第31話 忌まれた子(その八)

「おい、上官がお呼びだ。はやく行ってこい」

 丹国たんこくとの国境に近い村では忙しなく軍備が整えられつつあった。月澄げっちょうもその軍団に混ざって武器や食料を運んでいたのだが、そう言われたので宿営している建物まで向かうことにした。

 

 中にはいると十人ほどの者たちが待機していた。粗末な格好を見る限り、月澄と同じ下兵であるようだった。

「揃ったか」

 机の前にいた上官は鋭い目で集まった者たちを見ると、

「これより、おまえたちに極秘任務を与える。このことは柊犬しゅうけんでも知っている者は少ない。ゆえに他言無用である。よいな」

 念を押してから机上に地図をひろげた。

「いまより二日後、柊犬は二陣に分かれて多素たそへ侵攻する。制圧の目標は亥丹いたんの拠点となっている屋敷群だ。おまえたちは別動隊として抜け道を使い、背後より屋敷群に近づき火を放ってもらいたい」

 

 前線は押しつ押されつの激しい戦いになる。おそらく拠点に辿りつくまでには兵力も減っているだろう。ここでもし采牛さいぎゅうが加勢してくれば前回の二の舞となる。そうなる前に拠点に火を放ち混乱させ、士気が分散したところで二陣をぶつけて一気に制圧する、という考えであるようだった。


「そ、そんな大役、わてらなんかで務まるんですかい?」

 下兵のひとりが言った。おそらく皆が思っていることだった。とてもではないが、いま集まっている十人の中に屈強な者は見当たらない。いくら訓練を受けたとはいえ、力量で考えるならば農民に少し毛が生えた程度といっても過言ではないだろう。

「この道に馬は使えない。足場も悪く険しいのだ。おまえたちのような山慣れしている者の方が適任であると判断した結果だ。むろん報酬は見合った分だけ与えられる。やってくれるか」

 そういうことなら、と皆は互いの顔を見合わせて納得した。


「場所は蛇骨山びこつやま界壁かいへきとの境目あたりだ。すでに部下が待機している。今晩にでも合流し、そこで詳しい話を聞くといい。話は以上だ」

 短い返事をした下兵たちは、ぞろぞろと宿営地を出て行った。月澄もそれに続こうとしたのだが、

「月澄、おまえは残れ」

 そう呼び止められた。

「おまえには別の任務がある。今から言うことをよく聞いておけ」

 ふたりだけになった部屋で、上官は説明を始めたのだった。


 その日の晩、彼らは待機していた兵と合流し、共に丹国への侵入をはじめた。

 抜け道は山と界壁との間にできた、隙間ともいえるような悪路だった。

 そそり立つ両壁に圧されるようにして一行は黙々と進んでいた。灯りは先導役の兵のみが持っているだけで、続く者は暗闇を手探り状態で歩かされているようなものだった。

 

