第4章 雨籠り


◆ 第4章 雨籠り



   ※


 自分のことを日陰者だと思うようになったのは、いつ頃だっただろう。

 どんな団体や組織に属していても、その中で目立つ人、孤立する人というのは必ずいるもので、私はどうやら後者だったらしい。


 周囲に比べて精神が早熟していたのか、あるいは未熟なままだったのか、小学校高学年になったあたりで、私は自分がクラスメイトとどこかずれていることに気がついた。

 クラス内でいくつかのグループができる、というのはどこの学校でもあると思うのだけど、私はどのグループからも浮いた存在になっていた。

 そんな私に降りかかったのは、陰湿な嫌がらせだった。

 私がぽつんとしていると、まわりから冷やかしの視線を浴びる。わざとこちらに聞こえるような声量で悪口を言う。

 話し声が聞こえると、私の噂話をしているのではないかと勘繰ってしまうようになった。


 中学に上がっても、学年の半分は小学校のときと同じ顔ぶれだったので、環境はたいして変わらなかった。

 いや、むしろ悪化したと言っていい。小学校の頃私に比較的好意的に接してくれたグループにいた子が、どういうわけか私に敵意を向けるグループの子たちと仲良くなったのだ。その子があることないこと言いふらしたらしく、私に対する風当たりは、いっそう強くなっていった。

 私はしだいに学校に行くのが嫌になり、休むことが多くなった。

 とはいえ暴力的な行為は受けなかったし、私物に落書きをされたり隠されたりということもあまりなかった。いじめというには大げさだと思う。


 しかし、だからこそ周囲の反応は冷たく感じた。

 世の中は中途半端なものに対しては無関心なきらいがある。

 大人たちは特に対応することはなかった。これがもし目立った外傷などでもあれば、もしかしたら一人くらいは私をかばってくれる人が出てきたのではないか、と思う。

 私は、幸いにもテストではそれなりにいい点数をとれていたから、どうせならと思い、家から通える範囲にある中でいちばん偏差値の高い県立高校を目指すことにした。

 田舎の小さい中学だったからか、同じ中学でその高校を受けた人は私以外にはいなかった。私はなんとかその高校に合格することができた。

 地元でトップの高校に入るような人は、おそらくそれなりに良識があるから、私のことも受け入れてくれるかもしれない。もしかしたら、私と同じように孤立していた人だっているかもしれない。私のような人間でも、光を浴びることが許されるかもしれない。

 そんな淡い期待を、心のどこかで抱いていた。


 たしかに、高校に入ってからは嫌がらせを受けることはなくなった。

 しかし、同級生たちはなまじ教養があり、しっかりとした目標や自分の考えをもっていたため、私はかえって、自分がいかに浅はかで薄っぺらい人間なのかを思い知ることとなった。

 ある人は学校の中心的存在になり、ある人は学業で優秀な成績を収め、ある人は部活動で表彰され、彼らはそれぞれに褒められ、期待され、脚光を浴び、輝いていた。

 一方で、私には何もなかった。劣等感に苛まれ、気がつけば高校でもやはり私は孤立していた。

 私はしょせん、日陰者にしかなれないのだ。


 そして小中学校時代に植えつけられた恐怖心や猜疑心は、私の中に根強く残っているようだった。

 私はどう思われているのだろうか。陰口をたたかれているのではないか。馬鹿にされているのではないか。こう思うのは学校にいるときだけにとどまらなかった。

 酷いときは、普通の会話にさえ怯えるようになってしまった。

 騒がしくなくても、怒鳴られたりしていなくても、耳に入る声を遮断していないと不安だった。

 何か耳をふさぐものを常につけていたくなり、私はヘッドフォンをつけてみることにした。

 少しだけ、楽になれた。

 ヘッドフォンは、私を取り囲むノイズを和らげてくれた。声に対して神経質になりすぎていた私を守ってくれる気がした。ヘッドフォンをつけていると少し安心できたのだ。

 言ってみれば、耳栓代わりだった。

 音楽を聴くためではない。まわりの人の声が耳に入ってこないようにするために、私はヘッドフォンをつけたのだ。

 日常的に聴くような音楽は、私にはなかった。音は流さず、無音のままヘッドフォンを耳にあてていた。

 あの日までは。



[8月26日 水曜日]


   ◎


 2015年。

 高校生活2年目の夏休みが終わりに近づいていた頃だった。


 私の高校は、8月最後の1週間が課外授業となっていた。

 とはいえ課外というのは名ばかりにすぎない。やることは普段の授業と同じで、もちろん参加必須。要するに2学期の授業を前倒しで始めようというわけだ。

 私は普通に登校して、授業が終わるといつものように一人で駅に向かった。

 いつものように、ヘッドフォンをつけて。


 通学に使っているその駅は、近隣の市町村の中では最も大きい。それなりにお店などもそろっているものだから、少し遠くから来る学生や親子連れも多い。

 この日も駅はよそいきの格好をした中高生でにぎわっていた。彼らはまだ夏休み期間なのだろう。わかってはいても、友達どうしで、あるいはカップルで休みを満喫している姿を見ると、自分は何やっているんだろうなぁという気分にもなる。


