第14話 異端の暗殺者
夜の山道を二匹の馬が歩いていた。
時刻は夜三つ(午前0時頃)。
月は薄い雲に覆われているが、視界は悪くない。ほんのり青暗い大気につつまれた山々は、静かな眠りについているかのようだった。
「
拍子よく鳴っていた蹄の音に、
不穏な空気を感じとり、
太子は
ふたりは蓮の湖に着くと、かつては漁師が使っていたであろう廃屋を見つけ、その中で暖をとることにした。日中は陽気といえども、夜の冷えた空気は肌をさすものがあった。
「今夜はぬかりなく」
梓季は言った。
時は過ぎ、草木も眠る丑三つ時――。
ふたりが寝ている廃屋に、無数の影が忍び寄っていた。
月は群雲に隠され周囲は闇。姿はよく見えないが、十人以上はいる気配だった。
人影たちは警戒するような動きで廃屋を取り囲むと、互いに合図をしあった。そしてひとりが入口の戸に手をかけたとき、
「釣挑、今です」
その声は廃屋ではなく、森の中から聞こえた。
別の場所で待機していた釣挑が、声を合図に両の掌を打ち鳴らした。
とつぜん廃屋が大爆発を起こし、無数の人影が四方八方に吹き飛ばされた。運よく免れた人影たちは、めらめらと燃える廃屋を見ながら慌てふためいていた。
釣挑が廃屋に仕掛けていたもの、それは火薬だった。そして着火させたのも釣挑である。
仙氣の力は多々あれど、釣挑ほど乏しい仙氣の持ち主はそうそういないだろう。両の手を叩くとわずかな火花を起こせる。たったこれだけの能力だった。釣挑自身、こんな力は役に立つはずがないと思いながら生きていたのだが、梓季にその能力を高く買われて部下に引き上げてもらったのである。
だが梓季も、能力だけが目当てで釣挑を部下にしたわけではない。
「梓季さま、五人ほど残っております」
言うが早いか、釣挑は腰の刀を抜くと風のような速さで人影に近づき、闇夜に五本の太刀筋を閃かせた。
寸の後、立っている人影はいなくなった。
仙氣なくとも釣挑の武芸は秀でていたのである。
「妙ですね」
息絶えた人影を見下ろす梓季は疑念をはしらせた。その者たちは皆、粗末な衣を着ただけの男たちだったからだ。体は貧相で手足も細く、顔にいたっては痩せこけている。何より弱すぎるものがあった。
「この者たちは一体……」
釣挑もまた困惑しているようだ。梓季は顎に手をやると低い声をもらした。
これは
「梓季さま、これを」
屍を足でひっくり返した釣挑は、その足首を太刀先で指し示した。
そこには黒い帯のような痣があった。他の屍も同様のようだった。
「これは……足枷の痕のようですね」
「囚人、ということでしょうか」
「だとしても解せないですね。目的がわかりません」
脱走した囚人であるなら荷を載せた馬に目を向けるはず。はじめから襲うつもりで来たとなれば徐剛が送りこんだ刺客とみてよさそうだが、なぜこのような素人を使ったのか。
「梓季さま!」
闇を
小指ほどの太さをした棒が釣挑の腕に深々と突き刺さった。棒手裏剣であるようだった。
「大丈夫ですか、釣挑」
釣挑はそれを引き抜くと、右方の暗がりに目を向けた。
雲が流れ、現われた上弦の月がおぼろに大地を照らした。
枝張りのよい木上に、しゃがんだ格好でふたりを見下ろしている者の姿があった。
「なにものだ!」
釣挑はそれに向かって棒手裏剣を投げかえした。
首だけを動かしてかわした人影は、木から飛び降りふたりの前に姿を見せた。
梓季はわずかばかりの驚きを見せた。
それは黒衣を着た背の低い男だった。無造作に伸びた髪は頬を隠し、布で鼻と口を覆っているために容貌はわかりにくいが、体つきや雰囲気からしてまだ子供のようでもあった。
「あなたは何者ですか」
男は月を見上げると茫然と佇んだ。
まるで梓季の声が聞こえていないかのようだった。
「聞こえなかったのか、何者かと聞いている」
釣挑が苛立った声をあげた。
月からふたりに目を戻した男は、子供とは思えないような低い声で言った。
「
