4.死者のエンドロール

とある吸血鬼の死

「おはよう美月」

「はよー」


 接客業とは思えないほど、美月はうつろな目をしていた。

 メニューをちらりと見てから、コーヒーを頼む。

 屍の体は、カフェインの影響をあまり受けない。だから今日は、美月の顔を見に来たのが大きい。


「まだ調子が悪いのか?」

「うん、でもお金稼がないと……」

「無理はするなよ」

「なんだろうね、最近記憶が飛ぶことが多くて……ふと気づくと道端で倒れてたり」

「何だって?」


 俺が顔をしかめたのに気づいて、美月が怪訝そうにする。


「それがどうしたの?」

「いや、何でもない」

「あ、そういえば遠藤さん知らない?」

「知らん」

「バイトに来ないんだよね。ほんとありえないよ」


 美月は怒っている……ようだったが、調子が悪いので本気で怒りを表現できないらしい。

 それにしても、無断欠勤は気になる。今度会ったら、それとなく話を聞いて見ようと思った。


 ぐりふぉーんを辞し、部屋に戻って、ひとつあくびをする。休みのうちに、溜まった洗濯物を干さなければならない。

 つっかけをはいてベランダに出ると、手すりに可愛らしい女の子が腰かけていた。俺はあやうく腰を抜かすところだった。

 この寒いのにひざ丈のスカートをはいた、ビスクドールのような少女。

 ようやく我に返った俺は、とりあえず彼女の名前を呼んだ。


「マーゴ」


 何から話し始めるか、少し悩んだ。


「……美月に血を飲ませたな」

「なぜそれを本人に教えてあげないの?」

「……」

「甘いのね」

 マーゴはふわふわと笑った。


 何度か道端で気を失っていると聞いて、かまをかけたのだ。

 狼男である美月は、血を与えられても吸血鬼にはならない。が、心を狂わせたのだろう。

 俺はそのことを美月に言わなかった。

 話したら、あいつはマーゴを探すだろうと思ったからだ。巻き込みたくない――というより、美月にマーゴとのやりとりを邪魔されたくなかった。

 我ながら酷い行動をとってしまった。ばれたら美月にぼこぼこにされるだろう。


「何しに来たんだ、お前は」


 向こうに主導権を握られまいと、できるだけ強気に出る。もっともマーゴにとっては、子犬が吠えているくらいの感覚だろう。


「あやねちゃんって知ってる?」


 マーゴは、老獪な笑みを浮かべた。

 彼女がどのくらい生きているのか、正確なところを俺は知らない。ひょっとしたらマーガレットという名前すら偽名かもしれない。

 

「どうして遊びに来てくれないの? 住所送ったのに」

「嫌だよ。のこのこお前の所に行くのは」


 消印が押されていない手紙によると、マーゴはカタギリという男と暮らしているらしかった。マーゴの外見ではひとりでは生きていけない。それをわかっていても気味悪さを感じる。


