荷物がオニキスの頭部のみになったところで、ルーカスはエリーに尋ねた。


「それ、美味しいですか?」


 エリーは、口の中のパンをまとめて飲み込む。ごくん、とルーカスにも聞こえる大きさで喉が音を鳴らした。


「うん、美味しいよ! 甘いから結構好きなやつなの。ルーカスも食べたい?」

「ふふっ。気持ちだけ戴いておきます。全部エリーが食べてください。生憎、僕は食べ物を消化できる機関を持ち合わせていないので……僕はバッテリーで十分です」

「そっか。じゃあ、冥王星に帰ったら、いつか作ってもらわなきゃね!」


 それを聞いたルーカスは、頭にハテナを浮かべて、しばし考える。


「……あ。もしかして、"胃袋を"って事ですか?」

「うん。だってルーカス、そしたらこの前言ってたテラモリバーガーも食べられるでしょう?」


 エリーは、満面の笑みを浮かべてそう言った。

 それを見たルーカスは、優しく笑みを浮かべて「そうですね」と小さく頷いた。


「それは良い考えです。今度、博士にお願いしてみましょう」


 ルーカスは長く伸びる腕を使って、器用に背中の収納スペースへとオニキスの頭部を詰め込む。

 そのすぐ後ろでは、食事を終えたエリーが飲み残したペットボトルをリュックサックに仕舞い込んでいた。


「準備は出来ましたか?」


 エリーは、深く頷いた。それを見てルーカスは「わかりました」と言い、キャタピラを起動させる。

 キャタピラはパタリパタリと小気味よい音を鳴らして動き始める。


「それでは、宇宙港へ向けて出発です」

「れっつごー!」


 目指すは1km先にある〈宇宙港オレオン〉。

 走り書きの地図によると、そこは幾つもの発射台が設備された宇宙船の港だった。おそらく、ここから新地球へと移住するために作られたものなのだろう。

 同時に銀河へ飛び立てば飛び立つほど、船同士で宇宙空間でのアクシデントに対応できるようになるため、国規模での星外移住では、このやり方が主流となっている。


「暑ーい!」


 研究所を出て間も無く、エリーは口を大きく開けて嘆いた。

 右手で自身の顔を扇いで、空いていた左手で摘んだ襟元を、前後にパタパタとさせる。


「雨が降ったせいか、来た時よりじめじめしていますね……エリー、辛くはないですか?」

「うーん、まだ大丈夫!」

「しんどくなったら、遠慮せずに言ってくださいね」


 日が当たらないおかげでそこそこ涼しかった研究所とは打って変わり、白い砂漠は只々蒸し暑かった。

 こうも暑いと疲労からか、今まで気にならなかった"砂に足を取られる感覚"がいやに強まっているような気さえした。


「おや。もしや、あの煙突が……?」


 二人が足取りで互いに限界を伝え始めた辺りで、それは目の前に現れた。

 大きな煙突らしき柱が数本。もちろん、稼働していないので煙は出ていない。

 サッシのような枠組みが一面を担う巨大な建物が並べて建てられていた。もしかしたら、誰彼が惑星に住んでいた当時は、あのサッシのような枠にガラスがはめ込まれていたのかもしれない。


「ここのどこかに宇宙船が……。ガラスは殆ど砂嵐に割られてしまっているようですし、どこか適当な所から入りましょうか」

「地図は見なくてもいいの?」

「この地図は、大まかな設備の名前は書かれていますが、どちらが北か南かすら書かれていないので、取り敢えず地図に書かれている設備のどれかを見つけるまでは、宛ての無い探索になりそうです」


 その言葉を聞いたエリーは、リックサックの肩紐を握りしめ、何故か楽しそうに目を輝かせていた。


「じゃあ、冒険だね!」

「冒険……そうですね。今回は冒険です」


 形の無い戸を潜る二人。ルーカスは、瓦礫がれきやガラスの破片が散らばった足元や、サッシに残った窓ガラスなどに細心の注意を払って、エリーを建物の中へと誘導する。

 それに気付いたエリーは、笑ったようで怒ったような顔をして、ルーカスの方を向き直った。


「もう、小さい子どもじゃないんだから大丈夫だってば──きゃあっ!」


 不安定な体勢を取ったまま、壁一面の大きな窓枠を越えようとしたエリーは、サッシに爪先を引っ掛けて前のめりに破片塗れの床へと倒れ込む……ところだったが、その前に先導していたルーカスの左腕が、少女の身体をしっかりと受け止めたため、それはまぬがれた。