ひどく不気味な男であった。戦意も覇気もまったく見られず、ただ仕方なしにそこに立っているようでもあったが、髪の隙間から覗かせる黒目の奥には赤々と燃えた炎があるようにも思える。最初に梓季が驚いたのも、その炎が見えたからだった。それは明らかに死地を潜り抜けてきた者が持つ目であった。見目が子供であるのに子供とは思えない理由もそこにあるようだった。
「では月澄、質問に答えてください。あなたは徐剛殿の刺客としてきたのですか」
問うた梓季は月澄の顔をじっと見つめた。しばらくその視線を受けていた月澄は、
「おまえ……いやな目をしているな。まるで心が覗きこまれているようだ」
梓季は目を見張った。釣挑もひどく驚いているようだった。
「梓季さま、この者は……」
「勘がいいのかもしれませんね」
思わず苦笑がもれる。
そう、梓季は相手の心を読みとることができる仙氣の持ち主だった。
「気づかれたのは初めてですが、これではっきりしました。あなたを送りこんだのは徐剛ですね」
「……そうだ。おまえたちを始末しろと言われた」
「あなたひとりで、私たちを殺しに来たのですか」
「そいつらがいる」
梓季はまわりで倒れている囚人をちらと見た。
「何を言っている。残っているのは貴様だけだ」
剣先を突きつけながら釣挑は言う。月澄は含み笑った。
「哀れなやつらだ」
「それは、どういう意味ですか」
梓季は目を細める。
「さっさ死んでいれば、悪夢を見ずにすんだものを――」
腰を低く落とし、ゆっくりと両腕をひろげた月澄のまわりに、闇を透いた文字のようなものが浮かびあがった。
仙氣 ―
突然、後方で気配を感じたふたりは離れるようにして飛び退いた。
間一髪、梓季の顔の前を太刀の切っ先が横切って行った。
「こ、これは……!」
ふたりに戦慄が走った。
周囲に無数の人影が浮かびあがっていた。
それは先の戦いで息絶え、すでに屍となっていた囚人たちだった。
「まさか生き返ったというのですか」
いや、ちがうと梓季は自問自答した。
生氣が抜けきり土色となった囚人に命の気配は感じられない。
操っているのだ、あの男が。この屍たちを。
「梓季さま、どうされますか」
すでに四、五人を斬り伏せた釣挑だが、その顔は青ざめている。斬れども斬れども囚人たちは起きあがり、一向に倒れる気配がないからである。
梓季も何人か斬ったが、手応えの無さに焦りを覚えはじめていた。
「釣挑、竹筒は残っていますか」
「二本ほど」
「では――」
梓季は釣挑に耳打ちした。
頷いた釣挑は囚人の攻撃を上手くかわしながら、月澄に向かって走りはじめた。
ぴくりと目を震わせた月澄は、糸を手繰り寄せるよう腕を引き寄せた。
囚人たちの体が人形のように跳ねあがり、投石のごとく釣挑に襲いかかった。
十人以上を相手に戦う釣挑は際立つほどの健闘ぶりであったが、さすがに厳しくなってきたのか顔には苦渋の色が見えはじめていた。
「釣挑!」
馬蹄の音と共に聞こえてきた声に、釣挑は精神を極限にまで集中させた。
梓季は騎乗しながら空に向かって壺のようなものを投げた。
それが頭上にきたとき、釣挑は手にしていた太刀を宙に放った。
音をあげながら陶器が割れ、中の液体が飛び散る。
油だ。
飛び
破裂音がとどろき爆風がひろがる。
油を浴びていた囚人に次々と火が燃え移った。
「終わりです」
馬から降りた梓季は、燃ゆる囚人に向かって水をぶちまけた。
気化された水蒸気によって急激に広がった炎は、瞬間的に辺りを火の海にした。
炎につつまれた囚人たちは膝をついて倒れていった。
「なにを勝った気でいる」
声色を変えることなく月澄が言った。
梓季は嫌な汗が頬を伝うのを感じていた。
身を焼かれ倒れながらも、囚人たちは這いながら梓季の方へ近づいてくる。
「これは……まずいですね」
さすがに肝が冷やされる。まさに悪夢の光景とも言えた。戦場での窮地とは違った恐ろしさに、梓季は血が凍りかけた。
と、その時だ。
「ミツケタゾ――」
その声は、闇の中から漏れてきた。
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