第13話 〈ハレ〉と〈ケ〉
「ヒノさん、何かあったんですか?」
朱雀門家に戻ってきたヒノを、姫子が出迎えた。
「
「えっと、湖水浴場のある……」
「そこに死体が上がった。全員……殺されてた」
「えっ!?」
姫子が動揺する。他殺死体が漂着した、などという物騒な話題になじみがないのだろう。
「さっき、お出かけしてたのは……」
「うん、見にいってた」
「ど、どうして?」
「……ハア、これも総領家のつとめってやつらしいよ」
ヒノはため息をつきながら、ビニール袋を取り出した。
チャックのついた透明な袋だ。中には黒い薄片が入っている。
「こいつが、遺体の服についていた」
もうひとつ、袋を取り出す。
「こいつは、君を襲ったミズチとやったあとで、水面に残っていたものだ」
ミズチとの戦闘後に回収された遺留物を取り出す。同じく、黒い薄片が入っている。
「同じものだ」
「あ……」
姫子が目を見開く。
「じゃ、じゃあ、あのミズチが、人を殺したんですか……?」
「あのミズチが関わったのかどうか、調べてる」
ヒノは姫子から目をそらし、困ったように頭をバリバリとかく。
「だから姫子……」
「すこし、事情を聴かせてもらうぞい」
ぬっと喜代輔らが入ってきた。
「祖父様、もうすこしゆっくりでも……」
ヒノは不満の声を上げた。
姫子は命さえ危うくなる恐ろしい目に遭った。それを蒸し返して、余計なトラウマになったりしては困る。気弱そうな彼女が、恐怖ばかりにとらわれてしまったら困る。
そのため「姫子が落ち着くまで」と事情聴取は延期されていた。だが事情が変わった。
「すまんな、姫子さん。立ち話も何じゃし、部屋に入らんかの?」
ヒノたちは部屋に入った。応接に使う、洋室だった。
姫子の隣にヒノが座る。その正面には喜代輔が座り、そのうしろに早暁が立つ。
「死んだのは、島外の退魔士集団オルギム・アームズに所属していた退魔士らじゃ。御陵島の警備を担当していた」
「御陵島の警備?」
「本来、御陵島は四方神一族の血を引く者しか入れなんだ。じゃが、今はホレ、なんでもかんでも透明化じゃの自由化じゃの民営化じゃのでのー。国の方針で、民間委託されることになったんじゃ」
「大人の事情はいーから。続き続き」
ヒノが続きを促す。
「……で、じゃ。退魔士らは明らかに他殺じゃった。しかも朱雀島の浜に死体が流れ着いたということは、殺害されたあと湖に投げられ捨てられたものらしい。さっきヒノが言うたとおり、あのミズチが関わっておる可能性がある」
「あの日……初めて朱雀島へ来た時、何が起こったか教えてくれないか?」
姫子はしばらく考えたあと、ぽつりぽつりと語り始める。
「あの日も玄武島はいつもどおりでした。ですから何も気にせず……朝、玄武の島を出発しました。でも船の操舵はあんまり慣れてないので、ゆっくり行ってたんですけど……」
「まわりでなにか感じたり、騒ぎが起こってたとかは?」
妖怪の現れる前兆には、水流の様子がおかしかったり、魚や鳥が騒ぐことがある。
「いいえ。突然、でした」
突如、あの黒いミズチが水から躍り上がり、姫子の船を襲った。
姫子は全速力でミズチを引き離そうとした。助けを求める暇もなかった。
そこですれ違ったのが、ヒノたちのリゾートボートだった。
あとは起こったとおりだ。
「ヒノさんたちが助けてくれなかったら……わたし、どうなっていたか」
姫子がぶるりと体を震わせた。
「ミズチに襲われる心当たりは?」
「……わかりません」
姫子は首を横に振った。本当に突然のできごとだったようだ。
「あの、わたしがなにか関係あるのですか?」
「まあ、そう気にせんでええよ。わからなければ、わからない、でいいんじゃ。何か思い出したり思いついたことがあったら……すぐに知らせてくれい」
「はい」
姫子はゆっくりとうなずいた。
「ヒノ、褒められとったぞー。わしも鼻が高うてな、笑うのをこらえるのが大変じゃった」
喜代輔がデレデレと孫褒められ報告を垂れる。
「あーそれはもーいいから」
ヒノは居心地悪そうにそっぽ向き、肩をすくめた。
「何じゃ、冷めとるのー。将来、退魔士になるときに、
「俺は実力でやってやるって言ってんの!」
喜代輔はニヤリと笑う。
「ま、本当に実力をつけてから言うことじゃな」
「どーゆー意味だよ」
「お前の技は、完全ではない」
さすがのヒノも、ぐ、と黙った。
「次の吉日に、秘術の継承を行う」
喜代輔の笑いが、ニヤリとしたものに変わる。
「我が朱雀門家の当主のみに伝えられてきた、秘中の秘――
「いいのかよ、こんな大変なときに」
