第26話 忌まれた子(その三)

 森の小道を武人の馬が闊歩している。

 後ろにつづく五人の兵は、梓季しき月澄げっちょうを挟むようにして歩いていた。

 ふたりの腰元に太刀はない。没収されたうえ、さらに両手は後ろで縛られていた。

 

 馬蹄の音だけが虚しく響いた無言の護送であったのだが、

「なにか言いたそうだな」

 梓季の視線を感じたのであろう、月澄が前を向いたまま言った。

「いえ、やけに素直だと思いまして」

 兵は六人。梓季の試算では、どちらかが武人を引きつけておけば勝てると見込んでいたのだが、月澄がすぐに投降したのは予想外だった。刺客として襲ってきた時も闘志は見られなかったが、今回はそれ以上に、もとより抗う気すらないようにも思えた。


 しばらく黙して歩いていた月澄は、

「この国の者とは戦わないと決めている」

 それだけを返した。

「おい、黙って歩け」

 梓季の左隣にいた兵が言った。

「私たちをどこへ連れていくのですか」

「聞いていたのか。喋るなと言っている」

 兵は手に持っていた槍で威嚇しようとするも、

「あいにく気になったことはすぐにでも知りたくなる性分でしてね。目的の場所はここから遠いのですか」

 まったく物怖じしない様子に尻ごみしていた。

「多素の主、雪水ゆきみず家の御屋敷だ。あと半日もかからん」

 答えたのは先導している武人だった。

 月澄の表情が、わずかに張りつめた。

 

 一方、ひとり取り残されたびょうは気が気でなく、冷汗を浮かせて森のなかをうろうろしていた。

 見知らぬ土地でただひとり、右も左もわからない。しかも関所を破っただけに、兵に会ったらこれ最後。そうであるから誰かに道を訪ねることもできないわけで、思いきって小道を進んでは「ぁぁぁ……」と悩み、臆して来た道を戻れば「ぅぅぅ……」とうな垂れる。

「どうしよう、やっぱり探しにいった方が……でもどこに連れていかれたかわからないし……ここは一度もどって正規の道順で丹国に入って……いやいや、あの抜け道をひとりで戻るなんて無理無理無理……じゃあこのままおれひとりで仙国に……いやいや、さすがにそれは人として駄目だろ……」

 あれからすでに数刻たっているが、忙しくなく足を動かしているわりに、描のいる場所はさほど変わっていなかった。


 と、近くの茂みがガサガサ揺れた。

 ひっと声をもらした描は、慌てて木の影に隠れると膝を抱えこんで身を固める。

 まさか兵が戻ってきたのだろうか。

 体が硬直して石のようになっていた。もういっそのこと石でありたいとも思っていた。

 

 息を殺して物音に耳を澄ます。

 静かだ。獣でも歩いていたのだろうか。

 おそるおそる幹から顔を出し、くまなく辺りに目を配る。

「……は?」

 思わず描はすっとんきょうな声をあげた。

 

 なんとそこに子供が立っていた。

 歳の頃なら七、八歳の、ぼさぼさ頭でひどく薄汚れた女の子だ。着ている着物は土汚れ、採寸が合っていないのか裾を引きずっている。

「え、なんで子供が?」

 ひどく困惑する描。女の子は犬のように鼻をくんくんさせながら辺りをうかがっている。

 よく見ると、その両目はずっと閉じられたままだった。

「もしかして目が見えないのか……?」

 描は心配になって木陰から出ると、女の子に歩みよった。


「な、なあ、こんなところで何してるんだ?」

 すでに描がいることに気がついていたのか、女の子はなんら驚いた素振りを見せることもなく、

「おかーやん探しとるねん」

 周囲を嗅ぎながら、変になまりのある口調で言った。

「おかーやん見んかった?」

「え、いや、見てないけど……この辺ではぐれたのか?」

「知らんねん。起きたらおらんようになっとってん」

 どうやら迷子のようだ。とりあえず役人のところに連れていった方が良さそうだな、と思う描であったがすぐにそれが出来ないことを思いだした。

「困ったなぁ……どこか近くに村でもあるのかな」

 心配する描をよそに、女の子は描の体をぺたぺた触ったり、くんくん匂いを嗅いだりしている。

 よく見ると薄汚れているどころではなく、顔や首まわりには泥や垢がこびりついていた。着物も破れて穴が開いており、まったく洗われていないのか、鼻につくような異臭が描の鼻腔までとどいてきた。


