第32話 忌まれた子(その九)

 冷えた空気を肌に感じて月澄げっちょうは目を覚ました。

 視界に映ったのは青白い空だった。

「気がついたか」

 その声に首だけを横に向けた月澄は思わず目を見開いた。そこに葉清ようしんが座っていた。慌てて逃げようとするも全身に痛みを覚えて体が動かなかった。


「無理するな。岩の直撃を免れたとはいえ、この高さから落ちたんだ。まともではおれんよ」

 そう言って、葉清は立ちはだかる絶壁を見上げた。

 なるほど、どうやらここは地裂の底らしい。

 少し前の記憶を思いだした月澄は、

「な、なんで助けたんだよ。おれは敵なのに」

 仰向けに転んだまま聞いた。


「大人は子供を助けるもんだ」

「おまえを刺したんだぞ」

 葉清は声をあげて笑った。

「おまえくらいの力で刺されても致命傷にはならんよ」

 月澄は拳を握りしめた。任務は失敗した。加えて敵国で瀕死の状態である。ここにいても柊に戻っても命の保証があるとは思えなかった。

「おまえ、名はなんていうんだ」

 何も答えようとしない月澄を見て、葉清はやれやれと頭を掻いた。


「まぁいい。とりあえず戻るぞ」

 腰をあげて膝をつくと、背中を月澄にむける。

「ほら、おぶされ」

「な……なに言ってるんだよ。おれは敵だぞ、わかってるのか」

「敵ってのは憎い相手のことを言うんだ。おまえは俺が憎いのか」

 月澄は口ごもる。どう答えればいいのかわからなかった。

「ほら、いくぞ」

 乘れと言わんばかりに自分の腰をぽんぽんと叩く。見ると、左腕はだらんと垂れさがっていた。

「もしかして……左腕つかえないのか?」

「ああ、折れてるみたいだな」

「おれを庇ったから……?」

 葉清は背を向けたまま何も言わなかった。

 

「わかった……行くよ」

 月澄は体の痛みとは違う別の痛みが胸のあたりにはしるのを感じていた。

「でも自分で歩けるから」

 体を起こすと近くの岩を支えにして立ちあがる。

 しかし歩きかけるも、足首に尋常でない痛みがはしって膝をついた。

「無理するなと言っただろ。右足首、腫れてるぞ」

 葉清は月澄の腕を掴むと、そのまま軽々と持ち上げて背中にのせた。

 月澄は抵抗できなかった。それどころか、自分でもわからない安堵感を感じていた。葉清の広くて暖かい背中がそのように思わせたのかもしれなかった。頭の後ろで括られている髪が顔にあたって妙にこそばかった。


「あれはおまえの仙氣だったのか?」

 歩を進めながら葉清が聞いた。足場は悪かった。地面は平らではなく尖った岩々に覆われていた。側面の壁を見ると水が細い筋となって流れ落ちていた。そういった水は地面のへこんだ場所で水溜りをつくっていた。

「う、うん……」

 しばらくしてから月澄は答えた。

「そうか、すごいな。仙氣使いは多く見てきたが、屍を操るのはさすがに驚いたぞ」

 月澄は戸惑いを隠せなかった。その仙氣で葉清を襲ったのだ。怒鳴られるのを覚悟していたのに、褒められるとは思いもしなかった。

「気味が……悪いだろ」

「まぁ気持ちいいものではないな」

 ははは、と葉清は笑った。嫌味な様子はひとつもない。今までになかった反応を見せられて、月澄は返答に困った。


「いつ頃から使えたんだ?」

 ぽつりぽつりとではあったが、月澄は昔に飼っていた犬のことを話しはじめた。野犬の群れに襲われて飼い犬が死んだ時に、それは起きたのである。

「自分でもどうやったかよくわからないんだ。気づくと飼い犬が動いてて……」

 ほう、と葉清は声をもらした。

「仙氣の発症は遺伝であったり前世からの引き継ぎであったりと、さまざまな説があるからな。知識や技術ではなく、魂に刻みこまれているのかもしれないな」

 月澄は空を見上げて何やら考えた。

「どうした?」

「えっと、獣とかが教えられてもいないのに巣を作るのって、こんな感じなのかなぁと思って」

「はは、うまいこと言うな。そうかもしれん」

 誰に教わるでもなく本能が知っている。考えてみれば不思議なことであった。


「なんで、こんな仙氣なんだろ。どうせなら、もっと違うやつがよかった」

 月澄は気づかないうちに自分から話かけていた。今まで忌み嫌われてきた力のことで、ここまで普通に話せるのが単純に嬉しかった。なにより葉清の接してくる態度は月澄の心を大きく揺さぶるものがあった。話をしているだけで湧き上がってくる安心感は、月澄にとって初めて覚える感情ともいえた。

