第二幕『残されたモノ、遺したモノ』

第5話『残痕』

「……これで、よし」


 油と汚れの染みた布を折り畳み、ルーカスは息を吐いた。

 夜間から始まった修理作業は日をまたぎ、太陽が昇る頃に完了した。

 警備ロボットに両断された履板りばんの取り替えも兼ねて、汚れを綺麗に拭き取った彼の装甲は、窓から差し込む朝日を反射して、新品のような光沢を放っていた。

 ルーカスが試運転としてキャタピラを前へ後ろへと転がしていると、修理の途中で眠ってしまったエリーが目を覚ました。

 エリーは身体を起こし、大きく伸びをする。


「んっ、ううー……」

「あっ。おはようございます、エリー」

「おはよう、ルーカス……えっ!? 何これ、ルーカスがピカピカしてる!」

「ふふ、気付かれてしまいましたか。キャタピラを直すついでに、砂やオイルを拭き取ったんです。ピカピカしているのは、光沢クロスを使って磨いたからですよ」

「光沢……クロス?」


 ルーカスは、どこか誇らしそうに、胸を張ってそう説明した。

 エリーは、聞き慣れない言葉にオウム返しでそのまま尋ねる。


「はい。金属類やロボットの身体をピカピカにすることが目的の布です。本来は出航時や帰還時、冥王星宇宙局と交信をする際なんかに、テレビに映るので身嗜みだしなみとしてかける物ですが……汚れを落とすいい機会だったので、ついでに光沢クロスで磨いてみました」

「私も磨いたら、ピカピカになるかな!?」

「ふふっ……エリーはそのままで良いと思いますよ」


 エリーは、ルーカスに反射して映る自分の姿を見て、眉をひそめる。

 喜怒哀楽がハッキリとしたエリーの言動に、ルーカスはもう一度笑った。


「えー? そんなに私、ピカピカしてないと思うけど……」

「ふむ、それでは……そのペンダントを貸していただけますか?」

「これ? いいけど、どうするの?」

「まぁ、見ていてください」


 エリーからくだんのペンダントを受け取り、ルーカスはそれに光沢クロスを充てがった。

 クロスにおおわれ磨かれるペンダントは、布の隙間から見え隠れする度にキラキラと輝きを増していく。それを見たエリーは、両手を合わせて目を瞬かせた。


「凄い凄い! ホントにピカピカになっちゃった!」

「はい、どうぞ」

「ありがとう、ルーカス!」

「いえいえ……そういえば、エリー。そのペンダントは、ご両親から貰った物なのですか?」


 ルーカスは、名前の彫られたペンダントを指差し尋ねる。


「うん。お父さんが作ってくれたの! ……どうしてお父さんに貰ったって分かったの?」

「それは……。 僕を作ってくださった博士も、似たような事をしてくれたから……ですかね」


 そう言ってルーカスは、自身の右腕に刻まれた『36 Brotherブラザー Lucasルーカス』という文字を軽く撫でた。


「そっか。ルーカスのお父さんも、優しいんだね!」

「はい。とても」


 ルーカスは、クロスとラジオペンチを工具箱に放り込み、ふたをする。

 取り出した時と同じようにエリーが格納部に工具箱を収めて背中の蓋を閉めると、同時にルーカスの頭部が緑色に点灯した。


《ブラザー・ルーカス、検索が完了しました》

「終わりましたか。ありがとうございます、レディ」

「検索……? 検索って、何の?」

「食糧が見つかりそうな場所を、レディに探してもらっていたんですよ」

《ここから東へ4kmほど進んだ所に、大規模なデパート施設があります。ナビゲーションを起動しますか?》

「お願いします」


 ルーカスは、扉の方へとキャタピラを転がした。

 エリーは床に伏したままの警備ロボットを横目に、ルーカスの後について行こうとするが、通り過ぎる直前で足を止めてその場にかがみ込み、下ろしたリュックの中を弄り始めた。