 ルーカスは思わず、安堵の溜め息を漏らす。


「エリー、怪我はありませんか?」

「う、うん……ごめんね、大丈夫って言ったばかりなのに」

「いいんですよ。こういうもしもの時の為の、エスコートですから。無事で何よりです」


 ルーカスはひとこと「行きましょう」とだけ言うと、エリーが頷いたのを確認して、キャタピラを道なりに転がし始めた。

 左には、連なる古びた窓枠。

 右には、ペンキで厚塗りしたような白塗りの壁が、窓枠と並行して廊下の奥まで続いていた。

 窓枠から照りつける日差しは、二人の影を白い壁に伸ばしていた。

 靴底と床面とが擦れ合う度に、蓄積していた埃が音も無く飛散する。まるで、大掃除の時にしか開かない物置小屋のような埃臭さだった。


「ここは、なんというか……」

「日記があったあの建物に似てるね」

「わかりますか?」

「うん。壁の色が真っ白なところとか、そっくり」


 ルーカスは地図を広げ、直線の長い道は書かれていないことを確認する。まだ日記の地図に示されていた範囲には入っていないようだ。

 他に分岐の無い道を歩いていた二人は、このまま道なりに進み続けることにした。


「もしも、宇宙船が無かったらどうする?」

「そうですね……取り敢えず、他の発射台も見に行って、それで何も無かったら核シェルターが無いか探してみましょう」

「それ、前も言ってなかった?」

「こういう施設の中にならあるかな、と思いまして。それに、当時オレオンの組織は、後にこの国で戦争が勃発することを把握していたみたいですから。そんなオレオンの施設であれば、どこかに大きな核シェルターが作られていても、おかしな話ではありません」


 ルーカスがふとエリーの方を振り向くと、彼女は何やら尊敬の眼差しに近いものをルーカスへと向けていた。


「ルーカス、何だか名探偵みたい!」

「ふふっ。ありがとうございます。しかし……この事にもう少し早く気付いていたなら、あの研究所ももっと細かく調べていたんですけどね。ここで見つけられると良いのですが」


 二人の会話が、壁や天井を反響して、廊下中に響き渡る。

 それからしばらく歩いたところで、二人の目の前に両開きの大きな扉が現れた。扉は金属製で、かつては立派な扉だったのかもしれないが、今では所々がさび付いて、ボロボロになっている。

 エリーが扉に触れようとしたところで、ルーカスにそれを制止された。


「錆が手に刺さったら大変ですから、僕が開けます」

「わかった。ありがとう、ルーカス」


 ルーカスはエリーの一歩前に出て、両開きの扉のうち片方に手を添える。

 ルーカスが力を込めて前に押すと、扉は、引きずるような重みのある音を立てて、ゆっくりと開いていく。

 人ひとり分が通れるくらいに開いたところで、ルーカスの頭部に付いたランプが二、三度点滅した。

 ルーカスは、扉を開く手を止める。


「レディ、どうかしましたか?」

《前方に、移動する熱源を感知しました》

「移動する熱源?」

《至急、窓から屋外へと待避してください》

「エリー、こちらへ!!」


 エリーが返事をする間も無く、ルーカスは彼女の手を取り、左方へキャタピラを素早く転がした。

 二人が窓から外へ出たのと同時に、先ほど開けようとしていた扉が、反対側から勢いよく開け放たれた。

 そのまま剥がれるように蝶番から千切れた扉は転がり飛ばされて、廊下の端から端までものの数秒で吹き飛ばされてしまった。

 同時に巻き起こった強い風が、窓際の砂粒を嵐のように舞い上げる。

 二人は砂上で思わず立ち止まり、目の前の光景に絶句した。


「な、何あれ!?」

「わかりませんが、何かあの先に危険なものが居ることは確かです! とにかく、逃げましょう!! エリー、私に掴まっていてください!」


 エリーは促されるままに、ルーカスのボディに手を回して、しがみつく。


「ちょっと飛ばしますよ……!」


 ルーカスはキャタピラを最大出力で回し、建物の窓枠に沿うように走行を始めた。

 ルーカスの風を切るような速さに、エリーは思わず目を瞑った。


「取り敢えず、対象に離れた場所からもう一度屋内に入りましょう! 隠れる場所が無い外に居続けるよりは、そちらの方がまだ安全です!」

「わ、わかった!」


 速度を保ったまま、建物に沿ってひとつ角を曲がる。ジェットコースターで下りカーブを曲がるような強い遠心力で一瞬引き剥がされかけたエリーは、ルーカスの背中で短い悲鳴をあげた。

