一章 あたしだって一人前なんだから!

第3話


 春の夜風は、まだ冷たい。

 桜の花びらが夜風に舞う。

 これが最後の景色だろう。

 短い人生だったが、後悔はない。

 不思議と、心は満ち足りていた。

 だから、俺は満足して逝く事が出来る。

 唯一の心残りは、彼女の心がどうなるか。

 俺は、彼女の心を連れて逝く事は出来ない。

 彼女の心は、こちらに置いていくべきなのだ。



 夜の七時を回った遊園地は静かだった。昼間の喧噪は嘘のように消え、煌びやかなネオンの明かりが、優しい月光を打ち消している。

 目の前に広がる湖には、コールタールのように黒い湖が広がっている。昼間はあれほど美しかった湖も、今は地獄の底のように暗い湖面をたゆたわせているだけ。唯一の彩りとして、湖面には白い満月が写り込んでいた。

「心配しないで」

 俺は横に座る少女に声を掛けた。

 「………でも」と、少女は小さく声を発すると、シュンと顔を伏せた。

 まだ幼さの残る少女。高校一年生だが、中学生になったばかりだと言っても、まだまだ通用するだろう。

 今まで生きてきた十七年間。何一つパッとしなかった人生だったが、最後にこの少女と出会い、終わりの間際までこうして一所に居られる事は、まさに天がもたらした僥倖(ぎようこう)だった。

 ベンチに腰を下ろしたまま、無言の時が過ぎていく。辛い沈黙ではない。何も話さなくても、こうしているだけで良かった。少女は時折顔を上げると、空に浮かぶ満月を確認する。

「そろそろ、か」

 俺が独り言のように呟くと、少女はコクリと無言のまま頷いた。彼女が僅かに動く度、髪から流れてくるシャンプーの甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 もう少しこうしていたかったが、タイムリミットは迫りつつある。俺が立ち上がるのが分かっていたかのように、寸分違わず少女も腰を上げた。

 俺が歩き出すと、少女は真横に並んで歩く。光を受けて、少女の身につけている臙脂色のジャケットがキラキラと輝いた。少し大人びたように思える服装も、今の彼女にはよく似合っていると思う。

 俺は今にも泣き出しそうな少女の顔を、目に焼き付けた。最後の瞬間まで、その顔を忘れないように。視線に気がついたのか、少女も僅かに目を上げると口元に優しい笑みを浮かべた。

 俺たちが歩き出すと、待っていたかのように遊園地の照明が落とされた。昼間から夜へ、冷たい人工の光は姿を消し、空から降り注ぐ月光と星明かりが周囲を青く染めた。

 少女が俺の手を握ってきた。小さいが温かい手だ。俺はその小さな手を優しく、壊れないように握りしめた。

 終わりが、始まろうとしていた。



 二十世紀初頭、世界は豹変した。

 世界初の、全国家政府での同時中継。その内容は、見る人、聞く人を震撼させた。

 それは、第三種生命体と呼ばれる生物の存在。長い間、国家が隠匿してきた異形の者。神話や物語の中で語られ、実際には存在しないと思われていた、神や悪魔の存在。

 政府は、人間や動物をこう位置づけた。

 人を第一種生命体。猿、犬、猫、魚、虫など、広義の生物を第二種生命体。そして、神話や物語などで登場する、悪魔や神、妖精や妖魔、精霊に悪霊などを、第三種生命体とした。

 その基準は、第三種生命体の存在と共に発表された、『龍因子』の有無に関係があった。

 猿から人へ進化したと学者は言っているが、そこにはいくつもの疑問点がある。

 類人猿から人類までの進化に掛かった時間は、およそ二千万年。その二千万年という時間を、長いと見るか短いと見るか、それは人それぞれかも知れないが、人間がこれ程までの文明を築きあげるまでに至った時間としては、明らかに短いという学者もいる。

 そして、人類に起こった急激な進化には、外部から何らかの干渉があったのではないか。少数派の学者は、そう定義していた。そして近年、人の中に新たな因子が発見された。

 それが、龍因子だ。

 ミトコンドリアと同じく、エネルギーを発生させる龍因子は、不思議なことに、猿や魚、鳥などの第二種生命体には存在していないのだ。人類の親戚と言われるチンパンジーでさえ、龍因子を持っていない。そして、人類の驚異となる第三種生命体には、龍因子が備わっているのだ。

 政府は、人類の起源について、一つの種族の存在を定義した。それが、古代龍人だ。まだ文明を持たない人類と交わり、新たな人を産み落とした至高の存在。

 かつての地球は不安定で、様々な所で空間が歪み、別の次元から強大な力を持った神や悪魔が来訪した。古代龍人も、別の次元から来訪した神の一つだと言われている。

 古代龍人の力は絶大であり、不安定な空間に覆われていた地球を、結界を張って安定させた。空間が安定したことにより、別の次元から地球にくるのは容易ではなくなった。

 しかし、絶対数の少なかった古代龍人は、その力と文明を人類に託し、歴史の中に埋没していく。

 古代龍人の展開した結界により、第三種生命体という外敵がいなくなった人類は、龍因子を軽んじ、科学を尊重するようになる。長い年月が過ぎ、古代龍人の張った結界の力が徐々に弱まったことに、人類の大半は気がついていなかった。

 政府は、第三種生命体と龍因子、人類の祖となる古代龍人の発表と共に、もう一つ、新たな機関の発足を宣言した。

 それは、第三種生命体に対抗する政府の組織。日本では、妖魔攻撃隊と命名された。

 妖魔攻撃隊は、昨日今日発足されたわけではなく、遙か昔から、秘密裏に第三種生命体と戦いを繰り広げていたのだ。政府の巧みな情報操作により、その存在が公にされなかっただけで、第三種生命体と戦う人たちは、決して少なくはなかった。

 日本政府は、妖魔攻撃隊の発足と共に、ハンターのライセンスを発行した。これは、特定の戦闘レベルと、龍子の総量によりランク付けされ、E~A、S、SSとその能力によりランク付けされる。

 龍因子は、極めて流動的で指向性のあるエネルギーを発する。そのエネルギーにより、肉体を強化することも可能だし、使用者の意識を通して、様々な性質や効果を持つ魔法としても使用が可能だ。

 結界の綻びから萌え出る第三種生命体。彼らは、発生した時から身に纏っている簡易結界により、銃などの既存の兵器では傷一つ与えることができなかった。第三種生命体を倒すには、簡易結界が無効とされる近接攻撃か、既存兵器を遙かに凌ぐ魔法による攻撃しかない。

 つまり、第三種生命体を倒すには、ハンターでないと太刀打ちができないのだ。

 政府の発表から百年余り。人々は第三種生命体という存在に戸惑いながら、それを受け入れ、生活を続けていた。



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