第15話 戦慄の来訪者たち

「ミツケタ」「ミツケタナ」「ミツケタヨ」「ミケタンダ」

 妙に神経を逆なでる甲高い声が、そこかしこの闇の中から聞こえてきた。

 梓季しき釣挑ちょうちょうは武器をかまえ周囲に目を配った。

 月澄げっちょうも異変を感じているのか、仙氣を解くことなく目で声を追っている。

「カカ、ミツケタヨ」「コッチダヨ、カカ」「カカカカ」

 ぬぅ、ぬぅ、と闇の空間に異形の姿が浮かびあがる。

 その数、ゆうに百は超えていた。

 赤子のような小さな体に、大人よりも大きい頭をした、著しく不均整な作りの生き物たち。歪んだ顔は目鼻をあらぬ位置へと押しやり、枯枝のように細い手足で体を支えているさまは、さながら節足動物のようでもあった。

「梓季さま……暴流ぼるです。それも大量な」

 釣挑の体は小刻みに震えている。梓季も気持ち悪いほど背中が汗ばんでいた。

「カカ、ハヤクハヤク」「イソゲイソゲ」「イソヤクヤク」

 そう言った声が、次々と聞こえたその時だった。

 

 群雲流れる月夜の空から、黒く大きな影が地を割るがごとくの勢いで大地へ降りてきた。

 旋風が波状にひろがり、亡者を燃やす炎を平らに歪ませた。

 梓季は言葉を呑み、釣挑は驚嘆の声をあげた。

 だが月澄だけは、値踏みでもしているかのような目でその影を見ていた。

 干からびたような黒い体は所々の肉が剥がれ、白い骨が露わになっている。足まで伸びた白髪も半分ほど抜け落ち体に絡みついていた。胸には乳らしきものが垂れているが張りなどあろうはずもない。ぼろぼろに破れた布を額と腰だけに巻き、大人の背丈の倍はあろうかと思われるほどの長身に、見たこともないほどの大刀を背中に掲げているそれは、低く反響を含ませた声で言った。

「何処ダ……何処ニイル」

 怪異なほどに赤く染まる目が獲物をさがす。

 小さい暴流が飛び跳ねながら騒ぎたてた。


「カカ、ココラデ臭ウヨ」「コノヘンダヨ、カカ」「ココカカコ」

「アア、臭ウ……臭ウゾ。出テコイ我羅捨がらしゃァ!」

 巨体の暴流が身震いさせるほどの声で叫んだ時、炎に焼かれ地に伏していた亡者たちが、その暴流めがけて一斉に襲いかかった。

「あの者、まさか戦うつもりか……!」

 常軌を逸した行動に釣挑は目を疑った。

 暴流は背の大刀を抜くと真横に一振りさせた。

 飛びかかっていた亡者の体が見るも無残に分断されていく。

 勝ち負け以前の問題であるようだった。力の差は明白すぎている。

 しかし月澄は憎悪に満ちた目で白刃を抜くと、あろうことか今度は自らが糧となって挑んでいった。

「やめなさい、無謀です!」

 思わず梓季は声を張りあげる。生身の人間がどうこうできる相手ではない。なにがそこまで男を駆り立てるのか理解に苦しんだ。

 

