第30話 忌まれた子(その七)

 気がついた時には兵舎にいた。周りには見たことのない大人や若者が何人もいた。中には月澄と同じような年頃の子供もいた。みな薄れ汚れた衣服を着て痩せていた。やつれた顔をした者が多かったが、たぎらせた様子で気負い立っている者も何人かいた。そこで話を聞いて初めて、月澄は自分が住んでいる国がしゅうという国であり、いまは隣国のたんと戦をしていることを知った。

 

 戦況はあまりよくないようだった。

 丹国たんこくに攻め入った柊犬しゅうけん(柊国軍の呼称)は、一度は多素たそを制圧しかけたのだが、突如として駆けつけてきた采牛さいぎゅう(采国軍の呼称)の支援によって戦況は一転、柊犬は波に押されるようにして固里こりまで撤退した。元来、丹国と采国さいこくは同盟国であるため加勢してくることは分かっていたのだが、多素まで出向いてくることはないだろうと高をくくっていたのだ。采国としても多素を盗られたならば脅威が身近になる。そのため先手を打って援軍に乘り出したのであろう。

 

 多素攻略が長引いた挙句に失敗に終わった柊犬は、疲労も激しく戦力は激減、食料の備蓄も底をつきかけていた。しかし柊王十乾しゅうおうとけんは是が非でも多素を手に入れたいらしく休戦を下そうとしなかった。柊犬は減った兵力を増強するため町々に立札を立てて人材を募り、ついには情勢に縁のない農村に足を運んでまで兵を集めはじめた。

 

 いま兵舎に集っている者たちは、そのようにして集められた烏合の衆ともいえた。それは月澄げっちょうも例外ではなく、たまたま農村の役場を訪れていた臣下が、血相を変えて駆けこんできた男の狂言を聞いて徐剛じょごうに報告したのである。歩く犬の屍と一緒に山から帰ってきた子供がいるらしい――と。報告を受けた徐剛はすぐに村へ飛んでいき、男に金を渡して子供を買いとると、自らの足で月澄を連れに向かったのである。

 

 兵舎に連れて来られてから二年ものあいだ、月澄は柊犬の下兵として過酷な訓練を受けた。上官のいびりは酷く、時に命を落とす者もいた。溜まったうっぷんの捌け口は弱者に向けられるのが常であるように、もともと小柄で内気であった月澄はいじめの対象になっていた。周りにいくら人がいても、農村で暮らしていた時と同じように月澄はひとりだった。

 

 ある日のこと、野戦の訓練をしていた時に月澄は一匹の野良犬と出会った。ちょうど、ひとりだけ別のところで飯を食べている時だった。腹を空かせているようだったので食べていた飯を投げてやると、野良犬の後ろから二匹の子犬が出てきた。家族のようだった。月澄はかつて飼っていた犬を思いだして懐かしい気持ちになった。親犬は己が体も痩せ細っているにも関わらず、地面に転がった飯には手をつけようとせず、二匹の子犬に食べさせていた。

 

 どことなく微笑ましい光景に月澄は心が和んだ。しかしそれも束の間、野良犬に気がついた別の訓練兵たちがやってきて、嬉々として槍をかまえた。

「な、なにするんだよ」

 月澄は遠慮がちに言った。

「食うに決まってるじゃねえか」

 柊国でも一部の地方は犬を食す習慣があった。彼らにしてみれば当然の行為であるようだが、月澄にとっては許されないことだった。

「かわいそうじゃないか」

「おい、口裂け男が何か言ってるぜ」

 訓練兵は高笑いした。口元にある生々しい傷跡も月澄が毛嫌いされている理由のひとつだった。彼らは月澄のことを化物と言ってよくからかっていた。

「肉は久しぶりだぜ」

「別に殺さなくたって配給があるだろ」

「それだけじゃ足りねえんだよ。すっこんでろ」

 訓練兵たちは犬の家族を取り囲むと親犬を槍で突いた。ぎりぎりのところで避けた親犬は牙をむいて威嚇した。

「お、生意気じゃねえか」

 別の者が柄の部分をつかって背後から背中を殴りつけた。「ぎゃん」と声をあげて親犬は尾を丸めた。

「もういいだろ、やめろよ」

 月澄は親犬を庇うように立った。


 訓練兵は額に青筋を浮かべて月澄をぶん殴り、倒れたところを容赦なく蹴りまくった。他の者たちは子犬を捕まえて振り回していた。

 体を丸めて痛みに耐えていた月澄は親犬と目があった。不思議なことに、親犬の言わんとしていることが手にとるようにわかった。子供を助けて欲しい、何でもするから――と親犬は目で訴えていた。「わかった、約束するよ」と月澄は口に出して呟いた。すると突然、親犬は訓練兵が持っていた槍の穂先に自ら飛びこんで胸をつらぬいて命を絶った。


 犬の異様ともいえる行動に訓練兵たちが戸惑いの色を浮かせた次の瞬間だった。親犬の刺さった槍を持っていた男の顔の右半分が、削げた。


 本人も何が起こったのか分からなかったのだろう、顔を失い倒れながらも「え?」と声をあげていた。

「な……なな」

 他の者たちは恐怖に顔を引きつらせていた。親犬が腹に槍を突き刺したまま立って牙を剥いていた。しかもその容姿が異質だった。体の筋肉は裂けそうなまでに膨れあがり、浮き出た血管からは血が噴きだしていた。牙もありえないほど伸びて、爪も鋭利なまでに尖っていた。

 

 親犬は軽く屈むと、そこに砂埃りだけを残して姿を消した。

「ひぎゃ!」

 と離れたところにいた男が悲鳴をあげた。見ると親犬が男の首にかぶりついて肉を引きちぎっていた。いつのまに移動したのか、真っ赤に染まる獰猛な目で次なる標的を見据えて跳躍すると、今度は四つん這いになって逃げようとしている男の脇腹に噛みついて肉を抉った。


「も、もういい……やめろ、やめるんだ!」

 月澄は怖くなって叫んだ。かつての飼い犬の時とはあきらかに様子が違っていた。自分の意志に関係なく動く屍に我が身でさえ命の危険を感じた。しかし親犬に止まる様子はなく、最後のひとりであった突っ立ったままの男のもとまで行くと、その鋭い爪で容赦なく腹を切り裂いた。

 月澄を除いてそれに関わっていた者たちの全員が絶命したとき、親犬も糸が切れたように地面に倒れた。


「なにごとだ、これは」

 騒ぎを聞きつけたのだろう、やってきた上官は惨状を目の当たりにして驚いた顔をしていたが、放心状態でへたり込んでいる月澄の姿を見てすぐに理解した。彼は徐剛から話を聞いていたのである。月澄が屍を操る仙氣の持ち主であることを。しかし、まさかこれほどとは――。

「死体はこちらで片づけておく。このことは他言するな」

 上官は月澄にそう言うと、許可があるまで絶対に仙氣を使うなと念を押して戒めた。もし破ったならば重罰に処すると。

 

 実際にこの事件を見た者はいない。しかし兵舎では噂がひろがり、それ以来、月澄がいじめられることはなくなった。しかしそれは、月澄の孤立をますます深めることにもなった。

 

 それから三か月後、柊王は多素制圧の勅命を下した。

 このとき月澄十二歳。想像を超えた血みどろの戦いは、まだ少年であった月澄の心に深い闇を植えつけることとなる。

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