第16話 國立の一族


 戸が叩かれる音がしたのは、良義りょうぎが文机に向かって調べものをしていた時だった。

「あいとるよ」

 そう促すと、木戸が開かれて凛とした雰囲気のある女が入ってきた。

 良義の姿を確認した女は、艶のある黒髪をはらりと垂らしながら深く頭をさげると、自分のことを甘祢かんねと名乗り、ここに蘭国らんこくの者が訪れていないかを尋ねた。

「どのような用件かね」

 良義は少しばかり疑念を抱いた目を向けた。

 甘祢は自分が葛国かつこくの使者であることを告げると、これまでの経緯を手短に話した。

 そして、その者を探して石赤せきせきまで来たところ、長屋通りにいた三人組の男が探し人に会ったらしく、彼らに教えられてここまで来た、とのことだった。

「なるほど、そういうことでしたか」

 ふむと良義は頷いた。

「それで、今はどちらに」

「足を運んでもらって悪いが、もうここにはおらんよ。つい昨日、出て行きましてな」

「蘭国へ戻ってしまわれたのでしょうか」

「いや、国には戻らんと言っておった」 

「では、どちらへ……?」

藤国とうこくへ向かうと言っとったな」

 聞くや否や、甘祢は頭をさげて礼を述べると足を外に向けた。

「待ちなさい」

 良義は土間に降りると、朝に作っていた握り飯をふたつ竹皮に包んで甘祢に渡した。

「あの、これは……?」

「見たところ、あまり食べていないようだ。持っていきなさい」

 少し困惑した表情で握り飯を見つめていた甘祢であったが、ふと和らいだ笑みを浮かべると、いまいちど深くお礼をして屋敷を去って行った。

 外に出て見送っていた良義は、腰に手をあて空を仰いだ。

 いくつもの小さな雲片が、群れをなして風に流されている。

 青く広がった空を眺めながら、良義は数日前のことを思い起こした。


 三日前、知来ちき氣病きびょうの治療を受けた日の夜――。

 陸鋭りくえいげん、良義の三人は、板の間で軽く酒を酌み交わしていた。知来はすぐ側で寝息をたてている。氣病も治まり回復へ向かっているが、もしものために看病も兼ねた晩酌でもあった。

『いろいろ聞きたそうだな』

 口火をきったのは陸鋭だった。

『さすがに気になることが多すぎてな。話せる範囲でいいが』

 源は飲み干した杯を床に置くと、もう一度それを持ちあげて今度は裏返して置いた。もう飲まないことの意を示す礼節だった。

『わしは席を外した方がいいかな』

『別にかまわない、聞かれてまずいことでもねえからな。まぁ、聞いたところで信じるとも思えねえけど』

 自虐気味に笑った陸鋭は杯を置くと、

『とりあえず、おれのことを言っておく必要があるか』

 ふたたび杯を持ちあげ裏返して置いた。

『おれのあざな國立くにたち、蘭国から来た』

『やはり、そうであったか』

 呟いたのは良義だった。

『その頭にある刺青、もしやと思っていたが。しかし國立といえば……』

『ああ、そうだ。蘭国で頭首をやっている』

『つまり、蘭国の王ということか』

 源の声には驚きが含まれていた。

『そんな大それたもんじゃねえよ。蘭にしたって他国からすれば藤の一部としか思われてねえからな。まぁそれはいいとして、さて、どこから話したものか――』

 陸鋭はあぐらをかくと、膝のうえに肘をのせて頬づえをついた。


 話は150年ほど前にさかのぼるという。

 陸鋭の五代前の頭首に鋭心えいしんという男がいたのだが、この鋭心が9歳の時、かなり性質の悪い暴流に憑かれてしまったのがすべての始まりだった。

 名のある保仙ほせんを呼んでは駆除を試みたが、すべて失敗に終わりどうすることもできない。もともと気丈な性格であった鋭心は、暴流が見せる幻覚を弱音も吐かずに耐え続けていたのだが、ついぞ心が折れて、十四歳の時に自分で自分の両目をくり抜くという凶行に走った。心を蝕まれた鋭心は奇声をあげてもがき苦しむようになり、そのあまりにも惨い様に配下の者たちから、いっそのこともう楽に、という声があがりはじめていたとき、旅の僧が訪れてきたのである。

 

 それは菅笠すげがさをかぶった大きな男だったという。

 聞けば、事情があって諸国を渡り歩いていた時に、鋭心の噂を耳にして立ち寄ったとのことであったが、配下の者はどうせ金が目当ての騙り屋だろうと考えて取り合わなかった。今までにも似たようなことは何度かあり、金だけ受けとって何も出来ずに帰るのならまだしも、怪しげな物を売りつけようとする者までいたからだ。

