第17話
雪路は目を覚ました。
酷く喉が渇いていた。
ここ数日食欲もない。
喉だけは渇いていた。
畳の上に敷いたせんべい布団から体を起こした雪路は、テーブルの上に置かれていたコップを手に取ると、中に入っていた水を飲み干した。
ホッと一息ついた雪路だったが、まだ体には激しい倦怠感が残っていた。
今日、雪路は学校を休んだ。目が覚めた時、体が思い通りに動かなかったのだ。高い熱が出て、体の節々が痛んだ。夢で見た第三種生命体の映像がそうさせたのか、胸と右腕が激しく痛んだ。
雪路はカーテンから漏れ出す月光に右手を晒してみる。冷たい月光の中に浮かび上がる右手は、確かにそこにあった。
女子高生ハンターの稲城紫。第三種生命体の目を通してみる彼女は、身も竦むほどの殺気を纏っていた。そして、容赦ない攻撃は第三種生命体を、雪路を激しく打ちのめした。
自分はどうかしてしまったのだろうか。頭を振り、殺風景な部屋を見渡す。ここに住み始めて二年が経過していたが、家具らしい家具もない。高校生の男としては、余りにも整いすぎた部屋。静かな部屋を見渡した雪路は、本棚に目を留めた。唯一の趣味である読書。僅かばかりの蔵書を収めた小さな本棚。一番下の棚に僅かに隙間があった。確か、昨日までそのような隙間は無かったはずだ。
雪路は小さな舌打ちをした。胸の奥に僅かばかりの緊張が宿る。手を伸ばし、本棚を確認する。やはり、本の数が足りない。
まだ熱を帯びている頭では、いつ本が盗まれたのか考えることが出来ない。今日は一日寝ていた。昨日寝る時も、本棚に変化はなかったはずだ。
その時、カンカンカンッと外で足音が聞こえた。誰かが階段を上ってくる音だ。
雪路は起き上がった。そして、ドアへ歩み寄る。鍵を開けてドアノブを掴むのと、呼び鈴が鳴らされたのはほぼ同じだった。
「コンバンワ」
立っていたのは、稲城紫だった。ニコリと微笑む彼女。しかし、その顔は何処か強ばっていた。紫は一度深呼吸をして小さな肩を上下させると、意を決めたように強い口調で言葉を発した。
「あたしは今日、雪路さんを殺しに来ました」
不思議なことに、その言葉に大したショックは受けなかった。ただ一つ、今までの人生を振り返ってみて、ろくな事がなかったな、と思っただけだった。良い思い出も無ければ、悪い思い出もない。印象に残ったことを思い出そうとしても、何も思い浮かばない。そんなつまらない人生を送ってきた。
雪路は幼さの残る少女を見つめた。いつの間にか、少女の手には小さなナイフが握られていた。彼女の力ならば、雪路が瞬きするほどの一瞬でナイフを心臓に突き立てることが可能だろう。
「何か、言い残す事はありませんか?」
紫の大きな瞳が不安定に揺れている。特徴的な虹色メッシュの髪が、月明かりに照らされてキラキラと輝いている。月光の中に佇む彼女は、とても魅力的だった。
「あ、一つだけ……」
雪路は呟いた。
紫は小さく頷く。
「俺と、付き合ってくれ」
「…………は?」
雪路の言葉に、紫が呆気にとられたのは、当然と言えば当然のことだった。
「死ぬまでの数日間で良いんだ、俺と付き合ってくれ」
「付き合ってって、近所のお買い物とかじゃないわよね?」
「ああ、彼氏彼女として。恥ずかしいけど、俺は今まで一度も女性と付き合ったことがないんだ。死ぬ前に、どんな気持ちなのか味わってみたい。ダメかな?」
紫の手にしていたナイフが力をなくすと、一枚の布へと変化した。
「あっ、いやっ、あの、その……!」
桜色に頬を染め、しどろもどろになった紫。紫は暫く手を振ったり、首を横に振っていたが、雪路の真剣な眼差しに押されたのか、急にシュンとしてしまった。唇を噛み、暫しの沈黙。そして、細く長い息を吐き出しながら紫は顔を上げた。
「……分かりました。……三日間だけ……」
紫は月を見上げた。紫の瞳に、僅かに欠けた月が写り込んでいた。
「次の満月まで」
ぺこりと紫は頭を下げた。
「不束者ですが、よろしくお願いします」
「あ、いえ、こちらこそ、宜しく」
紫に習い、雪路もぺこりと頭を下げた。
あと三日で死ぬという事よりも、こんなに可愛い彼女が出来たと言う事の方が、雪路にとっては重大なニュースだった。
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