「と、とりあえず一緒に探そうか。名前はなんて言うんだ?」

りんって言うねん。おかーやん付けてくれてん」

「そ、そうか」

 おかしなことになってしまったが、描はとりあえず村を探すことにした。


 それらしい小道を、ふたり並んで宛てもなく歩く。

 不思議なもので、ひとりぼっちで途方に暮れていた描からすれば、たとえ相手がよくわからない子供であっても一緒にいることで妙な安心感があった。

 まぁおれも迷子みたいなものだからなぁ、などと自嘲気味に笑っていた描であったが、自分の横を同じ歩調ですたすたと歩いている輪を見て驚いたりもしていた。

 木の根に足を引っかけるでもなく、張りだした枝にぶつかるでもなく、まるで普通に見えているような歩きぶりなのである。


「輪……だっけ? 生まれた時から目が見えないのか?」

「たぶんそうやねん」

「どうやって周りのことがわかるんだ?」

「音でわかるねん」

 輪の話だと、周囲には絶えず音の波が漂っているらしい。その波が揺れるのを感じとることで、どこに何があってどういう形をしているのかがわかるという。

 そう言えば、と描は昔に読んだことがある書物のことを思いだした。この世界はただひとつの氣があるだけで、生命は目や耳などの器官を介して氣を認識しているに過ぎない――といった内容だったか。小難しくて途中で放り投げてしまったからよくわからないが、眼があるから木は見えるけど、もし木が見えなくてもそこに木の氣はあるわけで、輪の場合はそれを耳で知ることができている、ということだろうか。


「人間ってすごいなぁ」

 顎に手をやり呟きながら歩いていた描は、ふと輪が横にいないことに気づいて足をとめた。

「どうしたんだ?」

 振りかえり聞く。輪は通ってきた道の方をむいて鼻をくんくんさせていた。

「お馬さん近づいてくるねん」

 血の気を飛ばした描は、あわてて輪の手をつかむと近くの茂みに身を隠した。

「どないしてん、おかーやん探さへんのか」

「しっ、喋っちゃだめだ」

 息を殺してそれが来るのを待つ。


 確かに、遠くから馬蹄の音が聞こえてきた。

 見回りの兵だろうか。音からして馬は一匹のようだ。

 枝葉の隙間から小道を覗いていた描は、近づいてくるそれを見て「あっ」と声をあげるや、喜び勇んで飛びだした。

「おおい、おおい!」

 走ってくる馬に向かって大きく両手をふる。

 描の前までやって来た馬は、いななきながら足をとめた。


「ここでなにを? 梓季さまはいかがされた」

 馬に乗っていた切れ長の目をした小柄な男――釣挑ちょうちょうが言った。

 ここに来て現われた救いの船に、描は精一杯の身振りをつけながら今までの経緯を事細かに話した。

「むぅ」

 と釣挑は低く唸った。

「連れて行ったのが亥丹いたんの兵というだけでは、どこに向かったのか検討もつかぬな」

「あの、釣挑さんは馬で来たようですが、関所を通ってきたのですか?」

「そうだ。せいに着いて経緯を話すと、通行の手形を用意してくれてな。木雀きじゃくあたりで合流できるものと考えていたが、よもやこのような事態になっているとは――」

 釣挑も丹国へ来るのは初めてのことで地理に詳しいわけがなく、描と同じでおおざっぱな地図しか頭に入っていなかった。およそ通るであろう道を梓季から聞いていたので、適当な目星をつけて馬を東に走らせていたにすぎないのだ。


「その子供は?」

 釣挑は描の横でちょこんと立っている輪に目をむけた。

「どうも迷子らしくて……そうだ、手形があるなら堂々と役人に預けることができますね」

 これで悩みのひとつはなくなった。とにかく村なり街なりで輪を預けて、早くふたりを探さないと。

「なんや、おにーやんも誰か探しとるんか?」

「ん、ああ、そうだよ」

「おにーやんと同じ匂いやったら、こっちにずーと続いとるで」

 辺りの匂いを嗅いでいた輪は、土汚れた顔を小道の奥へと向けた。

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