第4話『深まる未知、満ち溢れる不穏』
塗装の剥がれた壁に、二人の足音が反響する。
風化した天井は、はらはらと粉になって舞い落ち、エリーの鼻先をくすぐった。
「ここ……埃っぽくて、少し汚いね」
「熱源の正体を確認してくるだけですし、外で待っていて大丈夫なんですよ?」
「ううん。一人で砂漠に居てもつまんないもん。それに……怖い夢を見たばっかりだから、一人で外に居たくないの」
「"怖い夢"? それは、初耳ですね」
「あのね、おっきな怪獣さんがね! がおーって吠えて、砂の中から出てくる夢なの!」
エリーは、深く聞かれたことが嬉しかったのか、両手をいっぱいに広げながら口を大きく開けてみせた。どうやら、夢で見た怪獣とやらが雄叫びをあげているポーズの真似らしい。
ルーカスはそれを見て、思わずくすりと笑った。
「それは、怖い夢ですね」
ルーカスはそう返事をした後に「怪獣、ですか」と、独り言のように続けた。
エリーはそれを見て、ルーカスの顔を横から覗き込み、首を傾げる。
「……? ルーカス、怪獣さん好きなの?」
「ああ、いえ。この惑星なら、本当に怪獣が居てもおかしくないな、と思っただけです」
「そう、そうなの! ここみたいに白い砂漠が、その夢に出てきたの! だから、やっぱり怪獣さんは本当にいるのかもって私も考えててね!」
「なるほど……おや?」
話を聞きながら店内を見回っていたルーカスが、不意にとある扉の前で立ち止まった。後ろからついて来ていたエリーもそれに
ルーカスは、扉に張り付けられた白いプレートにヘッドライトを向けた。
「ルーカス、どうしたの?」
「この扉は……」
《一部解読が不能ですが、プレートに"スタッフルーム"と表記されているようです》
「ここにもまた、見馴れた文字……スタッフルーム、ですか」
「入ってみる?」
「そうですね。もしかすると、この惑星について何か分かる資料があるかもしれませんし、それに……入ってはならない理由も、特にありませんしね」
そう言うとルーカスは、錆と砂で小汚くコーティングされたドアノブに手を伸ばした。
根元がぐらついていて今にも取れてしまいそうなドアノブを、ルーカスは時計回りにゆっくりと捻る。
扉を開けるとそこには休憩所らしい小さな空間が広がっていた。
「……誰も、いないね?」
「まあ、ここまで不衛生なハンバーガーショップでは、従業員も出勤お断りなのでしょう。さて、何か見つかるといいのですが」
二人はスタッフルームへの扉を潜り、室内を見回した。
リノリウムの床には、先程の通路と同様に埃と砂が視認できるほど積もりきっている。
できることなら今すぐモップ掛けをしたいところだが、生憎、掃除道具というものがこの部屋には無いらしい。
部屋にあったのは、壁掛けされた制服が数着と、事務用のデスクがひとつ。 そして、4人分の椅子に囲まれた白い円卓だけだった。
「机と椅子に、数着の制服ですか……質素なスタッフルームですね」
「皆、このテーブルでお昼ご飯を食べていたのかな?」
「他にそれらしい部屋は見かけていませんし、もしかするとエリーの言う通り、ここで机を囲んで昼食を取っていたのかもしれませんね……おや? あれは」
ふと、デスクに一枚だけ置かれた紙切れに目が留まり、ルーカスはキャタピラをそちらへまっすぐ進ませた。
「これは……地図、ですか」
紙切れの正体は、極々普通の地図だった。地図は多少黄ばんでいたものの、卓上のデスクマットに挟まれていたお蔭で、風化せずに形を残していた。
エリーは、パタパタと靴音を鳴らしてルーカスの元へと駆け寄った。
「何かあったの?」
「地図が見つかりました。 保存状態が良いお蔭で、読める箇所が多いですね。 しかし、所々に付けられたこの、赤い丸印が気になります。 これは一体……」
《憶測ですが、デリバリーサービスに利用していた地図ではないでしょうか》
「デリバリー……なるほど。 出前の届け先に印が付けられていたのですね。 ということは、この地図はこの近辺の地図ということですか」
