最終章 これが最後のデートです
第23話
満月の日。
抜けるような青空の下には、無数の桜が美しい花をつけていた。気の早い桜は散り始めており、暖かな風が吹く度、ヒラヒラと愛らしい花弁を散らせていた。
紫と雪路は都内近郊にある有名テーマパークに来ていた。
休日と言う事もあり、園内は人でごった返していた。
「あ~ん! もう、折角来たって言うのに……!」
人気アトラクションの前に置かれた看板には、三時間待ちの文字が記されてあった。時間を掲げるネズミのマスコットに舌打ちをしながら、紫はどこか空いているアトラクションが無いか地図を広げる。しかし、広げてみて紫は小さな溜息を一つついた。
ここ数年、遊園地など来たことの無かった紫。アトラクションの名前を一目見ただけでは、何がどんな乗り物なのか判断することが出来なかった。
(あ~、あたしって、訓練訓練で、もしかして時代の波に乗り遅れてる?)
お洒落や流行りの情報は雑誌やネットでリサーチしているつもりだったが、ハンターをやっている分、やはり普通の高校生に比べれば獲得する情報量が少ないのは否めない。友人といる時は感じたことがなかったが、こうして異性とのデートとなると、話は別だ。遊園地には来た物の、普通の女の子が遊園地でどのように楽しめばいいのか、紫にはイマイチ分からなかった。
「う~……、雪路、ゴメン。あたしのリサーチ不足だわ」
結局、三時間待ちの列に並んだ紫は、横に並ぶ雪路の様子を伺った。
「ん? 気にするな。遊園地に行きたいって言ったのは、俺なんだから」
軽快に笑う雪路は、そう言ってクシャクシャと紫の頭を撫でた。
今日の紫は、虹色メッシュではなく、烏の濡れ羽色だった。
「虹色メッシュも良いけど、黒髪も良いね」
暖かな陽光を受けて輝く紫の髪を見て、雪路は目を細めた。紫はポッと頬を染めると、指先に髪を絡ませた。光を受ける髪には、光の雫がキラキラと反射していた。
「アハハハ、実を言うとね、あたしの髪は元々黒いの。魔法で光を屈折させて、虹色メッシュに見せているんだ」
「え? そうなのか?」
「さすがに、染めちゃうと学校で怒られるから。でも、ハンターでいる時は、髪を虹色にしてるの。印象的な髪なら、普段はあたしがハンターだって気づかれにくいでしょう?」
「確かに。紫の虹色の髪を見て、俺もすぐに思い出したからね」
「エヘヘ、そうでしょう」
そんな事を話していると、時間はアッと今に去っていく。紫はいくつかのアトラクションに乗ってみた。初めは子供だましだと思っていたが、アトラクションの雰囲気作りが上手くできており、実際乗ってみると本当に冒険しているような気分にさせられたりした。
最後の日だというのに、雪路は一時でも表情を曇らせることはなかった。まるで、今日を生き抜き、明日も、明後日も今日と同じように生きていられると確信しているかのようだった。
雪路の屈託のない笑顔を見ながらも、紫の心は晴れることがなかった。
残された時間が刻一刻と削られていく。
時計の針は、この世界に生まれ落ちてから皆平等に刻まれていく。この世界が不変の物であるというのなら、本来時間という概念は必要ないのかも知れない。木々や動物たちは、時の流れを感じることはすれども、時間という物を突き詰めて考えたりすることは出来ないだろう。
朝になると日が昇り、夜になると日が沈む。春夏秋冬が訪れ、冬が終わるとまた春が訪れる。木々は色づき葉を枯らすが、春が巡れば葉を茂らせ実を結ぶ。栄枯盛衰は世の常という言葉があるが、それは人ばかりでなく全ての生物に当てはまる。地球というミクロの世界で見れば、そこには多種多様な生物に満ちた躍動ある世界が広がっているかも知れないが、広大無辺な宇宙、マクロの観点から見れば、そこはやはり静謐に満ちており、時の流れは感じられないだろう。
太陽が寿命を迎えて惑星を飲み込もうとも、ブラックホールが無数の星々を飲み込もうとも、ハイパーノヴァが銀河を吹き飛ばそうとも、宇宙にしてみればそれら全ては取るに足らないこと。滅びのない、無限が続く世界では、何が起ころうとも取るに足らないこと。
しかし、人は違う。命は有限であると知っているからこそ、時間を感じ取り、精一杯生きようとする。
普段は何気なく過ぎ去っていく時間。授業中は緩慢に、楽しい時は光の如く過ぎ去っていく物。今の紫には、時の流れほど憎々しい物は存在していなかった。
雪路と過ごす楽しい一時。しかし、秒針が時を刻む度に心は軋み、崩壊してしまいそうなほど辛い。
「紫、丁度夕方のパレードの時間だ!行ってみよう!」
気がつくと、陽は傾き始めていた。
人だかりの中、何とか人混みの割れ目を見つけて紫と雪路は最前列に辿り着いた。
「俺、一度これを見てみたかったんだよな!」
徐々に太陽は光を弱め、闇のベールが東の空から天上を覆い隠していく。園内に照明が灯り、来園客の表情を照らした。
皆、一様に笑みを浮かべていた。これから始まるパレードに胸を踊らせている。夢の国。そう、ここは日常を忘れられる夢の国だ。この国では誰もが子供に帰れる場所なのだ。
紫は目を輝かせる雪路を見上げた。彼も童心に返っているのだろうか。幼い頃味わうことの出来なかった事を、今、この瞬間楽しんでいるのだろうか。
雪路の腕に自らの腕を巻き付けた。小さな頭を、コトンと雪路の肩に預ける。
「どうした?」
「何でもないの。こうしていたいの……」
煌びやかなパレードが始まる。
馬車に乗ったキャラクターが、色取り取りの光を掲げながら、来演客に手を振っていた。賑やかな音楽。華やかな光。愛くるしいキャラクター。紫の目には、それら全てが霞んで見えた。気がつくと、涙を流していた。
手の甲で涙を拭った紫は、ムリして笑みを浮かべた。雪路はパレードに見入っており、紫の涙に気がついていない。例え気がついていなくても、紫は笑顔でいなければいけない。最後の瞬間まで、紫は笑顔でいると決めたのだ。それを、雪路が望んでいるのだ。
三十分ほどで、パレードは終了した。宴の終焉を思わせるパレードの終了。他の来演客は、帰り始める人も多いのだろう。広大な園内は、急に人口密度が低くなった気がした。
「少し、歩こうか」
「うん」
海を思わせる湖の周りを、紫と雪路は歩き出した。とりとめのない話をしながら、ゆっくりと歩く。しかし、やはり会話は続かない。会話は自然と途切れ途切れになり、いつしか、話すことなくただ歩いていた。
閉園の時間が迫るまで、二人は無言で広い園内を歩き続けた。そして、満月の写り込んだ湖がよく見えるベンチに腰を下ろした。
終わりが始まろうとしていた。
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