第21話 酒をのむ男(その四)


 二年前――。

 垂長すいちょうの東に、市場街で知られた柵垂さくすいという都があった。なかなかに物珍しい品物もあるらしく、近隣の国々からも多様な人が訪れるため、喧騒でいうなれば王都よりも活気のある都であった。

 功熊こうゆうはその都で、問屋の仕入れた物品や食品などを王都まで運ぶ荷馬車の御者をしていた。

 歳は四十。決して裕福な暮らしぶりではないが、三つ年下の気の利く女房と、十六になる愛らしい娘がいる生活に不満もなく、家族のため御者台に腰をかけては馬に鞭をふるう毎日を送っていた。

 

 ある日のこと、功熊は問屋の主に呼び出された。

『すまんが今日は別口だ、おまえはおうの砕石場に向かってくれ。詰所に卯籐うどうの者がいるはずだから、そこで詳しい話を聞くといい』

 仕事はまじめで馬術もあった功熊の評判はなかなか良く、大柄で力持ちでもあるため積荷の作業で人足も削減できるので、別の問屋から依頼が来ることもあった。今回もその一環であるらしく、功熊は二つ返事で言われた場所へ馬車を走らせた。

 

 砕石場というからには白虎岩びゃっこがんの配送であろうと思われた。様々な物品を運んでいるが、やはり白虎岩の運搬が一番多く、そして単価もよかった。しかし卯籐の兵から話を聞くというのがよくわからなかった。

 

 人為的に削られた山のふもとまで来た功熊は、場内に入る手続きをして馬車を進めた。龍のうねりのように山頂まで続く砂利道が作られた砕石場には、多くの人足や荷馬車が往来し、絶えず砂ぼこりが舞っていた。

 

 詰所は広場の隅にあった。卯籐の兵が何人か立っていたので、功熊はそこに馬の頭を向けた。

小克しょうかつさん、御者が来てくれたようですよ』

 功熊を見るなり兵が言った。年は三十ほどだが、背丈があってなかなかの優男である。目じりにしわをつくって笑んでいる顔は兵という雰囲気を感じさせない。功熊はどことなく親近感を覚えた。

『来たか、そこにある荷物を積んでくれ』

 功熊とは歳が近そうな、この中では一番の年輩であろうと思われる兵――小克が言った。厳めしい顔はまさに兵のそれで、腕っぷしも強そうな男だった。

『これはまた、見事なものですな』

 功熊は荷物を見て感嘆の声をあげた。綺麗に切り揃えられて積まれているそれはやはり白虎岩であったが、艶のある白石には淡朱の色が波紋のように広がっていた。なかなかに珍しい模様である。

『特級品らしい、丁重に扱えよ』

 小克はそう言うと、場にいた三人の兵を連れて詰所へ入っていった。


 積みこみの作業が終わりかけたころ、詰所の戸が開いて小克たちと、見目からして高貴な者が出てきた。薄紅色の羽織からして、おそらくは桜の高官であろうと思われた。互いに礼をしたあと、高官は馬車に乗り去っていった。

『積み終わったか。これが最後だ』

 戻ってきた小克の手には木箱が抱えられていた。頑丈に封がされて中は見えない。

『これは?』

緋爪ひそうぎょくといって、かなり珍しい白虎岩ですよ』

 最初に話した優男が得意気に言った。

固培こばい、余計なことは言わんでいい』

 小克はいさめるように言うと、功熊に厳しい目を向けた。

『大王への献上品だから、より慎重にな』

『はぁ、そういうことですかい』

 功熊はようやく兵たちがいる理由を理解した。上質な白虎岩に珍重品。どうやら四人は護衛兵であるようだった。

 

 御者台からも見える荷台の奥に木箱を置いた功熊は、しっかりと縄で括りつけた。『なくすなよ、いま積んでいる白虎岩を全部売っても足らんほどの品物だぞ』

『おまえの稼ぎじゃ一生かかっても払えないからな』

 まだ若いふたりの兵が、あきらかな嘲笑を浮かべながら言う。ひと昔前ならいちいち腹も立てていたが、さすがにもうそこまで若くはない。いくら罵りあったところで得られるのは独りよがりの満足感だけで、そんなもののために無駄な体力を使うのは馬鹿らしいと思うようになっていた。

