第4話

 満月まで、後七日。


 飴色の光が重厚な室内を満たす。

 ダークブラウンの絨毯が敷き詰められた室内には、マホガニーのデスクが四つ、一つは南側を向き、他の三つは北側を向いている。部屋の片隅には、本皮の三人掛けのソファーが二つ、ガラステーブルを挟んで向かい合っている。

 ソファーには、二人の青年と一人の少女が向かい合って座っていた。青年二人は寄り添うようにして、一冊の分厚い本を読んでいる。

「んもう!イヤになっちゃう!」

 稲城紫はガラステーブルに足を投げ出すと、向かい側に座る二人を睨み付ける。睨み付けられた二人は、チラリと紫の小さな素足に目をやると、興味なさそうに鼻を鳴らし、再び本に目を落とす。

「良いじゃないか、別に」

「バイト代は入るんだし」

「カルトは良いわよね!」

 口を尖らし、向かって右側に座るカルトに突っかかる。

「ちゃんと仕事をしたんだしね。本当は、私の仕事だったんだけどね!」

「詳しい話は聞いてないんだけど、一体どうしたんだ? 随分手間取ったみたいだな」

 左側に座る青年は本から目を離すと、初めて紫を見た。

 常に悪戯な笑みを浮かべている童顔な青年、草薙大地。生まれつき色素の薄い髪は茶色で、高校では染髪疑惑が常に持ち上がっている。というのも、素行不良の彼は高校入学初日に不良グループを病院送りにし、停学処分を受けているのだ。それ以降、大地は不良のレッテルを貼られてしまった。

 紫はガラステーブルから足を退かすと、僅かに身を乗り出して大地に懇願するように言った。

「だってさ~、街の中に逃げ遅れた人がいたんだもん。その人を助けてたら、ワニちゃん逃がしちゃって~」

「その人、怪我はなかったのか?」

「ギリギリの所で助けたんだけど、色々あってね~。妖魔攻撃隊がちゃんと一般人を誘導してくれないから」

「仕方ないさ。でもま、人助けをしたんだ、もう立派なハンターだよ。紫も漸くボク達と肩を並べたな」

「あら~大地、嬉しい事言ってくれるわね~」

 紫が笑うと小学生のようにも見える。しかし紫は、つい先日高校に入学したばかりの十六歳だった。前に並ぶカルトと草薙大地は、一つ上の高校二年生だ。

「その人は、どんな人だったの?」

 分厚い古めかしい本から目を上げず、カルトは興味なさそうに尋ねる。

「どんな人って、良く覚えてないけど、私よりも少し年上かな。大事そうに本を抱えていてね、雰囲気はそうね~、カルトに少し似ていて格好良かったなぁ~」

「十分覚えてるじゃないか」

 そう言って、パタンとカルトが本を閉じるのと、部屋のドアが開いたのが同時だった。

 入ってきたのは、目を疑うほどの美女だ。彼女の名はセリス。海のように深い色の碧眼に、燦然と輝く陽光のようなプラチナブロンド。二十代半ばの淑女だ。セリスは紫達三人の師匠であり、三人からは「先生」と呼ばれている。

「お疲れ様、紫。どうだった、実戦は?」

 部屋の空気をゆっくりと掻き混ぜながら、セリスは紫の隣に腰を下ろした。セリスがいるだけで、部屋の空気がピリッと引き締まった様に感じる。

「大したことなかったわよ~。でも、失敗しちゃったけど……」

「ふふ、流石の天才少女もこればかりは一筋縄じゃいかないわね」

「む~………!」

 紫がセリスに弟子入りして約三年。カルトと大地は小学生の低学年からセリスに弟子入りして鍛えられている。二人との実力の差は歴然としているが、それでも、紫は今年に入ってハンターのライセンスを取得した。それも、SS(スペシャルS)クラスだ。日本でも数百人しか持っていないSSクラスのライセンスだったが、セリスから言わせれば「まだまだヒヨコ」だそうだ。

「先生~、私も通り名が欲しい!ハンターになったんだし、格好いいのが欲しいよ」

 紫は、甘えるようにセリスの腕を取る。白い肌に良く映える黒いイブニングドレスを纏ったセリスは、紫の手をヤンワリと外すと、その手を持って軽く握った。

「そんな物もらってどうするの? 邪魔なだけじゃない」

「だって、先生は『白い破滅(ホワイトルーイン)』って呼ばれているし、大地は『東洋の五芒星(オリエンタルペンタクル)』、カルトは、カルトは………特にないか」

「あるよ! カルト・シン・クルトって名前がすで通り名だよ。カルトなんて名前の日本人が何処にいるよ!」

「あっ、そうだったわね。カルトなんて、古代龍人の王様の名前だよ~!」

「おいおい紫、通り名は自分で付ける物じゃない。畏怖の念を持って付けられる物なんだよ。カルトの場合は、マクシミリオンを持ってるだけで確定だけどな。ボクなんて、結界士を何年もやっていて、漸く呼ばれるようになったんだぜ?」