 立ち止まったルーカスは、エリーの方を不思議そうに振り返る。


「エリー、どうしたのですか?」


 エリーは返事をするより先に、リュックから取り出した乾パンをひとつ、警備ロボットのそばに置いて立ち上がった。

 ルーカスは、何も言わずにそれを見届け、警備ロボットとエリーのいる場所へ一歩分近づく。

 エリーはルーカスの方を振り返り、小さく微笑んだ。


「このロボットさん、目が覚めたらお腹が空いているかもしれないでしょう?」

「……そうですね。失った乾パンひとつ分の代わりくらい、デパートでいくらでも見つかるでしょう」


 ルーカスは、優しい口調でそう言うと、キャタピラを再び進めた。


「さぁ、行きましょうか」

「うん、レッツゴー!」


 ルーカスとレディ、そしてエリーの一行は、店を後にして東へと歩き始めた。

 手入れをしたお陰か、ルーカスのキャタピラを転がす音は、以前より小気味こぎみ良い音へと変わったような気がしなくもない。


 店を出てからは、ひたすら白い砂漠と、鉄骨を組んで作られた何かの骨組みだった物が散らばった景色が、ただ通り過ぎていくばかりだった。

 道中、砂に埋もれたロボットのようなものを何度か見かけたが、どれも装甲は風化しきっており、言うまでもなく、機能しているものはひとつも無かった。


「この辺りは、ロボットの残骸ざんがいがたくさん転がっていますね。それにしても……」

「どうかしたの?」

《先ほどの警備ロボットや、一帯で見かけるロボットの残骸達は、どれも冥王星では見たことのない型をしています》

「はい。僕もちょうどそれを考えていました。この廃退した惑星に遺されているロボット達は、冥王星のロボットとは造りが似通っていません。つまり、この惑星が"冥王星が宇宙開発のために所有していた敷地"だという可能性は、ほとんど無くなりました」

「じゃあ、全然違う星の人達のロボットだったんじゃない?私の住んでいた地球でも、ルーカスみたいなロボットはたくさん居たよ」

「ええ。普通に考えればエリーの言う通りです。しかし……それならば何故、この惑星で冥王星の文字が使われているのでしょうか……?」


 ルーカスは、顎に金属製の手を当ててうなる。すると、エリーが突然「あっ!」と口にして表情を晴らせた。

 ルーカスは顎に手を当てたまま、エリーの方を振り返る。


「何か、分かったのですか?」

「うん、分かっちゃったかも! この惑星ってもしかしたら……冥王星の人達がお引越ししてくる予定の惑星だったんじゃないかな!?」


 ルーカスは何度か目をまたたかせて、得意げな表情で胸を張るエリーの顔を見つめた。


「……あれ? 私なにか、変な事言っちゃったかなあ」

「成程……確かに、エリーの予想はあり得る話かもしれません」

「本当!?」


 ルーカスは、目を輝かせるエリーに「はい」と明るく肯定する。


「もし、この周辺の宇宙開発に関する設備が、この星に冥王星の民を今後迎え入れるための"港"に当たる設備を作るためのものだったのだとすれば……冥王星に存在している文字が扱われている理由も、合点がてんがいきます。この星に降り立ち宇宙開発を進めていた最中に、惑星が廃退するほどの大災害が起きた。そして、宇宙開発を行っていた面々は、やむ無く設備を残して冥王星へと帰還した……そう考えるのが妥当でしょう」

「うんうん!」

《ですが、それでは何故、冥王星のものとは全く違う型のロボットが使われていたのかが、疑問点として結局残ります。ここの住人が冥王星から来ていたとすれば、冥王星のロボットもどこかに居る可能性が高いはずです》

「ええ。それに、この惑星では、今のところ生き物一匹見かけていません。一体何があって、ここまで惑星が廃退してしまったのでしょうか……おや?」


 突然ルーカスは顔を上げ、キャタピラの動きを止めた。エリーも立ち止まり、顔を上げる。

 彼女は、目を大きく見開いた。


 3人の行く手を遮ったのは、巨大なクレーターと、クレーターの底に沈んだ、大規模な宇宙船の残骸だった。

 クレーターは、地獄への入り口だと言わんばかりに、ぼっかりと大きな穴を開けている。

 クレーターは、あまりの巨大さにふちが崖のように切り立ち、宇宙船は、強い衝撃を受けたのか、後部が折り紙のようにひしげていた。

 ルーカスは、物珍しそうに宇宙船を見下ろしていた。


「これは……随分と大きな宇宙船ですね。まるで、くじらのような──」

「ワルフィス」

「えっ?」


 ぼそりと、エリーは呟いた。ルーカスは隣に立つエリーの方を振り返る。

 エリーの表情は青ざめ、くちびるは微かに震えていた。


「これ……私達が乗ってきた、宇宙船かも」

「えっ? じゃあ、まさかここに──」

「お父さん……っ!」

「エリー、いけません! 崖ですよ!!」


 クレーターの崖に構わず宇宙船へ向かおうとするエリーの腕をルーカスが掴み、引き止める。エリーの靴先に蹴飛ばされた小石が、暗い崖底へと吸い込まれるように消えていった。


