炎の燃える音

鋼野タケシ

一章 幼い友情

1

 幼稚園の時、ラブレターを書いた。

 相手の名前は忘れてしまったが、「るみ」か「るり」だったと思う。ひらがなの「る」が書けず、親に書き方を教わった覚えがある。


 仮にるみちゃんとしておこう。細かい経緯は覚えていない。ぼくはるみちゃんに折り紙を貰った。お礼を言いたかったが面と向かって言うのが恥ずかしくて、子供の浅知恵で手紙を書いた。


「るみちゃん おりがみ ありがとう」


 文面はたったの一行だが、ぼくにとってはラブレターと同じだ。そのラブレターを直接わたす勇気もなく、彼女のお道具箱にこっそりと入れた。入れたつもりが、相手を間違えていた。るみちゃんに送るべき手紙を、ぼくは伊吹光いぶきひかるのお道具箱に入れていた。

 不幸中の幸い、幼いぼくは自分の名前を書くことにまで気が回らなかった。差出人不明のラブレターを手にして、伊吹は顔中に「?」をいっぱい浮かべていた。


「まちがえてだれかいれたんじゃない」

 知らぬふりをしてぼくは言った。

「すてとけばいいよ、そんなの」


 ぼくのアドバイスにしたがって、伊吹はラブレターをゴミ箱に捨てた。

 それ以来、ぼくは伊吹を一方的に嫌った。


 伊吹とは小学校も同じだった。とにかく彼女が気にいらなくて、隙あらば突っかかった。荒々しい口調で威嚇し、叩くふりをして伊吹を脅かした。ぼくは女子をいじめる乱暴者で、クラスのみんなから嫌われていた。

 が、伊吹はいじめっ子のぼくに怯えたり、意地悪をされてメソメソ泣くような女子ではなかった。


 ぼくが言葉で脅かすと、三倍は大きい声で怒鳴り返して来る。口喧嘩では手も足も出ず、文字通り手をあげてやろうと拳を振り上げると、伊吹は助走をつけたカウンターパンチでぼくを殴る。それも一発ではない。右の頬をグーで殴られ、左の頬はパーではたかれる。女子の力とはいえ、あれは痛かった。


 毎日のように彼女に殴られたが、ぼくは一度として伊吹に暴力を振るわなかった。乱暴なフリをしていただけで、本当はケンカもできない小心者だ。なのに伊吹は本気でぼくを殴る。ほうきで殴られたこともあった。その時も二発だ。


 ぼくはますます伊吹が嫌いになって、何でもかんでも彼女に勝とうと躍起になった。まず学校の成績で競った。百点の数で彼女に勝つために、予習と復習は欠かさない。ぼくは決して頭の良い方ではないが、小学生のテストはほとんど満点だった。それでも通知表の成績では彼女に負けた。体力測定ではぼくが上だが、それは男子と女子の体力の差だから勝った気になれなかった。


 伊吹とぼくはことある毎に競い合った。もっとも白熱したのは体育のドッジボールだ。ぼくと伊吹は敵同士にわかれて、お互いを狙い合った。ぼくが全力で投げたボールを、彼女は平然と受け止める。女子の伊吹を相手に本気でボールを投げるから、ぼくは更に嫌われた。対して伊吹は、クラスの乱暴者に真っ向から立ち向かう正義のヒーローだった。いや、ヒロインか。


「男子のクセに弱いんじゃない? バカみたいに怒ってないで、悔しかったら言い返してみなよ! え、なに聞こえない!」


 彼女はそうやってぼくを煽った。腹を立てた時に大声を出せるタイプと、言葉に詰まるタイプの人間がいる。ぼくは後者だった。伊吹に何かを言われても怒鳴り返せなかった。悔しくて拳を握りしめて、乱暴に机を叩いたり蹴飛ばした。すると伊吹は駆け寄って来て、右と左の頬にパンチだ。


「殴り返してみたら? 百倍にして返すけど」

 どれだけ煽られても彼女を叩いたりできなかった。


 ぼくは負けず嫌いだが、彼女も相当だ。自分よりずっと大きい男子に、真正面から啖呵を切るのだから。

 あの頃のぼくは怒ってもいないのに、いつもムスッとしていた。人と話す時はできるだけ乱暴な口調をするように心掛けていたくらいだ。彼女が正義の味方だったから、ぼくは悪役を気取っていた。そんなところまで、彼女にライバル心を燃やしていた。

 正義の伊吹光、悪の太田陽介という構図は小学四年生まで続く。

 四年生の時、熱田真一がぼくらのクラスに転校して来るまで。

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