「結界士で東洋の五芒星でしょ? 先生とカルトは魔法剣士でぇ~、白い破滅とカルト・シン・クルト。私はスペルマスターだから、ナントカカントカの魔女とか、ラブリーウィッチとかがいいな~」

「お前、人の話聞いてねーだろ?」

 大地の言葉を完全無視した紫は、期待の籠もった眼差しでセリスを見やる。セリスの碧眼に、虹色メッシュに瞳を輝かせた紫の姿が映り込んでいた。

「とりあえず、仕事成功させてからよ。紫の実力なら、すぐに通り名が付いて、呼ばれるようになるわ」

 パァッと紫の顔を綻ぶ。セリスは面白そうに紫を見て、ポツリと呟く。

「もっとも、紫の場合は不本意な通り名を付けられそうな気もするけどね」

 その言葉に、カルトと大地が一斉に吹き出した。

「街破壊の魔女とか…」

「ラブリーじゃなく、トラブリーな魔女とかな!」

 カルトと大地が紫を挑発する。

「ちょっとぉ~! バカにするな、そこの二人! あたしはね、ド派手をモットーにしてるのよ! あんた達みたいな、魔法を帯びた剣で切ったり、結界や呪符を使ったチマチマした戦いは、あたしには向いてないのよ!」

「性格が大雑把なだけだろう」

「龍因子の微細なコントロールができないと、結界士も魔法剣士もできないんだよ」

「あ~~~! 言ったわね! あたしをバカにして! もう許さないんだから! なにさ! 大地なんて注意力散漫な結界士って言われてるくせに! あたし知ってるんだからね!」

 紫はビシッと大地を指さす。

「雪女を倒しに行った時、あんた、相手が雪女と分かっていながらデレデレして、氷付けにされたでしょう! 女と見ると本当に甘くなるんだから! そんな事だから、いつも依頼人をカルトに取られるのよ!」

「取られるって……! 取られてね~! 依頼人が勝手にカルトに惚れるだけだ!」

「でも、それでショック受けてるよな、お前は」

 カルトは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。しかし、そんなカルトに対しても紫は矛先を向けた。

「アンタだってそうよ、カルト! 麟世さんと知り合ってやっと社交的になってきたけど、それまでは何? 王様の名前と剣を引き継いでおきながら、人とまともに視線すら合わせられないチキン野郎だったじゃない! まだ麟世さんに告白だってしていないんでしょう? あれほど綺麗な人、早くしないと他の男のものになっちゃうわよ! というか、カルトに麟世さんはもったいないわ!」

「なっ! 麟ちゃんとは……告白とかそう言う関係じゃ………」

 ギャーギャーと喚く紫。いつもと変わらないこの風景。セリスは少しの間、弟子達のそんな風景を楽しんでいたが、いつまで経っても漫才のような掛け合いが終わらないのを見て、コホンと咳払いをした。水を打ったかのように、場が静まりかえる。

「バカ騒ぎは後でして頂戴。それよりも、一件、仕事があるわ。今回の依頼主は、また妖魔攻撃隊よ」

「またですか? 翼の奴、たまには自分でやればいいのに」

 カルトが深い溜息を漏らす。

「妖魔攻撃隊のお仕事って、確か安いのよね?」

「かなりね。ま、ハンターと言っても、妖魔攻撃隊は公務員だからな。給料はそこそこ良いにしても、やっぱり公務員、たかが知れてる。第三種生命体と戦っていつ死んでもおかしくないんだ、安い給料じゃ人も集まらないだろう」

 「奴等には同情するよ」と、大地は付け加えた。

「でも、普通の人がフリーのハンターを雇うには、大金が必要となるわ。そんな人達が頼りになるのは、妖魔攻撃隊よ。例えハンターとしての質が落ちようとも、妖魔攻撃隊が先頭に立ってこの日本を守っている事に変わりはないわ」

「ま、そうですけどね」

 先ほど、カルトが口にした翼というのは、妖魔攻撃隊一番隊隊長。つまり、妖魔攻撃隊のトップに立つ人物だ。年は紫よりも三つ年上の十九歳。妖魔攻撃隊は、勤続年数や勤務態度で出世するのではなく、ハンターとしての実力で出世していくのである。十九歳で妖魔攻撃隊のトップに立てるほど、翼の実力は抜きん出ていると言う事だ。

 妖魔攻撃隊は各都道府県に支部を持ち、ライセンスがBクラスから三番隊に、Sクラスになると二番隊、SSクラスになると一番隊になる。上に行けば行くほど人の数は減っていき、一番隊のメンバーは全部で二十名ほどしかいない。

