第2話

 激しい衝撃がカーディナルから全身に響き渡る。しかし、紫の体はほんの数センチ後退しただけ。踏ん張ったブーツがアスファルトを踏み砕いたが、それは仕方のない事だろう。

「君、速く逃げて!」

 紫は叫ぶ。青年は、「あ、ああ……」と言いながら立とうとするが、腰が抜けて動けないようだ。大事そうに一冊の本を抱えた青年は、情けない顔をしてこちらを見上げてくる。

「何をやっているのよ! 妖魔攻撃隊は! 市民の誘導も出来ない何で、ホント使えないんだから!」

 振り下ろされた腕を右に躱した紫は、盾の形状を保っていたカーディナルを槍へと変化させた。パナルカルプの攻撃は空振りだけで紫の髪を巻き上げる。直撃を受けたら、龍因子で強化された肉体と言えどもヤバイだろう。

 不定形の魔剣カーディナル。紫の意志に従い、様々な武具へ変化するアイテムだ。一貫した形がないので本来の姿は分からないが、魔剣という名がついている以上、本質は剣なのだろう。しかし、紫の戦闘スタイルは遠距離なので、剣の形状にして戦う事は滅多にない。

「消えなさいよ!」

 カーディナルで振り下ろされる爪を弾き返した紫は、鋭い踏み込みで槍先をパナルカルプの左の首に突き刺した。


 ギンッ!


「あれ……? あたし、カッコわる!」

 カーディナルの切っ先は分厚い鱗に阻まれた。紫が近距離攻撃を好まない理由の一つに、スタイルの違いと、この非力さが関係していた。

 しかし、先ほどの一撃はダメージを与えなくとも、パナルカルプを後退させるには十分だった。地力で遙かに勝ってる紫。勝てないと分かってたからこそ、パナルカルプは最初から逃げていたのだ。

「今度はこれで! 簡易結界ごと、撃ち抜く!」

 三度カーディナルはその形態を変化させた。盾から槍へ、今度は槍から僅かにフォルムを変形させ長銃になった。龍因子をカーディナルに注ぎ込み、純粋な破壊のエネルギーへと転化させる。そして、一秒にも満たないホールドの後、緑色の閃光が放たれた。

 パナルカルプの展開している簡易結界を易々と貫き、緑青色の鱗に突き刺さる。

 地を振るわせる爆音が周囲に轟き、パナルカルプの異様とも言える叫び声が響き渡る。その声は爆音を遙かに上回り、周囲に建ち並ぶビルのガラスを振るわせるほどだった。

 濛々と立ち籠める煙。その中で巨大な影が動き、遠ざかっていくのが分かった。しかし、紫はすぐに追う事が出来なかった。

「あなた、大丈夫? 怪我はない?」

 跪いた紫は、腰を抜かして動けない青年に手を差し伸べた。しかし、青年は驚いたように顔を背けると、その手を払い除けた。青年は恐怖を堪えるように、大きな本をギュッと抱きしめた。

「えっ……」

 一瞬言葉に詰まる紫。だが、青年はそんな紫の顔を見ると、「あっ」と声を上げ、「すみません、大丈夫ですから」と引きつった笑みを浮かべた。

「あ、うん……なら、いいけど……」

 紫は手を振って周囲に立ち籠める煙を払い除けると、青年に妖魔攻撃隊が詰めている本部まで行くように指示をして、パナルカルプの気配を追った。

(う~ん……、やっぱり、ハンターって結構怖がられるのかな~。可愛いだけじゃ、ダメなのかな~)

 あんな悪魔と互角以上に渡り合える人間。いくら紫が若く可愛いからと言っても、一般人の目には悪魔と同じように恐ろしい者として写ってしまうのかも知れない。

 頭を振り気分を切り替えた紫は、パナルカルプの残した龍因子の残滓と、アスファルトに続くどす黒い血痕を追う。傷の程度は見ていないが、胸にそれなりの傷を負ったはずだ。先ほどまでのように俊敏に動き回る事は出来ないだろう。

