第8話『再会』

「えっ。じゃあ……ルーカスのお友達の居る場所が、わかったの!?」


 ルーカスは、デパートの瓦礫がれきの山から撤収し、エリーに黒い筒の正体と、くだんの信号について説明した。

 言うまでもないが、エリーが助けに入る予定だった"いざという時"は訪れることも無く、調査は無事完了した。


「ああ、いえ。信号が飛ばされた地点までしか分かりませんし、送り主が生きているのかさえ、まだ分かっていないんですよ」

「それを今から確かめに行くんでしょ?それなら、早く行こうよ!」

「そうですね、ここでやれる事はもう特にありませんし……わかりました。それでは、出発しましょうか」


 二人は荷物を整えると、レディが指し示す方向へと歩き出す。

 空に広がった分厚い雲の群れは、砂漠と二人に大きな影を落としていた。


「ねえねえ、ルーカス」

「はい、何でしょう?」

「確か、ルーカスやルーカスのお友達って"ブラザー・ロボット"って呼ばれているんだよね? お友達とルーカスって、皆兄弟なの?」

「いえ、それはチーム名のようなものです。元々、僕達ブラザー・ロボットは、それぞれ別の機関で作られました。なので、得意な事や専門としていることは、一人ずつ違います……が、仲は良いので、兄弟という解釈でも強ち間違ってはいませんね」

「じゃあ、ルーカスは何が得意なブラザー・ロボットだったの?」


 ルーカスの表情が、僅かに強張る。

 それは、ルーカスにとって一番苦手な質問だった。

 ブラザー・ロボットは、宇宙探検隊の一員として高度な技術や指揮を執り行うことができるようにプログラムされた、いわゆる精鋭の集まりだった。しかし、ルーカスだけは違った。

 彼の本業は、対話である。指令曰く、人間の隊員のストレスを緩和するためのマスコット的存在であるらしいが、要はルーカスだけ"ただのロボット"だったのだ。

 対話など、どのロボットでも当然できる芸当であり、勿論他のブラザー・ロボットでも十分補える役割である。と、ルーカス自身は思っていた。

 それもあって、他のロボットにブラザー・ロボットに抜擢された事をねたまれ、指を差された日も少なくはない。


「どうでしょうね……博士からも教えられていないので、冥王星に戻ったら一度聞いてみます」

「そうなんだ。でも……ルーカスはきっと、凄いロボットだと思う!」

「……どうしてですか?」


 思いもよらぬ言葉に、ルーカスは目を丸くして素直にそう訊ねた。

 エリーは両手を後ろに組んで振り返り、笑みを浮かべる。

 少女の白い八重歯が、こちらを覗いた。


「だってルーカス、私のお父さんみたいだから!」

「お父さん、ですか?」

「うん! 私をいつも『おはよう』って優しく起こしてくれて、私が学校の皆に話したら笑われちゃうような話でも、しっかり聞いてくれて……私が悲しい時には、一番に気付いてくれるの! ルーカスもそうでしょう?」

「それは……それが、私の仕事でしたから」

「じゃあ、もしかしてそれがルーカスの得意なことなんじゃない? 人に優しくできるロボットなのかも!」


 エリーは両手を広げて自信あり気にそう言った。

 ルーカスは、立ち止まる。それにつられて、エリーも立ち止まった。

 数秒の沈黙が流れる。


「変では、ないでしょうか」

「何で? 素敵なことだと思うよ」

「そうですか。では……それが僕の得意なこと、なのかもしれませんね」


 ルーカスはエリーに柔らかく微笑みかけ、再び歩き出す。エリーもそれに続いて、再び歩き出した。


「お友達に会えたら、お友達も私達と一緒に冥王星まで行くんだよね?」

「そうですね。もしも会えたら、どの兄弟でもきっと頼りになりますよ。僕より何倍も大きな兄弟や、目からビームを出せる兄弟だっていますから」

「凄い、ヒーロー戦隊のロボットみたい!」

「ふふっ、それは言えてますね……おや?」


 ふと、ルーカスは砂漠全体が薄暗いことに気が付き、頭上を見上げる。空を覆い隠していたのは、分厚く広がった巨大な雨雲だった。


「ルーカス、どうしたの?」

「ああ、いえ。雲があるな、と思いまして」

「雲? 雲なら前からたまに見かけてたよ?」

「……"前から"?」

「うん。私達が宇宙船から出た時にもあったし……ハンバーガーのお店から出た時もあったよ」


 ルーカスは腕を顎に当てて「そうだったんですか」と答えた。どうも、終始考え事をしながら歩いていたせいか、これまで空を全く見てこなかったらしい。

 だが、重要な問題はそこではなかった。

 話した後も難しそうな顔をしているルーカスを、エリーが隣から覗き込む。


「雲が、どうかしたの?」

「……何故、雲があるのでしょうか」

「えっ?」

「砂漠地帯というものは普通、雨が極端に降らない地域のことを指します。ここも雨が降らない惑星で、植物が死滅した結果このような砂漠になったものだとばかり思っていましたが。まさか、違う理由があるのか……?」


