第9話『剥落する未知』

 ルーカスは片脇にオニキスの頭部を抱えて、大きく息を吸い込んだ。


「さあ、のんびりしてはいられません。早速、この研究施設を探索しましょうか」

「床に落ちてる資料を集めてみる?」

「それもひとつの手ですが……床に散らばった資料はどれも風化が進みすぎていて、解読するのに時間が掛かりそうです。短時間で要点が分かるような、まとまった資料が欲しいところですね」


 ルーカスはそう言って、部屋の角にある3台のデスクのうち、ひとつの引き出しに手をかける。開けるとそこには、年代物と化したシート状のガムだけが入れられていた。

 ルーカスは数秒固まり、渋い表情で開けた引き出しを元に戻した。


「——と、まあ。こんな感じで片っ端から引き出しを開けていきましょう。エリーは、右の机からお願いします」

「どんな資料だったら役に立つかな?」

「そうですね……取り敢えず、資料が見つかり次第、そこに重ねて置くようにしましょうか」

「ラジャー!」


 引き出しを開閉する音と、資料の嵩張かさばる音が室内を満たす。

 二人は机に向かって屈み込み、中から情報源になりそうなものを次々と選定しては、足元に積み重ねていった。

 机が4台あるのに対し、見つかった資料は3つ。ルーカスの見込みよりは多めに回収できた……が、資料をめくった彼は、深い溜め息と共に項垂うなだれた。


「得られる情報が断片的すぎて、何の研究をしていたのか予想すらつきません。周波数がどうとか書かれている実験結果の資料が少し気になった程度でしょうか。次の資料に至っては、もはや何の記録かすら……おや。このノートは?」

「それも引き出しに入ってたよ」

「これは……日記、でしょうか」


 ルーカスは、積み重ねられた資料の中から、黒い背表紙のノートを引っ張り出し、表紙を捲った。

 ページの左上には力強い筆跡で日付けが書かれていた。次のページも、また、その次のページにも、同じように日付けが1日も飛ぶことなく書かれている。


「持ち主は、毎日このノートに日記を付けていたみたいですね……これなら、内容次第では他の資料よりも有力な情報が掴めそうです」


 ルーカスはもう一度1ページ目に戻る。日付けの頭に書かれた"2105y"という英数字を見て、彼は「なるほど」と小さく呟いた。


「西暦2105年──つまり、ここは今から600年ほど前に稼働していた施設のようです」

「ここで何を研究していたの?」

「それは、この日記を読み進めていけば、おそらく明らかになることでしょう。早速、1日目から読んでみましょうか」


 ルーカスは、日記を見ようと四つん這いで近寄るエリーに対し、ノートをかかげていた両手を下げて、それを床の上へと静かに置いた。

 エリーは首を伸ばすように身を乗り出し、ノートに書かれた文面を覗き込んだ。ルーカスも、同じようにして隣で覗き込む。


「では、読み上げます。『2105年、4月16日。私は──」


『2105年、4月16日。私は、昨年末に新設されたプロジェクト〈プロジェクト・オレオン〉の開発メンバーとして、本日付でこの研究所に配属されることになった。突然のことで初めは驚いたが、前々から興味のあったプロジェクトだったこともあり、この異動は私にとって歓迎すべき報せだった。従業員は私の他に3人。地区ごとに同じような支店が設けられているらしく、明日は1日限りの研修と、各地区への挨拶回りだ』

『4月17日。午前中に近隣施設への挨拶回りを終えて研究所へ戻り、ここで行なっている研究について先輩方から詳しく教わった。プロジェクト・オレオンは、宇宙規模の移住を目的とした研究をおこなっていると以前から聞いていたが、どうもここでは、新たな通信設備を開発しているらしい。広い範囲での交信を可能にする、いわゆる"アンテナ"を作っているそうだが……宇宙船との長距離交信を可能にする設備なのだろうか? そうであれば、私は宇宙開発に大きく貢献できる仕事を任されてしまったようだ』


 ルーカスは、見開きの2ページを読み終えてひと息吐いた。

 エリーは難しそうに首を傾ける。


「〈プロジェクト・オレオン〉に、通信装置の開発……日記を読んだ限りでは、この星もエリーの住んでいた地球のように、移住を計画していたみたいですね」

「でも、大きなアンテナなんてどこにも無いよ?」

「もしや、オニキス達がこの研究所に墜落したのは──」


 ルーカスはふと、オルカと壁の間で拉げていた機器の存在を思い出し、そちらに目をる。

 彼の視線の示す物に気が付いたエリーは、一足先にぺしゃんこの機器へと走り寄った。


「もしかして……これがアンテナ?」

「成程。この残骸は、研究所の中にあった物ではなく、元々研究所の外に取り付けられていたアンテナだったのですね。そして、兄弟はオルカを操縦して、このアンテナに目掛けて墜落した──しかし、何故だ。何故、わざわざそのような事を……?」