「この地図があれば、いっぱい食べ物を探せるね!」
「……いえ、それは難しいです。 地図はあっても、目印になる建物がほとんど砂に埋もれてしまっていますから。街がこの有様では、この地図はあまり役に立たないかもしれませんね」
《そうでもありません》
「えっ?」
《この地図は尺度が記載されているので、地図に書かれたこのハンバーガーショップの座標を元に、他の情報と我々の移動距離を照らし合わせながら行動すれば、おおよその現在位置と目的地を把握する事ができます》
「つまり」
《この地図は、現在も使用できます》
レディの確信に満ちた言葉に、エリーとルーカスは
「流石です、レディ。 それでは、この地図を読み込んでデータ化しておきましょう」
《かしこまりました。 それではスキャンを開始するので、地図を正面に持ってしばらくお待ちください》
ルーカスは、デスクマットと天板の隙間から地図を引っ張り出し、自身の正面に広げて掲げる。
エリーはしばらく、動かなくなったルーカスの周りをぐるぐると歩き回ったり、リュックサックの紐を弄ったりして暇を潰していたが、やがてそれも飽きたのか、両膝を抱えるようにしてルーカスの前に座り込んだ。
エリーが振り子のように身体を左右に揺らすと、彼女の長い金髪も少し遅れて、カーテンのように揺れた。
「どのくらい掛かりそう?」
「もう少しだけ掛かりそうです。細部まできっちりと読み込まなくてはなりませんからね」
「ふうん……じゃあ、もう少し待つ!」
エリーは立ち上がってスカートに付いた
ルーカスの背後に回り、地図を眺めるが、地図の読み方を知らないエリーは、彼の後ろで唸り声をあげた。
「地図の内容が、気になりますか?」
「うん。ここは、どういう街だったの?」
「そうですね……地図を見た限りだと、この辺りは宇宙開発に関係する施設が密集していたようです。例えば、地図の右側に書かれている大きな建物は、宇宙船のパーツを製造している工場だったようですね。そのすぐ隣は、おそらくパーツの開発に携わる研究所だと思われます」
ルーカスは、頭部からレーザーポインターを射出し、研究所のあたりを示す。エリーはルーカスの話を聞いて、瞳を輝かせていた。
「……宇宙は、好きですか?」
「うん、大好き! だって、キラキラしてるから!」
「キラキラ、ですか」
「ここに住んでいた人達も、宇宙船を作ってどこかにお引越ししたのかな?」
「そうかもしれませんね。そのための宇宙開発をしていた証拠がこの地図に示された施設だと考えるのが、妥当な気がします」
ルーカスが返事をするのと同時に、ルーカスの身体からピピッと短い電子音が流れた。その音に二人が顔を見合わせていると、ルーカスの頭部についたランプが、緑色に点灯した。
《ブラザー・ルーカス。地図のスキャンが完了致しました》
「ありがとうございます。この惑星の地図から何か分かったこと等はありましたか?」
《いいえ、念の為、各惑星の地図データと照合して検索をかけてみましたが、該当するデータはありませんでした》
「そうですか……となるといよいよ、ここは未知の惑星というわけですね」
ルーカスはそう言って、溜め息を零す。
エリーは二人の会話を黙って聞いていたが、不意に首を傾げてきょろきょろと辺りを見渡し始めた。
「エリー、どうかしましたか?」
「何か今、聞こえたような……?」
「レディ」
《熱源感知スキャンを半径100m範囲で行います》
レディのスキャンをおこなう行う電子音が、部屋中に反響する。
するとしばらくして、静かな部屋にこだましていた電子音に紛れて、段々と金属音のようなものが聞こえてくるようになった。
「この音……ロボットさんの、足音かな? じゃあ、もしかして……ルーカスが前に言ってた、ルーカスのお友達じゃないの!?」
「フレベスの? まさか……生きていたのか?」
ルーカスは淡い期待を抱き、開きっぱなしにしていた扉の方をじっと見つめる。
ガシャガシャという大きな音は、明らかに二人の居るスタッフルームに近づいている。