 絶壁に阻まれた間から見える夜空には、ちょうど線のような弦形の月が浮かんでいた。灯りはもちろん届いてこない。

「新月は3日後くらいか。それまでには終わりそうだな」

 下兵のひとりが言った。

「なにかあるのかい?」

「わての村だと、新月の夜には魔物が出ると言われてるでな」

「魔物って、暴流のことか?」

「んにゃ、ちと違う。もっと恐ろしい魔物だで」

「新月の魔物かぁ、おれのいた村でも聞いたことあるなぁ。なんでも刀を集めてさまよい歩いているとかって」

「ほぇ、おまえさんの村でもかい」

「う、噂じゃないのか。おれは聞いたことないぞ」

「いんにゃ、わての親父は実際に見――」

「おい、黙って歩け。どこに亥丹の兵がいるかわからんのだぞ」

 先導の兵に言葉を止められた下兵たちは、あわてて口を閉じると歩みを続けた。

 そんな彼らの一番最後で、月澄は浮かない顔をしながら黙々と足を進めていた。


 長い時間をかけて、彼らは悪路を抜けきった。

 もはや丹国の領域内である。下兵の顔には緊張がはしっていた。

 先導兵は森の闇にむかって規則性のある動きで灯りを振った。

 闇の中から小さな灯りがぽわっと浮かびあがった。

「私の役目はここまでだ、あとはあの者が案内する。いいか、くれぐれも気をつけろよ」

 先導兵はそう言うと、さっきの道をひとりで戻っていった。


 灯りの揺れている森の中へ彼らは進んだ。

 すぐにふたりの兵と合流することができた。ともに軽装で、ひとりは腰に太刀、もうひとりは背中に矢筒を背負い弓を担いでいた。どうやら偵察兵であるようだった。

「ここより我らが案内する。が、ひとつだけ言っておく。無暗やたらに歩きまわるな。亥丹は前線に兵を集中させるため警備を薄くしているが、森の中は罠だらけだ。死にたくないなら我々の指示通りに動け、いいな」

 下兵の皆は真っ青な顔になって頷いた。

 

 ふたりの偵察兵に挟まれるようにして、彼らは森の中を移動した。

 すでに道を調べつくしているのだろう、夜道なのに迷いのない足取りだった。

 と、足をとめた偵察兵は腰を低く屈めるように指示をだした。

「見ろ」

 足元の草葉を払いのけながら言う。そこに縄が張られてあった。

「引っかかると横から矢群が飛んでくるようになっている」

 下兵のひとりが、ごくりと喉をならした。他にも落とし穴や、大岩が転がってくるような罠も仕掛けてあるらしい。偵察兵はそのことを重々と説明した。

 

 見知らぬ森で闇のなか、敵の本陣はもう間近。あげく周囲は罠だらけである。彼らの緊張は最高に達し、今にも心臓が破れそうなほど脈うっていた。

 地図で見るかぎりだと、あとしばらくすれば目標となる屋敷群が見えてくるはずである。しかしここに来て、彼らは行く手を阻む最悪なものと遭遇することとなった。

 少しひらけた広場であった。そこに張ってあるいくつもの陣幕。

 亥丹の野営地だ。

 松明が立てられ、見張りの兵も歩いている。


「こ、これは避けて別の道を進んだ方がいいんでないか」

 下兵の言葉に他の者はしきりに頷いていたが、月澄は震えながら手を手で握りしめていた。

(おい、わかっているな)

 最後尾にいた偵察兵が月澄に耳打ちした。月澄はこくこくと何度も頷いた。意識しないと呼吸ができないほどになっていた。

 偵察兵は人知れず弓に矢をつがえた。そして、陣幕の近くにいた見張り兵に向かって、その矢を放った。


「ぎゃっ」と短い声をあげて見張り兵が倒れた。

「あ、あんた何やって――」

 信じられないと言わんばかりに下兵のひとりが言いかけたとき、太刀を持っていた方の偵察兵が、なんとその下兵の足を斬りつけた。

「おい、どういうつもりだ!」

 別の下兵が叫んだのと、「敵襲だ!」と陣幕の方で声が上がったのは同時のこと、月澄は震える両足に力をいれて茂みの中に身を隠すと地面に寝そべった。


 偵察兵のふたりはすでに姿を消している。残された下兵たちは何が起きたのか理解できずに、ただその場で突っ立っていた。

 警戒を知らせる銅鑼の音が響き渡る。

 すぐに亥丹の兵が駆けつけてきた。

 下兵は驚愕の声をあげながら武器を手に持った。

 場は激しい乱戦となった。いや、それはもはや戦いと呼べるようなものではなかった。少し訓練を積んだだけの下兵に何ができようか。武装した亥丹の兵をまえに、彼らは家畜のように殺されていった。

 

 月澄は茂みの影から泣きそうになりながらその様子を眺めていた。

『あの十人は囮だ、おまえにはある男を仕留めてもらいたい。あいつらを使ってな』

 それが上官から言われたことだった。

 月澄は返事ができなかった。もとより断るなどという選択肢は与えられていなかった。唯一の救いは、彼らとあまり面識がなかったことだろうか。いつも除け者にされていたことが、ここにきて月澄の心の平常を保つ糧となっていた。しかし胸は苦しく、気を抜くと吐きそうになっていた。