「大変なときだからこそ、じゃ。力のある者がひとりでもほしい」
「でも、大事なしきたりなんだろ? あっちこっちから親戚連中を呼ばなきゃいけないんじゃないのか?」
「な~に、秘術の継承なんぞ、伝える者と伝えられる者がそろっておればできる。此度は緊急のときゆえ、ほかの島へのお披露目は延期し、継承のみを行う」
「あとでモメないといいけどね」
「ところでヒノ、朱雀の秘術は見たことがあったか?」
「話には聞いてるけど……」
「ああ、そうか。ヒノは見たことがないんじゃったな」
現在の継承者である父親は、年中留守だ。父親が秘術を行使するところを、ヒノが見る機会はなかった。
「姫子さんは見たことあるか?」
「いえ、わたしもお話だけで……」
「オレが今使える
「朱雀紅蓮術は、朱雀門の血を引く者であれば、発動させることができる。一方の比翼術は、血だけでは動かせない」
「ほかに何か必要なのか?」
「〈ケガレ〉を食い、そのエネルギーをもって超常力を行使する」
「ええっ、アレ食うのか!?」
ヒノは目をむいた。
〈ケガレ〉は黒いもやが蛇や虫の形をとって現れる。食欲はそそられない。
「気持ちわりーよ。なんでそんなの食わなきゃいけねーんだよ」
ヒノはぶーたれる。
喜代輔が苦笑した。
「ヒノ、〈ハレ〉と〈ケ〉を知っておるか?」
喜代輔が尋ねる。
「ん、ああ。たしか〈ハレ〉が祭とかの非日常だろ?」
晴れの日、晴れの舞台などというのと同じだ。
「そうじゃ。そして〈ケ〉はその反対……日常のことをいう」
「うん。で?」
「〈ケガレ〉の〈ガレ〉は、離れるという意味じゃ」
「ああ、枯れじゃないんだ」
「そういう説もあるがの。ともかく……〈ケ〉と〈ガレ〉、二つを合わせると〈ケガレ〉となる。つまりは日常を離れた非日常ということじゃな」
「それじゃ〈ハレ〉と同じじゃないか」
「〈ハレ〉はプラスの方向に日常を離れることじゃ。対して〈ケガレ〉は、マイナスの方向に日常を離れることを言う」
「あー、なるほど」
「だが、日常を離れるところにエネルギーは生まれる。〈ケガレ〉とはそういうものじゃ。そのエネルギーを使い、朱雀比翼術を発動させる」
「毒も工夫すれば薬になるみたいなもんか」
「そう、毒じゃ!」
喜代輔が膝を打つ。
「〈ケガレ〉を食うことで、すごい力を得られる。んじゃが基本的に毒じゃからの。長時間体内に入れておくと……」
「い、入れておくと?」
喜代輔は答えず、ヒノをまじまじと見つめる。
「まあ、お前なら三分ってところかのー」
「三分?」
「慣れてくれば、もっと保つようになるわい。最初はそれくらいなんじゃ」
酒は飲むほどに強くなるという俗説のようなものだろうか。
「あの、もし、その三分を超過したら?」
姫子が質問する。
「死ぬ」
「は?」
「死ぬぞ」
「は……ええええええええええええええええ!?」
理解して、ヒノは叫んだ。
姫子は絶句している。
「あと、〈ケガレ〉をきちんと吸い出せなくても死ぬからの」
「さらっと言うな!」
ずいぶん軽く死刑宣告を出された気がする。
「あの……吸い出すというのは?」
「〈ケガレ〉は毒じゃ。いったん体に入れたものは、出さねばならん」
「そんなの、吐いちまえばいいんじゃねぇの?」
「吐いて吐けるものなら、フグ毒で死ぬ者はおらぬの」
「わかりづれぇよ」
「つまり、朱雀比翼術で摂取した〈ケガレ〉は、特別な方法で体内から除去せねばならん。それができるのが、玄武院家の女じゃ」
つまり、姫子のことだ。
「どういうわけかは、わからぬがの。玄武院の血を引く女性は、〈ケガレ〉の毒を中和しておのれの血肉としてしまえる。我ら朱雀門家が玄武院家から妻をめとるのは、秘術を使うのに必要だからじゃ」
「…………」
ヒノはどこか釈然としない様子だった。
「しかもそれを三年ほど続けるとな、男も女も、〈ケガレ〉に対して強い耐性ができる。三年の期間というのはな、簡単には死なぬ体を作る大切な時間なのじゃ」
三年間の関係。それはおたがいが長く夫婦として連れ添うための準備期間と言うことだ。
「で、〈ケガレ〉を吸い出すって……」
「チューじゃ、チュー」
「はあ!?」
「え!」
ヒノも姫子も素っ頓狂な声を出して、固まった。二人ともみるみる顔が赤くなる。
「ちゅーっと嫁が吸うとな、ケガレは体から出ていく」
「……マジで?」
「もちろん」
喜代輔は重々しくうなずく。
「ちゃんと練習しておくのじゃぞ」
喜代輔は当たり前のように言った。
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