 ルーカスは思わず、後ろを振り返る。

 目薬を差した後のように、両の目をぱちぱちとしばたかせているエリーと、視線がぶつかった。


「エリー、大丈夫ですか!?」

「少しびっくりしたけど、大丈夫……」

「角をひとつ曲がったので、これでしばらく見つからずにやり過ごせるでしょう。早いところ、施設内に入れそうな場所を探しましょうか」


 ルーカスはキャタピラを走らせながら、視界の右半分を占めているくだんの施設を、首ごと動かしてぐるりと見渡す。


「こちらの壁は、ガラス張りじゃないみたいですね。どこかに扉があればいいのですが……」


 すると、エリーが突然「あっ」という声と共に、前方を指差した。

 彼女の指差す先にあったのは、二本の巨大な柱だった。

 2メートルほどある柱の右方、その天辺には、宇宙飛行士を模した石像が、柱と同じような石材で象られていた。

 おそらく、左方の柱の天辺にも似たような石像が彫られていたのだろうが、風化のためかそこは、型から取り出し損ねた豆腐のように、ボロボロに崩れていた。

 しかし、それは大した事ではない。それよりも重要なのは、二本の柱に挟まれるようにしてそこにある、勝手口のように小さな扉があることだ。

 ルーカスはキャタピラを止めて扉に近寄ると、静かに掌で触れた。

 他のものとは打って変わり、この扉だけがさほど風化していないように見て取れた。


「この扉は……? やけに状態が良いみたいですが」

《非常扉だと推測致します。風化していないのはおそらく、防食加工が為された金属を使用しているのでしょう》


 ルーカスは顎に手を添え、余った方の手で、鏡の曇りを除くように扉を二、三度撫でる。


「非常扉……という事はもしかすると、大きな通路まで繋がっているかもしれませんね」

「じゃあ、ここから入る?」

「そうですね。入らない理由もありませんし、ここからお邪魔しましょう……と。その前に」


 ルーカスは、ドアノブに手を掛けたところで、思い出したように立ち止まる。


「レディ。熱源感知スキャンを20m範囲でお願いします」


 ルーカスがそう言うと、レディは小さな電子音と共に計測を始めた。

 ルーカスは、エリーの方に顔を向ける。


「また、先ほどのような目に遭っては堪りませんから。慎重しんちょうに行きましょう」


 エリーは、静かに頷いた。


《指定した範囲で、熱源は確認されませんでした》

「わかりました。どうやら大丈夫そうですね。行きましょうか」


 ルーカスは、掴んでいたドアノブを捻り、手前に引いた。その時だった。

 突然、頭上で耳を塞ぎたくなる程の警報が鳴りだした。

 ルーカスは、扉に顔だけを潜らせて周囲を見回す。すると、非常扉の傍に大きなブザーが取り付けられていることに気がついた。

 四角いそれは細かく振動しながら、赤色のランプを変わり掛けの信号機のように、何度も点滅させていた。

 どこにも音を止める術が見当たらず、2人は両手で耳を塞いでいた。

 すると、頭部のランプがチカチカと二回点灯した。


《ブラザー・ルーカス。屋内に入って、扉を閉めてください。ブザーが鳴り止むかもしれません》

「なるほど……エリー、中に入ってください! もう一度閉めれば、警報が止まるかもしれません!」

「わ、わかった!」


 エリーは飛び跳ねるように扉を潜る。

 その直後、ルーカスが重い扉を力強く閉めると、レディの言う通りに警報はピタリと止んだ。

 薄暗く幅の狭い通路に、エリーの息を吐く音だけが聞こえる。


「レディの予想した通りに、止んでくれましたね……ありがとうございました、レディ。おかげで助かりました」

《いいえ。非常扉と分かっていた以上、扉を開ける前にオペレーターである私が気付くべきでした》

「……あれ?」


 エリーが呟いた声は、二人の会話を遮るように、狭い通路を何重にも反響した。

 ルーカスが声のした方を振り向くものの、そこにエリーの姿は無かった。

 正しくは、あまりの暗さに数歩先にいるエリーの姿を確認すらできなかったのだ。

 ルーカスは、すぐさまヘッドライトを点けて通路を照らす。

