第6話『瘡蓋』

「ルーカス、大丈夫かな」


 エリーはクレーターを覗き込んだまま、誰にというわけでもなく呟いた。昼の日は朝方よりも高い位置まで昇るため、クレーターの中は来た時よりも明るく照らされていた。それほどの長い時間が、あれから経過していた。


 ルーカスはまだ、崖底から戻ってきていない。

 クレーターのふちで一人、エリーは何を思っているのか。勿論それは彼女自身にしか知り得ない事だが、彼女の心情が鉛や雨雲のように重いものであることは、その表情から容易に見て取れた。


 昼間の太陽は、ゆっくりと傾いてゆき、俯いたまま崖の一点を只々見つめているエリーの小さな影を伸ばす。

 この廃れた惑星では、太陽はどの方角に沈んでいるのだろうか。ルーカスならば、分かるのかもしれない。


「エリー、ただいま戻りました」


 ルーカスは、エリーの見下ろしていた場所とは違う場所から登ってきたらしく、クレーターを沿うようにして彼女の前に現れた。磨いたばかりの身体は、砂や黒煙の煤塵はいじんまみれて早くもかすみがかっていた。


「! ルーカ……ス」


 エリーは、曇らせていた表情を晴らしてルーカスの元へ駆け寄ろうとするが、一歩踏み出したところで再び彼女の表情は曇り、その足を止めて、ルーカスへと伸ばしかけた右手を力無く下ろした。


「遅くなってすみません。ここより少し離れた地点から地上に戻ったせいで少し遅くなってしまいました。まさか、バッテリーの低下で位置情報に誤差が生じるとは……エリー? 大丈夫ですか?」


 俯いたままのエリーを不思議に思い、首を傾げるルーカス。エリーはトーンの低くなった声で短く「うん」とだけ答えた。理由に大方おおかた予想がついていたルーカスは、本題を切り出した。


「探索の結果を、報告しますね」

「やっぱり、お父さんは見つからなかったんだね」

「……はい。残念ながら」


 エリーはルーカスを見る。どうも、生存者を抱えてきたような様子ではない。右肩に担いだ布袋だけが、唯一の手土産品であった。


「宇宙船ワルフィスは激しく損傷しており、再起動させられる見込みはありませんでした。生存者は一人も発見できず、宇宙船が墜落に至った原因は不明です」

「……そっか」

「これを回収することができたことは、唯一の救いでしょうか」


 ルーカスはそう言って、件の布袋をエリーに差し出した。エリーは首を傾げつつ受け取った布袋の紐を解き、袋の中を覗く。

 袋の中には、果物やパンなどの食糧がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。


「色んな食べ物がいっぱい……」

「はい。食糧庫があったので、携帯しやすいものをいくつか拝借しました。これで、しばらくは食糧に困らないでしょう」


 ルーカスはエリーを心配しつつ、彼女に微笑みかける。

 すると、二人の間に長い沈黙が流れた後、突然エリーは立ち上がった。砂をはたき落とす彼女の表情は、何故か冒険気分の子供のように、晴れ晴れとしていた。


「うん……じゃあ、早くデパートに行こ!」

「えっ……? は、はい。そうですね」


 エリーは先導してクレーターを沿うように歩き出す。ルーカスは訳が分からないといった様子でエリーの顔を覗き込む。少女の顔には、絵に描いたような笑みが貼り付けられていた。

 無理をしているのだと、すぐに彼は気付いた。そんな心配が、ルーカスの心に靄をかける。


「エリー……本当にもう、大丈夫なんですか?」

「うん。だって、落ち込んでいたってお父さんが見つかる訳じゃないもん。だからもう、大丈夫! 早く行こ! 日が暮れちゃったら、デパートを探すのが大変でしょう?」


 ルーカスが返事をする間も無く、エリーは腕を大袈裟に振って歩みを進める。


「それは、そうなのですが……」


 ルーカスは、深く問いたださずに彼女の後ろをついて歩く。

 ……否。問い質せなかったのかもしれない。ルーカスは彼女の後ろを歩きながら、何度か彼女に真意を確かめるべきかとタイミングをうかがっていたが、伺う回数が増える都度に、言葉をみ込む回数が増えるだけだった。

