第11話 島外の者
「すまんな、早暁」
「いいえ。お忍びですから」
車は早暁のものだった。この島では、若者が自家用車を持つのは珍しくない。
「……といっても、私の車に老紳士が乗ってれば、誰かすぐわかりそうですけど」
「わしの車で来るよりかはマシじゃわい」
ふん、と喜代輔は息を吐いた。
ちなみに朱雀門家は、公式用・プライベート用・運搬用などさまざまな目的に合わせた車を数台所有している。
喜代輔は総領代理ということから、公式用のいかつい車で出歩くイメージがついてまわる。それを逆手に取って、弟子の車で出てきたというわけだ。
二人は駐車場に向かう。
「ん?」
早暁が足を止める。
彼の車のそばに、男が立っている。早暁の車に手をかけ、誰かを待っている。
「あれは……」
「
喜代輔が声を上げ、近づく。
男も気づいたようで、軽く会釈した。
「ただいま戻りましたー、朱雀門さん」
若い男だった。顔にはまだあどけなさがある。すらりとした体つきだが、手ははっきりと節くれ立っている。闘う者の手だ。
「あれ、どうしたんですか
「私の車にさわらないでもらえますか」
「早暁、やめなさい」
嫌悪感をあらわにする早暁を、喜代輔がたしなめる。
「あらー、失礼失礼」
さして気を悪くした様子もなく、男は車から離れた。
「いつ戻った、相武君?」
「ついさっきですよー」
相武と呼ばれた男はにっこり笑って、喜代輔に答えた。
喜代輔らにとっては、島外からのお客様というわけだ。
「早暁さんの車を見かけてついてきたら、ドンピシャでしたね」
「つけてきたんですか」
「やだなぁ、他意はないですよ」
相武はへらへらと笑う。
早暁はムッと眉を寄せた。
「んー……何かあったんですか? 島の中がピリピリしてるんですよねぇ。漁船も少ないし」
「なんじゃ、知らんかったんか? 湖に妖怪が出た」
「へぇ!」
相武が目を輝かせる。まるで少年のようだった。
「あーそれでな、相武大臣の訪問じゃが……」
「ああ、父さんならちゃーんと来るそーですよ」
日本は怪異の多い国である。
怪異のもたらす現象は、国家経済や防衛に大きな影響をもたらす。
そのため現在では、内閣特命大臣のひとつに「怪異政策担当」の職位がある。つまり日本には、妖怪対策専門の大臣がいることだ。
現在の大臣は、相武
「まさか空は飛べませんよね、そのミズチ」
「跳躍力はあるようじゃがな。今のところ、飛翔するという報告はない」
「なら大丈夫でしょ。それにー、世論がキビシイのって知ってるでしょ? ヘビ一匹でビビって訪問取り止めてたら、また袋叩きですよぉ」
相武はにへっと笑う。
「それに、父さんだって退魔士なんです。怪異のことは誰よりもよーく知ってますよ。知らないわけじゃないでしょう?」
「わかってます。退魔士時代は、それはそれは高名な方だったと」
「今でもそーですよー」
早暁と相武が話すと、極小の氷の粒がぶつかるような空気がただよう。
「んじゃ、僕はホテルに戻ってから、またそちらに行きます。連絡入れますんで」
「そうか。急がんでいいぞい」
「ありがとございまーす」
相武は笑いながら、彼の車に戻っていった。
喜代輔らも車に乗る。
「早暁、悪い感情は出しすぎるな」
「申し訳ありません、お師匠様」
早暁はわずかに顔を赤くした。
車が走り出す。
「さて、すこし資料を読むかの」
喜代輔は、教会で受けとった資料を広げた。
「ふむ、あの小型船の所有者は姫子か。父親が餞別にしたと見える」
「姫子様はなぜ、たった一人で島に?」
栄えある花嫁の引き渡しに、つきそいがいない。不自然な話だ。
「それもしきたりじゃよ。
「なぜ?」
「朱雀の秘術を行うためには、朱雀の男と玄武の女が対になる必要がある。朱雀の総領はつねに、玄武から嫁を取らねばならんのだ」
「ええ、それはわかります」
「同じ一族から、嫁をもらい続けねばならんのじゃ。もし両者の交流を繁くし、みだりに結婚する者が増えれば……それは血の混濁につながる」
「つまり、近親婚による血の混じり合いをなるべく回避すると?」
「うむ。近親婚自体、日本の歴史の中では珍しいことではないわい。じゃがリスクがあるのもたしかじゃ。そのリスクを最小限におさえるための掟なんじゃ」
喜代輔は外を見つめる。
ちょうど湖が見える場所に来ていた。おだやかな湖面だった。
「すべては、
車の中からはまったく見えない島影に、喜代輔は思いをはせていた。
「最近は平穏だと思ったのじゃが……また、乱がやってくるのやもしれん」
「なぜ、姫子様の船が襲われたのでしょう?」
「それも含めて調べねばならぬ。迷いこんだ精霊が、たまたま船を襲ったのか。それとも何者かが呼び寄せたのか。あるいは、記録にもない古い精霊が、目覚めて出てきたのか」
可能性はいくつかあった。
迷子説。湖にそそぐ河川からミズチが迷いこんだ可能性。慣れない環境にうろたえ、飢えたミズチが人を襲っても不思議ではない。
召喚説。人間の呪術師や一部の妖怪が、湖の外部からミズチを持ちこんだ可能性。
覚醒説。古記録にもないほど古い精霊が、湖のどこかで眠っていた。それが目覚め、たまたまそばにいた船を襲ったのかもしれない。
「御陵島に累がおよぶのは避けたいがのう……」
「そうであれば、オルギム・アームズの人たちが知らせるはずでしょう」
「うむ……」
喜代輔は考えこむ。
「早暁、おぬしはほかの弟子たちとともに、しばらく湖を探ってもらおう」
「わかりました、お師匠様」
「わしは、相武君らとともに、大臣を迎える準備をせねばのう」
空にはうっすらと雲が出はじめていた。
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