 目の前には、真っ直ぐに伸びた天井の高い通路と、小さく屈みこんで床に手を触れているエリーの姿があった。

 こちらを振り返ったエリーの瞳が、ライトに照らされて金色に輝く。


「どうしたんですか?」

「靴が、何か床に引っかかって……」

「床に?」


 エリーに向けていたライトを足元に傾け、彼女が凝視していた辺りの床を照らし出す。


「うーん……? これは、何でしょうか」


 エリーの屈んでいた場所に、手のひら大の小さな窪みが5つ。更に道の先まで、似たような窪みが点々と続いていた。これに、エリーの靴先が引っかかってしまったのだろう。

 ルーカスは少し、思考を凝らしてみる。

 しかし、ここでどんな答えを出そうとも、今ある道は目の前の一筋のみ。

 選択肢が無いのでは、先に進む以外に仕方がないとすぐに思った。


「これが何の跡か、明確にしたいところではありますが……今は、先に進む他ありませんね」


 結局二人は、先に進むことにした。

 ヘッドライト以外に通路を照らす物は無く、心無しか、通路全体がひんやりとしていた。

 扉を粉砕した正体不明の熱源が追ってくる気配は無い。

 この施設ではあまり落ち着けそうにないな、とルーカスは改めて落胆する。

 狭い通路はどうも、奥に長く続いているらしく、歩いても歩いても中々端まで辿り着かない。

 足元には依然として、5つの窪みが道の先へと続いていた。


「これ、何かの足跡かな?」


 エリーは、唐突にそう言った。


「この、窪みのことですか?」

「うん。ずっと先まで続いているから、ここを誰かが通ったのかなあ、って思ったんだけど」

「足跡、ですか」


 ルーカスの脳裏に、金属製の扉が宙を舞い転がり落ちる光景が映し出される。

 もしも本当に、この窪みが何某なにがしの残した足跡で、あの時、扉の向こう側に居たのがその"何某"だったとしたら。


「ここは、踏み入ってはならない場所だったのかもしれませんね」

「えっ、どういう事?」

「それは……」


 しかし。ここでの探索を諦めたとして、それからどうにか出来るアテなど、どこにも無かった。

 元より、せっかく掴んだ帰還の糸口を手放すつもりなど、ルーカスには毛頭無い。


「いいえ。何でもありません。早く宇宙船を見つけて帰りましょう」


 ルーカスの返しに、エリーは口角を上げてコクリと頷いた。


「うん! 宇宙船、早く見つけようね!」


 一切の不安を感じていないエリーの返事に、ルーカスは安堵の息を吐いて深く頷いた。

 それから暫く道なりに歩くと、突き当たりに何かの輪郭が薄らと浮かび上がってきた。

 先に気付いて口を開いたのは、エリーの方だった。


「あっ。扉だよ、ルーカス!」


 入った時のものと似たような形の扉が、ヘッドライトに照らされる。

 足元の怪しい窪みも、この扉の目の前で途切れていた。


「思いの外長い通路でしたね。元より、施設のどの辺りに居るのかよく分かっていませんでしたが、余計分からなくなってしまいました」

「扉、開けてもいい?」

《周囲に不審な熱源は確認されませんでした》

「また、警報が鳴るかもしれません。開けたら素早く通過しましょう」


 エリーは頷き、レバー式のドアノブを捻って押し開ける。警報機は取り付けられていたが、今回は鳴らずに終わった。

 扉を抜けた先は、テーブルがいくつも並べられた大部屋だった。

 扉から向かって正面はガラス張りのようだが、先例通りにガラスは全て割れてしまっている。

 よく部屋を見渡すと、遠目にカウンターのようなものが確認できた。

 ルーカスは、一歩二歩と部屋に足を踏み入れる。エリーもそれに続いて部屋に立ち入った。

 二人が歩く度に、足元で踏みつけられたガラスの破片が、ぱきりぱきりと儚げな音を立てた。


「テーブルと椅子いすがいっぱいだね」

「ここは……食堂、でしょうか?」


 二人はテーブルとテーブルの間を縫うように歩き、部屋の探索を始めた。テーブルは綺麗に並べられているものの、500年という長過ぎた空白の時間が、それらに大量のこけや錆を与えていた。