時折、ばちばちという弾けるような音が機械音と重なって聞こえてくることにルーカスは気付き、エリーを後ろに退げた。
「……ルーカス?」
「もしかすると、接近しているロボットは漏電している可能性があります。エリーが近寄ると感電してしまうかもしれませんので、事前に退がっていてください」
「ろうでん?」
「電気が故障などで外部に漏れ出てしまう事ですよ」
「それは、危ないね。ルーカスも気を付けて」
ルーカスはコクリと頷く。エリーは彼の指示に従い、三歩後ろに退がった。
機械音は更に近づき、煩く感じるほど近づいたところでピタリと止んだ。
静寂を取り戻した室内に、電子音が響く。
《スキャンが完了しました。熱源の存在を半径3m、部屋の外から確認しました》
「対象がブラザーロボットである可能性はありますか?」
《熱源から推測される形状に、合致するブラザーロボットはありませんでした。ブラザー・ルーカス、臨戦態勢をとってください》
「……臨戦態勢?」
《対象の右腕に、放電する棒状の物体を確認しました》
レディの発言と同時に、廊下から伸びる藍色の
アームが離れたドア枠は、原形を忘れて酷く歪んでいた。
ルーカスはすぐさま部屋の中を見回し、デスクの近くに設けられた窓を見つけた。
「エリー、ここにいるのは危険です! あちらの窓から店の外に避難を。どこか安全な場所に、隠れていてください!」
「じ、じゃあルーカスも一緒に逃げないと……!」
「いいえ。これからこの近辺を探索する以上、僕達の脅威となり得る存在は認識しておかねばなりません。それに、相手によっては対話で解決出来る可能性もあります……さあ、早く」
エリーは
「まあ、この滲み出る敵意です。その可能性は極めて低いでしょうが……さあ、出て来てください!そこに居ることは、分かっています!」
ルーカスがエリーの脱出を確認し、廊下の方に向けて大きな声をあげると、警棒を持った人型の武装ロボットが姿を現した。
砂や埃にまみれた藍色の装甲には、店内でも何度か見かけた文体で"police"と表記されている。
「police……では、ここの警備ロボットでしょうか? なるほど、我々のことを侵入者と思って来たということですか。彼が警備ロボットならば、戦う必要は無さそうですね。彼に事情を説明して、容疑を解いてもらいましょう」
そう言ってルーカスが臨戦態勢を解いた瞬間、頭部のランプが赤く点灯した。
赤色の灯火は、警告サインだ。
《再度警告致します。至急、臨戦態勢をとってください》
「えっ?」
《対象のアーム部・動力モーターと思しき部位の温度が著しく上昇しています。攻撃に備えてください》
ルーカスがすかさず構えた瞬間、警備ロボットは勢いよく踏み込み、放電する警棒を振り上げた。
「速い……ッ!」
ルーカスは身の危険を察知し、攻撃を受け止めずに、すかさず後方へと飛び退く。
ルーカスのいた場所に振り下ろされた警棒は、モルタル製の床を派手に
「これは、参りましたね……元より弁解を聞かないタチの警官でしたか」
《対象から、異質なノイズを感知しました》
「異質なノイズ、ですか?」
《おそらく、ハッキングの類を施されて暴走しているものと推測されます》
警備ロボットは床にめり込んだ警棒を引き抜き、ルーカスの姿を捉える。
再び警備ロボットは踏み込み、ルーカスに向けて一直線に警棒を突き入れた。
「それはまた、厄介な相手ですね……!」
ルーカスは、
キャタピラを前方に向き直すと、摩擦でモルタルがキュッと音を鳴らした。
身構えたルーカスと、警棒を握り直す警備ロボットの睨むような目線が二人の間で衝突する。
「そのレディの推測に、彼の俊敏過ぎる動き……ハッキングによって動力のリミッターが外れているものと考えて、まず間違いないでしょう。たたでさえ警備ロボットの彼と対話ロボットの僕とでは、こちらが圧倒的に力負けしています。相手のバッテリー切れか、許容以上の動作により故障が生じるまで僕が耐え切るという手段もありますが……っと、またですか!」