 ルーカスは、傍に開きっぱなしにしていた日記をぱらぱらと捲る。

 すると、途中で文面に違和感を覚えてページを捲る手を止めた。

 数枚、通り過ぎた分のページを捲り直す。

 手を止めたページには、ページの真ん中にたった2行。メモのような走り書きで、こうつづられていた。


『これを読んだ者は、直ちにこの星から離れること。一度怪電波を浴びたロボット達は、元に戻らない』


「これは……?」

「ルーカス、どうかしたの?」


 ルーカスはエリーの問い掛けに答えずに、もう一枚ページをさかのぼる。

 そこには、他のページと同じように、日付と長文の日記が記されていた。ルーカスは、文面を目で追いかけながら、それを読み上げた。


『2月19日。なんという事だ。この研究は、ただの宇宙開発などではなかった。それどころか、知らず知らずのうちに、とんでもない計画に私は加担してしまっていたらしい。先日〈Tonnerre clartéトネイル・クラルテ〉と名付けられたこの研究対象は、星外移住を目的に作られたアンテナなどではなかった。以前から不審に思ってはいたが、今回行われた実験で、その不審は確信へと変わってしまった。当研究対象は、外界からの干渉かんしょうを受けるAIなどを搭載した機器に特殊な電波を受信させ、破壊衝動や自己破壊衝動を植え付ける……つまるところ、機械に対して寄生虫のような役割を果たす兵器だったのだ。他の研究者達は、この事に気付いているのだろうか? まさか、私だけがずっと騙されていたのか? もしそうだとすれば、迂闊に口にすると、何をされるか分かったものじゃない。この忌むべき危険な装置をどうにかしなければ。この装置が完成すればおそらく、この国は……大規模な戦争に踏み出すつもりなのだろう』


 最後の文字を見つめたまま、ルーカスは黙り込んだ。

 この惑星で過去に何が起きて、その結果どうなってしまったのか。そして──何故オルカとワルフィスは、この廃退したいわく付きの惑星に墜落したのか。

 そんな、手掛かりの足りなかった数ある謎の答えが同時にひも解かれ、ルーカスの中で繋がった。

 ふと、エリーと目が合う。幼い彼女はまだ、自分がこの廃れた惑星の廃れた発明に振り回されていたという、呆れんばかりの真実に気が付いていないだろう。

 エリーは、何も言わずにこちらを見つめるルーカスに対し、小首を傾げてみせた。金色の長髪がそれに合わせてふわりと揺れ動く。

 彼女には、この事実をどのように伝えればいいのだろうか。ルーカスがその結論を出すよりも先に、エリーの口が開いた。


「この日記、何だかとても難しいことばかり書いてあるね」

「そうですね。研究について多く書かれています。何か、分からない事はありましたか? ……って、分からない事だらけですよね、きっと」

「うん。分からない事ばっかり。だけど……この"見えない雷"って何? さっき話してたアンテナのこと?」

「"見えない雷? 一体、何の事ですか?」


 ルーカスがそう言うと、エリーは目を丸くして、日記の一部分を指差した。


「ここに書いてあるよ。ルーカスもさっき読んでたじゃない」

「"Tnnerre clarté"……エリー、これの意味が読み取れたのですか?」

「うん。だってこれ、フランス語でしょう?他の文章は、英語みたいだけれど」

「……フランス語?」

《フランス語は、地球人の一部が使用している言語です。地球人が移住してきた際に、冥王星にも英語などと共に伝わり、現在も使用されています》


 ルーカスの疑問符に、レディが間髪入れずに回答する。

 だが、その回答はルーカスに新たな疑問を生み出した。


「地球人が使っている言語? それなら、何故こんな惑星で使われて──」


 どきり。ルーカスの無い心臓が、不意に大きく脈を打つ。


「まさか……それじゃあ、ここは」


 あまりの驚愕きょうがくに、心を持ったロボットの声は、僅かに震えた。


「太陽系第三惑星──旧地球」


 絞り出された声は、剥落はくらくした真実を告げた。

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