第27話 忌まれた子(その四)
外壁に囲まれた広大な敷地には、大小さまざまな数棟の邸宅が建ち並んでいる。その敷地の一画に、白砂利の敷かれた、壁のない吹きさらしの平屋が建てられているだけのこじんまりとした広場があった。かつては母屋からの離れとして茶会や演舞などに使われていたが、いまは裁きの場として利用されている場所でもあった。
先の戦によって多素は大半の施設を焼失したため、雪水家は屋敷群を解放して役場も兼ねることにしたのである。そのため邸宅を訪れる人々は多く、多様な者が出入りをしていた。
二十畳あるかないかの場所であるにも関わらず、兵の数は多い。各々が手に尺棒をもち、壁に沿うようにして並んで立っている。彼らの目は厳しく、隠すことのない怨嗟の念を月澄にぶつけていた。
「姫さまがおなりです」
ふたりの正面に、冷えた双眸をした美麗な女が姿をあらわした。牡丹の花が刺繍された淡紫色の着物を羽織り、袖からのぞく白手には扇子を持っていた。細く編みこんだ黒髪は日輪のように頭の後ろで結われており、きらびやかな銀びらのついた髪飾りを揺らせていた。
姫は板間に敷かれてあった座布に座ると、肘置きに手をおいて扇子を口元にあてた。
張りつめた空気に包まれるなか、
「
後ろで控えている男が姫――凍葉に耳打ちをした。梓季たちをここまで連れてきた武人であった。
凍葉の視線が月澄へと向けられる。残忍とも思えるほどの冷たい視線は凍葉の憎念のあらわれでもあった。
「隣の者は」
「それが……
さきほどまでとは違った光が凍葉の目に浮かんだ。
「青葉の梓季、聞いたことのある名ですね」
「西方では名高い軍師のようで」
「そのような者がなぜ」
「いまから尋問に」
「いや、よい」
凍葉は扇子をしまうと、代わりに懐から小さな紙片を取りだした。
皆の目を気にするでもなく何やら折りはじめる。
と、やがてそれは小さな鶴となった。
意味深な含み笑いを浮かべる。
折り鶴を掌にのせて息を吹きかける。
ふるふると揺れた鶴は、くるりと向きを変えて頭を梓季のほうへと向けた。
「やはり
頬をゆるめた凍葉は声をたてずに笑った。
「青葉の梓季と申したか。聞けばそなたは名うての軍師であるようですが、
凛々しくも冷え冷えとした声で凍葉は聞いた。
「探し人が仙国にいるやも知れぬゆえ。なにぶん火急の用であるため手形を発行する
後ろ手に縛られ膝をついている梓季ではあるが、その声音は変わらず涼しい。
「なるほど、人探しであると。しかし、そなたも存じていると思いますが、丹柊の戦はまだ終わっていません。共にいるのが柊の者である以上、やすやす信じるわけにはいきませんね」
「当然のことでございます。しかし見てのとおり今の私はこの身ひとつ。疑いあれば
「いや、かまいません」
凍葉はそう言うと、折り鶴をのせた掌を梓季に向けて差しだした。
「そなたが真のことを申しているかはこれが判断します。青葉の梓季、己が心に偽りがないと申しますか」
「はい、申します」
「ならばこの鶴をしかと見てください」
梓季は折り鶴に視線をとめた。
信じがたいことに、わずかばかりだが鶴が浮き上がった。
真意を確かめる仙氣のようなものか。もとより隠すことなどなく、端的ながらも正直に話しているため気を配る必要もない。
そのように思っていた梓季であったが、次の瞬間、体の中にある何かしらのものを見えざる力に鷲づかみされたような気分になった。
「これは――」
鶴はさらに浮き上がり、凍葉の眼前で止まった。
「ふふ、正直な方ですね」
いたずらに凍葉は笑んだ。
梓季は胸をおさえながら歯を噛みしめる。
鶴がおおきく震えはじめる。
と、眩い光を放ったかと思いきや、鶴は宙で霧散して光粒をあたりに降らせた。