 二人は会話を交わすことなく、日の傾き始めた白い砂漠を歩き続けた。代わりに聴こえてくるのは、風に巻き上げられる砂粒の音と、少女の下手な鼻歌だけだった。


「エリー」

「何?」

「いえ、その……やっぱり、何でもありません」

「何それ、変なルーカス」

「ははっ……ああ、いや。やっぱり、エリーに聞きたいことがあります」

「なに?」

「……」


 尋ねるタイミングは整ったが、今度は尋ねる言葉に詰まる。

 ルーカスは、人と話す事に特化した人工知能ロボットであるが、それ故に話し相手の気持ちをみ取る事に関して極めて敏感なロボットだった。

 つまるところ、目の前の少女がルーカスに求めている対応は"何も聞かないでくれること"なのだと、彼は分かっていた。

 そして、望み通り何も聞かずにいたら、いずれ少女が壊れてしまうということも、同時に分かっていた。


「……? ルーカス、聞きたいことって何?」

「えっと、ですね」


 ルーカスが困り果てる中、最初に切り出したのはだった。


《エリーは一体、何を強がっているのですか?》


「えっ?」

「れ、レディ……!?」


 突然のレディの発言に、二人は意表を突かれて目を丸くした。

 エリーは目を泳がせ、ルーカスはレディの思惑が分からないままでいると、彼女は淡々と質問を繰り返した。


《貴方は何故、ルーカスに嘘をついてまで強がっているのですか?》

「……強がってなんかないよ?」

《否定します。貴方は気持ちを抑え込み、ブラザー・ルーカスに対して平然であろうと、強がっています》

「ホントに、強がってなんかないって……」


 エリーはその場から逃げるように再び歩きだし、ルーカスも戸惑いつつそれに続いた。

 レディは構わず、早足で歩くエリーに質問を続けた。


《私はブラザー・ルーカスから一方通行ではありますが、一種のバイタルチェックを兼ねた意思の共有を行なっています。ブラザー・ルーカスは、貴方の言動の異変に気が付いています》

「レディ、何を言っているんですか!? そんな事を言ったら──」

《言ったら、何でしょうか? 言わなくてはこのままずっと、彼女は苦しみ続けるでしょう……エリー。貴方のその強がりや我慢は、無意味に等しいのです。今更、強がる意味があるのですか? 痛みを隠す意味があるのですか? 貴方は──》

「強がってなんかないってば!! ……きゃあっ!」


 早足で慣れない砂地を歩いていたエリーは、後ろを振り返ると同時に足を掬われ、そのまま倒れこんだ。


「エリー、大丈夫ですか!?」


 ルーカスは慌てて駆け寄る。

 咄嗟とっさに突いた両手の平を見ると、点々と血がにじんでいた。


「……だもん」


 ルーカスが収納部から救急キットを取り出そうと背中に手を伸ばした時、エリーが何かを小さく呟く。

 血の滲んだ手の平を、雨粒のように落ちる涙が濡らしていた。血は涙で薄れて、手の平から溢れた涙と一緒に零れ落ちる。


「だって……落ち込んでいたら、ルーカスにもっと迷惑かけちゃうかも、って思ったんだもん!! そうでしょ!? ルーカスもお友達がどこかに行ってるのに、私だけ泣いちゃ駄目だもん!! 私、ルーカスを困らせたくなんかないもん……!!」


 エリーは、しゃくり上げながら次々と心に閉じ込めていた想いを漏らした。

 涙は、痛みと共に滲み出ていき、一度滲みだしたそれらは歯止めが効かないまま、次々と彼女の表面上へと溢れ出ていった。

 最後には、叱られて泣き疲れた子供のように、ただ静かにしゃくり上げる声だけが残った。


《エリー》


 静かな砂原に、短い電子音が二回鳴り、エリーは顔を上げる。彼女は、両目を涙で赤く腫らしていた。


《エリー、きちんと最後まで聞いてください。貴方の先ほどまでの強がりや我慢は、無意味に等しく、必要性もメリットも無い行為です。何故ならば貴方は──独りでこの惑星を生きているわけでは、ないのですから》

「エリー。もしも貴方が泣き喚いても、空腹に駄々をこねても……僕は、これっぽっちも迷惑だとは思いませんよ。僕らロボットは、貴方達人間の幸福のために生み出された存在です。勿論、エリーが笑っているのが私達にとっても一番喜ばしい事です。ですが……」


 ルーカスは、エリーの頬を伝う涙を銀色の指でぬぐい取ると、擦り傷を負った少女の手を包み込んだ。

 拭われた頰に、再び涙が伝う。


「エリーが苦しそうに笑っているのであれば……それは僕にとってもとても苦しく、悲しい事なのです。ですから、泣きたい時は泣いてください。寂しい時は言ってください。それは、迷惑なんかじゃありません。そうしてくれないと、僕もレディも、心配します」


 ルーカスは、優しく少女にそう言った。エリーの強張っていた顔は緩み、やがて悲痛と涙の表情になった。


「う……うっ、あ、うあああああああああああああああ!! お父さん、死んじゃった……っ!! 私、一人になっちゃった……!!」

「大丈夫ですよ、僕達がついています。エリーは独りなんかじゃありません」


 感情をギリギリのところでき止めていた線が切れたエリーは、涙をぼろぼろと零してルーカスに力強く抱きついた。

 ルーカスは、その背中に両手を回し、子供をなだめすかす時のそれのように、優しく少女を抱き寄せた。


「独りになんか、しません」


 絶えず泣き続けるエリーに、その誓いが聞こえることはなかった。

 しかしきっと、それは大きな問題では無いのだ。泣きじゃくる少女には聞こえなくたっていい誓いを、ルーカスは告げたのだから。


 彼は、自身の決意に誓った。

 その決意がこれから、綻ばぬように。


 ──涙の雨は、日が沈むまで乾いた砂漠へと降り続けた。

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