 そういう輩にうんざりしていたのもあって門前で僧を追い返そうとしたのだが、金はいらんし物も売らんというので、それなら駄目元で見てもらうことにしたところ、なんと僧はいとも簡単に暴流を駆除してしまったのである。

 これには鋭心を含め皆が驚喜し、涙ながらに何か褒美をさせてくれと願いでた。

 しかし豪快に笑いながら褒美を断った僧は、ひとつ約束を守ってくれるなら目を見えるようにしてやる、と鋭心に持ちかけた。

 暴流から救ってくれただけでなく、目まで治してくれるという僧に鋭心は心から感涙した。そして、どのようなことがあっても約束を守ると誓ったのである。


『それが、対象者たいしょうしゃを探し出して保護するという約束だった』

『対象者?』

『こいつのような奴のことだ』

 陸鋭は眠っている知来に目をむけた。

『他にもいるのか』

『いや、いない。ひとりだけだ』

『何なのかね、その対象者というのは』

 良義は酒を片づけ、代わりに茶を出しながら聞いた。

『それはおれにも分からねえ。対象者を見つけたら保護しろ、それが先祖代々の言い伝えだった』

 陸鋭は湯呑みを手にとると口に運んだ。

 

 僧に目を治して貰った鋭心は、約束の通り対象者と呼ばれる者を探すことに専念した。与えられた灰色の目は景色を見るだけでなく、意識のかけ方を変えると違った見えかたをした。色彩や起伏はなくなり灰一色の無機質な世界が広がるのだ。その世界に映るのは対象者の生氣だけだ、と僧は言っていた。もし動いているものが見えたならそれが対象者である、と。

 

 時は過ぎ、鋭心は一六歳になった。

 いつものように灰色の世界を探索していた鋭心の目に、小さな黄金色の光が輝いて見えた。これがそうかと直感した鋭心はすぐに旅立ち、数か月の旅路の果てに対象者を見つけることに成功して蘭国に連れ帰ってきた。

 この時、対象者はまだ七歳の子供だった。鋭心は約束を果たせたことに安堵し、また弟ができたようで嬉しくもあった。しかし十年後、対象者は謎の氣病にかかり世を去ってしまったのである。

 途方に暮れた鋭心は無気力な生活を送っていたが、五年の後、ふたたび灰色の世界に黄金色の光が現われた。

 まさか弟が戻ってきたのか。そう思いすぐに旅立った鋭心であったが、見つけたのは五歳ほどの子供だった。鋭心は視界を変えて何度も確認したが、無機質な世界で輝いている光の正体は、やはり目の前にいる子供で間違いないようだった。

 複雑な心境のまま蘭国に連れ戻り、共に過ごすこと十三年。またもや対象者は原因不明の氣病にかかり世を去った。

 この時、鋭心はすでに四五歳。人の生死には何度も遭遇し、感情の起伏も昔ほどなくなってはいたが、それでも落胆の色は隠せなかった。

 

 そして五年後、鋭心の灰色の眼にまたも黄金色の光が現われる。

 鋭心は確信した。対象者が死ぬと、別の対象者がどこかで現われるのだ。

 行かねばならん、そう思い鋭心は旅路の支度をした。歳はすでに五十である。もう昔みたいに諸国を駆けまわる体力もない。しかし約束は守らねばならなかった。

 この時、鋭心には二十歳になる息子の地鋭ちえいがいた。父から話を聞かされていた地鋭は、父の安否を気遣い旅に同行することにした。探索すること数か月、ふたりは対象者を見つけることに成功し、共に蘭国へと戻った。

 この時の対象者も五歳。

 過去を思いだしながら時系列を書にしたためた鋭心は、ひとつの結論に辿りついて愕然とした。対象者が死んでから次の光が現われるまでの間隔と、新たに見つけた対象者の歳が一致するのである。

 対象者は生まれ変わっている――。

 いや、単なる偶然かと鋭心は思った。こじつけているに過ぎないとも考えた。しかし二度も対象者を失った鋭心は、そう考えることで少なからず救われた気分になったが、それと同時に耐えがたいほどの戦慄もおぼえた。

