吸血鬼の何度目かの再会
チャイムが鳴り、扉を開くとそこには女性が立っていた。美しい女性だったが、その皮膚には年齢が隠せない疲れが漂っていた。
「志紀」
名前を呼ぶと、女は楽しそうに応えた。
「まだ死んでいなかったのね」
「まあ、そう簡単に死なないよ。俺、これから仕事なんだよ。前もって言ってくれれば何か用意するのに」
「逃げられたら困るもの」
「逃げないよ。別に。ほら、上がっていくんだろ。何にもないけど」
「気にしなくてもいいわ。自分でなんとかするから」
ひとまず志紀を部屋に入れて、俺は出勤の準備をする。今、冷蔵庫には水と柴漬けしか入っていなかったと思う。何もないというのは謙遜ではない。
彼女に子どもがいることを知ったのは、十年くらいあとのことだった。
まず冷や汗をかき、それから怖くなり、次には会いたくなっていたのを覚えている。
彼女の実家にかけあってみたが、会わせないの一点張りだった。結局志紀に会えたのは、彼女が大学生になってからだった。志紀は自分から俺の
居場所を突き止め、玄関先で開口した。
「わたしあなたを許したりしないわ」
それからだ。数ヶ月に一回、志紀がやってくるようになったのは。
驚いたのは志紀がモデルから芸能界に入ったことだ。ヴァンピールだということで苦労していたのはわかっていたし、目立つような仕事は選ばないだろうと思っていた。
その理由を聞いたことがある。志紀はこう返事をした。
「もうこそこそしたくないの。いっそ世界で一番目立ってみたい」
きっと売りにすれば便利だろうに、志紀は周囲にヴァンピールだと
いうことを明かさなかった。それが彼女なりの葛藤なのだろうと思う。
なんとなく落ち着かないまま、授業を終え、深夜のバスに乗る。バスには俺しか乗っていなかった。
「お客さん、今日は少し冷えるね」
「……ええ」
深夜運行のバスはだいたい運転手も夜の眷属で、お互いに顔を覚えてしまうのだった。俺は社交的ではないので、実はこういう会話が苦手だった。
かすかに夜が白みはじめる明け方、部屋に戻ると、志紀が持ち込んだらしきゲーム機でレースゲームをしていた。あたりには宅配のピザのごみが散乱している。
化粧を落とし、部屋着になった志紀は、何のオーラもなかった。芸能人とも思えない。これも一種の演技だろうか。
「志紀。こづかいでもやろうか」
「いらないわ。いくら収入差があると思ってるの?」
塾講師の仕事はさほど給料はよくない。対して志紀は豪邸を建てている。そう言われると引き下がるしかなかった。
志紀はいつまで会いに来てくれるのだろうか。もう自分の老いを自覚し始めるころだろう。いつまでも老いることのできない俺には、想像してもおぼろげにしか考えられないことだ。
彼女もいつか、いなくなる。
「もう帰る」
「何しに来たんだお前は」
「なんとなく」
志紀は手早く着替えて、荷物をまとめた。ピザのごみはそのままである。もう朝が来るから、片づけるのは明日にしよう。
身だしなみを整えてサングラスをかけると、いっぱしのセレブのように見える。
チャイムを鳴らさずに、そのまま扉を叩く音がした。
「志郎、いるか? おつかい分持ってきたぞ」
「おう、入ってくれ」
扉を開けて荷物だけ置いていこうとした美月は、志紀がいるのを見てうろたえた。
「あ、島崎さん。こんにちは」
「……こ、こんにちは」
美月は志紀が苦手なようだ。芸能人だということも相まって、年上の「友人の娘」をどう扱っていいかわからないらしい。
「すみません、うちの馬鹿おやじが」
「ああ、うん……」
志紀は美月の横をすり抜けて去っていった。
それを見送ってから、美月はぽつりとつぶやいた。
「あれだけひどいこと言われるならもう住所教えなきゃいいのに」
「俺は志紀に来てほしいんだ。来てくれないとさびしいから」
美月は信じられないものを見るように、まじまじと俺の顔面を見つめた。
「それ、本人に言ってやれよ」
「言って来なくなったら困るから……」
「じいさんはそういうとこがだめなんだよ」
自分の3分の1も生きていない男にだめ出しされるはめになった。
美月が去ってから、棺桶に体を横たえて、目をつぶった。
俺は夢を見ない。眠っているときは、死んでいるのと同じだからだと思う。次の月が昇るまで、ただの屍になって過ごすのだ。
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