警備ロボットが警棒を大きく振りかぶるのを確認したルーカスは、再び退避の姿勢を取ろうとする……が。キャタピラを始動させたルーカスは、がくりと体勢を崩した。
「!? 一体何が……」
何事かと足元を見下ろしたルーカスは、絶句した。
キャタピラの履板は、タイヤを残して焼き切れるように両断されていた。
ルーカスの脳裏に、警棒を突き入れられた瞬間の光景が浮かぶ。
ルーカスは、はっと息を飲んだ。
「まさか……あの時に、やられたか──!!」
身動きのとれないルーカスに、警棒が振り下ろされる。
ルーカスが死を確信したその刹那、警備ロボットの背後、スタッフルームの入り口から、隠れているはずのエリーが姿を現した。両手にはリュックの肩紐が握られている。
「エリー……!?」
「ロボットさん、ごめんなさいっ!!」
エリーは何かが膨らむ程に詰め込まれて丸くなったリュックサックを構え、警備ロボットの頭部を力の限り横殴りした。
警備ロボットはバランスを崩し、そのまま頭から砂まみれの床へと倒れ込んだ。
エリーは肩を揺らして息を整えると、うつ伏せでピタリと動かなくなった警備ロボットを見下ろした。
《熱源反応が消失。対象の機能停止を確認しました》
「エリー、怪我はありませんか!?」
「うん。私は大丈夫」
ルーカスは、エリーの返答にホッと胸を撫で下ろす。エリーが床に置いたリュックサックを見てみると、中から溢れ出るように大量の砂が散乱していた。
「なるほど、外の砂をリュックサックに詰めて使ったのですね。エリーは凄いですね」
「えへへ。でも……もう、動かなくなったの?」
「はい。警備ロボットは完全に停止しました。おそらくですが、エリーの与えた衝撃で、元々劣化していた重要な回線が断線を起こしたのでしょう……ともあれ、危ないところでした。ありがとうございます。この勝利は、エリーのおかげです。」
「あっ、ロボットさんもそうなんだけど、そうじゃなくって。その……もう、動かせなくなったの?」
エリーがそう言って指で差したのは、ルーカスの破損したキャタピラだった。
ルーカスは理解するのに数秒の遅れをとった後「ああ」と呟いた。
「そういえば、壊されたんでした。これはまた、派手に壊されましたね……ですが、大丈夫ですよ。このくらいなら、修理すれば探索に支障はありません」
「よかった……じゃあ、今から修理する?」
「はい。またいつ、あのようなロボットが襲って来るかわかりません。早急に修理を始めましょう。エリー、僕の背中の収納から工具箱を取り出していただけますか?」
エリーは小さく頷き、ルーカスの背中に取り付けられた格納部の蓋を開いた。
「……あれ?」
「どうしましたか?」
「何だろう、これ」
すぐ見える位置に置かれた工具箱へと手を伸ばしかけた時、エリーは先程の蓋の裏に貼られた一枚の写真に気が付き、その手を止めた。
写真には、清潔感のある白い部屋に並んだ、6人の人間とロボットが写っていた。
今よりも外装が綺麗だが、ルーカスらしきロボットも一緒に写っている。
エリーは、丁寧に蓋から写真を剥ぎ取り、工具箱と一緒にルーカスへと手渡した。
「ルーカス。 貴方にこんな写真が貼られていたんだけど」
「写真? ああ、これはフレベスが結成された時の記念写真ですね。いつの間にこんな物が貼られていたのやら……まあ、誰の仕業かは大体検討がつきますが」
「そっか。じゃあ、この人達がルーカスの探しているお友達なんだね。まだ、この星のどこかで生きてるのかな」
「はい、生きていますよ。きっと、どこかで再会を待っています」
ルーカスはそう言って、何処か遠くの一点を見つめていた。
彼がそうでありたいと心の底から願っての発言である事を、エリーは理解していた。
エリーは静かに、両の目を伏せる。
「──だから、近いうちに迎えに行きましょう。彼らは僕と違って、飽き性ばかりですからね」
その晩は、月に照らされたハンバーガーショップに、金槌の乾いた音が何度も響いた。
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