 いったいどれほど繰り返してきたのか。これからどれほど繰り返していくのか。

 死ねども死ねどもまた生を受け、生けども生けどもまた死するというのは、終わりのない輪の道を延々と歩かされているような過酷で悲惨な旅路に思えた。


 そして六年後、鋭心は五六歳にして病に倒れ、世を去った。

 死に際で鋭心は、今までに見せたことのないような穏やかな表情で地鋭に言った。

 ようやく終えることができる、と。

 地鋭もこれで父の役目は終わったのだと思った。

 しかし鋭心が逝き、涙をこらえる地鋭の眼に映ったのは、横でむせび泣いていた対象者の輝いた光だった。


『力が子に移ったということか』

『ああ、そうだ。眼の持ち主が死んで、すぐにな』

 そうやって力を引き継ぎながら、100年以上経った今でも國立の一族は対象者を探し続けているという。

 源は二の句が告げず、長い息を吐くことしかできなかった。

 陸鋭は知来に目を向けた。

『おれがこいつを見つけたのは五年前だが、一国の太子だから保護はできなかった』

 しかし犀が攻められたと聞き、行動を起こしたとのことだった。

『保護する理由もわからないのか』

『それも不明だ』

『それなのになぜ続ける』

 わずかに目を見開いた陸鋭であったが、軽く息をもらすと肩をすくめた。

『正直、おれも分からなくなる時がある。そりゃそうだろ、知らない奴が見ればただの人さらいもいいとこだ。だがな、やめる訳にはいかねえんだ。ここでやめたら、先代のしてきたことがすべて無駄になっちまう。そうだろ』

 その口ぶりは、自分に言い聞かせているようでもあった。


『この子に名を呼ばれた時に驚いておったようだが、あれは何故なのかね』

 良義が湯呑みに茶を注ぎながら聞いた。

『対象者が転生前のことを覚えているなんて聞いたことなかったからな。おれのことを知っているのなら、それは十年前に死んだ対象者の記憶だろう。なんで覚えてるのか知らねえが』

『ぼくにも……わからない』

 三人の眼が知来に向けられた。見ると、知来が目を開けてこちらを見ていた。

 良義はすぐに側へいくと、知来の腕をとって脈をとりはじめた。

『断片的だけど……國立の里で暮らしたことが……今でも』

『わかった、もう喋るな』

 なだめるように陸鋭は言った。

『お願いだ……陸鋭さん。ぼくを、崋山かざんへ連れていってほしいんだ』

『崋山? 界壁かいへきの向こうにある山か。なぜだ?』

『わからない……でも、行かなくちゃならない。それだけはわかるんだ』

 返答に困っているのか、陸鋭は腕をくんで渋い表情をした。

『時間がないんだ……うまく言えないけど、そこへ行くことが……僕の存在している理由だと思う』

『行けばわかるのか。先祖が繰り返してきた、この意味が』

 陸鋭は熱を伴わせた声で言った。

 知来は返事こそしなかったものの、その目には確固たる確信の色が浮かんでいた。『……よし、行こうじゃねえか』

 陸鋭は口元をつりあげる。知来は嬉しそうに微笑んだ。

『おれも行こう』

 源が言った。意表を突かれた言葉に陸鋭は目を丸くした。

『なぜだ、おまえに義務はねえだろ』

『いや、そうじゃない。もともと崋山へはいつか行くつもりだったのだ。幻人げんびとを探すために』

『なんだ、その幻人って』

『おれの求める境地に達した人のことだ』

 源が境地を求めて旅をしていたとき、時おり耳にする似通った話があった。それは「崋山に住まう幻人に会えば道は開かれる」という内容の話で、本当にそういう人がいるのなら会ってみたいと考えていたのである。

『ふうん。そういうことなら、おれは別にかまわねえが。むしろ一緒に来てくれると助かるってもんだ』

『僕も……うれしいです。意識がおぼろではっきりと覚えていませんが……あなたの手当ては暖かく安らぐものがありました。とても……感謝しています』

『決まりだな』

 そう言って、陸鋭は残っていた茶を飲みほした。


 そして二日後。

 全快には至らぬものの知来が自分で歩けるまでに回復したので、三人は華山へ向けて発つことにした。まずは藤国へ向かい、そこからおうさいを抜けてせんの国へ入る旅路である。

 旅立ちの際、良義は源に薬をもたせた。氣病の原因となっていた氣穴のことがどうも気になるらしく、もしまた発症した時にはすぐに治療を行うようにと、簡単ではあるが手当ての方法も書に記し、それも一緒に手渡した。

 源を含めた三人は五指先を揃えて良義に深く礼をすると、ひとまずの目的地となる藤の国へ向けて旅立った。


 どうか無事であるように――。

 彼らの歩いていった道を眺めながら、良義はそう願った。

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