 エリーは腕を掴まれて我に返り、その場に膝から崩れ落ちた。

 ルーカスは、足下を見下ろす。クレーターの中心に沈んだ傷だらけの宇宙船は、黒い煙を至る所から吐き出していた。再び飛ぶことは、おそらく不可能だろう。


「あの船の中に、エリーのお父さんがいるのですか?」

「うん。でもこれじゃ、お父さんは……」


 エリーは、両目に涙を浮かべて項垂れる。エリーの言う通り、宇宙船がこの様子では中に残った彼女の父親は生きてはいないだろう。

 しかし、ルーカスはそれを分かっていても黙っていられるような性分しょうぶんではなかった。


「わかりました。それでは、僕が船の中を見てきましょう。レディ、サポートをお願いします」

「えっ?」


 ルーカスはそう言って、崖の方へとキャタピラを転がし始めた。

 エリーがルーカスの後に続こうと立ち上がったところで、ルーカスがエリーの方を振り返る。


「ああ、この崖を降りるのは危険ですから、エリーはここで休んでいてください。船内で生存者や食糧を発見したら、ここまで運び込みますので、その時は手伝っていただけますか?」

「でも……分かった。ルーカス、気をつけてね」

「はい。行きましょう、レディ」


 ルーカスは、ワイヤーをった腕を伸ばし、闇の中へと消えていった。


「……」


 ひとり崖の上に残されたエリーは、金色に輝くペンダントを祈るように握りしめた。


 *


「さて。どうやら無事、崖底まで到達したようですね」


 ルーカスは、ヘッドライトを右へ左へと動かしながら進む。

 辺りに照明らしき物は一切見当たらず、赤茶色の岩肌と、青い塗装とそうの宇宙船だけの景色が広がっていた。


「早速、船内に入れそうな場所を探しましょうか」

《先程崖を下る際に、宇宙船の右翼うよく後部に、損傷により開口した箇所を発見致しました》

「それでは、このまま宇宙船沿いに右翼後部まで向かいましょう」

《了解。現在地を帰還ポイントに設定しました。移動を開始してください》


 ルーカスは頷き、キャタピラを進ませた。いちじるしく凹凸した地面は、進むたびにゴトゴトと音を鳴らし、クレーターと宇宙船の間を反響する。


「それにしても、本当に暗いですね……もし日が昇っていない時に降りていたなら、それこそブラックホールのような暗さだったでしょう。おそらく、クレーターの上から宇宙船ワルフィスを視認することすらできなかった筈です」

《……ブラザー・ルーカス》

「えぇ、言われなくとも分かっています。ブラックホールは流石に、誇張表現でしたね」

《そうではありません。熱源の存在を前方50m先に確認しました》


 ルーカスは、レディの思いもよらぬ報告にキャタピラをピタリと止める。キャタピラの履板を巻くガラガラという音は止み、末端まったんの稼働音だけが何重にも崖の中を反響した。

 ルーカスの静止から数秒遅れで、崖に反響していた音も静止した。


「……熱源を、感知したのですか?」

《はい。熱源は宇宙船ワルフィス船内から確認しています》


 ルーカスは、昨晩対峙した警備ロボットのことを思い出す。

 一度周囲を確認して、ヘッドライトの光度を絞る。


「……そうですか。生存者の可能性もありますが、先程のような場合も然りです。用心して進みましょう」

《このまま同一方向に30mほど進んでください。まもなく、右翼後部に到着します》


 ルーカスがヘッドライトを上向きに傾けて当てると、目の前に黒く焦げ付いた翼が現れた。翼のわきには、トンネルのような穴がぼっかりと空いている。


「なるほど、あれなら確かに進入できそうですね。船内の状況と生存者の確認──それと、熱源の正体を確認したら、エリーの所に戻りましょう。熱源が敵意を示したり危険な存在の場合は、なるべく戦闘を避ける方向でいきます」

