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四年生になってすぐ、
出席番号順で並んで、熱田は一番。伊吹が二番、三番がぼく、
ぼくらの席は教室の左端で、縦一列に並んでいた。春休みに引っ越して来たばかりの熱田は、顔見知りの一人もいない教室で物怖じせず、クラスの誰にでも話しかけていた。
「おれら、おもしろい名前してるよな」
ある日の放課後、熱田は伊吹に話しかけていた。
とつぜん声をかけられ、伊吹は困惑していたと思う。相手が困っていようと何しようと、自分が話したければ話しかける。熱田はそういう男だ。空気が読めないと今なら表現するのだろうが。
「自己紹介の時に思ったんだよ。おれが
名前をよばれて、熱田が伊吹とぼくの両方に話しかけているのだと気付いた。
「おれがアツタだから、熱」と、熱田は自身を指さした。
「ヒカルが光」と、伊吹を指さす。
「そんで、太陽じゃん」と、最後にぼくを指さした。
太田陽介だから、略して太陽だと言いたいのだろう。ぼくは学校で嫌われ者だったから、あだ名で呼ばれるのは初めてだった。
「熱と光と、太陽」
何が面白いのか、熱田は猿の鳴くような声でけらけらと笑った。
「な、おもしろいだろ」
「なんもおもしろくねえよ」
ぼくはケンカ腰で言ったつもりだったが、熱田は気にせず笑っていた。
「いいじゃん。カッコイイじゃん。熱と光と太陽だぜ」
そのフレーズが気に入ったのか、熱田は何度も口にする。
熱田はそれからも頻繁に話しかけて来て、昔からの友達のようにぼくに接した。 最初はわずらわしく思っていた。なにせ小学生時代のぼくは、嫌われ者の悪役だ。親し気に「太陽」などと呼ばれては、悪の沽券に関わる。
しかしぼくが悪ぶったり乱暴者のフリをすると、熱田は怯えるどころか笑い出した。笑い上戸だったのだ。年を経るごとに段々と落ち着いて来たが、あの頃の熱田は良く分からないツボにハマッては一人で大笑いしていた。
ぼくはクラスでいつも孤立していたが、本心では友達が欲しかった。意地を張っていてもまだ小学四年生の子供だ。わだかまりはすぐに消えて、ぼくは熱田と仲良くなった。
「なあ、太陽。今日遊ばね?」と、熱田は毎日のようにぼくを誘う。熱田に話しかけられるのがうれしかった。
なあ、太陽。そう呼び掛けられるのが好きだった。
自業自得だがそれまで友達は居らず、誰もぼくに話しかけたりしない。例外は伊吹くらいだが、あいつは敵対心を剥き出しにして「おい、太田」とぼくを呼ぶ。
熱田の家へは何度も遊びに行った。あいつの家はそれなりに金持ちだ。我が家の様に安アパートの暮らしではなかった。自宅はキレイな一軒家で、自分専用の部屋もある。熱田の部屋には高級なゲーム機(ネオジオと言って、ソフト一本の定価が四万円ほどする)があり、発売されたばかりのマンガが並んでいた。ぼくは熱田の暮らしが羨ましくてたまらなかった。
熱田の両親や姉ともすっかり顔馴染みになって、ぼくは「太陽くん」と呼ばれていた。熱田の母と姉はモデルのようにキレイで、父親はジェームズ・ボンドのように格好良かった。熱田の父が何の仕事をしていたのかは知らないが、有能な人物だったのは間違いない。バブルもとっくに終わった90年代の半ばだ。不景気の世の中で暮らしを維持するのがどれだけ大変か、大人になった今ならわかる。
ある日、熱田が映画に行こうと言い出した。熱田は男子でも女子でも誰彼かまわず誘っていたが、ぼくが行くとわかったら誰も誘いに乗らなかった。唯一、伊吹だけが来た。ぼくを怖がって逃げたと思われたくないのだろう。待ち合わせ場所で伊吹と遭遇した時の気まずさを覚えている。
あの頃の映画館は指定席などなく、席の確保は早い者順だった。だからぼくらは一時間も並んで、流行りのアイドルが主演する映画を観た。並んでいる間、伊吹とぼくは目も合わさず、一言も話さなかった。熱田が一人でしゃべり、一人で笑う。気まずい空気を変えるためがんばったと思うだろうが、熱田の場合は天然だ。あいつはただ自分が話したいから、ひたすら話し続ける。
映画の内容は細かく覚えていない。男女が恋愛して恋人同士になり、重い病気にかかって男性が死ぬ。それだけだ。ありきたりでお涙頂戴の物語だが、ぼくはとても感動した。二人の幸福が崩れていく様は、ぼくらの未熟な涙腺を崩壊させるには十分な威力があった。
興奮さめやらぬまま、ぼくらは映画館の帰り道で感想を語り合う。誰かと感動をわかち合う楽しさを、その時はじめて知った。
同じ時間を共有し、同じ感動を味わったことで、川底のヘドロのように積もっていた敵対心が消えた。ぼくと伊吹の関係は決定的に変わった。
間に熱田を挟んでいたのも幸運だった。あの映画がいかに素晴らしかったかぼくが述べると、「太田はわかってないな」と上から目線で伊吹が言い返して来る。「なに言ってんだよ」とぼくが別の感想を言う。また伊吹は言い返して来る。いつもならケンカになっただろうが、ぼくらが何を言っても熱田はゲラゲラ笑う。あいつが居たおかげで険悪な雰囲気にはならなかった。
言い争う最中も、嫌悪や怒りとは違う、心が沸き立つような喜びを感じた。素直に友情と呼べば良いのだが、伊吹に対する気持ちは友情の一言では片付けられない。
ずっと後になるまで、ぼくは彼女と友人関係にあるのだと気付かなかった。
正義と悪の構図がうやむやに消えて、ぼくたちは「友達」になった。そんな当たり前のことが、子供のぼくにはわからなかった。
二人とあんな別れ方をしなければ、今でも気付かなかったと思う。
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