「なにごとだ」

 聞こえてきた男の声に月澄は体を震わせた。

 茂みから覗きみる。

 こいつか、こいつがそうなのか。

 その男は明らかに他の兵とは雰囲気が違っていた。年は二十歳を過ぎたくらいであったが、その見目は勇ましく、それでいて水のような柔らかさを有している武人だった。


「奇襲のようです。すべて仕留めました」

 屍となった者たちを見た武人の顔に、怪訝な色が浮かんだ。

「襲ってきたのはこいつらだけか」

「は、そのようです」

 顎に手をやり何かを勘ぐっている。月澄は動くべきか否かを考えあぐねていた。

葉清ようしん殿、どうかされましたか」

「いや、何でもない。明日にでも亡骸は埋めてやれ」

 武人――葉清は言った。

 

 間違いない。やはりこの男だ。

 

 月澄は地に伏したまま指を動かした。

 彼ら十人の屍を起きあがらせるや、最も近くにいた屍を葉清にぶつけた。

「葉清殿!」

 気配に気づいた部下が叫んだ。

 葉清は振り返りながら太刀を抜くと、背後から襲いかかってきた屍を両断した。

「これは……どういうことだ」

 立ち上がっている屍を前に、さすがの葉清も冷たい汗を浮かせていた。


 月澄は屍たちを巧みに操りながら茂みの中を移動する。

 己の意識は懐に忍ばせている小刀に向けられていた。

『葉清は強い。おそらくおまえの仙氣でも倒せまい。しかし、屍が動くという事実を前に必ず動揺が生じる。おまえはその虚をうまくつけ』

 そういって上官から渡された小刀であった。

 

 葉清の背後に位置どった月澄は、木の影に隠れながら屍を制御する。

 葉清の前方に二体、左方、右方ともに一体、残り六体は周りの兵にぶつけて葉清から引き離す。さきほど両断された屍も無駄なく動かした。

 

 亥丹の兵は驚き恐れながら戦っている。斬っても斬っても起きあがってくる屍に、葉清の顔にも焦りが見えはじめていた。

 思うがままの展開になって月澄の心にも余裕が生まれてきた。葉清にぶつけている屍をうまく動かし、狙いやすい場所まで誘導する。


 ここだ。後方はがら空きである。

 行くなら今だった。しかし二の足を踏む。

 やらないと、やらないと。

 殺らないと!

 

 月澄は短刀を抜くと、闇の中を滑るように走って葉清に近づいた。

「うわああああ!」

 叫びながら体ごと突進し、小刀を背中に突き刺した。

「子供……だと?」

 何が起こったのか葉清は理解するのに時間がかかったようだ。

 背中に刺さった小刀を引き抜くと、信じられないような顔で血のついた刃を眺めていた。

「まさか、おまえが死体を操っていたのか」

 小刀を投げ捨てながら言う。

 月澄は尻もちをついて歯をがちがちと鳴らした。

 浅かった。刃は深く潜りこまなかった。刺す時は刃を横にしなければならないことを月澄は忘れていた。訓練で習ったのに。何度も練習したのに。


「答えろ。これはおまえの仙氣か」

「あ……ああ……」

 殺される、殺される。

 尋常でない恐怖に駆られた月澄は、わき目もふらずに森の中へ逃げこんだ。

「待て、そっちは――」

 葉清はすぐにあとを追った。

「おい、止まれ!」

 すぐ後方から聞こえてくる声が月澄の恐怖をさらに駆り立てる。

 

 暗闇の中を無我夢中で走り、森の中を抜けだした。

 空に浮かんだ弦のような細月があたりをおぼろに照らしていた。

 すぐ前方は地裂の深い谷が広がっている。

 迷う暇もなく左方に足を向けた時、その足に何かが絡まった。

 前に突っ伏し倒れゆくなかで、それが罠の縄だということに気づいた。


「おい、はやくそこから離れろ!」

 葉清の声が聞こえる。なにを言っているんだろうか。なんでそんなことを言うのだろうか。そんな疑問が浮かんだ月澄の眼に、自分に向かって転がってくる大きな岩が映った。

 

 倒れたままの月澄はようやく事態を把握した。しかしもう遅かった。立ちあがって逃げる間もない。

 自分は死ぬのだ、ここで。そう思い覚悟を決めたとき、ふわりと体が浮いた。

 葉清が月澄を庇うようにして抱きかかえていた。

「え……なんで……?」

 そう呟いた月澄の体は、葉清もろとも大岩にふっ飛ばされて地裂の底へと落ちていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る