 交差点を一つ、二つと曲がった紫は、ついにパナルカルプの後ろ姿を捕らえた。明らかに弱っているが、悪魔が向かっている先、そこは車が流れる道路。妖魔攻撃隊が封鎖していない場所だった。

「げげっ! あそこに行かれたら、流石にやばいわ~!」

 暢気に語尾を伸ばしつつも、紫は全速力で駆ける。やはり、カーディナルの力不足は否めない。詠唱不要で使えるソロモンの印象や普通の魔法では、一撃で目標を葬る事は出来ない。ならば、自分が選んだ道。詠唱に時間は掛かるが、威力だけは折り紙付きのスペルマスターのスペルをもって、一撃でパナルカルプを沈める以外ないだろう。車の往来が激しい道路に多少の被害が出るかも知れないが、悪魔をあちら側に出すよりは、マシだろう。

 紫がそう決断した時、パナルカルプの進路に人影が見えた。

 また? という気持ちは紫に生まれなかった。「しまった!」と思った瞬間、頭の中が真っ白になった。

「ダメ! 危険よ! 逃げて!」

 そう叫んだ紫の手は、何もない虚空を掴んでいた。

 パナルカルプは唸り声を上げながら、青年へと突進していく。

 青年は逃げないし、動じない。

 手にしたハンバーガーを大事そうに包装紙に包むと、天高くそれを放り投げた。ハンバーガーが青い空に吸い込まれ、見えなくなった。

「ヤメテェェェー!」

 紫はあらん限りの声で叫んだ。

 パナルカルプは止まらない。

 パナルカルプの豪腕が、進路を塞ぐ青年に向かって振り下ろされる。

 次の瞬間、幾筋もの光がパナルカルプの体を走り抜けた。瞬間移動と見紛うスピードで、青年はパナルカルプを通り越し、紫の背後に移動していた。手には春の日差しを受けて輝く細身の長剣、マクシミリオンが握られていた。


 ドスンッ!


 鈍い音を立て、パナルカルプは倒れた。体はいくつもの部位に分けて散らばり、周囲に腐敗臭に似た独特の異臭を放っていた。

「ああ~ん、カルト、どうしてぇ~……?」

 ペタンと、紫は冷たいアスファルトに崩れ落ちた。

「どうして~、じゃない。お前がちんたらしてるからだよ。それに、俺じゃなくてパナルカルプに逃げろってどういう事だよ」

「後数秒あれば、あのワニちゃんを私が消せたのよ~。ドッカ~ンッてド派手なスペルでさ! それに何よぉ~! ドサクサに紛れて私の体も斬ったでしょう!」

 青年、カルトはマクシミリオンを虚空に消すと、遙か上空から落ちてきたハンバーガーをキャッチした。

「アホか。後数秒待ってたら、妖魔攻撃隊の作ったバリケードを越えて、市街に逃亡してただろうが。そうしたら、一体どれだけの被害が出る事やら。それに、お前のスペルは大雑把なんだよ。周囲に被害が出て後始末が大変だ。体を斬っちまったのは、勢い余ったからだ。といっても、ちゃんと選別して置いたから、何も斬れてないはずだぜ?」

「そ~いう問題じゃないでしょうよ! ああ~、あたしの初仕事だったのよぉ~」

 紫は兄弟子、カルトを恨めしそうに見上げる。

 中性的な美貌の持ち主であるカルトは、時間軸さえも切り裂くと言われる覇王の神剣マクシミリオンの持ち主だ。特質すべき特徴は、異空間から瞬時にして剣を召喚できる事に加え、カルトの意識に反応し、切り払う対象を取捨選択出来ると言う事だった。先ほども、パナルカルプを斬り、紫を斬らなかったのは、マクシミリオンの特質性があるからだった。

 カルトは長い前髪を掻き上げると、後ろを振り返った。妖魔攻撃隊の作ったバリケードの向こうでは、怖い者見たさの一般人が集まっていた。

「初仕事、ね。これで三度目の失敗だ。まだまだだな」

 左手でポンポンと紫の頭を叩いたカルトは、美味しそうにハンバーガーを囓った。

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