「ほぉ……これは……なかなか」
凍葉は頬を赤らめて恍惚な表情を浮かべていた。
「じつによい……いまの私には打ってつけとも言えますね」
酔いしれる凍葉に反し、梓季は体内で何かが消失した感覚を覚えていた。痛みはない。ゆえに気持ちが悪い。
冷えた表情に戻りつつあった凍葉は、嬉しげな視線を梓季へとむける。
「青葉の梓季、改めて聞きます。そなたが多素へ来たのは人探しによるためですか」
凍葉は梓季の目をじっと見つめた。
「どうやら本当のようですね。よくわかりました」
梓季は驚きをはしらせた。
「まさか……私の仙氣を」
凍葉の目をじっと見つめるも、いつものように正否が頭に流れてこない。
口元に手をあて小さく笑った凍葉は、
「案ずることはありません、少し拝借したまで。そうですね、二、三日もすれば戻るでしょう」
扇子をとりだすと開けながらに言った。
「しかしこのような仙氣、軍師たるものが使うとは卑怯とも言えるのではないですか。いや、ゆえに軍師となられたか」
流麗に仰がれた扇子の風を受けて冷ややかに微笑んでいた凍葉であったが、それもつかの間、すぐに厳しい顔つきに戻るとその眼を月澄へむける。
「さて、
丁寧な言葉であるが、宿る言霊は怨嗟に煮えている。
「
月澄は何も答えない。ただ暗い双眸を凍葉に向けているだけだった。
「姫さまの質問に答えろ!」
横にいた兵が尺棒で殴りつける。あきらかに梓季の時とは対応が違っていた。
凍葉は手をあげて兵を制すと、
「無理に話さなくともよくなりましたが、その口から直に聞きたいものですね」
「……ああ、知っている」
呟くように月澄は答えた。
凍葉の目がすっと細くなる。
「先の戦でそなたは葉清と会った、そうですね」
「そうだ、会った」
凍葉の持っていた扇子が音をたてて閉じられた。
「そなたの名声は多素にも響いておる。武将、雪水の葉清を討ちとった者であるとな。いまここでそなたに問う、私の兄を殺したのはそなたか」
感情を抑えきれないのか、凍葉の口調は荒々しいものになっていた。
答えようとしない月澄を見て、兵がふたたび尺棒を振りあげる。
「待ちなさい、余計なことはしなくてよい」
制した凍葉は冷笑を浮かべながら憎悪に満ちた声で続けた。
「烏野の月澄、私の目を見よ。そして答えるがいい」
ゆらりと顔をあげた月澄は、燃えたぎっている凍葉の双眸を見ながら答えた。
「ああ、そうだ。おれが殺した」
裁きの場にいた兵たちは激しい怒りに心を
誰もがみな凍葉の一声を待っていた。
死罪、打ち首にせよと。
しかし当の凍葉は目を見開き、小さな赤い口を半開きにしたまま呆然とたたずんでいた。
怒りに満ちていた表情も引き潮のごとく、その顔はなぜか青ざめている。
「姫さま、死罪のご決断を!」
「死罪のご決断を!」
武人の言葉に他の兵がつづく。
「待ちなさい……すこし、待ちなさい」
凍葉の声音は震えている。何かを必死に理解しようと努めている風にも見えた。
「姫さま、若の仇ですぞ。なにを待つ必要があるのですか」
武人の荒くれだった声は他の兵を触発し、場を物々しいものにさせた。
しかし凍葉は何も答えない。床に手をついてうな垂れ、小首を横にふっている。
たまりかねたのか、武人は立ちあがると白刃を抜いた。
「その者を抑えつけよ、このわしが直々に首を斬り落としてくれる!」
「待ちなさい、勝手なことは――」
血の気のない声で凍葉が制しかけた時だった。
ずん、と地面が突きあがり、大地が大きく揺れ動いた。
突如として起こった大地震に場は騒然となった。
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