「これでは、どれほどのご馳走がお皿に乗ってきても、食欲が湧きそうにありませんね」

「あっ。ここにも」

「……? エリー、何か言いましたか?」

「ルーカス、これ見て」


 促されるままに、ルーカスはエリーの指差す先──テーブルの隙間から覗いた小麦色の床を注視する。

 そこあったのは、先ほどの通路で見つけたような、5つの窪みだった。

 窪みは、食堂を横断するように点々と続いている。


「ここにも、怪しい足跡ですか」

「向こうまで続いてるね」


 エリーは、足跡を追うように指先を動かす。追い続けた末に指先が辿り着いたのは、古びたカウンターだった。

 もしかすると、当時はここで日替わりの定食を山盛りにした皿でも職員に配っていたのかもしれない。

 その名残か、カウンターの長机には、汁物のシミのようなものが模様のように残っていた。

 足跡と思しき5つの窪みは、カウンター脇の仕切りから、料理人達が作業をする裏手──つまるところ、厨房へと続いていた。


「コックさんのところに向かってるね。もしかして、足跡はコックさんの?」

「ただ歩くだけで床を抉るほどの脚力を持った、5本足のコックですか。戦闘になったら、間違いなくボコボコにされますね。それに、このような如何にもな足跡は……サスペンスホラー映画の世界じゃ、99.9パーセント罠です」


 ルーカスは両目を閉じ、自身の発言のどうしようも無さと行く先の不安に溜め息を吐く。

 意味がよく分かっていないらしいエリーは「ルーカスって、ロボットなのにテレビを観たりするんだね」と、素朴そぼくな感想を隣から告げた。


「まあ、足跡と言っても何百年と昔のものでしょう。その証拠に、どの窪みにも、中に埃が積もっていますから」

「本当だ……凄い! ルーカス、やっぱり名探偵だね!じゃあ、コックさんのお部屋に行ってみる?」


 エリーは、遠足前夜の子供のように、どこかウキウキとした口調でそう尋ねた。どうも、普段足を踏み入れることの無い"関係者以外立ち入り禁止"の空間を目前に、気分が高揚しているらしい。

 それを見て、ルーカスは微笑ましげに笑った。


「そうですね。確かめておいて損は無いでしょう。レディ、大丈夫そうですか?」

《厨房からの生体反応・熱源は確認されませんでした。探索に危険性はありませんが、閉所なので警戒して探索に取り掛かってください》

「分かりました。では、エリーは念のため僕の後ろについて歩いてください」


 エリーは頷いてルーカスの後ろに立ち、額に掛けた防塵ゴーグルをずらして装着する。

 厨房探索に、ゴーグルを着ける意味は特に無いだろうが、きっと気分的に探索モードのスイッチでも入るのだろう。表情も明るい。今の彼女の気分は、探検隊だろうか。

 そんなエリーとは打って変わり、屋外からの日光が届かない厨房は、極端に暗かった。

 ルーカスは、ヘッドライトの光を強めて厨房全体を明るく照らした。

 ヘッドライトに照らされたシンクや食器が、真っ白に輝く。


「ふむ。ごく普通の厨房、と言った感じですね。気になる点と言えば……時間が経っている割に、壁に掛けられている食器は、まだ使えそうなくらいに清潔が保たれていることでしょうか」

「シンクも綺麗だね。誰かが掃除しているのかな?」

「……もしかすると、あの窪みのような跡を作った犯人が──」

「お客様」


 ルーカスの言葉を遮るように、聞き慣れない声が厨房に響く。

 二人が動揺を隠しきれずに辺りを見渡していると、厨房の奥から黄色い布巾を片手に持った5本足のロボットが姿を現した。


「関係者以外の厨房への立ち入りは禁止しております。御遠慮ください」


 5本足のロボットは、驚きで口が塞がらない二人に対して、淡々とそう言った。

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