 空を見上げると、夏空の青は、大部分が積乱雲の灰色に隠されていた。

 ただ、空模様の割に涼しくなる気配はなく、私の足取りは重かった。この足取りの重さは暑さのせいだけではないと思うけど。

 ヘッドフォンがあてられている部分が汗だくになっている。こんな暑い中やめればいいのに、と自分でも思うのだけど、ヘッドフォンは外せなかった。

 とにかく少しでも涼しいところへ行こうと思い、私は駅ビルへ向かうことにした。


 駅ビルの前に、ささやかな人だかりができていることに気がついた。

 ギターを鳴らす音が聞こえた。路上ライブか、店頭でのミニライブの類だろう。このあたりでその手のイベントが行われることはそう珍しくない。

 私は特に気に留めることもなく、小さく弧を描くように群がっている人たちの横を抜けて、駅ビルの中へ入ろうとした。

 人だかりの隙間から、中心が見えた。

 そこにいたのは一人の女の子だった。

 私と同い年くらいでボブカットの小柄な女の子が、建物を背にして立っていた。夏には少し暑そうな格好と、変わった色のアコースティックギター。

 体格とは不釣り合いなほど大きなそのギターを抱えるように持ち、スタンドマイクを前にして、自分に視線を注ぐ聴衆を一人一人射抜くように見ていた。

 彼女が普通の女の子なら、私は素通りしていただろう。

 しかし、私が彼女のほぼ真横の位置に来たときだった。彼女が歌い始めた。

 瞬間、息をのんだ。


 命を燃やしているかのようだ、と思った。

 振り絞るように歌われる言葉が、魂に響いてくるのを感じた。

 叫び。いや、願い、だ。直感的にそう思った。音が、言葉が、想いが、届いてほしいと必死に願っているようだった。

 誰かに見つけてもらうためにある歌声。そんなふうに感じた。

 曲の間奏。小さく飛び跳ねるように前後左右に動き、頭を振りながらギターを掻き鳴らす。

 乱れた前髪もそのままに、またマイクに向かう。アンプで増幅された声が、スピーカーを通して空気を震わせる。

 粗削りな部分もあるのだけど、これは上手い下手という次元の話じゃない。

 私は日陰者。太陽はどこにも見えない。それでも、私を見つけてほしい。それでも、光が差すことを信じたい。

 全身で訴えているように見えた。


 汗が滴り落ちるのも忘れて立ち尽くしていた。もっと声を聴いていたい、と思った。

 気がつくと私は、ヘッドフォンを外して、首にかけていた。


 彼女は歌を歌い終えると、聴いてくれてありがとうと頭を下げ、話し始めた。歌声とは裏腹に、どこかたどたどしい話し方だった。

 話しながら、彼女は自分を囲んでいた聴衆を見回す。

 ふと私を見ると、ほんの一瞬、大きく目を見開いた気がした。ほんの一瞬、嬉しいような困ったような表情で口をぱくぱくさせて、言葉を詰まらせたように見えた。

 しかし直後、慌てて目を逸らすように彼女は正面に向き直り、話を続けた。

 話を聞いていると、彼女はこの街出身の17歳で、まさに今日デビューしたばかりのシンガーソングライターのようだった。

 話が終わるや否や、私の足は駅ビル内のCDショップに向かっていた。


 CDを買って家に帰った私は、彼女のことを調べ始めた。

 デビュー前から頻繁に路上ライブを行っていたようで、その動画がネットに出回っていた。

 手当たり次第に見た。一曲聴くたびに、歌詞に、曲に、世界観に引き込まれていった。


 何一つ上手くいかない。

 必要とされたい。

 一人ぼっちにしないで。

 そんなメッセージが、彼女の楽曲たちには込められていた。


   ※


 この日から私は、今まで音を流していなかったヘッドフォンで、曲を聴くようになった。

 その人の声に限っては、不思議と体が受け入れていた。むしろいつまでも聴いていたいと思った。

 ──似ている。

 そう感じたのは、彼女が私と同い年だからというだけではない。

 きっと彼女は、かつて私と同じような境遇にあったのではないだろうか。そして彼女は、自分に似た人たちが少しでもこの世界で生きていけますようにと願っているのではないだろうか。


 ほんの少し。ほんの少しだけ、私は息苦しさから解放されるような気がした。

 私はその人の声に縋った。

 砂漠で水を求めるように。海中で酸素を求めるように。

 音量をひたすら上げることで、まわりの視線や声をよりシャットアウトした気分になれた。

 彼女の歌声で、私のヘッドフォンはいっそう強力な耳栓となっていった。



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