「悪いことばかりではないだろう。物事には必ず二面性がある。良いこともあったはずだ」

 そんなこと考えたこともなかった。でも確かに、あのとき飼い犬を操っていなければ野犬に喰われて死んでいた。犬の親子の時もそうだった。あそこで親犬が化物のようにならなければ、子犬まで食べられてしまっていたのだ。そう思うと、少し気が楽になった。


「なんだ、その化物って」

 月澄は訓練中に起きた事件のことを話した。親犬の考えていることがわかって、子犬を守ることを約束すると、とつぜん親犬は自分から命を捨てて化物のようになってしまったのだ。操ることもできなかったそれを見ている時の恐怖は、今でも月澄の心に焼きついていている。

「おまえ、それは……」

 驚きながら足を止めた葉清は、しばし黙考した。

「ど、どうしたの?」

 何か言ってはいけないことでも言ってしまったのかと思って月澄は緊張した。

「いや、さっき物事には二面性があると言ったろ。それは仙氣も同じで、陽の仙氣と陰の仙氣があると言われているんだ。普通はどちらかしか使えないが、極まれに両方の仙氣を使える者がいる」

「……おれにはふたつの仙氣があるってこと?」

 首を傾げながら月澄は聞く。


「そうなるな。言うなれば真逆の仙氣だ。裏仙氣うらせんきとも呼ばれている。おまえの場合だと、相手に働きかけるのが陽の仙氣だとすれば、相手の方から働きかけてくるのが陰の仙氣ってことになる」

「だから制御ができなかったのかな……?」

「かもしれんな。なんにしろ凄いことだぞ」

 またもや褒められて、月澄は少しばかり照れくさかった。


「すこし休むか」

 葉清は月澄をおろすと、壁にもたれかけながら地面に座った。心なしか息が荒くなっていた。

「この調子だと木雀きじゃくにつくのは明後日くらいになりそうだな」

 地上に上がるには木雀まで行くか、多素の西端あたりまで行くしかないらしい。距離を考えると木雀の方が近いので、葉清はそこに向かっているようだった。

「やっぱり、おれ処刑されるのかな」

「そうだな、おしりぺんぺんは免れないだろうな」

 葉清は笑いながら言ったが、月澄は笑えなかった。

「心配するな、俺が何とかしてやる」

 月澄の頭をつかんでわしゃわしゃする。


「よ、葉清……さん」

 月澄はうつむいたまま言った。葉清は軽く驚いた。

「ずるいな、おまえは俺の名前を知っているのに、俺はおまえの名を知らんぞ」

「……月澄だよ」

「そうか。いい名前だな」

「葉清さん、おれ、別にいいよ。処刑されても。柊に戻っても、いいことなんて何にもないから」

 目を見開いた葉清は、悔しそうに唇を噛んだ。

「子供がそんな悲しいことを言うもんじゃない」

 その声はどこか怒っているようにも思えた。

「うん……ごめん」

 しおらしい月澄を見て、葉清は微笑みながら懐から布をとりだした。


「月澄、近くに来い」

 そう言って、葉清は取りだした布を月澄の口と鼻を隠すように巻いた。

「これは……?」

「見ていてわかる。おまえ、顔の傷を気にしているだろ」

「そ、そんなこと……」

「癖ってのは自分ではわからないものさ」

 話をしている時に、目をそらしたり、髪で顔を隠したりする癖が月澄にはあった。しかし葉身の言うように、本人はまったく気づいていなかった。

「気になるなら隠してしまえばいい。なんてな」

 声をあげて笑う葉清の前で、月澄はうつむいたまま何も言わなかった。

「む、すまん。余計なことだったか」

 月澄はふるふると首を振る。

 静寂につつまれた地裂の底で、鼻をすする音だけが聞こえていた。

 

 葉清は優しげに笑うと、

「そろそろ行くか」

 膝をついて背中を向けた。

 月澄は涙をぬぐうと葉清におぶさった。

 

 違和感はすぐに感じた。

 葉清の体がやけに熱い。

 休んでいたのに首筋に汗を浮かせていた。


「だ、だいじょうぶなの?」

「ああ、気にするな」

 そう言って立ちあがりかけた葉清であったが、小さく呻いて膝をついた。

 嫌な予感がした月澄は背中からおりると、強引に葉清の服をめくりあげて腰のあたりを見た。

 刺し傷は赤く腫れ、周りの皮膚は紫色に変色していた。触ってみると皮膚が固くなっていた。

「な、なんだよこれ……」

 刺しただけでこうはならない。おそらく小刀に毒が塗られていたのだ。

「お、おれのせいだ……おれのせいで」

「おまえのせいじゃないさ」

「でも、でも……」

「手当てをすれば治る。余計なことは思うな」

 葉清はそう言っていたが、月澄は自責の念に苛まれた。

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