「奪っちゃった」

「な……」

「あやねさん」

「返してほしい? おいしそうよねあの子」

「やめろ」

「その代わり少し付き合ってほしいの」

「何にだ」


 マーゴはスカートを見せつけるようにくるりと回る。


「鬼ごっこ」


 マーゴは、ベランダの柵をひょいとまたぐ。


「カタギリ!」 


 そう叫んで飛び降りる。柵をつかんで見下ろすと、下には男がいた。前に会ったとき、マーゴと一緒にいた男だ。

 俺はよろよろとベランダに背を向ける。

 はあ、はあ、と息が荒くなった。呼吸を落ち着けようと、できるだけゆっくり吐息を吐き出す。。

 それが終わり、俺は少し首を振ると、久しぶりにある番号に電話をかけた。


「なあに?」


 不機嫌そうな声が、スピーカーの向こうから聞こえる。


「志紀、少し手伝ってほしい」



 志紀に会ってすぐに家を出た。

 車を飛ばしてやってきた志紀に、歩きながら、ここまでの経緯を説明すると、志紀はいらだちを露わにする。


「何なの、そのひと」

「あいつは死にたがっているんだと思う。だけど自分ではできないんだ」


 人が吸血鬼を殺すと罪に問われる。

 だが、吸血鬼が吸血鬼を殺すことは、実は罪ではないのだ。それは途方もない長い生を生きる上で、自殺幇助の文化があったからだ。

 その権利は、一世代目のヴァンピールも持っている。

 志紀は、ハンドバッグからテントを打ち付けるための杭を取り出した。それを俺に見せながら語る。


「彼女はあなたに殺してもらいたがっている」

「そう」

「無責任よ」


 志紀は、夜中だというのにかけたままのサングラスを震わせた。


「そうだな、だが俺はあいつのことを見捨てられないんだ」

「ばかみたい」


 志紀はばっさり切り捨てた。


「そんなのひよこが親鳥についていくのと一緒でしょ。条件反射みたいなもので愛じゃない」

「手厳しいな、おまえは」


 だけど志紀のそういうところはほっとする。この子に、俺と似たようなやつに育ってほしくないからだろう。


 そうこうしているうちに、マンションにたどり着く。思ったよりさびれた雰囲気だった。前はきれいなマンションだったのだろうが、手入れの仕方が悪いようで、全体的に薄汚れていた。


「河本さん」

「よかった」


 あやねさんが無事なのを見て、ひとまずほっとする。


「誰なんですか? この人」

「あとで説明する。何か怖いことはされましたか」

「連れ去られたこと以外は何も……いやそれが一番重要ですが」


 思えばあやねさんには説明不足なことばかりだが、やむをえない。


「ばかな真似をするな」

「だって志郎が構ってくれないんだもの」

「マーゴ。そんなこと言ってどうするんだ? 俺があやねさんを置いて逃げるかもしれないのに」

「違うでしょう」


 マーゴは微笑む。


「あなたはこの子が好きなんだわ。だってそうでしょう?」


 ぎりぎりと頭痛がする。それを歯を食いしばって耐え、言葉を続けた。


「俺は嫌だ。俺はあんたを殺さない」

「そっちこそばかなの? 言うことなんて、なんとでも聞かせられるのに」


 割れそうなくらい痛い頭を抱えながら、俺は吐き捨てた。


「じゃあお前はどうして自分で死なない」

「やめて」

「お前が本気で自分の死を願えないからだ」

「やめてよ!」

「本当のことだ。“母さん”。お前にもわかってるだろう?」


「もうやめて」


 マーゴは涙をこぼした。


「どうして私を殺してくれないの。どうして私はここにいるの」

 泣きじゃくるマーゴは、見た目の年相応に見えた。


「どうか殺して、殺して……」


 息が詰まる。どれだけ彼女はその言葉を口にしたのだろうか。だが、俺には彼女を見捨てることがどうしてもできなかった。


 志紀が、ゆらりと立ちあがった。

 彼女はまったくマーゴを憐れんでいなかった。ただ純粋な怒りが彼女を支配していた。


「誰があなたを許しても、私はあなたを許さない。あなたは人の人生を弄んだ」


 マーゴは疲れた顔で志紀を見上げた。俺は止めようと声をかける。


「志紀」

「父ができないのなら、私が引導を渡す。おばあさま」


 そして、杭が振り上げられ、あたりは静かになった。


 志紀は惨劇から体を起こすと、手についた血をハンカチでぬぐった。

 血を浴びた志紀はとても美しく見えた。


「怒ってる?」


 俺は答えに困って、やがて首を振った。


「いや、こんなことをさせてすまなかった」


 マーゴの体は、ひとつ震えると、さらさらと砂になった。


「あやねさん」


 あやねさんは何も言わず、頭を抱えた。


「大丈夫か?」

「日が昇らないうちに送るよ」

「私がやる」


 志紀が話に割り込んだ。あやねさんはあからさまにびくっとする。志紀が浴びた返り血は、すっかり灰になって跡形もない。


「志紀」

「あなたはそこにいる人と話して」


 志紀は、もうひとつの部屋につながっているドアを目で示した。

 そこには男が立っていた。 


「カタギリさん?」

「終わりましたか」


 振り返ると、志紀はもういなかった。正しい判断だ。この人をあやねさんに会わせてはいけないと直感していた。


「カタギリさん、あなたはそういう……」


 俺はそこまで言って口ごもった。代わりにカタギリが、俺の言いたいことを察する。


「そうです。彼女は私の恋人でした。しかしやはり、一緒にいるのは無理がありました。言い訳してもしかたのないことですが」


 不老不死に近いとはいえ、マーゴのような見た目の子を好きになるということは、おそらくそういうことなのだろう。


「灰は私が埋めます。せめて恋人らしいことがしたいんです」

「ふざけるな」

「こんなことを許しておいてよくも言えたな。二度と俺たちの前に現れるな!!」


「ええ、わかっています。あなたがマーゴにはそういうことを言わないこともね」


 カタギリが言った言葉が、杭のように俺の心を刺した。

 マーゴの気持ちを、いろいろ想像してしまって気持ち悪くなる。

 彼女は、どうしたかったのだろう。

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