 考えれば考えるほど、この砂漠の不自然な点など、腐る程あった。

 砂漠の砂が石灰や塩のように真っ白であること。

 砂漠地帯では通常、気温が極めて高いはずの日中……加えて、極めて気温が低いはずの夜間に、エリーが問題なく活動できるほど平坦な気温であったこと。

 いくつか、白い砂漠について書かれた文献や資料を冥王星で見かけた事はあったが、どうもこの廃退した惑星の白い砂漠は、普通の砂漠とはかけ離れた異質さがあった。


「ルーカス、この惑星って戦争があったんだよね?」

「はい。と言っても、それは私の推測に過ぎませんが……」

「じゃあ、爆弾で植物も全部燃えちゃったんじゃないかな?」

「それもあり得ない話ではありませんが、それでは現在も植物が死滅したままである事に合点がてんがいきません。この惑星は、現在も植物が育たない環境下にあるはずです。しかし、雨が降らない訳でもなく、太陽の光が遮られている訳でもないとするならば、一体何故この惑星は砂漠化して──ん? 爆弾で、死滅……まさか」


 ルーカスが、エリーの方を振り向く。こちらをずっと見ていたエリーと、目が合った。彼女は、何事かと小首を傾げる。


「エリー。貴方の予想はもしかすると、正しいかもしれません」

「えっ?」

「レディ。現在地の放射線量を測定できますか」


 レディは了承すると、ピコピコという可愛らしい電子音を発しながら測定を始めた。二人は、揃って測定の結果を待つ。


《測定が完了しました》

「どうでしたか?」

《微量ですが、基準値を超えた放射線量を確認しました。冥王星基準での危険度レベルは2以内です。人体への影響はありませんが、長期滞在は推奨致しません》

「そうですか、ありがとうございます。やはり、この周辺の土地は件の戦争で被曝していたのですね。植物が死滅するほどの放射線を何百年と昔に浴び、ようやくその影響が治まってきたところなのでしょう」


 ルーカスは来た道を振り返る。白い砂漠の真ん中に、先ほどのデパートが小さく見えた。


「じゃあ、この惑星の物は食べられないの?」

「全て食べられないということはないと思いますが、先程のデパート施設から察するに、僕達のいる辺りは恐らく当時の激戦区でしょうから、食べられる物は殆ど無いに等しいでしょう。脱出艇と宇宙船ワルフィスで回収した食料だけを食べていくようにしましょうか。食料の詰め込まれた核シェルターなんかが都合良くあれば、話は別ですが……まあ、あったとしても賞味期限が軽く200年は切れていそうですけどね」

