第28話 忌まれた子(その五)
少し前のこと――。
「あ、あそこに見えるのがそうじゃないですか」
遠からず一画にある白砂利の敷かれた場所を指さして言った。
にわかには信じがたいことだが、彼らは
「尋問を受けているみたいだな」
座らされている
「兵が多すぎる。あれだけ囲まれていれば助けられん」
塀をふたつほど乗りこえると着ける場所であったが、広場の内外ともに武器を手にした兵が立ち並んでいる。尋問だけのために何故そこまで警戒しているのか。屋敷群ではあるが、兵の多さで言えば城のそれと変わりなかった。
「手形を見せて理由を話せば……」
釣挑は正式な手形を持っている。それに梓季が丹国へ来たのは太子捜索の道すがらで、
「梓季さまだけでいいのならな」
「ああ……そうか」
月澄にはそういった後ろ立てがなく、ましてや敵国となる
「夜を待つか――」
木陰で片膝をついていた釣挑は空を見やった。
時刻は夕ひとつ(午後四時)。あと数刻もすれば陽も暮れる。
「ん……輪、どうしたんだ?」
描は自分の横でぼうっと立っている輪に違和感を覚えた。
「なんか、来るねん」
「来る? なにが?」
「すごいの来るねん……危ないねん!」
「落ちつけって、来るってなにが――」
描が聞きかけたその時だった。
ずん、と大地が跳ねあがり山が大きく揺れ動いた。
「な、ななな」
「地震だ、大きいぞこれは」
激しく揺れる木々は枝葉をしならせ悲鳴をあげている。
まるで舟の上にでも立っているかのようだった。
態勢を崩して土に突っ伏した描は、這いながら輪のもとに行くと庇うようにして覆いかぶさる。
釣挑は近くの木を掴んで何とか耐えていた。
眼下の屋敷群から土埃りが舞いあがる。
屋根が傾き瓦が散乱しているようだ。
蜘蛛の子を散らしたように人々は慌てふためいている。
やがて、揺れはおさまった。
あたりには静けさが戻った。
「と、止まったのか……?」
おそるおそる顔をあげて周りを見やったとき、それは地の底から響いてきた。
オオォォォオオオン。
ォォォオオオオオン。
体を震えあがらせた描は、がちがちと歯を鳴らした。たまらない寒気が全身を襲ってくる。
「な、なんだこれ……声?」
覚えるのある感覚だった。主仙の社で暴流の群れを見たとき――あれと似ているが、這いあがってくる恐怖はそれ以上のものがある。
釣挑もあたりをうかがいながら冷汗をぬぐっていた。
「なぁなぁ。あのへん、なんかあらへんか」
輪が屋敷の上空を指さして聞いた。
描はさらに血の気が引いて行くのが自分でもわかった。
ちょうど広場に近いところの宙に、裂け目ができていた。
「き、
大きさは人の腕ほどだが、空間が破れている様は前に見たものと同じだった。
「なんだ、何か落ちているぞ」
手をかざして見ていた釣挑が言う。描も目を細めてそれを凝視した。
黒い小さな物体が、まるで涙のように氣裂からぽたぽたと滴り落ちている。
「暴流だ……やばいですよ、これ」
「行くぞ」
言うが早いか、釣挑は滑るように山の斜面を下りて行った。
一方、屋敷群からは悲鳴があがり、兵と暴流が入り乱れての乱戦となっていた。
細長く節のある足に触覚や翅をはやした、見てくれであるならば昆虫のような、しかしひどく形が歪で腐敗している奇怪な暴流を前に、民は発狂して逃げ惑い、兵は奇声をあげながら武器で応戦している。
人よりも大きな虫が屋敷の縁側や居間を這いまわっているさまは、見ているだけで吐き気をもよおしそうな光景でもあった。
「姫さまをお守りしろ!」
その光景は梓季たちのいる広場でも同じだった。
武人の荒々しい声をうけて、
そんな兵に黒光りした翅をもった暴流が羽音を鳴らしながら襲いかかった。
兵は必死の形相になって槍でつく。
貫かれた暴流は緑色の液体をまき散らす。
体液を全身に浴びて青ざめている兵の足元から、無数の足をもつムカデのような暴流が這いあがり体に巻きついて頭を喰らった。
近くで見ていた兵は金切り声をあげながら太刀で斬りつける。
その兵の腹に極太の針が突き刺さる。
なにごとかと視線を動かした兵は、そこに樽のような胴体をした蜂のごとき暴流の姿を見た。
「むうん!」
武人の太刀が蜂のあたまと胴体を両断した。
「
這いまわる暴流を斬りふせながら武人は叫んだ。
何人かの兵が広場を飛び出していった。
「さて、どうしたものでしょうか」
広場の壁際へ移動して身を屈めていた梓季は、横にいる月澄に問いかけた。
手は縛られ武器もない。逃げるにしろ戦うにしろ、そのふたつを解決しないことにはどうにもならない。
「梓季さま」
と、塀のうえから影が降りてきた。
「釣挑ですか。助かりました」
見立たぬ動きで釣挑は短刀を取りだすと、梓季と月澄の縄をきった。
「行きましょう、描も外にいます」
頷いた梓季は屍の近くに転がっていた太刀を拾うと門扉へ走る。
月澄もそれに続こうとしたとき、
「ぐあっ!」
と武人の痛々しい声が広場をつらぬいた。
見ると、右腕を触覚のある暴流に噛みつかれていた。
武人は必死で振りはらおうとしているが離れる様子はない。
すでに周りの兵のほとんどは床に伏し、凍葉を守る兵は武人をのぞいて二人だけになっていた。
対する暴流は六匹ほどか。
壁を背にした凍葉の顔は青ざめている。
と、平べったく黒光りした暴流が兵をすり抜けて凍葉に襲いかかった。
どうにか助けようと懸命に左手を伸ばす武人であったが無情にも届かない。
「姫さま……!」
嘆きともとれる叫びを武人があげたとき、凍葉に襲いかかっていた暴流の背中に槍が突き刺された。
武人は驚愕の思いに駆られて目を見開いた。
槍を握っているのは、すでに息絶えて床に伏していた兵だった。
まだ生きていたのか。いや、あの顔は――。
目は白目をむいており、顔には生気がない。あきらかに命なき者の姿だった。
「ひ、ひぃ!」
と声をあげて、生き残っていた兵が尻もちをついた。
なんと周りの屍が起きあがっていた。
彼らは操られたかのような奇怪な動きで武器をかまえると、凍葉の周りにいた暴流どもを一掃しはじめた。
「おい、行かんのか。これ以上は待たんぞ」
塀の上から釣挑が苛立った声をあげる。
「いや、もう終わった」
月澄はそう言うと、仙氣を解いて塀に飛び乗った。
ちらと振りかえる。
凍葉と目が合った。
凍葉は怒りとも困惑ともとれる複雑な表情で月澄を見ていた。
視線を落とした月澄は、顔に巻いた布を軽くあげると塀の向こうへと姿を消した。
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