第19話

「でも、カルト君、どうして今になって火野先輩が……。市内で起きている事件だって、つい最近のことなんでしょう?」

「……そうだね。まあ、どんな過去や理由があろうとも、火野先輩の命はあと三日。三日後に、紫が火野先輩を殺す。そうすれば、事件は解決だよ」

「あと三日って……。だって、紫ちゃんは……」

 麟世は絶句した。カルトの言っていることが理解できない。雪路は紫の彼氏ではないのか。紫は、三日後に彼を殺す事を知ってなお、恋人同士になったのだろうか。

「麟ちゃん、落ち着いて。その事については二人とも了承済みだよ」

「だって……だって……!」

「麟世、この件は、ボク達が口出しする事じゃないんだよ」

 大地だ。珍しく真剣な眼差しで、射るようにこちらを見つめてくる。気がつくと、麟世は立ち上がっていた。握りしめていた拳のやりどころがなく、ただ、淡々と話しているカルトを見下ろすことしかできなかった。

 言葉に出来ない激しい感情のうねりが胸を覆い尽くす。二人は、自分が何を言っているか理解できているのだろうか。紫が、一体どんな気持ちで雪路と付き合ったと思っているのだろうか。昨日、電話口の紫は本当に幸せそうだった。話を聞くだけで微笑んでしまうほど、紫は幸せで一杯だった。そんな紫を、二人は知っているのだろうか。

 たまに、カルトと大地のことが分からなくなる。セリスの命令を無視してまで人を助けることもあるが、目の前で死にそうな人を見捨てる冷徹さも見せる。彼らの判断基準が、価値観が麟世とは違うのだ。

 ふと中空に目をやったカルトは、つと目を細める。分厚い眼鏡の奥に見える瞳は、深い憂いを秘めている。彼は、麟世には言えない何かを隠している。麟世は直感的に感じ取った。

「さて!」

 カルトは、場に立ち籠め始めた暗い空気を払拭するかのように膝を叩いて立ち上がると、こちらにミサンガを差し出してきた。

「麟ちゃん、お願いがあるんだけどさ、これを火野先輩に渡してくれないかな?」

「え、私が?」

 両手を突き出し、プルプルと麟世は首を横に振る。この場では言えないが、麟世は一度雪路を振っているのだ。今更どんな顔でミサンガを渡せと言うのだろう。

「ムリ! 無理よ、絶対にムリ!」

「絶対にって……、たかがミサンガを渡すだけだよ? あっ……、麟ちゃんは大地と付き合ってることになってるんだっけ?」

「えっ! あの噂、まだ現在進行中なの? ったく、人の噂も七十五日っていうけど、もう半年近く経っているのよ」

 麟世はムッとした表情で大地を睨み付ける。「なんだよ、ボクのせいじゃないだろうが」と、大地は小声で反論する。

「彼氏がいるんじゃ、流石に渡しづらいか」

「だから、アレは噂だって。カルト君も人をからかうのが好きよね」

 麟世の言葉に、カルトは「アハハハ」と軽快な笑いを飛ばす。彼が笑うだけで、今まで胸の奥に渦巻いていた黒い感情が流されてしまうから不思議だ。

 「じゃあ、大地。宜しく」と、カルトは大地にミサンガを渡す。

「ボクで良いのか?」

「俺が渡すよりは良いだろう? お前なら、麟ちゃんと同じく、この学校で知らない奴はいないし」

「まあ、顔は知られているけどな。まあいいや、これも兄弟子の勤めだろう。じゃ、二人とも行こうぜ」

 ウインクする大地に伴われ、麟世は一階にある三年生の教室へ向かった。



「これ、ミサンガ」

「これを、俺に?」

 雪路は目を丸くした。当然と言えば、当然だろう。

 星雲雀学園一の不良と思われている草薙大地が、学園一の美女をともない、火野雪路を廊下に呼び出したのだ。大地から一歩下がった位置にいる麟世は、こちらに視線を投げかけてくる雪路に、引きつった笑みを浮かべて小さく手を振った。

「どうして、これを? 白河さんじゃなく、草薙君が俺に?」

 雪路は目の前に立つ三人に交互に視線を送った。一度告白した麟世に、他の二人よりも若干長い視線を送ったが、麟世は気の利いた台詞一つ言えなかった。此処にいるのは、カルトに大地、それに、三年生が興味津々と言った感じで大地と雪路のやり取りを見守っていた。

 誰も雪路が悪魔だとは気づいていないし、後三日間の命だとは夢にも思ってないだろう。それに、雪路が麟世に告白したことを知っている人は、麟世の親友二人だけだ。紫のことを考えれば、ヘタに口を滑らせて、カルトと大地に雪路を振ったことを知られる必要も無いだろう。

 麟世の打てる最善の策。それは、人畜無害な笑みを浮かべることだけだった。

 雪路は、大地が差し出すミサンガを不思議そうに見下ろしていた。

「そうだよ。ボクが火野先輩にあげることが、そんなに不思議?」

「ああ、大分不思議だと思うが」

「え~っと、これは、その、なんて言うのかな……」

 「う~ん」と唸りながら、いつの間にか雪路と大地を中心にして周囲を囲っているギャラリーに目を転じた。大地の視線を受けたギャラリーは、皆一様に視線を逸らし、アリの子を散らすようにどこかへ行った。

 恐らく、この場でどう説明して良いのか大地も迷っているのだろう。もしかすると、彼は何も言わなくても、雪路がミサンガを受け取ってくれるとでも思っていたのかも知れない。

「それは、貴方が貴方でいるためのミサンガです」

 見かねたカルトが漸く口を開いた。

 凛と響く声が雪路の注意を引いた。今まで、大地と麟世の後ろに影のように隠れていたカルトに、スポットが当たった。

「俺が、俺でいるための?」

 雪路の表情にサッと警戒の色が宿る。

 カルトは大地の手からミサンガを取ると、雪路の左手首にミサンガを縛り始めた。

「そうです。三日間だけですが、貴方を火野雪路にすることが出来ます」

「君は……、いや、草薙君に白河さんも、一体、何者なんだ?」

「稲城紫の」

 カルトはミサンガの端と端を結った。これで、雪路の手首にミサンガは固定された。

「兄、とでも言えば納得してくれますかね?」

「あっ……」

 一歩離れたカルトを、雪路は凝視した。麟世からはカルトの背中しか見えないが、一体、カルトはどんな表情を浮かべているのだろうか。

「いいですか、そのミサンガは絶対に外さないで下さい。分かりましたね?」

 拒否することの出来ない、底冷えのするカルトの声だった。雪路は、カルトの気に押されたように半歩後ろに下がると、コクリと一つ頷いた。

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