 その為、各都道府県の支部で手に負えないほどの事件が来ると、それらの依頼は格安でフリーのハンターに振られる事となる。妖魔攻撃隊からの依頼は、余程の事情がない限り、破棄する事はできない。ライセンスを取得する代わりに、それなりに責任を負うのが、フリーのハンターなのだ。

「で、依頼内容は?」

 大地がセリスの手にした封筒を見やる。

 その封筒には、依頼内容が記された紙が入っている。手にしている封筒は二つ。一方には依頼内容の書かれた紙が入っており、もう一方には何も入っていない。誰にでもこなせる仕事の場合、こうしてくじ引きの要領で仕事を振るのがセリス流だ。

 紫の眼差しは、自然とセリスの手元に惹き付けられる。何としてもまた仕事を回してもらい、今度こそ成功させなければいけない。

「簡単な内容よ。最近、市内で毎日のように起きている殺人事件は知っているわよね。その犯人が、第三種生命体の仕業だと判明したわ。妖魔攻撃隊の支部から送られてきた情報では、恐らく、相手は潜伏成長型の第三種生命体よ」

「潜伏成長型っていうとぉ~」

 紫は頬に指を当てた。

「人に寄生する、もしくは、人に成り済ましている第三種生命体だ。大旨、性格は狡猾で残忍。龍因子を消すのが上手くて、なかなか見つけられない。事件が長引くケースが多い」

「ああ、それそれ」

 カルトの説明に、紫はパンッと手を打つ。

 例外はあるが、第三種生命体は潜伏成長型に、捕食成長型と発展発生型という三パターンに分類されると言われている。

 潜伏成長型はカルトが説明した通り。捕食成長型は、人を喰らってどんどん強くなっていくタイプ。性格は単純で、隠れる事も滅多にしない。日中戦ったパナルカルプは、捕食成長型だ。被害は大きくなるが、発見が早いため事件の解決が早いのが特徴といえる。そして、発展発生型。これは、この世界に生じた瞬間から、強大な力と高い知能を併せ持つタイプ。最初から完成されているため、人を喰らう事はないが、暴れ出したら止めるのは困難だ。ドラゴンや有名な悪魔、大天使や神と呼ばれる者達が分類される。

「カルトは別件で動いてもらってるから、今回の仕事は大地と紫の二人の内どちらかよ」

 セリスは二つの封筒をテーブルに置いた。紫は、すぐに手を伸ばすと二つの封筒を握りしめた。

「ハイハ~イ! あたしがやります♪」

「はぁ? お前、大丈夫か? 相手は潜伏成長型だぞ。今日みたいに、妖魔攻撃隊が舞台をセットしてくれるわけじゃないんだぞ? こういう仕事は、ボクの方が向いている!」

「大丈夫よ~! あたしだって、もう一人前なんだから! あんた達二人の手は、煩わせないわよ~」

「まあ、良いじゃない大地。とりあえず、紫に任せてみましょう。ただし、いいわね、紫」

 セリスの発する気が変化した。室内の温度が、一瞬にして下がったように感じられた。

「今度失敗したら、少しお仕置きよ? 分かったわね?」

 お仕置きという言葉に、紫の手は震えた。手にした二つの封筒が、突然重く感じられた。しかし、もうこの封筒を置く事は出来ない。セリスが承諾してしまった以上、この仕事は紫が解決するしかないのだ。

「あ、あのぉ~、先生、あたし女の子だから、手加減してね」

「分かってるわよ。安心しなさい。これは連帯責任と言う事で、二人の兄弟子にも責任をとってもらうから」

 その言葉を聞き、ホッと胸を撫で下ろす。カルトと大地が一所ならば、何も問題はない。どだい、紫はセリスの一撃で混沌してしまうのだ。あとは、紫の代わりに二人が半殺しに合えば済む事なのだ。

 だが、セリスの言葉に納得できないのは前に座る二人だろう。今度ばかりは、カルトも顔を引きつらせて反論している。

「ちょっと待って下さいよ! だったら俺がやりますよ! 怪しい奴を、片っ端からマクシミリオンで斬ってやる! マクシミリオンの特異性があれば、人に巣くう第三種生命体だけを斬る事だって出来るんだし!」

「いいや、ボクがやります! ボクなら、確実に第三種生命体を見つけられる!」

「ダメよ、もう決まった事なんですから。それに、二人は補習があるでしょう? お情けで進級させてもらったんだから、一年生で足りなかった授業時間、補填してきなさい」

 セリスの言葉に、「うっ」とカルトと大地は言葉を詰まらせる。この隙を突いて、紫は立ち上がった。

「じゃあ、先生。すぐにでも仕事始めるわね!」

 ウインクを残し、紫は部屋から出て行った。扉が閉まる時、セリスは「で、カルトの方は順調?」と聞いていたが、紫は関与しなかった。自分のやるべき事は決まっている。被害を最小限に抑え、この仕事を何としても成功させるのだ。

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