「あっ、そうだった」

「エリーが口にする前に気付けて、本当に良かったです」


 ルーカスはそう言って、視線の先にある雨雲をじっと見つめる。


「こういう時は、雨水も貴重な飲み水だとよく言いますが……この環境下で発生した雨水は、あまり摂取しないほうが身の為でしょうね」

「ルーカスって、雨に濡れても大丈夫なの?」

「防水加工が施されているので、問題ありません。ですが、キャタピラを進ませづらくなりますし、気分的にもやはり濡れたくはないものです……ん?」


 突然、ルーカスの視界が、じわりと滲む。それから、金属製の身体をぽつりぽつりと、水滴が何度も小突いては、木の葉を伝う朝露のように順に垂れていった。

 ルーカスが濡れた右目を拭うと、そこには予想通りの光景が広がっていた。


「……早速ですか」

「雨だあーっ!」

「エリー、走りましょう! 雨宿りができる場所を探します!」


 小粒だった雨は、飛ぶような勢いで激しさを増してゆき、あっという間に土砂降りへと変わった。

 ルーカスはエリーの手を引いて、キャタピラを懸命に転がす。対するエリーは、突然の大雨に子供らしくはしゃいでいた。


「ルーカス、どこに向かうの?」

「……!? すみません、雨でよく聞こえません!」

「どこに、向かうのー!?」

「取り敢えず宛てが無いので、目的地まで行ってみましょう! 途中で建物が見つかれば、そこに避難します!!」


 水の張った砂地を忙しなく駆ける、二人分の足音。

 一行が鬱陶しがっていた砂の霧は、雨が降ると共に消え去ったものの、今度は豪雨によって現れた濃い霧が、二人の視界を阻んだ。

 エリーとはぐれぬよう、ルーカスは彼女の小さな手をしっかりと握り、目的地の座標だけを頼りにひたすら霧の中を突き進んでいく。


 しばらく雨霧に囲まれただけの代わり映えない景色を進んでいると、突然視線の先に狼煙のろしのようなものが見えた。二人は思わず、足を止めてそれを見上げた。


「狼煙、でしょうか? いや……でも、これは狼煙というより……」

《目的地付近に到着しました。そのまま直進してください》


 ルーカスは、何も言わずに煙のたなびく方へとキャタピラを転がした。

 雨霧の向こう側へと辿り着いたルーカスは、その場に立ち尽くした。


「——ああ」

「……ルーカス」

「大丈夫ですよ。ええ、大丈夫です。もしかすると、こんな結末が待ち受けているのではないかと……予想は、できていましたから」


 小型の宇宙船だった。白塗りの建物に突き刺さって、幾本の黒煙を立ち昇らせていたそれは、紛れも無く宇宙船オルカであった。


 宇宙船ワルフィスの破損状態を"折り紙"と例えたならば、目の前のオルカは"丸めた紙屑かみくず"同然だった。

 ルーカスは、オルカが屋上部分に突き刺さった3階建ての施設に入り口を見つけると、エリーに中に入るよう促す。

 エリーが駆け寄り、ガラスの割れた自動ドアをくぐる。ルーカスもそれに続いた。


「取り敢えず、3階まで上りましょうか。兄弟の安否は望み薄ですが、それも兼ねて気になることがあります。それの真相を確かめなくてはなりません」

「気になること?」

「"何故兄弟が着陸場所にこの建物を選んだのか"です。砂上ならばともかく、このような建物に突撃するなど、自殺行為もいいところでしょう」

「ここにぶつからなきゃいけない理由があったのかな?」

「おそらく、そういうことだと私も思っています」


 ルーカスはこれまでと変わらず冷静を保っていた。エリーの時とは違い、無理をしているわけでもなさそうだ。

 オルカの衝突によるものか。所々にヒビの入った壁で囲まれた階段を、二人はゆっくりと上っていく。


「それにここは、ただの研究施設というわけではなさそうですね」

「ここって、研究所なの?」

「先ほど、かなりびついていましたが"Spaceスペース Labラボ"と書かれた如何いかにもなプレートを見つけました。ここで宇宙開発を行っていたのでしょう。全ての実験を担うには、ここだと小さすぎますから、本当に一部の研究だと思いますが……ですが、たったそれだけの施設が、宇宙船の正面衝突にも耐えられるような設計をしているのは、妙な話です」

「あっ。ルーカス、見て! あそこの扉から入れそうだよ」


 エリーは、階段を上った先に伸びた通路を指差す。短い通路の奥には、壁と同様に白く塗られた扉がひとつ、設けられていた。

 扉は、文字通りのひとつだけ。どうも三階には、その部屋しか存在しないらしい。


「扉を開けます。何があるか分かりませんから、エリーは一歩後ろで待機していてください」

「うん、わかった」


 ルーカスは、扉のレバーに手を掛けて反時計回りに捻ると、ゆっくりと扉を押し開けていく。

 扉の先に障害が無い事を確認すると、ルーカスは部屋の中へと入り込んだ。扉の隙間から手招きされたエリーも、それに続いた。


 部屋の中は、予想以上の散らかり様だった。

 研究資料らしき紙の束は床一面に散乱しており、オルカが突き刺さった壁には、その形に合わせて大きな穴が空いていた。

 肝心のオルカはというと、衝突で側面がずたずたに損傷しており、所々の亀裂や穴から宇宙船の内部が覗き込める、酷い状態だった。

 微かに船内から覗く赤い染みについては深く考えないでいたいと、ルーカスは反射的に目を逸らす。

 オルカは、扉を背にして、右側の壁までめり込むように深々と突き刺さっていた。ふと、オルカの先端部に目を遣ると、壁とオルカの間に何かの機器がぺしゃんこに拉げている事にルーカスは気がついた。