 走りながら亡者を手繰り寄せ、それを盾にして己が身を隠す。

 死角に入りこんで高く飛んだ。

 剣先が下に向く。

 体重の乗った一刺しが暴流の胸を見事に貫いた。

「おい……おまえ我羅捨を知ってるな」

 暴流の肩にのせた右足で体重をささえながら、血をたぎらせた声で聞く。

「何ダ、オ前ハ。何故、オ前カラ我羅捨の臭イガスル?」

「答えろ、あいつはどこにいる!」

 月澄は柄を握る手に力をいれた。

 猛り狂った叫びをあげた暴流は相手の首襟を掴んで地面に叩きつける。

 すさまじい勢いだ。衝撃の反力によって月澄の体が毬のように跳ねあがった。

 周りで立っていた亡者たちが糸の切れた人形のように倒れていく。

 月澄が起きあがる気配はなかった。


「ソウカ、オマエ」

 仰向けになって身動きができないでいる月澄に、暴流は大刀を一閃した。

 はらりと服が斬られ、露わとなった右腹あたりに黒いひし形の痣らしきものが見えた。

「ヤハリ呪印じゅいんダッタカ」

 奇怪なまでの笑いが起こる。

「哀レナ、アレニ気ニ入ラレルトハ。丁度イイ、オマエノ首ヲ見セツケテヤルコトニシヨウ」

 高く掲げた大刀が月光を浴びる。

 今まさに振り下ろしかけた瞬間、暴流の眼前に竹筒が現われた。

 釣挑の両掌が闇を張る。

 顔面すぐ近くで爆発を喰らった暴流は尻もちをつかせた。

 顔を押えて悶え苦しんでいる。

 釣挑は倒れている月澄の髪を掴むと、引きずるようにして梓季のもとに戻った。


「誰が……助けろと頼んだ」

 よろよろと立ちあがりながらふたりを睨む。

 鼻口を隠していた布がとれた月澄の顔には、口の左端から頬にかけて痛々しいほどの傷痕があった。

「おれに聞くな。梓季さまのご命令だ」

「この男の……?」

 月澄は不思議なものでも見るような目で梓季を見やった。

「忌々シイ人間ドモガ。餌ニナルトイイ」

 周囲で様子を見ていた小暴流たちが手を叩いて踊りはじめた。

「クッチマウゼ」「クッチマエ」「クッチャラレ」

 飛び跳ね、おどけ、ケタケタ笑いながら幅を詰めてくる。

「アタマハオレダ」「アシハオレダ」「テテオレレ」

 奇声と共に暴流の集団が飛びかかったとき、三人の足元に巨大な文字が浮かび上がった。

 青い光が地面を円状に広がるや、光の柱が空へと駆け昇る。

「ギャア」「ウゲッ」「アベベ」

 光に触れていた暴流が霧のように消失していく光景を、三人は魅せられたように眺めていた。


「ずいぶんと賑やかだな」

 野太い声が聞こえた。

 僧衣姿の大きな男が、黒い棒を杖代わりにしながら三人に近づいてきた。すぐ後ろには怯えた顔であたりを見ている細身の男もいる。

「あなたは――?」

 驚きも露わに梓季が聞いた。

藍銅らんどうってもんだ」

 男は素っ気ない口調で答えた。

「ら、藍銅さん、なんかすごいのがいるんですけど……」

 後ろにいた男が、大刀を担いでいる暴流を指差しながら聞く。

「あれは狩戦奴しゅせんどだ。まだ生き残りがいたとはな」

「なんですか、その狩戦奴って」

「力を求めることばかりに執心した奴らの、成れの果ての姿といったところか」

 その狩戦奴は、藍銅をじっと凝視していた。

「カカ、ハヤククッチマオウゼ」「クオウクオウ」「クケケケ」

 残っていた小暴流は変わらず騒いでいる。どうやら仲間が消されたという概念は持っていないようだった。

「イヤ……サスガニ、フタリハキツイ」

 大刀を背中に戻した狩戦奴は、赤く狂った目を月澄に向けた。

「人間ヨ、ソノ呪印アルカギリ、アレハ向ウカラ来ルダロウ。オマエヲ狩リニ」

 そう言い残すと、闇に溶けるようにして姿を消していった。

 いつの間にか、あれだけ騒いでいた小暴流たちもいなくなっていた。


「助けてくださり感謝いたします。正直、死を覚悟したものがございました」

 五指先を揃え、梓季は深々と礼をした。これに何故か一緒にいた男が慌てて礼をかえした。

「無事でよかったです。私はびょうといいます。この方と一緒にせいから来ました」

「犀から?」

「はい。犀の太子さまが柊国しゅうこくにさらわれたと聞いて探しにきたのです」

「太子を――ですか」

「あ、探しているのは私ではなく、この方なのですが」

 梓季がちらと見上げると、藍銅は首を横に向けどこかを眺めていた。

「実は、訳あって我々も太子様を探してこの国へ来たのですが」

「え、あなた方もですか?」

「ええ。ですが柊の関与はなく、ただの流言であったようです」

「そうなのですか……。藍銅さん、どうします?」

 見上げて描が聞く。しかし藍銅は何も答えず、どこか闇の一点に目を留めていた。

「藍銅さん? どうかしたんですか?」

「描、おまえそいつら連れて離れていろ」

 いつになく厳しい口調の藍銅に、描は違和感を覚えた。

「あの、なにかあった――」

「いいから早く行け」

 しっしっと追い払う素振りを見せられ、描は仕方なしに言うとおりにした。

 

 藍銅は数歩前へ進むと、月明かりの落ちる野原へ立った。

 冷気を帯びた風が下草を撫でている。

 静寂に包まれるなか、それは起こった。

 藍銅の前にある空間が、ずれた。

 まるでそこに少しだけ開いた扉でもあるかのように、縦長の隙間が空間の中に現われた。

 あたりで旋風が巻きおこり、軋むような音がそこら中で鳴りはじめる。因果を無視した現象に大氣が悲鳴をあげているようだった。

 と、隙間の中から鎖らしきものが飛び出し、それが藍銅の持つ黒棒に巻きついた。

「久しいな、藍銅」

 その声は隙間の中から聞こえてきた。

金剛こんごう……やはりおまえか」

 藍銅は己を引寄せる力に抗うかのように、黒棒を地に突き立てた。

対象者たいしょうしゃはどこだ」

 金剛と呼ばれた声が聞く。少し驚いた様子を見せた藍銅であったが、すぐに懸念が晴れたような顔になると笑いをあげた。

「それを聞いて安心した。まだおまえらの手に渡っていなかったか」

「とぼけているのか。まあいい、他にも聞きたいことがある。一緒にきてもらうぞ」

 さらに数本の鎖が飛びだし、藍銅の首や手足に絡みついた。

「むぅ」

 うめきを漏らした藍銅の体が、隙間の方へじりじりと引きずられていく。


「藍銅さん!」

 描が叫んだ。

 先ほどよりも隙間が大きくなっていた。

 旋風がますます強くなる。大氣はひび割れた音をあげはじめていた。

 歯がゆい表情で描たちがいる方を見やった藍銅は、野太い声を荒げて言った。

「おまえら、このまま太子を探し続けろ」

 すでに体の半分は隙間に引きづりこまれている。

「え……え?」

 あらぬ出来事を前に、描は心を保つのが精一杯だった。

「必ず見つけろ、いいな」

「そんな、探すといってもどうやって――」

 力に抗いながら藍銅は何かを叫んでいたが、竜巻のような暴風と鼓膜を破るようなひしめいた音がすごすぎて声を聞くことができない。

 描の渾身の叫びもむなしく、藍銅の体は完全に引きずりこまれてしまった。

 

 空間の隙間が、糸のように細くなり消失していく。

 あたりは、ふたたび夜の静寂につつまれた。

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