《熱源感知は行いますか?》

「そうですね……いや。光の届かない船内では、僕はメインバッテリーを消費しての稼働しかできません。なので、必要な時だけスキャンは使うようにしましょう」

《かしこまりました》


 ルーカスは、穴を潜り船内へと乗り込んだ。ヘッドライトの明かりは、船内を舞う微小な塵や砂粒を照らし出す。

 電力が供給されていない船内は一切の照明が生きておらず、外よりも更に暗さが増していた。

 廊下の壁の中から剥き出しになった右翼の骨組みが、ヘッドライトに照らされて真っ白に輝く。


「これは……予想以上の暗さですね。本当に、ブラックホールのようです」

《探索を中止しますか?》

「いえ、折角ここまで来たのですから、熱源の正体だけでも確認してから戻りましょう。帰り道が分からなくなったら大変ですので、道順の記憶をお願いします」


 ルーカスは、ヘッドライトで左右の壁を交互に照らしながら、入り組んだ船内の通路を進んでいく。

 船内は青色の外装とは対照的に、赤くペイントが施されていたようだが、それも墜落によるものか、所々が酷く黒ずんでいた。


「結構船内も荒れてますね……まあ、墜落してもなお原型を留めていることが、むしろ奇跡的なくらいですが」

《推測に過ぎませんが、この宇宙船は高度の低い位置から偶然、元々クレーターがあった場所に墜落した可能性が考えられます》

「僕もその線が強いと思います……レディ、熱源を感知した地点まで、あとどのくらいですか?」

《右斜め前方、5mほど進んだ地点です》

「では、この分岐路を右ですね」


 ルーカスは言われるままに、左右前方に分かれた通路を右折し、現れた道全体にヘッドライトを向けた……が、道を照らそうとしたタイミングで、ヘッドライトは二回まばたきをして消えてしまった。

 ルーカスは「おや?」と呟き、ヘッドライトの点灯を何度か試みるが、再び点灯することはなかった。

 視界は一瞬にして、暗黒に包まれた。


《太陽光電池の充電残量が10%以下になったため、ヘッドライトの使用に制限が掛かりました》


 レディは、淡々とした口調で状況を説明する。どうやら、昨晩の戦闘からの、午前中の室内作業。そして、光度を上げた状態での宇宙船探索という電力の酷使が裏目に出たらしい。

 だが、時間が経たないうちにいずれそうなる事を予測していたルーカスは、あっさりとこの状況を飲み込んだ。


「それでは、ヘッドライトよりは見辛いですが、簡易的なサーモグラフィーカメラを起動しましょう。ここまでの道で、船内の安全も確認できましたし、問題は無いでしょう」

《かしこまりました。サーモグラフィーカメラを起動します》


 ルーカスの視界に一瞬ノイズが掛かり、暫くしてサーモグラフィーカメラに切り替わる。

 先ほどまで出力を上げてヘッドライトを点けていたせいか、視界全体が薄めの赤色に表示されている。しかし、通路の右側だけは黄色に表示されていた。ルーカスは黄色いシルエットをじっと見つめて呟く。


「これは……熱源の熱を発している範囲が広いですね。ロボットというよりは、何かの装置でしょうか。この扉の向こうに何かがあるようです」


 ルーカスはそう言いながら熱源と通路とをへだてていた扉のノブに手を掛け、開け放った。

 するとその瞬間、扉の向こうからこちらへ向けて、強烈な熱気と轟音ごうおんが押し寄せてきた。これにはロボットであるルーカスも、思わず後退りする。


「うっ、この熱気は……!?」

《ブラザー・ルーカスの耐熱性能は、摂氏せっし70℃までですので、室内での活動に支障はありません。重ねて、この熱気からロボットに対する毒性は検知されませんでした》

「……レディ。僕って一応、対話特化型のロボットなんですよね?」

《熱源の設備に近づいた際は、サーモグラフィーではなく通常モードでの視認を推奨します。接近時にヘッドライトの制限を一時的に解除するように設定しました》

「……まあ、調査すると言ったのは僕ですが。分かりました。先に進みましょう」


 ルーカスは、仕方がない、と言わんばかりに肩を落とし、大きな溜め息をいた。例え、ロボットであろうと、体内に冷却装置が備わっていようと、暑いのは人間と大して変わらない。

