第4話 何をやっても続かない時期③

スポット派遣の仕事は僕に合っていた。

工場、倉庫、配送助手、清掃、イベントの設営など、毎日違う場所で初めて経験する仕事には新鮮味があった。

中にはキツイ仕事もあれば、先輩風を吹かせて怒鳴りつけるように指示を出してくる嫌な奴もいるものの、

一日だけの我慢と思えば耐えられた。

何よりも一日だけの人間関係では、お互いの事を深く知ろうとはしないし、

知ろうととしもそんな暇もない。

朝礼で自己紹介もしなくていい。

派遣先の企業のほうでも、毎日に送り込まれる一日だけの派遣スタッフにいちいち構ってはいられない。

名前で呼ばれることもなく、「おーい、そこの2人」とか、指を差しながら「(会社名)さんの人こっちを手伝って」と、

こちらの名前や人格は気にもされない。

自社で不足している手足を本数分を提供してくれる、派遣会社の頭数の一人だ。


この希薄な人間関係は、後に僕が踏み込む市民運動の世界でも同じものだった。

抗議デモや街頭演説は基本的に週末の休みの日に行われる。

そして各運動団体にはその動員を支える母体が存在する。

政治結社の連合体であったり、ネットで勧誘した政治談義好きのコミュニティ、政治的な事に熱心な宗教団体もある。

運動団体の幹部たちのその業界内でのコネや付き合いや、加盟する連合体へ共同を要請することで、

その抗議運動へ賛同する場合に限り、人員を提供してくれるのだ。

そして別の機会に、人員を提供してくれた相手方が主催する活動へ人員を提供し、お返しをする。

そういう協力体制がある。

そして人間関係も、その多くは週末だけに限定されたものだ。

互いに顔見知りではあっても、フルネームや連絡先も知らないし、職業や住まいも知らない。

新しく入ってくる者と、離れていく人、その入れ替わりも激しい。

派遣会社とよく似ている。


派遣の仕事は2か月間ほど順調だった。

しかし日が経つにつれて派遣会社との関係がわずらわしくなってきた。

派遣会社にはスタッフを管理する営業担当がいる。

スタッフは前日の夕方から夜に、翌日の派遣先企業の場所と出勤時間、そして時給と業務内容などの説明を受ける。

電話で直接話す場合あれば、メールのやりとりですませる時もある。

また出勤した時と退社する時にメールで報告することになっている。

それは必要な事だからいい。

ただ、事あるごとに担当から電話が入り、一緒に派遣された誰々の勤務態度はどうなのかとか、

新規に契約した派遣先企業の内情を教えてほしいとか、

現場に顔を出さない営業担当は少しでも内情を把握しようとして、情報提供を求める。

時には僕が知るはずのない派遣先の受注具合まで聞かれる。

仕事量に応じて人員を調整しなければならない担当にとっては必要な情報収集かもしれないけど

尋ねる相手は僕じゃない。

どうしても現場からの話を聞きたいのであれば、レギュラー派遣されているベテランスタッフがいるのだから、そっちに聞けばいい。

時には、僕が一番嫌な話題、私生活についての話もしてくる。

極力コミュニケーションを避けたい僕にとって、興味を持たれるのは苦痛だった。

人に私生活のことや過去の自分の話をするのも望まない。

段々その担当者とのやりとりがわずらわしくなるにつれて、仕事にも嫌気がさしてきた。

また飽きてきたのだ。


飽きた僕は飛んだ。

給料が振り込まれた翌日、連絡を入れずに無断欠勤したあげく、担当者からの電話にもでなかった。

着信は10数回あった。

実家にも連絡入り、母に電話をするように伝えてほしいと言っていたらしかった。

僕は無視した。

一度嫌気が差すと修正できない。

この時期すでに、嫌気がさせば飽き、飽きてしまえばその場その相手から離れ、

二度と関わらなくする、という以外の対処ができない性分になっていた。


この後も、就職しては辞め、辞めては就活。

そしてまた嫌になると飛び、翌日からまた仕事探しと、

この繰り返しが続くことになる。

最悪な事に「嫌になって飛ぶ」このスパンがどんどん短くなっていく事だった。

ひと月ふた月続くならまだいいものを、一週間、数日と、どんどんサイクルが早まる。

昼休みに逃げ出した事も数度あった。


嫌になると飽きる。

飽きれば逃げ出す。

この悪習は今でも治っていない。

さすがに悩んだ。

自己嫌悪を繰り返した。

自分がダメな人間、社会に適応できない失格者に思えてならなかった。

気分は落ち込み、気力は失せていき、部屋に籠ることが増えていく。


部屋の中は自分だけの世界感を構築した。

好みのDVDを大量にレンタルしておき、一晩中鑑賞しつづけた。

漫画や雑誌も買い込んでいた。

ネットで面白そうなものを記事や人物を探し続けた。

疲れると横になり、空想に耽りながら眠る。

親とまともに顔を合わせるのは食事の時くらいで、そのうち食事も2階にあった自分の部屋に持ち込んで食べるようになっていた。

人と関わらない生活は心地よかった。

会話のない日常がなぜか高潔なもの思えた。

出家した坊さんや、山籠もりする聖人と自分を重ね合わせてみたりもした。

俗世に惑わされない自分。

俗物と関わらない自分。

汚されていない尊さ。

そんな宗教じみた考えだった。

生まれ変わるための修行だ。


しかしそんな逃避も長くは維持できなくなってくる。

将来に対する不安と、大学も仕事も辞めてしまった自分への嫌悪感、

安逸を貪りながら無為に過ごす日々、空想に逃げるこの頭、

どれも受け入れがたかった。

迫りくる現実の圧力を押し返すだけの根拠に欠けるため、通すべき我がない。

大学を辞めてみたものの、目標のない学業から目的のない人生に差し替えられただけで、

結局のところ自分にはやりたい事がないだけだという事実を知る。

やれる事もなかった。

社会人としてやるべき事があるだろうという漠然とした義務感や責任感は、

僕を何らかの行動へ駆り立てる動機にはならなかった。


そして徐々に、そんな自分に飽きてくる。

僕にとって飽きたという結論は最悪の危機だ。

「飽きた」その後に続くのは「そこから逃げる」ということを意味するからだ。

しかしこれまで「飽きれば逃げる」という論法は、他者に対して行われてきた。

その飽きるという部分が自分に対して起こった時、どう逃げればいいのかわからない。

まだこの時には人生を終えるつもりはないので、死ぬつもりはなかった。

ならばどうすればいいのか。

飽きてしまった自分から飛び去る方法がわからない。

自分から逃げる。

どう逃げる。

布団にくるまり考え続けた。

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