『へいへい』

 功熊の響かない態度に、若兵ふたりは顔を見合わせて肩をすくめた。


『持ち場につけ、そろそろ出るぞ』

 小克を先導に、荷馬車は王都へ向けて出立した。

 右に固培、左と後ろには若兵が、それぞれ腰に太刀を掲げて馬を闊歩させている。真中にいる功熊は自分が護衛されているような気がして歯がゆい気持ちになった。

 空は曇っているが平野を吹きなでる風は心地よい。上々な運搬ではあるのだが、荷物の扱い上、ことのほか慎重に馬を進めねばならなかった。この足取りだと、王都に着くのは明日の夕刻ごろか、と功熊は思った。

 

 道中、何事もなく進み、やがて日が暮れてきたので一行は見晴らしのよい草原で野営することにした。

 警備兵は火を囲んで座り、功熊は少し離れた場所にある木にもたれて休んでいた。

『よう、おまえも飲むか』

 若兵のひとりが酒をもってきたが、功熊は断った。仕事中に飲むのは気が引けるし、酔うと人に絡みたくなる癖があるのを自分で知っていたからだ。それに気づかせてくれたのは今の女房だった。歳は下だが、気立てがよくて思いやりがある。娘の風花は顔も性格も女房に似ているから、きっといい女になるだろう。自分に似なくて本当に良かったと功熊は思っていた。

 まぁそう言わずに一杯くらい、としつこく誘われた功熊は腕をくんで顔を伏せた。若兵は「けっ」と悪態をついて火のところへ戻っていった。こういう時に飲む一杯が一杯で終わったためしがないのも経験済みのことだった。

 

 事件が起きたのは、翌朝のことだ。

 慌ただしい様子に目を覚ました功熊は、何かあったのかと小克に尋ねた。

『緋爪の玉が盗まれたようだ』

 眠気を飛ばした功熊があわてて馬車まで行くと、はたして木箱は開けられ中身はなくなっていた。


『昨日の晩、何か見た者はいるか。どんなことでもいい、見たなら話してくれ』

 小克はひどく動揺していた。無理もない、四人の中では一番偉いのかもしれないが、卯籐の中では中の下程度の役職である。王への献上品が盗まれるなどの不祥事、下手すればお役御免では済まないかもしれないが、それは功熊も同じことだった。身分が低い分、彼らよりも重い処罰を下されることは容易に想像できた。


『おまえ、明け方に起きて何かしていたな』

 若兵の鬼気迫る目が功熊に向けられた。

『小便に行っただけですぜ』

『本当か、怪しいな』

 あらぬ疑いに、功熊は妙な緊張感を覚えた。

『証拠もないのに疑うもんじゃない』

『そうですよ。それに仮に盗ったとしても隠しようがないですし』

 小克と固培がまともな考えをもっていて救われた気分になったが、

『誰かに渡したとも考えられるのでは』

 もうひとりの若男が言った。責任を逃れたいのか、どうにかして功熊を犯人に仕立てあげたいらしい。

『そういやおまえ、ここから家が近いんじゃなかったか』

『それは、どういう意味で?』

 暗に家族が共犯者だと仄めかす若兵の言葉は、功熊の体をかっと熱くさせた。

『た、ただ聞いただけだ、なんだその目は』

 威圧に気圧されまいと、若兵は腰の太刀に手をかけて威嚇する。

『よしなさいって。それよりも周りを探してみましょうよ。もしかしたら、犯人がどこかに隠している可能性があるかもしれませんし』

 固培の言うとおり、犯人がこの中にいるのであれば持ち隠すことなどできない。誰かに渡していなければ、どこかに隠して後で取りにくるはずである。

 

 しかし草むらや岩の影、木の枝上などをくまなく探したが、それが見つかることはなかった。若兵ふたりはまだ功熊を疑っているのか、荷馬車を念入りに調べていた。

『困ったな……どうしましょうか』

『戻って正直に報告するしかなかろう』

 彼らは重い空気に身を沈めながら王都へ向かった。

 空を見上げると、今にも降りだしそうな雲が東へ流れていた。

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