 ルーカスは、如何いかにも嫌そうな顔で、扉をくぐる。

 部屋の中には、何か大きな箱のようなものがひとつだけ設置されていた。一先ず、熱源の正体はこれで間違いないだろう。

 箱は、熱気とともにモーターの駆動音に近い轟音を辺りに響かせ、部屋全体を小刻みに震わせていた。


「……何だ、これは?」


 ルーカスは、サーモグラフィーカメラに浮かび上がる大きなシルエットの前に立つ。

 熱源と駆動音から察するに、この装置はまだ稼働している。それが、ルーカスには不可解だった。


「現状、この宇宙船は電気がかよっていない筈なのですが……何故この設備だけ稼働しているのでしょうか? そもそも、この設備は一体──」


 ルーカスはそう言って、ヘッドライトを点灯し、設備を照らす。

 箱型の巨大な設備には、太字で"Generatorジェネレーター"と書かれた用紙が貼られていた。


「ジェネレーター……発電機ですか。なるほど。それでこの設備だけ、独立して稼働していたのですね」


 ルーカスは、用紙に書かれた発電機の規格や、取り付けられたメーターを興味深そうに見て回る。

 一般の乗客でも非常時に使えるようにするためか、発電機の箱には『ON』『OFF』と傍に記されたレバーが取り付けられていた。


「これがあれば、宇宙船の照明を復帰させることは可能でしょうか?」

《メーターとプレートに記された発電機の規格を比較したところ、この発電機は、今も正常な動作をしているようです。非常用の予備回線が断線していなければ、復帰の見込みは十分にあるでしょう》

「それは何というか、祈るしかありませんね」


 ルーカスはレバーを掴んで、力一杯に引っ張った。手前に引いたレバーは、機械的な音を響かせてONの状態に切り替わった。

 発電機は、先程までとはまた違った大きな音を立てて、仕事に取り掛かる。

 それから数秒経ち、発電機のガシャンという音と共に、発電機室の4つの照明が、申し訳程度に点灯した。青白い光は、発電機のボディに淡く反射する。


《通路全体から、非常灯によるものと思しき微量の熱源を複数確認しました》

「無事、機能してくれたみたいですね。これで探索が続行できそうです」


 ルーカスは軽く一息吐き、通路へと続く鉄製の扉に手を掛ける。

 そこで、ふと天井を見上げたルーカスは、非常灯の傍に設けられた空調設備の存在に気付き「ああ」と呟いた。


「ずっとこの部屋の熱気が気になっていましたが……もしかすると、空調は墜落でえ無く故障してしまったのかもしれませんね。設備が稼働しているにも関わらず部屋が冷やされていないのは、あまり良い状態とは言えません」

《発電機の長時間の使用は、推奨致しません》

「そうですね。何かの拍子に暴発でもされたら、かないません。急ぎましょうか」


 ルーカスは扉を開けたままにして、発電機室を後にした。

 ルーカスは、左右に伸びた通路に目をる。

 その瞬間、ルーカスはキャタピラの動きを止め、呆然と立ち尽くした。


「なっ……何だ、これは」


 エンジンの駆動か。目の前に広がる光景に、ルーカスの無い心臓はどくどくと音を立てた。

 辺り一面に転がる、赤黒い肉片に、乾ききって黒く変色した、血溜まりの跡。つまるところ──。


 ──宇宙船には、複数のしかばねが横たわっていた。


「……予想はできていましたし、当然と言えば当然の光景です。ですが、これは……」


 ルーカスは、非常灯に照らされた道をゆっくりと進む。キャタピラに跳ね上げられた血溜まりは、ぴちゃりぴちゃりと不快な水音を立てる。


「墜落事故によるそれでは、ありませんね」


 乗客の亡骸は、どれも臓物ぞうもつあらわにしたものばかりで"横たわっている"というよりも"転がっている"に近しい状態であった。だが、ルーカスが気になった点は他にあった。

 それは、亡骸なきがらの中にいくつか、四肢ししを意図的にがれたようなものや、腹を掻き回されたようなもの……そんな、見るに堪えない状態の亡骸が混ざっていることだった。

 ルーカスは、血溜まりの中で立ち止まり、考える。


「これはまさか……昨晩のような暴走したロボットがやったのか? それとも──」


 ルーカスはふと、多量の血糊ちのりがこびり付いた壁に違和感を感じ、薄暗闇に目を凝らす。壁に、爪跡のようなものが残されていた。

 爪跡を手でなぞり、その傷が壁を深く抉るほどのものである事を知る。

 ルーカスは、エリーが見た"夢の話"をふと思い出し「まさか」と、呟いた。


「怪獣が、いるのか……?」


 答えを知る乗客の存在は、そこにはもう無かった。

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