 散乱した足場を気にしながら、ルーカスはキャタピラを転がし近くに寄る。


「これは。……何か、装置のようなものがオルカに潰されていますね。この部屋にあった物が衝突に巻き込まれたのでしょうか」

「何の機械か、全然分からないね」

「はい。まるで、スクラップですね。室内の安全は確認しました。生存者の確認をしましょう」


 ルーカスは、宇宙船の中を覗き込んだ。ルーカスの記憶していたオルカの面影を残さぬ程に、船内は酷く散乱していた。壁や床の至る所が、血で赤く染め上げられていた。

 拉げた船の隙間から、宇宙船を装着した人間の腕や足が僅かに見えた。安否は、考えるまでもなかった。

 成る程、地獄絵図とはよく言ったものだと、ルーカスは思った。目の前に広がる光景はまさに、地獄そのものであった。

 その時、背後からエリーが近づいてくる気配を感じ取り、調査する手を止めた。


「ねえ、ルーカス。誰か見つかっ──」

「船内は、状態が良くありません。視界に収めない方が精神衛生上いいでしょう。エリーは、外で待っていてもらえますか」


 ルーカスは咄嗟にエリーの目を後ろ手で覆った。10歳そこらの少女に、この光景は刺激が強すぎると判断した故の行動だった。

 エリーが見えない位置まで退がるのを確認すると、ルーカスも船の外に戻ろうと一歩後ろに退がる。

 その時、手元に触れた何かの感触に、ルーカスは後ろを振り返った。


 エリーが、再び船内を覗き込んでいた。ルーカスの手を押さえていると言うことはつまり、私にも見せろという事だ。

 ルーカスは、少女の思いがけぬ行動に目を見開いた。


「え、エリー!? 退がっていてくださいと先ほど……!」

「大丈夫、平気だよ。……ねえ、ルーカス。私のお父さんが乗っていた宇宙船も……ワルフィスも、こんな風になっていたの?」


 エリーは、ルーカスの目をじっと空色の瞳で見つめて、そう尋ねた。

 数秒答えを探してみたが、ルーカスは観念して肩を落とした。


「はい。これとよく似た状態でした。……ずっと黙っていて、すみませんでした」

「ううん、怒ってないよ。私だってきっと、こんなの見たら教えられないもん。それに……よく覚えていないけれど、似たようなものを見たことがあるような気がしたから。そうだったんだろうなって、何となく分かってた」

「そうでしたか……。僕達は互いに、この光景を代償に生かされています。必ず、生きて帰りましょう」

「……うん。生きて帰ろう」


 エリーは、金色に輝くペンダントを右手で包み、握りしめた。

 ルーカスに促されて船の外へと戻ろうとしたエリーは、視界の端に転がった何かに気がつき、立ち止まる。それを見たルーカスも立ち止まり、同じ方向に視線を向けた。


「あそこ。何か落ちてない?」

「あれは、まさか」


 ルーカスは近寄り、そこに転がった半円形の物体を抱え上げた。

 持ち上げた半円形のそれはビーチボールのように大きく、半円になった部分の中から、大量のケーブルが垂れ下がっていた。表面にはルーカスによく似た、いわゆる"ロボットの顔"が形成されていた。


「──オニキス」

「おに……きす?」

「ブラザー・ロボットの片割れです。頭部だけで他が見当たりませんが、間違いありません」


 ルーカスが、砂粒を払うようにオニキスの頭部を撫でる。

 ルーカスは、オニキスの頭部を抱えたまま、エリーのいる場所まで引き返した。エリーはすぐさま駆け寄り、オニキスの顔を覗き込む。


「この人が、ルーカスの兄弟なの?」

「はい。形だけの兄弟ですが……それでも。僕達は互いに、兄弟でした」

「もう、会えないの?」

「人間の隊員にはもう会えませんが……ブラザーロボットは、冥王星に出航直前のバックアップを保存したスペアロボットが待機しています。 なので冥王星に帰還したら、いつか二人で会いに行きましょう」


 船内で唯一、原型を留めていた仲間の一部分。ルーカスはそれを、目線の高さまで抱え上げた。

 今は亡き兄弟と、互いの視線が向かい合う。


「我々の任務は完了しました。帰りましょう、兄弟」


 兄弟が頷いたような、笑いかけたような。そんな気がした。


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