「娘です」
文化祭当日。
それぞれ解散する前に、HRで先生は言った。
「勉強続きの毎日で疲れているだろう。今日は羽を休めるように」
しかし、毎日勉強をしているから、しなくてもいいと言われるとどうしていいかわからなくなる。
スマートフォンを見ると、お母さんから行けない旨のメッセージが入っていた。ちょっとがっかりしてスマホをかばんに戻す。
諸注意を受けたあと、教室を出ようとすると、珠希に呼び止められた。
「ぶん太。行くところ決まってる?」
「特には」
「じゃあ将棋部に来てよ」
珠希は勉強の間を縫って、自分の所属している将棋部の手伝いをしていた。エネルギッシュな子だ。
「将棋のことはわかんないからなあ」
「オセロもやってるから」
「将棋とは……?」
行ってみたところ、「囲碁部と将棋部オセロ対決」という出し物だった。対戦の様子はプロジェクターでスクリーンに投影されており、なかなか白熱していた。
彼らの擁護をしておくと、ちゃんと隣で普通の対局もしていた。OBのおじさんたちが若者にマウンティングしたり蹴散らされたりしていた。
珠希は、しばらく後輩と話した後、わたしに向き直った。
「ぶんちゃん、ちょっと買い出しに付き合うから抜けていい?」
「うん」
「ごめん」
「いいよー。テキトーにふらふらするから」
いきなりぼっちになってしまったが、ふらふらしていれば誰かしらが遊んでくれるだろう。
有志の出し物でも見に行こうかなと思い、階段を上って視聴覚室に向かう。
仮装した生徒や、ふらふらしているOBたちの間を縫って歩いていると、やわらかいくせ毛の、顔色の悪い男性が向こうから歩いてきた。
男性は、絶句しているわたしに気づく。
「ああ、こんにちは」
「河本さ……先生」
言い直してから、わたしは河本さんにたずねる。
「どうしてここにいるんですか?」
「卒業生なので」
「えっ。いつのですか?」
「旧制中学時代の」
旧制中学……。
「それもあって、歴史研究会でお話しするように頼まれたんですよ。小さなものですけど」
「そんなことするんですか? 意外……」
「まあ、いろいろとつきあいがありまして」
河本さんは恥ずかしそうに頭をかくと、足を踏み出そうとした。
「では、また」
「あ、待ってください。時間ありますか」
「なんです?」
「聞きたいことがあって」
今を逃せば、勇気はどこかに行ってしまっている。お祭り騒ぎがわたしの気を大きくしていた。
この一瞬でわたしが考えた作戦はこうだ。
1、板東志紀だということを気づいてないふりをする。
2、できるだけジョークのようにたずねる。
3、答えたがらないようなら無理に聞かない。
「前に、女の人が来てたけど、カノジョってやつですか」
メッセージだったら末尾に「w」がつくような気安さ、ネガティブなことを言われたら冗談だと逃げを打てるような軽さをできるだけ出しつつ、直球でたずねた。
「ああ、あれは……」
かなり長く悩んでから、河本さんはぽつりと言った。
「娘です」
「むすめ」
一瞬言葉の意味がわからなくて、おうむ返しに繰り返す。そのあとでじわじわと実感がわいてきた。
「娘……」
板東志紀は、ヴァンピール、半吸血鬼だ。
「そ、そうなんですか。やだなーもう。勘違いしちゃって☆ それじゃ」
我ながら白々しい演技をして、彼の前から逃げ出した。
せっかくの文化祭なのに、空き教室で牛乳を飲んで過ごしてしまった。
閉会の時間になって、かばんを取りに来た珠希に出会う。
「河本先生来てたんだね。知ってた?」
「うん」
珠希が河本先生の授業をとっていることは知っている。その流れで学校にいたことを誰かに教えてもらったのだろう。
わたしは顔を上げられなかった。
「なんで落ち込んでるの?」
「なんでもない」
「あの人になんか言われた?」
「あの人って……どうして」
「こういうこと言うと怒られるんだけどさ、気持ちがさ、そっちに流れてるから。あんまり情を移さない方がいいよ」
「そんな、差別だよ」
むっとにらみつけると、珠希は目を伏せた。
「そうかもしれない。でも、私らの中でもね……吸血鬼はね、特別なんだよ」
家に帰り、部屋に戻って、しばらく枕に顔を押しつけた。
本棚から現代社会の教科書を取り出して、「多種族との共生社会」の章を開く。
「ヴァンピール(半吸血鬼)とは、人間と吸血鬼の間に生まれた子どものことである。彼らは吸血鬼のように長命ではないが、身体能力の高さは吸血鬼と似通っている。吸血鬼が狩られていたころは、その能力を、吸血鬼を殺害することに使っていた。現在、法律によって彼らの権利は保障されているが、住居や職業での差別はいまだに課題である」
……なんとなく、島崎さんからあの話を聞いたとき、そのことがすべてなのだと思っていた。甘かった。わたしに何もかも話すはずがない。脚色して、かいつまんで語るに決まっている。
自分自身の考えの甘さに腹が立つ。
「でもさあ、どうにもならないじゃん」
小さくつぶやいたつもりの言葉は、意外と大きい声になった。独り言……むなしい。
彼の抱えている長い長い歴史、それに対してわたしは何もできない。何かできると思うこと事態がおこがましい。
何かを眺めているだけで苦しくなって、目を閉じた。まぶたの裏は真っ黒で、かすかにちらちらと光が飛ぶ。それを見て、少しだけ安心した。
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